その日の昼間に、ベンチに座って生協で買ったサンドイッチを食べていると、急にメールが着た。

『今日の夜、桜見に行かない?』

だって。

あまりの唐突さ、脈絡のなさに飽きれる。
まったく......この人の頭には[学習]の文字とかってないのかな。

そういうのウンザリしてるはずなのに、指は返事を打っていた。

『わかりました。』

だって。

ばっかみたい......私。

4月の半ば。
右も左もわからない大学のキャンパス内でキョロキョロと迷子の子猫のような姿になっていないのは、
きっとこの人のおかげ。

午前中最後の授業と午後最初の授業は、憂とも純とも被っていないから、
水曜日だけは1人で昼をすましてる。
いつも一緒に居ても、なんだかつまらないし、そういうこともたまにはあってもいいなって思う。

サンドイッチのゴミと野菜ジュースの空になったパックを袋に入れていると、返事が着た。

『なら、夜の8時に正門の前で』

だって。

こうも簡単に予定を入れられると、
私ってヒマに見えてるのかなって不安になる。

そ、そんなんじゃないしって、誰かからの見た目を気にして、
急いでそのベンチから立ち去った。

ゴミを近くにあったゴミ箱に捨てる。
桜の木が見えたけど、できるだけ視界に入れないようにした。

楽しみは最後に取っておきたいタイプってわけじゃない......
別に、そんなんじゃ......ないし。


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夜の8時に待ち合わせだから、夜8時5分くらいに正門前に行った。
案の定、まだ来てなかった。

待ち合わせの時間、守ってくれた試しなんてない。

だから私は、待ち合わせの時間の10分前には待ち合わせ場所に着いてるようなこと、
この人との約束に関してはしなくなった。

[その人を待っている時間も、その人との約束の一部]

って、考えを持つ人もいるみたいだけど、
私は待ってる自分がむず痒くなるし、寒かったり暑かったり雨が降ってたりするのに、
馬鹿正直に待ってるのがとうとう本当にバカらしくなって、やめた。

だいたい、約束した時間の10分とか15分後がちょうどいい。

純は「もう相手を待たせてやる勢いで遅刻して、逆に待たせてやればいーじゃん」
って、言うんだけど、それは違うんだよ。
そうじゃないんだよ、純。
わかってないな。

あの人はさみしがりだからね。
人を待つってことに耐えられないんだよ。
約束の時間に遅れて来たりするのはそういうこと。

だからね、やっぱり、私が待ってあげなくちゃダメなんだよ。

澪先輩が書いた新しい歌詞とか、
ムギ先輩が作った新しい曲のデモとか、
唯先輩が考えた新しいリフの録音とか。

そういうの、見たり聴いたりしていたら、
タッタッタッ、て走ってくる足音が近づいてきて、
私は頃合いを見計らって言う。

「遅いですよ、律先輩」

「悪イ、悪イ」

って、律先輩はいつものようにら悪びれずに言った。

「少しは、申し訳ない、って気持ちをこめて言ってくれませんか」

「あはは......まぁまぁ、さ、梓、行こう」

「どこ行くんですか?」

「桜見に行くって言ったじゃん」

「てっきり大学内の桜かと」

「違う、違う。そんな点々とした1本、2本を見てもつまらないだろ」

そう言って、律先輩は歩き出したから、慌てて遅れずについて行く。

「ちょっと、...待ってよ!」

そう言ったら、歩くスピードを速めやがった。

もう......。

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電車で2駅ほどの所で降りた。
電車の中はスーツ姿の人や学生服の人が割といた。
けど、ちょうど2人分のスペースが空いていて、そこに座り込んだ。

律先輩は今日の出来事を思いつくままに喋っていたけど、何を話していたのかあまりよく覚えていない。

降りた駅は初めて降りる所だった。
きっと、律先輩に誘われてなかったら、こなかった場所だろう。

「あっこのコンビニで何か買うか」

数メートル先でコンビニが光っていて、私たちは夜光虫みたいにその光へ吸い込まれていった。

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律先輩はノンアルコールビール、私はウーロン茶。
それに、スルメとチーカマと、ポッキー。

スルメとチーカマっておっさんくさっ。
いや、これがおいしいんだって。
あっそ。

自分の分は払います、って言ったけど、「いいから」って先輩は払わせてくれなかった。

「梓も呑んじゃえばいーのに。ノンアルだけど」

ダメです。 お酒モドキだとしても、私は20歳まで待ちます。

「しっかりしてらっしゃること」

って言って、律先輩はチラッと私の胸を目でなでた。

ブン殴られたいのかな、この人。

コンビニを出て、律先輩の案内通りに歩いてく。
夜道は街灯で照らされてるけど、そこまで明るくはない。

「もしさ」

「はい?」

「桜を見るっての、嘘だったらどうする?」

「......嘘なんですか?」

「いや、嘘じゃないけどさ」

「嘘だったら、どうなってるんですか」

「んー。このまま素直に私の案内に従ってるバカな梓をホテルに連れ込むかな」

「......」

「だから嘘だって。急に黙るなよ」

「黙らせるようなこと言ってるのはそっちじゃん」

「私に好きな人いるの、知ってるくせに」

「......。あ、そこを右だから」

そうやって、知らないフリをする。

でも、そうやって、知らないフリするスタンスだから、
きっとこの人は私をいろんな所に連れ出す約束を持ちかける。

それにノル私も私だよな......。

自己嫌悪に陥りそうになるから、言われたままに右に曲がった。

川沿いに繋がるその道の先で、桜の群れが暗闇の中、
ひっそりと呼吸をしていた。

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卒業式の次の日、律先輩に告白された。
校庭の桜はまだ咲いていなかった。

予感めいたものはなかったから、ただ単に驚いた。

『明日、ヒマ? ちょっと会わない?』

だって。

気軽にメールが着たから行ったのに、
そんな想いを告白されたって。

「律先輩のこと、そんな風には見れないです......ゴメンナサイ」

「......梓は好きな人、いるの?」

言うべきか、迷った。
公園のベンチで2人で座って、手の中に包み込んだ午後ティーの缶に口をつける。

ムギ先輩の紅茶が飲みたいなって思った。

「......澪先輩」

「なんだ......」

なんだとは、なんだ。
人の好きな人のこと、「なんだ」だなんて言う一言で片付けるなんて。

キッと左に座る律先輩をニラみつける。

フラれたっていうのに、先輩はいつもと変わらなくて私を見て、へらっと笑った。

「すごい、きれい」

「すごいな。こんなにすごいって思わなかった。
たまたまバイト帰りに見つけてさ。春になったら、ここに来ようと思ってたんだ。
梓と」

「なんで、私」

「そりゃだって、好きだから」

そう言って、先輩はノンアルをプシュとした。

私のどこがそんなにいいんだろう。

聞いてみたいけど、聞いたら負けな気がして、ウーロン茶のペットボトルのフタを開けた。

川に沿って土手に植えられた桜は私の見える範囲内では途切れてはいなかった。

この川の、端から端まで、桜が植えられていてもおかしくはないように思えた。
桜はなぜか、提灯でうっすらとライトアップされていた。

川を挟んで両側が等間隔でぼんやりと桜を照らし、その様子が映った川の水面に桜の花びらが流れているわ

私と律先輩の他にも桜を楽しむ人が数人見て取れた。
ここは、地元の穴場、ってやつなのかもしれないと、根拠もなく思ったりした。

何を話すでもなく、飲み物を飲みながら桜を見て歩いていたけど、途中にベンチがあったからそこに座った。

ベンチの真上に延びた桜の枝がほどよくて、見上げると桜の間から三日月が見えた。

「お腹すいた」と言って、律先輩はビニール袋をガサゴソと漁って、
スルメとチーカマの袋を両方開けた。
2人の間にスルメとチーカマが並んだ。

「両方一辺に開けるんですか」

「2人でなら片づくっしょ」

「私も食べるの前提なんですか......」

「当たり前じゃん」

「......花より団子ですか」

「私らしいだろ」

ノンアルをそこでグビッとした。
おいしそうに呑むなぁ。
私の視線に気づいたのか、ニヤッと口元を歪めて缶をこちらによこしてくる。

「だから、ノンアルでも呑みませんって」

「間接キスになるから?」

「違う。未成年だからです」

ノンアルだって。

とつぶやいて、チーカマを数本咥えた。

わかってるっての。

桜を見てるだけじゃ間が持ちそうになくて、私もスルメを口に放り込んだ。
硬くて塩っぱくて、ウーロン茶には合いそうにない。
それでも、おいしそうに見えるようにウーロン茶を飲んだ。

「桜、きれいだな」

「はい」

「うん、やっぱ梓とここに来て良かった」

「そうですか」

「うん、もっと好きになった」

それは桜が? それとも私が?

言いかけて、やめた。

「来年も見に来たいな」

律先輩はそうつぶやいたけど、
私は口の中のスルメを噛むことに必死ってことにして、
返事をしなかった。

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スルメとチーカマがなくなったころ、

「帰るか」

って、先輩が言った。

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同じ夜道を歩いていても、
「あとは帰るだけ」ってなると、
気楽に思えたのに。

「梓、手繋ごうよ」
って言われて、こっちが答える間もなく右手を取られた。

その強引さとは裏腹に、繋いだ手が少し震えていたから、
私は手をほどくタイミングを見失った。

そのまま
駅に行くまで、
駅のホームで、
電車の中で、
手を繋いでいた。

時間も時間だったし、感覚がマヒしてたのかもしれないけど、
途中から、別に誰かに見られてもいいや、って思いながら律先輩の左手に繋がれてた。

2駅目で降りる。
深夜の駅は無人で、私たち以外に降りる人もいなかった。

そのまま何事もなく帰るのか、と思っていたら
律先輩は無人のホームのベンチに腰掛けた。

立っている人と座っている人じゃ、手の位置が難しくて、
引っぱられるままに私もベンチに座った。

夜の気配が溶け往ったホームで、春の甘ったるくて、でも肌寒い風にむせそうになった。

律先輩は右手に持っていたノンアルを呑み干した。

グビッて音がして、先輩の喉が鳴った。
他にすることがなくて、先輩の喉元が上下するのに見とれていたら、

くちびるをかさねられた。

遠慮深く、軽くチュッてするやつ。

息が詰まった。

すぐ律先輩は離れた。

左手で、くちびるを拭った。
見たら、先輩も缶を持ったまま右手でくちびるを拭っていた。

「......初めて?」

「初めてじゃない」

「......」

「2回目......」

「澪?」

「......」

「違うのかよ」

「......唯先輩」

「ゆ......」

わかるよ、驚くの。
私だって、驚いたもん。

ハァって、ため息が聞こえた。

「嫌いになった?」

「なんで?」

「......なんとなく」

少し考えてから、律先輩は言った。

「やっぱ、好き」

「......」

「好き?」

「......嫌い」

「そっか......」

律先輩は無言になるから、私は何も言えなくなる。

どこから来たのか、足元に目をやると
花びらが靴のつま先辺りで風もないのにカサコソと音を立てた。

私はまた、息が詰まった。

case 3 律→梓『唯一の、嫌い』
終わり。