「暇だねー」


純ちゃんが私のベッドに転がりながら呟く。
二つにまとめられた髪がその呟きに合わせて動いてて可愛い。


「梓、帰って来るの明日だったよね?」


「うん、そうだよ」


「やっぱり明日かー。
どんなお土産買って来てくれるかな?
梓の事だから妙に真面目な物をお土産にしちゃいそうだよね。
例えば……、現地で買ったロンドンの地図とか!」


「あはは、どうだろう?」


「冗談よ、冗談。
でも多分そういうのなんだろうなー、梓のお土産。
ペナントとかご当地のお饅頭とか」


「ロンドンにお饅頭ってあったっけ?」


「ほら、京都にあるじゃん、お饅頭のロンドン焼き。
だから多分ロンドンにもあるんじゃない?」


「ど、どうかなあ……」


ロンドン焼きならお姉ちゃんが修学旅行のお土産にくれたけど、
実際にロンドンにもあるのかどうかは別問題だと思うよ、純ちゃん……。
でも純ちゃんがそう言うと本当にありそうな気がしてくるから不思議。
明日になれば分かる事だし、本当にロンドンのお饅頭がお土産なのか楽しみに待っていよう。
勿論一番のお土産はお姉ちゃん達の元気な姿なんだけど。


「あ、憂」


「どうしたの、純ちゃん?」


「今『一番のお土産はお姉ちゃん達の元気な姿』とか思ったでしょー?」


「な、何で分かったの?」


「私には憂の考えてる事なんてまるっとお見通しなのだ!」


「純ちゃん凄い!」


「なんてね」


「えっ」


「私も丁度そういう事を考えてた所だったんだ」


頬を赤らめて純ちゃんが照れ臭そうに微笑む。
何だか心が温かくなった気分になって、私も釣られて微笑んだ。
梓ちゃんの前では決して見せない純ちゃんの素直で照れ屋な一面。
その顔を私にだけ見せてくれるのは、嬉しいんだけどちょっと寂しい複雑な気持ち。
純ちゃんが梓ちゃんの事を特別に思ってるから、照れ屋な一面を見せないのを私も分かってるから。


「ま、心配しなくても元気に帰って来るんだろうけどねー、梓達は」


「うん、そうだといいよね」


「憂ももうすぐお姉ちゃんが帰って来るの嬉しいでしょ」


「うんっ!」


私が勢いよく頷くと純ちゃんがベッドから手を伸ばした。
そのまま私の頭をポニーテールの上から撫でる。


「うんうん、素直で愛い奴じゃ、憂だけに」


「あ、その駄洒落久し振りだね」


「しつこいと飽きられちゃうからね。
皆が忘れた頃に久し振りに使うとアクセントになるのよ」


「なるほど。
でも本当に久し振りな気がするよ、純ちゃん。
高校に入ってからは聞いてなかった気がするもん」


「そんなに使ってなかったっけ?
うーん、でもそうかもね。
私自身、使ってて懐かしい気持ちになったもん。
となるとこの駄洒落を使うのは中学生以来かー」


一呼吸。
純ちゃんが言葉を止めて、私も言葉を止める。
目と目を合わせて見つめ合って、しばらく経ってから先に笑顔になったのは純ちゃんだった。


「思えば憂とも長い付き合いになったもんだよねー」


「うん、そうだよね」


「中学の頃は憂とこんなに付き合う事になるなんて思ってなかったしね」


「そうなの?」


「だって接点無かったじゃん。
同じ中学ってだけで話す事もほとんど無かったしね。
共通点と言えば桜高が志望校だったくらいでしょ?」


「それは……、そうかも」


呟きながら、中学生だった頃の私と純ちゃんを思い出してみる。
純ちゃんの言う通り、私と純ちゃんにはほとんど接点が無かった。
嫌いだったわけでも苦手だったわけでもない。
だけど用が無い時に進んで話し掛ける様な仲でもない。
中学生の頃の私と純ちゃんはそういう関係だった。
そんな関係が劇的に変わったのは、桜高の部活見学の時。
今も忘れない、あの春の日の事。


「でもあの時は純ちゃんの方から誘ってくれたよね?」


「あの時って言うと、部活見学の時の事?」


「うん、あの時はびっくりしたよ。
だって急に家に電話が掛かって来たんだもん。
『同じ学校の鈴木純なんだけど』って言われても何の事か分からなかったくらい」


「そこは私の積極性を褒めてほしい所だね、憂ちゃん」


『憂ちゃん』。
懐かしい呼び名が私の耳に響く。
うん、あの日も純ちゃんは私の事を『憂ちゃん』って呼んでたよね。
『憂』って呼び捨てで呼ばれるようになるのは、それからもう少し後の事だった。


「そう言えばあの日はどうして私を誘ってくれたの?」


「憂のお姉ちゃんが桜高の軽音部に居るって風の噂で聞いたのを思い出したんだ。
一人で部活見学しててもつまんないしね。
それにもし軽音部に入る事になった時のために、先にそのお姉ちゃんに私の顔を売っとこうと思って」


えへへ、と純ちゃんがおどけて舌を出す。
こんな所でも純ちゃんは抜け目無い。
とても純ちゃんらしいし、何だかすっごく笑顔になってくる。
純ちゃんが私を選んでくれたのは本当だし、それが私達の関係の始まりのきっかけなんだもん。
それがどんな形でも私は嬉しいよ、純ちゃん。
なのに純ちゃんは残念そうに首を傾げた。


「あれ、突っ込んでくれないの、憂?」


「突っ込むって何を?」


「『そんな不純な動機だったのっ?』とか何とか。
ほらほら、思う存分突っ込んでくれてもいいんだよー?」


「別に不純な動機だなんて思ってないよ、純ちゃん。
私ね、あの日に純ちゃんが電話を掛けて来てくれてすっごく嬉しかったんだ。
だって純ちゃんとは仲良くなりたいなってずっと思ってたんだもん」


「憂が……私と……?」


「うんっ!」


「どうして?
さっきも言ったけど私達あんまり接点無かったでしょ?」


「それでも気になってたんだ。
学校で見掛ける純ちゃんは元気で楽しそうで、何だかお姉ちゃんみたいだったから」


「それは喜んぶべきなのか悲しむべきなのか……」


「ううん、それだけじゃないよ。
それ以外にも色んな時に気になってたの。
例えば純ちゃんのお友達が泣いてた時、一番一生懸命に慰めてたのは純ちゃんだったよ?
ほら、憶えてる?
ペットのハムスターが逃げ出しちゃったって心配してたあの子の事」


「あー……、そんな事もあったような……。
ていうか見てたんだ、あの時」


「うん、純ちゃんのクラスの子に用がある時にたまたまね。
凄いなあ、って思ったよ。
私だったらおろおろするばっかりで、慰めたりなんてしてあげられなかったと思う。
それなのに純ちゃんはあの子の背中を押してあげてたよね?
『心配なら捜しに行こう。捜さなきゃ無事かどうかも分かんないでしょ!』って。
その時からね、ずっと気になってたの、純ちゃんの事」


「あはは、照れますな。
うん、あの時は大変だったなあ……。
ハムスター、何故かあの子のマンションの屋上の排水溝に詰まってたんだもん。
雨が降らなくてよかったけど、救助が大変だったの何のって」


また純ちゃんが頬を赤く染める。
髪も左右に軽く揺らして、その仕種がハムスターみたいで何だか可愛い。
意外と照れ屋な純ちゃんの一面。
梓ちゃんには見せない、私にだけ見せる表情。


「そんな純ちゃんだから仲良くなりたくて、今こんなに仲良くなれて嬉しいの。
純ちゃんは友達を大切にしてて、自然と誰かの背中を押してあげられる子だから。
それって簡単に出来る事じゃないと思うんだ。
ほら、梓ちゃんの事だって」


「梓の事?」


「三年生になったら軽音部に入るんだよね、純ちゃん?」


「あ、うん、そのつもりだよ。
でもそれは梓と部活やるのが楽しそうだったからだし」


何でも無い事みたいに純ちゃんが笑う。
やっぱり純ちゃんは凄い。
自然に友達の事を考えられてる。
感謝されると照れる一面を梓ちゃんの前で見せないのだってそう。
梓ちゃんは自分のために何かをしてくれる事にあんまり慣れてない。
自分のために何かをしてもらったら負い目を感じちゃう子だから。
だから純ちゃんは、梓ちゃんの前では飄々とした立場で居ようとしてるんだと思う。
『感謝されるような事はしてないよ』って暗に伝えるために。
『友達なんだから当然だよ』って。


「でも憂も軽音部に入ってくれるんでしょ?」


「うん、お姉ちゃんが寮に入るから時間も出来るし、
お姉ちゃんが好きな音楽の事をもっと知りたくなったから。
勿論、純ちゃんや梓ちゃんと一緒に居たいからって理由もあるんだけどね」


「ありがと、憂」


「ありがとって言われるような事はしてないよ、純ちゃん」


「うん、でも、ありがと」


また純ちゃんが私の頭を撫でてくれる。
その手のひらの動きはさっきよりずっと優しい撫で方だった。
優しい純ちゃん。
照れ屋な純ちゃん。
大好きな純ちゃん。
誰かの、私の背中を押してくれる純ちゃん。

純ちゃんは自然に皆の背中を押してくれる。
私の背中も。
お姉ちゃんが修学旅行に行った時、泊まりに来てくれるって言ったのは純ちゃんだった。
軽音部の部室で私に楽器を試させてくれたのも純ちゃんだった。
一昨日さわ子先生が持って来た忍者の衣装を、率先して着てくれたのも純ちゃんだった。
お姉ちゃんが卒業した後、何をしたらいいか悩んでる私に部活を勧めてくれたのだって……。

私は、純ちゃんと友達になれて、本当によかったと思う。
三年生に上がって、純ちゃんと梓ちゃんと軽音部で一緒に居られるのがとっても楽しみ。


「私の方こそありがとう、純ちゃん。
一緒に居てくれて、軽音部に誘ってくれて、本当にありがとう。
私……、すっごく嬉しい!」


純ちゃんが照れるのは分かってたけど、その言葉は止められなかった。
動きも止められなかった。
気が付けば私は純ちゃんに強く抱きついちゃっていた。
自分でも思ってもみなかった行動だったけど、やっちゃったからにはしょうがないよね?
だから私は力一杯純ちゃんを抱きしめた。
この嬉しくて幸せな気持ちを少しでも純ちゃんに返せるように。

人差し指で頬を掻きながら、純ちゃんが上擦った声を出した。
やっぱり少し照れてるみたいだった。


「やっぱり姉妹だよね、唯先輩と憂。
抱きつき癖がそっくりだよ?」


「えへへ、ありがとう」


「そこお礼言うとこ?
……まあいっか。
とにかく梓が卒業旅行から帰って来てさ、先輩達の卒業式も終わったらさ、
梓が部室で一人になった時に二人でバーンと一気に押し掛けてびっくりさせようよ、憂。
軽音部の入部希望者が居るんだよ、それも二人もって。
びっくりするだろうなー、梓。
今からその時が楽しみだよね」


「うん、梓ちゃんをびっくりさせよう?
それから喜ばせてあげて、三人で頑張って新入部員を見つけよう?
それで新しい軽音部を皆で盛り上げようね!」


「当然!
この鈴木純様に掛かれば、新入部員なんて簡単に確保だよ!
部活見学に来たが最後、新入生なんて逃がしてあげないからね!」


「お、お手柔らかにね……」


「分かってるって」


純ちゃんが悪戯っぽく笑う。
私の顔に当たる柔らかい純ちゃんの髪がくすぐったくて気持ち良かった。
そうして二人でしばらく笑った後、今度は純ちゃんが私の背中に腕を伸ばした。
ぎゅーっと強く抱きしめられる。
お姉ちゃん以外に抱きしめられるのは慣れてないし、純ちゃんにこんなに抱きしめられるのは初めてだった。
不思議と自分の顔が熱くなっちゃうのを感じる。


「本当にありがとね、憂」


「純ちゃん……?」


「軽音部に入ってくれる事もだけど、こんなに私の傍に居てくれて。
正直恥ずかしいけど、せっかくだから憂には教えちゃうね。
ねえ、憂。
憂はさっき私の事が中学の頃から気になってたって言ってくれたよね?」


「うん、本当だよ?」


「分かってるって。
実はね、私もそうだったんだ」


「純ちゃんも?」


「うん、私も憂の事が気になってたんだよね。
憂は多分気付いてないだろうけど、憂って結構有名人だったんだよ?
唯先輩がうちの中学に居た頃は、それこそ毎日のように会いに行ってたでしょ?
そんなに仲良しな姉妹って結構珍しいから気になってたんだ」


「そうだったんだ……」


「最初はそういう単なる好奇心だったんだけどね、いつの間にかそうじゃなくなったんだよ。
実を言うと唯先輩と一緒に居る憂の事、何度か遠くから見てたの。
どんな話をしてるんだろうって、家で一緒に居るのに話す事がまだあるのかなって。
だけどそんな考えは二人の顔を見てたら吹き飛んじゃった。
だって二人ともすっごく幸せそうだったから。
一緒に居るだけであんなに楽しそうな姉妹なんて初めて見たよ。
それからずっと憂の事が気になってたんだよね。
どうしてあんなに幸せそうな顔が出来るんだろうって」


「姉妹なら普通……だと思うよ?」


「うん、あの頃はすぐには分からなかったけど、憂を見てて少しずつ分かったんだ。
一般的にはともかく憂にとってはそれが普通なんだって。
特に意識してるわけじゃなくて、唯先輩を世話してるつもりもなくて、
憂はただ唯先輩と一緒に居るだけで、ううん、一緒に居るから幸せになれてる。
普通に。
そんな普通な事が普通に出来る憂の事をもっと知りたくなったんだ。
それであの日、ちょっと積極的になって憂に電話を掛けてみたんだよね。
『同じ学校の鈴木純だけど』ってさ」


それ以上言葉にするのは恥ずかしくなったんだと思う。
私に分かるくらい純ちゃんの体温が熱くなった。
あったかくて気持ち良い純ちゃんの身体。
全身にそれを感じながら私は純ちゃんにばれないようにちょっと笑った。
二人とも同じ事を考えてたんだ、って。

私は誰かを幸せに出来る純ちゃんの事を。
純ちゃんは誰かと一緒に居られるだけで幸せになれる私の事を。
二人ともお互いの事を気にしてて、お互いの幸せって何なのかを考えてた。
何だかちょっとおかしい。
だけど素敵だよね。
そんな二人が仲良しになれて、こんなにもっと幸せになれるなんて。

きっかけは好奇心。
だけど積極的になってくれたのは、私を知ろうと思ってくれた純ちゃん。
誰かの背中を押して、自分の背中も押して、幸せを引き寄せていく。
それが純ちゃんで、そんな純ちゃんに会えた私は本当に幸せなんだろうな。
だから私はそれを伝えたい。
純ちゃんの耳元だけど、耳鳴りにならないくらいの大きな声で。


「ありがとう、純ちゃん!
私、純ちゃんと友達になれて嬉しい!
純ちゃんの事、大好き! 大大好き! 大大大好き!」


「そんな恥ずかしい事、大声で言わないでよー……!」


顔を真っ赤にした純ちゃんが私の腕の中から逃げ出そうとする。
でも駄目。
今日だけは譲れないよ、純ちゃん。
私は力を込めて、抵抗する純ちゃんを腕の中で抱きしめ続けた。
柔らかいツインテールのくすぐったさに幸せを感じながら。
精一杯の想いを込めて。


「私、純ちゃんと友達になれて本当に幸せだよ!」




おわり



最終更新:2013年12月07日 07:36