「あずにゃん、早く早く!!」
「ちょっと待ってくださいよ、唯先輩......!!」
あずにゃんはそのあだ名とは裏腹に一歩一歩をたしかめるように
フェンスをよじ登って降りた。
ノンノンノン。
あずにゃん、もっと猫らしく!!
「あずにゃんって意外とドンくさい?」
「う、うっさいです!!」
「しー!しー!だよ、あずにゃん!!」
慌てて右手人差し指を顔の前に立ててあずにゃんに注意。
あずにゃんはアワアワとしたのち「すみません」と小さく言った。
「よし、じゃあ行こうか!」
「そういえば、更衣室って鍵かかってますよね? どこで着替えますか?」
「外でいいんじゃない?」
「えっ」
「だって、どうせ夜だし、こんな時間に誰も来ないでしょ」
いやぁ......
でもぉ......
......唯先輩こっち見ないでください
ブツブツ言いながらタオルのてるてる坊主になったあずにゃんのおきがえをチラチラと横目で見ると、目がばっちし合っちゃってプイッてされた。恥ずかしがり屋なんだから、もう。
私は家で水着を着てきたから服を脱ぐだけでおっけー!
ちょーラクちんなのです。
よゆーのよっちゃんなので、あずにゃんのおきがえだって見ちゃうんです。
えへへ。
------
高校2年の夏休みもあと1週間で終わっちゃう。
なんだか急にむなしくなって、あずにゃんに電話をした。
「だからさー、あと少しで夏休み終わっちゃうし、一夏のアバンチュールをさー、なにかスリルでエキサイティングなことしたいんだよー」
「確かに夏休みが終わるのは名残り惜しいですけど、スリルでエキサイティングなことがしたいのなら、
私ではなく律先輩の方が良いのでは?」
「私はあずにゃんとがいいんだよー」
「なんで私なんですか......」
「だって」
「?」
だって、なんだか気になってるんだもん、あずにゃんのこと
聞こえないようにボソッと言ったはずなのに、
電話越しにあずにゃんは「いや......」とつぶやいた。
「いや......唯先輩はムギ先輩と付き合っていますよね?」
「そ、そうなんだけど......」
そう。そうなんだけど。
ムギちゃんとは高1の秋からのおつきあいで、
たしかに私はムギちゃんの彼女で、
ムギちゃんは私のからなんだけど......。
「と、とりあえず、そのことは今は置いておきまして!!」
「いや、置いといちゃいけないでしょう」
「むむむ......」
「唯先輩って、遊び人なんですか?」
「遊び人? 私は色んな人と遊ぶの好きだよ」
「質問間違えました」
「え、どういうこと?」
.「とにかく.....ムギ先輩に内緒で唯先輩と2人きりでは遊べません」
「なら、ムギちゃんに言えばいいの?」
「そういう問題じゃ」
「お願いあずにゃん!! ムギちゃんにはちゃんと言うから!!」
「......ちゃんと言ってくれます?」
「うん、ちゃんと言う!! 」
ちょっとの沈黙。
ケータイを持つ右手がすごい速さで湿ってく。
左手も思わずグッと力を込めちゃう。
「わかりました......」
「ほ、ほんと!? ホントにあずにゃん!?」
「本当ですから、そんなに大声出さないでください」
「ごめん......えへへ」
自然と顔がほころんだ。
わたしのテンションとは真逆なかんじで、
ため息まじりにあずにゃんは言う。
「それで、スリルでエキサイティングなことに当てはあるんですか?
もしかしてこれから考えるんですか?」
「あー、それはもう考えてあるんだー」
「何ですか」
それはね、と私は得意げにもったいぶって言う。
「夜のプールに忍び込んで泳ぐんだよ!!」
あずにゃんは絶句した後に
「ちゃんとムギ先輩に話通しておいてくださいよ」
って、私に念を押した。
まったくもう、信用ないなぁー。
------
「なんだー、あずにゃんスク水じゃん。なんで合宿の時の水着じゃないのー?」
「い、一応学校のプールなので。こっちがいいかと思ったんですが唯先輩は思いっきり水着ですね」
「うん。スク水じゃ面白くないなーって思って。これ、1年生の合宿の時に着たやつなんだー」
そ、そうですか......
あずにゃんは私をチラッと見た後、そっぽを向いて
「似合ってますね」
と言ってくれた。
「ぐふふふ。あずにゃんもスク水似合ってるよ」
「その笑い方と言い方、変態チックです唯先輩」
あずにゃんはツインテールにした髪を一度ほどき、少し高い位置でポニーテールに結び直して髪を束ねた。
「うはぁ、その髪型のあずにゃんもいいね......べりーぐっどだよ!!」
「ど、どうも」
月の光だけで照らし出されるあずにゃんに私はときめいていた。
でも、なんだかそれがとってもいけない気持ちに思えて、いつもよりよく見えるあずにゃんの左耳から目をそらした。
------
「夜のプールってなんだかちょっと怖いね」
「そうですね。足は付いてても不安になります」
夜の暗闇が溶けて、真っ黒に染まった水の中であずにゃんと2人。
プールの底が見えなくて、自分の足元もよくわからなくてフラフラする。
水面で月の光が反射して、まるで月が2つあるように見えてた。
「スリルでエキサイティングですか?」
あずにゃんがイジワルっぽく聞いてきた。
「もちろん、スリルでエキサイティングな気分だよ」
ワルだよ、ワル。
「だって、忍び込んじゃってますもんね」
浮き輪をプカプカしながらクスクスと笑いあった。
昼のうちにあたためられたのか、水温はちょうどいい温かさでそんなに冷たいと思わなかった。
「そんな熱を持つのはダメだよ」
とさとすように、
ほてった私の体の上を滑っていく。
足を床から離して、水面に寝そべって夜をあおいだ。
耳の中でチャプチャプと音がするけど、それが気持ちよかった。
満点の星空じゃない、月は三日月で満月じゃない。
でもここは夜のプールで私はそこに浮かんでいて、
私にはムギちゃんという彼女がいて、
たしかに好きだと思えるんだけど、
でも今隣にはちょっと気になっちゃってるあずにゃんが私と同じようにプールに浮かんでいて。
とってもスリルでエキサイティングだと私はつくづく思った。
今日のこと、ムギちゃんには言ってなかった。
------
クシュン、と隣でくしゃみが聞こえた。
「あずにゃん寒い?」
「いいえ」
「ホントは?」
「......ちょっとだけ」
私は自然をよそおって、あずにゃんと向かい合って、
そのむき出しの両肩を両手で包み込むように触れた。
「ホントだ。ちょっと体冷えちゃってるね」
「あ......はい、あの......」
向き合っているのが恥ずかしいのか、
少し照れ気味のあずにゃんに私はまたときめいた。
そして、そのまま肩を引き寄せて、くちびるをパクっと覆った。
驚いたあずにゃんが目を見開き、肩が上がる。
でも、私は上擦ったその手を離しはしなかった。
パシャパシャと私のほてりを咎めるように、
あずにゃんが私に近づいた分だけ周りの水面が慌ただしく揺れて波紋が広がっていく。
「ゆ、唯先輩......」
「......そっか。私、あずにゃんが好きなんだ」
「なんで......」
「......ムギちゃんに言えなくなっちゃった」
ハハ、と笑いがもれた。
弁解まじりに私は言う。
ごめんね、キスをするつもりはなかったのに
あずにゃんは「今日は帰ります」と言い、プールサイドに上がる。
さっきよりもひどく波が立ち、私にぶつかる。
水面で2つの月がユラユラと揺れて形が崩れた。
乱暴に水滴をタオルで拭って、ほとんど濡れたまま服を着て、
サッサと1人でホントに帰ってしまった。
私はあずにゃんのいなくなったプールの中でまだ1人でいた。
なんだかイヤになって、浮き輪を取って、プールに倒れこんだ。
無抵抗に沈んでいく、体。
シュワシュワと小さな泡たちが下から上へと上がっていく。
プールの底に横たえて、目を開いた。
なにも見えないかと思ったけど、目の前では水の模様が月の明かりに照らされてユラユラと揺れていた。
そこで月は1つしか見えなかった。
あぁ、気になっちゃってるだなんて、簡単な気持ちなんかじゃなかったな
キスなんてするんじゃなかった
ムギちゃんに別れ話をしなきゃいけない。
耳元でイタズラなあずにゃんの声がした。
ワルだよ、ワル
そうつぶやくと、呼吸が一気に苦しくなった。
case 1 唯→梓『言えないワガママ』
終わり。
最終更新:2014年03月10日 22:56