わたしは驚いて、固まってしまった。
梓「やめてください。そんな、そんなこと。
ひとりだけ大人になろうなんてそんな、ズルすぎです!」
そう言うとあずにゃんは、わたしの手をひっぱった。
唯「わっ、どこいくのあずにゃん!?」
あずにゃんは走る。わたしの手を引いて。
わたしも走る。あずにゃんに手を引かれて。
次々と景色が通り過ぎる。芽吹き始めた桜の木。人。空。
あずにゃんは、工事中と書かれたフェンスの前で、立ち止まった。
フェンスに指をかけて。
大きく息を吸うと、
梓「まってくださーい!」
わたしはびっくりして、息を整えるのも忘れて、あずにゃんを見た。
作業をしていた人も、何事かとこちらを見る。
梓「こわさないでー! わたしの思い出を、こわさないでー!」
唯「あ、あずにゃん……」
わたしはただおろおろして、名前を呼んだ。
こっちを向く。
泣いていた。
梓「やめてー! やめろーっ! こら、こわすなー!」
悲鳴みたいな大声は、ただ掠れてて。
それを掻き消すように、パワーショベルは運動を続ける。
破壊音。校舎が、崩れる音。
梓「やめてよ……やだよ……やだよぉ……」
あずにゃんはフェンスにしがみついたまま、うなだれてしまった。
唯「あずにゃん……」
わたしは、どうすることもできなくて。
壊されていく、校舎を見上げた。
あ……。
あそこ、わたしたちの部室だ。
そこに黄色い鉄の塊が近づいて。
打ち砕いた。
梓「……唯先輩……?」
わたしは、あずにゃんの背中にしがみついて。
唯「っ……、うっ……」
視界はぐちゃぐちゃ。
梓「ちょっと、唯先輩……」
わたしの顔はきっと、もっとぐちゃぐちゃ。
唯「あああ、うあああ、っ」
梓「……っ、あああああ!」
フェンスの前。子どもがふたり、泣いていた。
人目なんて、気にしないで。
ただただ、悲しくって。悔しくって。
「おーい、どうしたー」
聞き覚えのある声が聞こえたのは、そんなとき。
梓「……えっ」
唯「……あ」
そこにいたのは。
「おーい」
りっちゃんと。
「どうしたんだよ律。……え?」
澪ちゃんと。
「あらあら」
ムギちゃん。
*
紬「落ち着いた?」
梓「はい……」
唯「えへへ……」
あれからわたしたちは、涙を拭って、作業の人たちにごめんなさいをした。
皆さん笑って許してくれて、逆に心配までされちゃった。
律「梓がなんか叫んでたから、びっくりしたよ。そしたら急に唯が、梓に抱きついてさ」
わたしとあずにゃんが、顔を見合わせる。あずにゃんの顔、真っ赤だ。
わたしもたぶん、似たようなもんだろうけど。
澪「わたしと律は、道の途中で会ったんだ」
澪ちゃんが、説明してくれた。
澪「ムギとは校門前で、ばったり」
頭を掻く。
澪「しかし驚いたよ。まるで示し合せたみたいに、この5人が集まるなんてな」
紬「お世話になった校舎だもの。最後にご挨拶くらい、しなくちゃね」
律「そうそう」
澪「ま、ちょっと間に合わなかったみたいだけどな」
そう言って、校舎を見上げる。
ずいぶん、小さくなっちゃった。
紬「ふたりは、なんで泣いてたの?」
ムギちゃんは、優しくわたしたちを見た。
唯「えーと、それはあずにゃんのせいで……」
梓「あーずるい! 元はと言えば、唯先輩が悲しいこと言うからじゃないですか!」
唯「えー」
梓「なんですかその顔!」
律「おいおい……」
唯「なにさ! あずにゃんだって人に迷惑かけて!」
梓「なっ……」
唯「こわさないでーわたしの思い出をー」
梓「あーっ、まっ、真似しないでください! そういう唯先輩だって泣きじゃくってたくせに!」
唯「それはあずにゃんだって一緒じゃん!」
梓「背中に抱き着いてー、赤ちゃんみたいでしたよー?」
唯「やめてよっ!」
梓「わたしのお気に入りのパーカー、よくも濡らしてくれましたね!」
唯「知らないよっ!」
そんなわたしたちを止めたのは、やっぱり澪ちゃんで。
澪「喧嘩両成敗、だっ!」
唯「いてっ」
梓「あたっ」
わたしとあずにゃん、額にチョップ。
紬「ふふふ」
唯「あーっ、笑いごとじゃないよーっ!」
律「いやー、だってなー? あはは」
澪「はははっ」
気付けばみんな、笑ってて。
あずにゃんとわたしは、顔を見合わせる。
律「お前ら、あの頃とまったく変わんねーなー!」
唯「そっ、それはりっちゃんたちもでしょ!」
むきになって言い返したら。
唯「……へ?」
梓「ぐすっ」
また、下を向いて。
唯「わっ、あずにゃん泣かないでよ!」
あずにゃんの肩を持つ。
すると。
唯「え……」
あずにゃんは、わたしに抱き着いた。
梓「ほら、唯先輩」
大人になるなんて、まだ、早すぎるんですよ。
わたし最初、ぽかーんとしてしまった。
それから。
唯「ううっ」
梓「先輩……っ」
唯「っ、うわあああああん」
梓「……ぐずっ、ええええええん」
ああ。わたし、今日どれだけ泣いたら気が済むんだろう。
でもこれは、さっきまでの涙とは、ぜんぜん違うんだ。
きっと、あずにゃんの涙も。
澪「やれやれ」
紬「ふふふっ」
唯「ああああん!」
梓「ええええん!」
やっとわたしたち、正面から抱き合って、泣いた。
律「お前らほんっと、しょーがねーなー」
りっちゃんが、わたしたちに近づく。
律「おい唯!」
唯「ぐすっ……なに、りっちゃん?」
律「お前んち、今日も憂ちゃんだけか?」
唯「えっ、うん……」
律「じゃあ今夜は唯の家で、桜高校舎お別れパーティーだ!」
唯「え、わたし明日しごと」
律「そんなの終電に帰ればいいだろー? じゃあ今から唯んちにレッツゴー!」
澪「おいおい律……」
紬「素敵……!」
澪「ムギまでっ」
わたしは目を輝かせた。
唯「そうだねりっちゃん! いこう!」
澪「切り替え早っ!」
唯「えへへ……」
わたしは、腕の中のあずにゃんに笑いかける。
あずにゃんも、目にいっぱいの涙をためて、笑い返す。
律「あー唯。それとひとつ」
りっちゃんが振り返って、わたしを見た。
律「わたしから見りゃ、子どものまんまだぞ」
わたしたちも。もちろん、お前らもな。
わたしたちは歩き出す。
校舎にさよならを言って。
校舎が無くなっても、思い出は無くならなかったんだ。
勘違いしちゃったのは、きっとわたしの人生の中でも、壮大なミステイクで。
りっちゃんが冗談を言って、わたしがそれに乗っかって。
澪ちゃんがつっこみを入れて、あずにゃんが心底呆れて見せる。
それをムギちゃんが近くで、優しく見守って。
五つの影は、あの頃と同じように、楽しげに揺れている。
中辛を食べたくらいじゃ、大人になんてなれなかったんだ。
大人になるのはきっと、もっと先のこと。
そのときはまた色々悩んじゃうだろうけど、それはそのときに取っておこう。
だって、そのときもみんなと、つながっているはずだから。
今日、奇跡みたいにみんなと出会えたように、ね。
おしまい
最終更新:2014年03月26日 22:37