「寒いね……」


「うん、息が真っ白だよね」


「こんなに暗いのに息が白いのが分かるなんてよっぽどだよね……」


「あはは……、確かにそうかも」


憂が軽く身体を揺らして微笑んだ。
その身体が震えてるように見えたのは、単に笑ったからってだけじゃないんだろうな。
かく言う私も身体が不規則に震えるのを止められてない。
ちょっとでも気を抜けば凍えてしまいそうなくらい。

足をちょっと止めて周りを見渡してみる。
夜目にも真っ暗でほんの数メートル先に何があるのかすら分からない。
軽く溜息を吐きながら、懐中電灯の光を適当な所に当てる。
そうしてやっと周りに何があるか分かった。


「まあ、木ばっかりなんだけど」


独り言みたいに呟いちゃう。
分かり切ってた事なんだけどね。
さっきからずっとこのちょっとした獣道を歩いてるわけなんだし。
分かり切ってた事なんだけど、もう一度ちょっと溜息。
何度も吐いちゃってる私の溜息に気付いたみたいで、憂も私の隣で足を止めた。


「もうすぐだよ、きっと」


「そうならいいんだけど……」


「一度行った事がある場所なんだし、もうちょっとだけ頑張ろ?」


微笑んではいるけど、そう言った憂の表情にも少し力が無い気がする。
かれこれ三十分はこの山道を歩いてるわけだもん。
増して二人してこんな大きな荷物を抱えてるわけだし、流石の憂だって疲れるに決まってるよね。
憂の言う通り目的地は一度案内された場所だけど、昼間に行くのと深夜に行くのじゃ全然違う。
そろそろ辿り着いてもいい頃なんだけどな……。
私達、ひょっとして迷ってないよね?
迷ってませんように……!


——天体観測に行こう!


私達が凍えながら山道を歩くきっかけになったのはその言葉だった。
何の前触れもなく天体観測の提案をしたのは勿論純。
純はいつだって唐突で、私達が考えもしなかった思い付きを口にする。
今回も単なる思い付きだろうと呆れた視線を送っていたら、
純はふわふわした髪を妙に可愛く揺らしながら口の前で指を振った。


——ちっちっち、さては知らないな、梓。


そう胸を張って純が説明するには、もうすぐ某流星群が地球に接近するんだとか。
もうすぐ本格的に受験が始まるわけだし、その前に三人で流れ星を見て思い出を作りたい。
お勧めの夜景スポットなら前に案内した場所があるわけだし、懐中電灯なんて要らないくらい綺麗だよ。
それが純の提案だった。
腰を据えて受験勉強に取り掛かりたい時期ではあるけど、思い出作りしたい気持ちは私にだってある。
一生の中でもう見れないかもしれない流星群は見ておきたいし、一度行った場所なら安全だよね。
そう思って三人で天体観測の準備を進めていたんだけど、当日になって。


——ごめん、梓。風邪引いちゃった……。


そんな電話が来たのが大体二時間前。
あんまりにも突然な連絡だけど、少しでも治るのを期待して限界まで粘ってたみたい。
入念に夜景スポットの下見もしてたみたいだし、その無理が祟って体調を崩してしまったんだと思う。
残念だけど純が風邪を引いたんじゃしょうがないし、今日の天体観測は中止にしようよ。
電話先の純にそう告げると、ある意味予想通りの言葉が返ってきた。


——駄目だって、梓! 大切な思い出作りなんだから、憂と二人で私の分も見て来てよ!


いつもいい加減に見える純だけど、かなり掠れたその言葉は真剣そのものに聞こえた。
純のお見舞いに行きたい気持ちは勿論ある。
だけど純にとっては、私と憂が思い出を作る方がお見舞いより嬉しいだろうな。
だったら憂と思う存分流星群を見て、それを純へのお土産話にしよう。
そう決心して、憂と夜景スポットに向かってるわけなんだけど。


「やっぱりやめとけばよかったかな……」


分かっていても後悔の言葉が止められない。
大体、流星群を見るだけなら、わざわざ夜景スポットまで行く必要も無い気までしてくる。
憂が子供の頃に買ってもらった天体望遠鏡を持ってるらしいし、
誰かの家の温かい部屋の中でも十分に流星群を見られてたんじゃないのかな……。
そんな事を言ったら、ロマンが無いなあ、梓は、って純に言われそうだけど。
とは言え、今更引き返すには山のかなり奥まで上っちゃってるんだよね。
ここまで来て、目的地まで辿り着けずに引き返すのも何だか悔しい。


「大丈夫、もう少しだよ、梓ちゃん。
きっとあの夜景スポットなら、流星群も綺麗に見られると思うよ?」


憂が純を弁護するみたいに微笑む。
私だって純の事を信じてないわけじゃない。
信じてないわけじゃないけど、やっぱり不安は隠し切れない。
この先の見えない獣道を歩いてるからってだけじゃなくて、例えばこれから先の事とかも。
私達は三ヶ月後には高校を卒業する。
三人とも同じ大学を受験するつもりだけど、全員が合格するとは限らない。
それにもし合格したとしても、同じ大学に通うかは分からない。

純は自由奔放で自分の選んだ道を進める子だし、
憂も憂で唯先輩と一緒に居られなかったこの一年を立派に過ごしてきた子だから。
純も憂も二人とも一人で生きていける力を少しずつ身に着けてる。
私は……、どうなんだろう?
この一年、二人に支えられながら部長を務めて来たけど、少しでも成長出来たんだろうか?

分からない。
分からないけど、一つだけ言える事がある。
先輩達は私に軽音部を託してくれた。
遠く離れていても、私を信じている事を示してくれた。
ずっと一緒に居る事だけが先輩と後輩ではないから。
傍に居る事だけが仲間の証拠ではないから。
だから私はもっと思い出を作りたかった。
一緒に居られる時間をもっと大切に胸の中に刻み込むために。


「ごめんね、憂」


私の顔を優しく覗き込んでくれていた憂に頭を下げる。
申し訳ない感じじゃなくて、今私に出来る精一杯の笑顔で。


「あんまり寒いから弱音ばっかり吐いちゃった。
でもこれだけ歩いたんだし、純が教えてくれた夜景スポットまでもう少しだよね?
ここまで来ちゃったわけなんだし、今更引き返すのも勿体無いよね」


「うん、もうちょっと頑張ろ、梓ちゃん!」


ちょこん、と嬉しそうに憂のポニーテールが揺れる。
可愛らしいリボンに纏められた憂のポニーテール。
その可愛らしさに不思議と元気が湧いて来た。


「よーし!」


止めていた足を前に進め始める。
歩調を合わせて憂が私と肩を並べて歩いてくれる。
私の隣を歩いてくれる。
不意に気付いた。
当たり前だけど、純も憂も高三にしては小柄な私より背が高い。
だから歩幅だって私よりずっと広いはず。
それなのに二人は私の隣を歩いてくれてたんだ、って。
小さな私の歩幅に合わせて。
私と一緒に。


「梓ちゃん?」


憂が小さく不思議そうな声を上げた。
その理由は分かってる。
私が歩く速度を少しだけ上げたからだ。


「寒いのにゆっくり歩いててもしょうがないもんね。
だからちょっとだけスピード上げない?」


憂はその私の言葉を聞いて何かを言いたそうな表情を浮かべたけど、またすぐに微笑んだ。
いつも私を応援してくれてる優しい笑顔だった。


「そうだね、私も早く流星群見たいよー」


憂が少しだけ歩く速度を上げてくれる。
二人して早歩き。
憂と純は私の速度に合わせて歩いてくれる。
それはとても嬉しい事だけど、それに甘えてるだけじゃ駄目なんだよね。
私も憂と純と一緒に、同じ速さで歩きたい。
それには歩幅を合わせてもらうだけじゃ駄目なんだ。
私だって、二人と歩幅を合わせたい。
支えてばかりの私だけど、いつか憂と純が疲れてしまった時、すぐに支えてあげられるように。
だから私は歩くんだ、少しだけ早歩きで。


「わあ……っ!」


「すっごい……」


寒さに負けずに早歩きで歩いてみたおかげなのかな。
ずっと続いてるみたいに思えた獣道を、私達はあっと言う間に通り過ぎていた。
山の木に遮られて見えなかった夜空を一時間振りくらいに目にして、私達は二人して感嘆の声を漏らす。


「綺麗だね、梓ちゃん!」


「うん、本当に綺麗な夜空……」


それ以上の言葉が出ない。
私達の瞳の中に写るのは満天の星空。
まるで黒い紙の上に白いインクを思い切り撒いてみたみたい。
こんなにたくさんの星を肉眼で目にするのは、もしかしたら初めてかもしれない。

流星群が近付いているとは言っても、流石に四六時中流れ星を確認出来るわけじゃない。
それでも五分に一度くらいは流れ星みたいな光が見える。
ううん、流れ星も嬉しいけど、それよりも目が奪われるのはこの綺麗な夜空。
圧倒されるくらい、満天の星、星、星……。
示した合わせたわけじゃないのに、私と憂はほとんど同時に懐中電灯を消していた。

純の言った通りだった。
月が明るいのもあって、懐中電灯なんて必要無いくらい世界が明るい。
世界が、眩しい。
眩しいのは夜空だけじゃない。
星と月は私達の足下も照らしてくれていて、
雑草の中に冬なのに咲いてる花を見つけられるくらいだった。


「あっ」


あんまり星座に詳しいわけじゃないけど、知っている星座を見つけた。
オリオン座。
何度も見上げた事はあるけれど、こんなにはっきり見えるオリオン座は初めて。
オリオン座を指でなぞりながら憂にそれを伝えようと口を開いて、でもすぐに閉じた。
うん、今は言葉なんて無粋だよね。
夜空は綺麗で、とっても綺麗で、言える事はただそれだけでいい気がした。
そこにあるのは、綺麗な夜空。

憂も何も言わなかった。
嬉しそうな表情で夜空を見上げて、星を見上げて、星の光に照らされていた。
不意に強い風が吹いても、身震いもしなかった。
それくらい真剣に夜空に見惚れていた。
私もそんな憂に見惚れていた。
いつも私を支えてくれる、いつかは私も支えたい親友に。

星の光に照らされながら、次は純に想いを馳せる。
純は今頃何をしているんだろう。
一緒にこの夜空を見れなくて悔しく思っているのかな。
それとも私達がこの夜空に見惚れてるのを想像して嬉しく思ってくれているのかな。
どっちにしてもありがとう、純。
私、この場所に来れてよかった。
分かってるつもりで、何も分かってなかった。
夜空がこんなに綺麗だって事も。
憂と純がこんなに強く私を想ってくれてた事も。

この感謝の気持ちを伝えたい。
憂と純に。
ううん、二人だけじゃない。
先輩達に、私に付いて来てくれた後輩達に、私を支えてくれる全ての人に。
残念ながら小さくて迷いがちな私に出来そうな事は多くなさそう。
私はまだまだ無力で頼りない人間だから。

だけどそれに嘆いていたってしょうがないよね。
私に出来る事は本当に少ない。
こんな私だけど支えてくれる人達が居るんだもん。
その人たちに私に出来る事は……。


「憂」


想いを込めて呟くと、憂が私の方に瞳を向けて笑ってくれた。
交錯する視線。
それだけで憂は私が何をしたいのか分かってくれたみたいだった。


「私もそうしたかったんだ、梓ちゃん」


「ありがと、憂」


そうして二人で大きな荷物の中身を出して行く。
天体観測にわざわざ持って来た大きな荷物——ギターケース——の中から、二人のギターを取り出して構える。
やっぱり軽音部の仲間だって事なのかな。
私も憂も今の想いを音に乗せて表現したくなってた。
深夜だけど大きな音を出すわけじゃないし、民家から離れてるから大丈夫だと思う。
これも純の提案だったんだよね。


——あの夜空を見たら絶対にギター弾きたくなるから!


興奮した感じで主張していた純。
今なら分かるよ、純。
こんな夜空を見ちゃったら、想いを音楽にせずにはいられない。
こんな時だけ鋭いんだよね、純は。
ありがとう、純。
純の言った通りこれから私達はギターを弾いてみるよ。
まずは私にこんな素敵な時間をくれた純と憂へのお礼の曲を。
即興で。

初めての作曲だけど、憂と一緒に想いのままに奏でてみる。
それで帰ったら一番に純に聴かせてあげる。
純は喜んでくれる?
それとも悔しがるのかな?
あんまりひどくて笑われちゃうかもね。
それでも構わない。
今はただ感じた想いを音楽にしたい。


「あのね、梓ちゃん」


そうしてギターを弾く直前、星空に照らされた憂が小さな声を絞り出した。
その頬は少し赤く染まってるみたいだった。


「梓ちゃんに一つお願いがあるんだけど、いい?」


「何?」


「演奏が終わったらね……、あのね……」


「演奏が終わったら?」


「梓ちゃんに、抱き着いてもいい?」


「えっ」


驚いた。
まさか憂がそんな事を言い出すなんて。
思い出してみれば、憂が私に抱き着こうとするなんて唯先輩の真似をした時以来の気がする。
唯先輩に似てスキンシップが多い憂だけど、人に抱き着く事はほとんどしてない。
だけど憂は言ったんだよね、私に抱き着いてもいいかって。

この綺麗な夜空を見て気持ちが昂ぶっているのかな?
ううん、それだけじゃないよね。
きっと憂も純や私と同じに思い出を作りたいんだ。
これから先の事を不安に思っていたのは憂も純も同じ。
だから一緒に居られる時間を大切にして、思い出を胸に刻みたいんだと思う。
将来、笑って皆の事を思い出せるために。


「いいよ、憂。ただし……」


「ただし?」


「お手柔らかにね」


「……うんっ!」


また、二人して笑う。
いつかは離れ離れになるのかもしれない。
ひょっとしたらずっと一緒に居られるのかもしれない。

だけど私は思った。
どっちにしても作った思い出は無駄にはならない。
もし遠く離れても、思い出が胸にあるなら一人じゃない。
私達はこれからも思い出を作り続けて、それを忘れない。
そうすればきっと私達の中で思い出は輝き続けるんだよね。
こんなにも眩しく私達を照らす——





あの綺麗な夜空みたいに。


おしまいです


最終更新:2013年12月16日 13:35