高校3年の2月の終わり、
唯ちゃんと2人で夕方の歩道橋にいたことがあったの。
もうバレンタインデーも受験も終わってしまっていて、
手持ち無沙汰な気分で卒業式を待っていて。
春の、物悲しさみたいなの、
息をするだけで自分が粉々になってしまいそうな、
別に私は1人じゃなくて、
唯ちゃんやりっちゃん、澪ちゃんとはこれからも一緒にいられるって保証してもらったのに。
それでもなんでだか
夕陽のオレンジ色とか、
照らし出された唯ちゃんの顔とか、
昨日の夜に本のページで切っちゃった指のズキズキとか、
自分から延びている影の長さとその濃さだとか、
ようやく蕾が膨らみ出した桜だとか。
これからも変わらない、変わることはないってわかってるのに、
それでも、だからこそ浮き出されてしまう周りの環境の変化の1つ1つが、
私をセンチメンタルな気持ちにさせていたの。
「ムギちゃんみてみて」
左にいる唯ちゃんの声にハッとする。
「さっきまであそこにあったのに、もう夕日、あんなに沈んじゃってる」
2人で黄昏ていた。
夕陽の光を遮るものがなにもなくて、眩しい。
歩道橋の下を通る国道では、乗用車とか引っ越しのトラック、市営バスがあっという間に走り去って見えなくなる。
もうここには帰ってこない。
一本道。一方通行。
ちょっと視線を変えると、太陽の高度が低くなってて、国道が太陽から出ているように重なって見える。
そんなことを考えていたら、自嘲気味な笑みが口角をあげさせたのに、
「ムギちゃん、なんだか夕日から車が出てきてるみたいだね」
って隣で、まるでありきたりなことは素晴らしいことなんだよ
と言っているように笑うから、
そんな唯ちゃんにつられて私まで笑っちゃう。
歩道橋の手すりの上で唯ちゃんは、両腕を組んでその上にあごを乗せて遠くに視線をやっていたから、私もマネしてみる。
比べるものが多くなって、
太陽は真上にある時よりも大きく、真ん丸に見えた。
手を延ばしたら、もしかして届いてしまうんじゃないか、
と錯覚してしまうくらい、近くに感じた。
でも、そんなことは起こらなくて、延ばした私の手は空中で何も掴めない。
スカしてしまって、どうしようもない。
とっても不様で、こんな自分が嫌になる。
「なにしてるの? ムギちゃん」
「太陽、掴めそうだなって思って」
「あはは、あんなにおっきくて、まるく見えてるもんね」
「でも、やっぱりムリみたい」
てへって、おちゃらけて笑いかけてみた。
そんな私に、唯ちゃんは、えへへ、と笑いかけるだけだった。
ようやく伸びてきた前髪が顔にかかっていて、横からだと唯ちゃんの表情をうまく掴めない。
さっきまであんなに明るかったのに、辺りも次第に夜の気配を纏っていく。
「あぁ......沈んじゃう」
唯ちゃんがものすごく残念そうな声で言った。
「そうね......沈んじゃう......」
沈む太陽を前に、私はなにもできないでいる。
サビオを巻いた指先がズキズキと痛む。
たった一分でいい
私はそう願う。
たった一分でいいから、唯ちゃんが私のことを好きでいつづけてくれる方法ってなにか無いの?
そう願うと同時に、私は自分に言い聞かせてる。
なにバカなことを言っているのよ、紬
そんな方法、あるわけないじゃない
そう、そうなの。
そんな方法、あるわけがなかった。
人の気持ちを他人が思い通りにすることなんて、できっこない。
......たとえ、たった一分だとしても。
人の気持ちを操る方法、そんなことを探した私へのバツはこの指先のキリキズ。
左の薬指に巻いたサビオには血が滲んでいる。
そこまで深く切ってはいないはずなのに、思っていた以上に血が出て驚いた。
手すりの上に肘をついて、左薬指の先のサビオを指でいじっていた。
今日ずっといじっていたせいか、サビオは取れかかっていた。
「あっ、ムギちゃん、薬指どうしたの、バンソウコウしてる」
「うん、昨日ちょっと切っちゃって。そんな大袈裟なキズじゃないんだけど」
「剥がれそうだね。ちょっと待ってて。私、バンソウコウ持ってるよ」
そう言って唯ちゃんは、肩にかけていた通学鞄をなにやらゴソゴソし始めた。
すぐに「あっ、あった」という声と共に、唯ちゃんはポーチを底の方から引っ張り出して、
その中から1枚のサビオを取り出した。
「取り替えてあげる」
と言って、唯ちゃんの両手が私の左手を優しく包み込む。
今でもそれだけでドキドキして、声が出なかった。
私はただ、唯ちゃんにされるがまま。
新しく変えられていくその光景を見ていた。
巻かれたサビオを取ると、少しふやけた私の薬指と、それを横断するようにパックリとしたキズグチが見えて、
私はその痛々しさに自分のことながら、顔をしかめた。
唯ちゃんは、そんなのおかまいなしに表情を変えずに、新しいサビオをペロッと紙から剥がした。
「私、小さい頃よく転んで怪我してたからこういうの慣れてるんだ」
へへっと笑って唯ちゃんがキズグチを覆い隠した。
「はい、おしまい!」
それを合図に唯ちゃんの手が私から離れていった。
私は貼られたそれを眺めて、そして息を飲んだ。
ピンク色のサビオ。
ガーゼの上の部分に唯ちゃんの字で書かれた名前に
視界がグラつく。
今しがた離れた右手を掴んで、勢いに任せて唯ちゃんを私の方へと引き寄せる。
なんだ、私ちゃんと掴めるじゃない
バランスを崩し、「えっ」と驚いて顔をこちらに上げた唯ちゃんの唇を奪った。
[あずにゃん]って書かれたサビオに巻かれて、
さっきよりも指先がズキズキと痛んでいた。
たった一分、たった一分でよかったのに......
ゆっくりと距離を取る。
唯ちゃんこ顔が見られなくて、そのまま二歩ほど後ずさった。
「ムギちゃん......私たちはもう終わったんだよ......ゴメンね......」
逃げてはいけない、と唯ちゃんを見た。
その瞳に、最後の光が射し込んで、スッと消えた。
それでも、今、この瞬間だけは唯ちゃんは私のことを考えてくれている。
たとえ、「好き」という気持ちがもうそこにはなくても。
たとえ、手が届いたことが幻想だったとしても。
私は一瞥する。
太陽は完全に沈んでいて、
サビオに巻かれた、
薬指の痛みがさらに酷くなる。
case 2 紬→唯『たった一分でいい』
終わり。
最終更新:2014年03月10日 22:54