やだ、こんな夜おそくにふたりっきりなんて
澪ちゃん私のことおそっちゃうつもりー?なんて聞いたら
「……あほ」
って目をそらした、
指先ひっぱったまんま。うふ、かわいーなあ。
ってそんな夏の終わりの夜10時。
(↑ケータイ見た。
画面があかるすぎてすぐ閉じた)
ぱたん、
と閉じたら真っ暗闇、なワケはないんだけど、
さっきまで
川沿いサイクリングロード入り口を照らす街灯がみえてたから
急に暗くなった気がして、
私は澪ちゃんの腕にぎゅうってしがみつく。
その少し熱っぽいような腕を私のちびっこい身体でおしつぶした時、
澪ちゃんは少したじろいだようで
その左腕はちょっぴりおじけづくんだけど
でも意を決したように私の頭に乗せてくれる。
髪の底まで熱が伝うようにして撫でてくれる。
だからもう口もとがふにゃってゆるんで
スマイルこぼれちゃうのを押さえきれなくって私は
澪ちゃんのおっきな胸元っていうか
うなじのあたりに顔をおしつけてしまうのだ。
ああ、澪ちゃんってばやらかいんだからっ!
「唯。ここ、外だから、」
そんな今さらなこと言ったって、
わたし聞かないよ?聞き分けの悪いワルい子だから。
知ってるでしょ?
そう目で訴えてみせる。
私の背中に回った腕に強い力がこもったのは
いつもの照れ屋さんが出たから。
わたし知ってるよ、澪ちゃんのことならなんでも。
……少なくとも、軽音部に入ってからのことなら、
なんでも。
たぶん、なんでも。
「……唯とは、ここに来たこと無かったよな。まだ」
私が離れた。
坂を下りて川辺に降りた私
を見下ろしてる澪ちゃん。
その背景に白い月。
ほのかな光に照らされるきゅーてぃくる、
私のこころがきゅってつぶれてどうしようもなくなる!
ああ、夜を背負った澪ちゃんは無敵だ、でもね、
まだゆるさないんだから。
ひらさわさんそんなちょろい女の子じゃないんだから。
りっちゃん?
そう聞いたら、ああ、って
納得したのは零コンマ何秒かだけ、すぐに分かった。
ああでもだめ分からないでよ
そんなベタな嫉妬とかしない女なんだから唯ちゃんは。
少しうつむいて目をそらした高台の澪ちゃん、
顔を背けたとき背中で長い髪が揺れた、
私から剥がれたままの腕と白い指先は空に止まったまま
でもあの揺れた目をうつくしいと思ってしまうけれど、
こっちの足も動きやしない。
ぺんぺん草の生えた悪い足場がジャマして上がれない。
ちがう、澪ちゃんが下りてくるのを待ってるんだ、きっと私は。
私だけ、勝手に川の方へ進んでしまったから?
「中三の時、護岸工事が始まって。
サイクリングロードとかできちゃって、
橋の手前のお団子屋さんもつぶれてドラッグストアになっちゃって。
……だから、はじめてだよ、
唯。
私がここに連れてきたのは」
月明かりの空気に澪ちゃんの言葉が溶け入って、
まるでひとつひとつ心のカギをはずしていくように
私のなかに染み込んでいく。
そう感じた。
違う、そんなんじゃない
そう言ってむくれてみせるのもなんだか
子どもっぽくて恥ずかしく思えてしまう。
ついでに離れたままの腕もそろそろ寒くなってきちゃった。
ねえ澪ちゃん、澪ちゃんも知らない場所って、ないかな?
私はきゅーてぃくるの神様にそう問うてみた。
「唯、そっち行っていいかな」
そんなの今さらだよー
って今度こそちゃんと笑った、
その頃には私のもとまで澪ちゃんは降りてきてくれた。
ほほえんでこっちに近づいてくれるのがうれしくって、
試しに後ろに下がってみたりして、
ゴツゴツした小石を靴が踏んで水の流れが近いのを悟った。
しゃがんで、ふれてみた。
川の水は思ったほど冷たくなくって、中指の奥まで深く挿しこんでみると
かえって身体の奥の熱がはっきりするみたいに感じる。
そんなことしてる私に澪ちゃんが触れた。
同じように腰を下ろして澪ちゃんの白い指が私の熱い頬にふれた。
あ、と声がでた。
溶かされたい、って今思った。
「ねえ、しらないとこ見つけた」
澪ちゃんがいう。
あっち、と声に出さないで暗がりを指さした。
そこは降りてきた手前の橋の下、
冷たいコンクリートで固められた隙間から雑草が茂っていて
水面で反射する遠くのマンションの灯りがやけに強く輝いて見える。
それぐらい暗くて静かな場所を、
澪ちゃんが指さした。
水面から離れた指から
滴がぽたり
って落ちた。
熱にうかされた私の身体
澪ちゃんが手を引いて立たせる。
「昔から、あの橋の下どうなってるんだろうって思ってたんだ。
でも、怖くて一人じゃいけなくって」
そんな言葉が聞こえた。
二人なら、いける? いったことないとこに、
連れてってくれるの?
私たちふたりで濡れた砂地に沿って橋の下に向かう。
頭の上でごうと鳴って橋がきしんだ。
澪ちゃんが頭をすくめて私に寄り添う。
こんな時のために腕はあるんだ。
そのまま澪ちゃんの重みが掛かるけどバランス崩したりしない、
教えてくれたんだもの。
見上げてみた。
空なんて見えっこない。
赤黒い鉄骨さえ見えなかった。
もう車のヘッドライトだってここには届かない。
私たちふたりきり、真っ暗闇だ。
指を一本ずつ絡ませた手の熱が強くなって、
汗にまみれる。
私の右手を引く澪ちゃんの左手がきゅんきゅんする。
まだ目が闇になれきってなくって手の熱しかなくって
私もう澪ちゃんと触れてる部分しか無いみたいだ。
引っ張ったらまた腕の肌が触れた。
顔が見たくなってケータイをろうそくみたいに照らしてみた。
澪ちゃん思わず反対の腕で目をおおった。
あはは、ごめんね。
ケータイの画面右端、アンテナはもう一本もない。
電話もメールも通じない。
私たち、世界から置いてけぼり食らったみたい?
ケータイを閉じるとまた、やらかくてあったかい闇が
私たちを取り囲む。
世界の中心みたい、って言ったら、
澪ちゃんなぜかふきだした。
ひどい!
ぐいって引っ張った先、
目を丸くした澪ちゃんの向こう側に黒い川が広がっていた。
遠くで対岸のマンションの灯りがちらちらと水面を照らしている。
向き合ってるのもおかしくって、
かすかな光の方向いて腰掛けてみた。
地べたに座るの気にしないの意外だ。
澪ちゃんの黒髪を耳元で感じながらそうしてたら
いつもの歌声が聞こえた。
この曲知ってる。
歌詞は分からないけど、
昔
車の後部座席で寝転がって聞いたよ。
って
澪ちゃんのひざに寝っころがって答えた。
いっしょに歌った。
「トップ・オブ・ザ・ワールド。カーペンターズ、知ってる?」
しらないけどしってる、
って答えたら澪ちゃんまた笑った。
澪ちゃんの顔、下から見上げたことあんまりなかったな。
ひざの上でそんなことを考えたりした。
まつげの長さに見とれたりしながら、
なんとなく伸ばした指を頬に沿わせると
くすぐったそうに私の手をつかまえて
そのまま見つめ合ってしまった。
――やっぱり、唯の言うとおりだね。
え、なにが? って思うスキもなかった。
やっと目に闇がなれてきた頃なのに、
うっとりと目を閉じかけた私の髪を
なでる澪ちゃんの顔がそっと近づいたとき
また暗い空の裏側でトラックがこの世界を揺らしたとき
目を閉じた私は
光と熱で
いっぱいになった
感じがした。
一瞬のことで分からなくて、
湿ったくちびるの柔らかさに背中の奥まで熱くなってしまいそうで、
私を見つめる大好きなひとの頭を
思わずつかまえて
名前を呼んで
もういちど
つなげてしまう。
私はそこで
澪ちゃんの秘密の場所と
茂みで身体を痛めずに寝転がるやり方と
舌をなぞられた時のあの感じと
世界の秘密を知った。
こんなことするはずじゃなかったのに、
って悔しそうな顔で澪ちゃんは
サイクリングロードをたどって街の方へ戻る。
だめにされたのは私の方なのに、
そのくやしそうな顔がうれしくてたまんない。
ケータイを見た。
つながんない、というか真っ暗で電池がつかない。
充電しとかないから、なんて笑うから
じゃあ澪ちゃん充電させてよ!って抱きついて慌てさせてやるんだ。
ふふん、ざんねんだったね。
夜はまだまだ続くんだよ。
私これから澪ちゃん家にお泊まりなんだからね。
もっとすごいんだから、本気みせちゃうんだから。
なんて言ったら
やっぱり目をそらすんだ、
手で伝わるほど熱い顔して。
駅前通りの交差点、信号の赤がまぶしかった。
そこまで歩くとさっきよりは車の通りが多くなる。
コンビニのロゴが書かれたトラックが私たちを追い越した。
でもこんな時間に歩いてる人は、やっぱり私たちふたりぐらい。
澪ちゃん、それからずっとこっち向いてくれない。
くいって腕を引っ張るくせに、
早足で横断歩道を抜けたくせに、
さっき私にあんなことしたくせに、
今さらふつうの人っぽいことするんだから。
ぷんぷんですよまったく。
なのでこう言ってみる。
「澪ちゃん、やっぱり帰ろっか?
昨日の今日でまた泊まるなんてやっぱ迷惑だよね」
うそだけど。
ごめんなさい、正直期待してます。
どきどきしながら心の中で舌を出して謝る。
でもそんな風にすると、
澪ちゃんは私の指をきゅって握って
やっぱりこう言ってくれるのだ。
「…やだ」
おわり。
最終更新:2014年02月22日 23:52