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 律と共に訪れた温泉旅館で、珍しい人と会った。

「あ、澪先輩」

 後輩の、鈴木純こと純ちゃんだった。

「あれ?確か、梓の友達の鈴木さんだよね?」

「そういう記憶のされ方は心外ですってば。
それと、できれば名前で呼んでください」

「ああ、ごめんな、純ちゃん」

「ほら、やっぱり私の名前、憶えてた」

 純ちゃんはそういうと、柔和な笑みを浮かべた。
この子は少し前まで、私の眼前に立つと常に緊張していた。
それがいつの間にか、自然な態度を見せるようになってきている。

「いや、まぁ、ね」

 反面、私の対応がしどろもどろになる。
憶えていない訳がない、ファンの氏名を忘れる程、私は驕っていないから。
あまり会話した事がない人の常として、記憶を手繰るようなふりをしただけだ。
それが翻って、足元を掬われた形になった。

「ふふっ、かっこいいのに、面白いですね、澪先輩」

 純ちゃんは再び笑っていた。
そういう態度を見ていると、こちらの態度も柔らかくなる。
踏み込んだ質問やお願いもできるんじゃないかと、私には思えてきた。

「それはそうと、純ちゃん。
ちょっと、訊きたい事があるんだ。梓の事なんだけどね」

 そう話を切り出しながら、先程心外だと言った純ちゃんの言葉を思い出す。
純ちゃんの事ではなく梓の事を聞く事も、やはり心外だろうか。

「ああ、梓、ね」

 純ちゃんは顔を少しだけ曇らせた。
私が純ちゃんに関心を示さず、梓に関心を示したからだろうか。
それとも、梓に関してネガティブな事情を知っているのだろうか。

「その、最近、どう?落ち込んでたりとか、してない?」

 脳裏に、先日の吉野家での出来事を浮かべながら問う。

「……落ち込んでますよ。
やっぱり、憧れてる先輩に好意を寄せてるのに、報われないからじゃないですかね」

 純ちゃんの口振りから、私と梓の事情を知っている、という事が察せられた。
なら、お願いもしやすい。

「そっか。なら、お願いがあるんだ。
梓に、私の事を諦めるよう、窘めてやってくれないか?」

 私がそう言うや否や、純ちゃんの瞳が鋭くなった。

「それは、澪先輩にしかできない事です。
私ができるのは、精々、梓を慰めたり応援したりする事くらいですから」

 私が言葉を失くしているうちに、純ちゃんは続けて言う。

「実は今日も、梓の気を紛らわせる為に、温泉に旅行しようって誘ったんです。
でも、梓は断りました。
だから、憂と二人っきりのデートになっちゃいました。
ねぇ、聡明な澪先輩。梓は、私と憂に気を使ったんだと思いますか?」

 イエス、という言葉を求めていない事は、純ちゃんの表情から明らかだった。

「私のせい、だっていうのか?」

「いえ、振り切れない梓の責が大きいでしょう。
でもね、澪先輩。澪先輩の対応も、不味いんじゃないでしょうか。
断るなら、もっとはっきり言ってあげないと。
婉曲に律先輩との仲を仄めかし続けても、梓を傷つけるだけです」

「なら、梓が告白してくればいいんだよ。
そうすれば、私はもっとはっきりと言ってやれる。
告白されてもいないのに断るなんて、おかしな話だから」

「あーあ、梓も可哀想」

 純ちゃんは憐れむような声でそう言うと、目を逸らした。
私が自分に課したルールは、間違っているのだろうか。
純ちゃんの私を蔑むような態度を見ていると、そう自問したくもなる。

「それを選んだのは、梓自身だよ」

 私は突き放すように言った。少しだけ、純ちゃんの態度に苛立ちを感じていたから。
きっと純ちゃんは梓の味方なんだろう。
だから冷徹な私を蔑み、私に対する態度から緊張がなくなったんだ。

 ……私は本当は、純ちゃんの態度に苛立ちを感じているのではなく、
ファンを失くした事に苛立っているんじゃないのか。
そう思えてきた。


「ねぇ、澪先輩。澪先輩って確か、怖い話苦手でしたよね?
梓の為にも、怖い話しちゃっていいですか?
お皿がいちまーい、にまーい、ってヤツ」

 私に罰を与えるように、純ちゃんは言った。
まだ私を見捨ててはいないらしい。
私は救われたように言う。
罰は罪を感じている人間にとって、慰めにもなる。ニーチェの言った通りだ。

「ああ、いいよ。
怪談に限らず、オラフ・イッテンバッハでもユルグ・ブットゲライトでも、
好きなの聞かせてくれ」

「詳しいですね。
あ、今夜、怖い話聞いたからー、とか言って、
律先輩の布団に潜り込む口実にしちゃダメですよ?」

 純ちゃんは笑うと、怖い話を始めた。
私はそれを甘受した。

「ああ、口実にはしないよ」


<FIN>

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最終更新:2012年10月20日 00:23