6、
琴吹邸の敷地内に緊急事態を知らせるサイレンが鳴り響く。
普段は大人しい使用人たちも、途端に顔色を変え、辺りを警戒する。
その手には各々なんらかの武器が握られていた。
一方で普段通りのお茶を楽しんでいたのは、ツムギュダーの四人であった。
招き入れたのは当人たちであるのだから、この事態も想定済みなのであろう。
だがそれを琴吹邸の当主に知らせていないところを見ると、
また彼女たちも企んでいることがあるに相違ないのであった。
リーツ教授が西洋風の趣きに溢れた時計をちらりと見た。
「どれだけの時間でやつらがここに来るか、賭けようぜ」
「アホらしい。じっと待ってればいいだけのことだろう」
ミオーニャは一方的に、その提案を捻じ伏せた。
つまらないやつだとも言いたげに、リーツ教授は肩を竦める。
彼女たちのリーダーは口を開かない。
「それにしても、あの二人組は何者なんだろ?」
黒の全身タイツにガスマスクを装着したユヴィー。
彼女は一番最後に加入したせいもあってか、階級でいえば下っ端であった。
だが下っ端といえど、彼女たちの間には信頼関係が結ばれている。
よってこの問いにリーダーのムギエイラが直々に答えることも、自然であった。
「私たちの学校に潜んでいた誰か、ということになるわね」
「しかし一年間、私たちは学校の中を探し続けていたのにも拘わらず、
何一つ情報を手に入れられなかった。
それでも本当に学校にいると思っているのですか?」
「ええ。そうでもなければ、あの放送に気付くこともないでしょう」
ムギエイラの指摘も、尤もであった。
その妥当性もあって、調査を主導してきたミオーニャの心持ちは、
決して穏やかではなかった。
今にも恥ずかしさと悔しさで、腹の内側を掻きむしられるようであった。
その時、床がかすかに揺れたのを、ムギエイラは敏感に感じ取った。
地震が起きたわけではなく、下の階で戦闘が起きていることを、
また同時に察していた。
「いつものお茶の時間は終わりよ。さあ、始めましょう」
ムギエイラが立ち上がる。すると三人に電撃が走ったかのごとく、
背筋は伸び、完全な直立不動の姿勢となった。
三人の視線を受け止め、ムギエイラは言葉を続けた。
「私たちの“お・も・て・な・し”を!」
モーション付きである。
7、
屋敷の一階では多種多様の武器を持った老若男女が、三人の少女を囲んでいる。
ナイフなどの刃物から大小様々な銃器など、
一般家庭が持っているものから到底持ち得ないようなものまであったが、
三人の少女が持つ武器に比べれば、それらは幾分か現実的であった。
彼女たち三人が持つ剣の刃は白く蛍光灯のように輝き、
見た目だけで言えば、子供の憧れるヒーローの武器を模したおもちゃのようだ。
だが名刀と呼ばれる刀たちと比べても遜色ない切れ味を誇っており、
向かってくる銃弾ですらマシュマロと大差なかった。
使用人の一人が刀を目の前の少女に容赦なく振り下ろす。
ウインはそれを自身の剣で受け止める。すると、そのまま刀身を斬ってしまった。
使用人の手が震える。折れた刀が手から零れ落ち、顔が圧倒的な力を前にぐしゃりと潰れる。
他方では銃を構えた使用人が、他の少女、ノードカットに狙いを定めていた。
だがノードカットは恐れず、使用人に駆け寄る。焦り、引き金を引くものの、まるで当たらない。
狙いが合ったかと思えば、銃弾は真っ二つに斬られていた。
もはや現実の話とは思えない。使用人の中に武器を持ちながら、茫然と立ち尽くしている者が目立ち始めた。
残り一人の少女についても、それは同様であったに違いない。
彼女の名前はホワイトアズニャー。正体もバレバレの正義の味方である。
二人の圧倒的な戦闘を前に戦意を喪失した使用人たちを見て、
アズニャーはふと思った。もうこれ二人だけでいいんじゃないかな、と。
戦闘経験のほとんどないアズニャーにとって、無理もない話である。
多くの使用人たちを越え、三人はついにツムギュダーが潜むと思われる部屋の前に辿り着く。
ノードカットが周りを確認し、用心深くドアノブに指を近づけた。その時。
「痛っ!」
ノードカットの指に電撃が走る。静電気だろうか。
しかし六月に静電気が発生するということは、滅多にあり得ない。
なにが起きたのか、三人には皆目見当ついていなかった。
「ホワイトノードカットよ、我がツムギュダーの誇る、
“静電気並みの電撃を食らわせるドアノブ”の威力、恐れ入ったか!」
そんな三人のもとに近づく影があった。リーツ教授だった。
部屋の中にいると思われたリーツ教授は、悠々と廊下を歩いている。
つまり、この部屋には誰もおらず、罠が仕掛けられていただけなのだ。
「引っ掛かったお前らが悪いんだよ。
それと、ここで私の相手をするお前らの運も悪いんだよ!」
リーツ教授がそう叫ぶと、廊下の壁からタコの足のようなものが伸びてきた。
タコ足はリーツ教授を囲むように伸び、それぞれが意思を持ったように自由に動いていた。
これがリーツ教授の使う武器であった。
「……ここは私に任せて、二人は先に!」
剣を構えるウイン。襲い掛かる八本の足を一つ一つ切り刻む。
だが切り刻んだ箇所はあっという間に修復され、また新しい攻撃へと繋がっていく。
「これは大阪人の容赦ない値“切り”にも対応できる、凄い発明……なんやで!」
取ってつけたような関西弁だった。
しかし攻撃のえげつなさ、まさに大阪のおばちゃんの値切りを上回る勢いである。
残念なことに、ウインはそのような根性を持ち合わせていない。
彼女は人一倍の母性と知性を持ち合わせているものの、
このタコ足とは相性が悪いと言えるだろう。
ノードカットは咄嗟に判断した。
「……任せたわよ、ウイン」
「えっ、いいんですか!?」
「私たちは主将を討ち取ればいいの。行くわよ!」
ウインの口元は笑っていた。二人のためになれて、嬉しいのだ。
それを目にしたアズニャーは息を呑みながらも、先を行くノードカットの背中を追った。
8、
しばらく走っていると、今度は二人の間に閃光が走った。
正確には剣の発した残光であった。しかし速すぎて、それが捉えられない。
ノードカットはアズニャーを制止させ、辺りを警戒する。
再び二人に閃光が襲いかかろうとした瞬間。
ノードカットの剣がそれを受け止める。
生半可な剣であれば、真っ二つになっていたことだろう。
しかしノードカットの持つ剣、それと交わるミオーニャの持つ剣はそうではない。
一つもひびが入らず、互角といっても過言ではなかった。
睨み合う二人の距離は拳二つか三つ分ほどしかなかった。
声をあげれば相手の鼓膜を激しく揺らす。
眼光を鋭くすれば、相手の瞳に反射し、それを自身で確認することが出来る。
あるいは両者の息遣いが聞こえる。鼓動が聞こえる。
「やるじゃないか、ノードカット」
「あなたもね、ミオーニャ」
剣がぎりぎりと音を立てながらずれていく。それを戻そう人間が動く。
この剣が離れたとき、隙を作った人間が負けるのは、既に定まっていることだ。
「今度は仲間を増やしてお出ましか?」
「彼女は正義の味方に自ら志願したわ」
大嘘である。
だが今のアズニャーはそれを意に介さない。
ノードカットを助けることが先決であると、今のアズニャーにはわかっていた。
「アズニャー、ここは私に任せなさい!」
しかし、ノードカットは先へ行くようにと叫ぶ。
信じられない様子のアズニャーに対し、言葉を続ける。
「悪の親玉を倒すの……それが私、そして私とあなたをここまで連れてきてくれた、
ウインの意思なのよ!」
ノードカットの強い言葉に秘められた思いは、梓の心を揺らした。
その意味を噛みしめ、アズニャーは無言のまま走り出す。
二人の思いを受け止め、背負い、征服を阻止するべく、
そして自らの正義に応えるべく、アズニャーは走り出したのだ。
9、
屋敷の奥に辿り着いたアズニャーの前には、異彩を放つ扉が立ち塞がっていた。
また静電気の走る罠だろうか。それとも何万ボルトもの電撃が自分を襲うのだろうか。
様々な不安が心をよぎるが、アズニャーは止まらなかった。
扉は何の問題もなく開き、アズニャーは部屋へ足を踏み入れる。
部屋は薄暗く、数多くのディスプレイが煌々と放つ近代的な光がよく映えていた。
一際大きなディスプレイの前に、二つの人影をアズニャーは見つける。
間違いない。ツムギュダーの主将ムギエイラと、その部下である。
二人はこちら側と反対、目の前のディスプレイの方をじっと見つめていた。
これ以上ないチャンスだ。剣を取り出し、アズニャーは二人に駆け寄る。
刀身の届く範囲にムギエイラを捉えたアズニャーは、その手に持った武器を振り上げ、
首元に斬りかかる。直前、ユヴィーがこちらの姿を捉えるものの、既に手遅れだ。
ムギエイラの首に刃が達しようかという瞬間。
首まで残り数センチのところで、アズニャーは剣を止めていた。
「抵抗しないでください。すぐに首を落としますよ」
「新人は過激な正義の味方なのね」
ムギエイラは極めて冷静であった。
一方で、アズニャーの心臓は胸の中を跳ね回るようであった。
アズニャーは、ムギエイラの正体について確信がある。
だからこそ首を落とすなんてことは、絶対に出来ない。
だが、世界征服組織の娘だからといって、学校を征服されては適わない。
これはつまり暴力的で、またアズニャーにとって平和的な交渉であった。
「命は貰いません。学校だけは返してください」
「もう征服しちゃったもの」
「まだ遅くはありませんよ」
二人に対しユヴィーは慌てふためるだけで、何の役にも立たないでいた。
「ツムギュダーは学園制服組織なんですよね。もう満足でしょう。
これ以上、なにをしたいというんですか」
「私は学校を征服するだけじゃ満足しないんだもの」
唐突な発言に、アズニャーは次の言葉を見失ってしまった。
代わりに、ムギエイラ自身が言葉を補う。
「私たちはこれから琴吹グループすら巻き込んで征服を達成しようとする、
真の“世界征服組織”として生まれ変わるのよ」
愕然としてしまう。そういえばここに来たとき、
琴吹家の使用人は大分焦っていたことに、アズニャーはやっと気付く。
招待していたにしては準備が成っていないとは思っていた。だが、これではっきりした。
あれは琴吹家に対する宣戦布告でもあったのだ。
「世界征服なんて、本当に可能だと思ってるんですか?」
「私たちの科学力を見てもまだ、それが言えるのかしら」
アズニャーは不覚にも、その点については納得していた。
人を香りとポエムで操る技術。タコ足。閃光のごとく繰り出される剣。
どの技術も更なる発展を重ねていけば、世界の征服も夢ではないのではないだろうか。
しかし正義の味方は屈しない。少しでも食らいつき、反論してみせる。
「しかしこれらの技術力も、琴吹家の資金力があったから。
ツムギュダーだけじゃ、なにも出来ないはずですよ」
アズニャーは核心をついたと思っていた。しかし慢心であった。
ムギエイラは憐れむように微笑んでいたのだ。
「私たちの技術は独自のものよ。
そこまで後先考えずに、作戦を立てたりしないわ」
それもそうである。もしムギエイラとその部下の正体が、
アズニャーの想定している通りであれば、間違いなく無謀な選択はしない。
一番冒険的でありつつも堅実な選択をする。
あの四人が一緒になったとき、道は自然とそう形作られる。
「私たちは独自に新しいエネルギーの生成方法を編み出したの。
それはこの≪TAKUAN≫を使う方法よ」
従来のたくあんとは違うの、でもご飯とあわせても美味しいの。
ムギエイラはそう付け加えたが、アズニャーにその言葉は届かなかった。
今までは夢中になっていたが、その夢から覚まされるほどの現実離れした夢物語。
現実が対面しているエネルギー問題と直轄しているぶんだけ、この衝撃は大きいものだった。
話によれば≪TAKUAN≫は超エネルギー生命体であり、
それを独自技術により栽培し増やすことで無限に近いエネルギーを、
ツムギュダーは得ているということなのだ。
「私たちの武器のエネルギーは全て≪TAKUAN≫が、まかなっているのよ。
そう、これからは≪TAKUAN≫が世界を支配する時代なの〜!」
≪TAKUAN≫が支配する世界。この衝撃は、アズニャーにとって
隙を作らせることに十分足るものであった。
その隙を逃がさなかったムギエイラは自身の首を捉えていた剣を、
一瞬のうちに弾き飛ばしてしまった。
「なっ!?」
アズニャーの視線が武器の方へと自然に移ってしまう。
その隙も、ムギエイラは見逃さない。アズニャーの胸を正面から突き飛ばした。
宙を舞ったアズニャーの身体は背中から叩き落される。
遅れて、飛ばされていた剣が虚しい金属音を鳴らし、床に落ちた。
「形勢逆転ね、ホワイトアズニャー」
地に落ちた武器を踏みながら、ムギエイラはアズニャーを見下ろす。
主導権を握ったかに思えたアズニャーであったが、決してそうではなかった。
世界征服組織の主将を名乗る人間の前で油断してはいけない。
今となっては遅すぎる後悔を、アズニャーは心の中で何度も繰り返した。
「いいや、まだです……まだ二人が戦ってくれています……!」
だが、思いが潰えたわけではない。
アズニャーは歯を食いしばり、二人の様子を思い浮かべる。
笑って送り出してくれたウイン。思いを託してくれたノードカット。
しかし、その言葉を聞いたムギエイラは不気味なまでに無表情であった。
悲しんでいるのか。憐れんでいるのか。無感情であるのか。
その答えは、開け放たれた扉にあった。
倒れたままアズニャーは、近づく足音の方へと首を回す。
嘘だ。
アズニャーが思わず零した言葉は、無情にも空間の闇へ溶け込み、
誰の耳に届くこともなく同化した。
部屋へ入ってきたリーツ教授が背負っていたのは、ウインであった。
傷は見当たらない。しかしぐったりと四肢を垂らした状態は、
彼女が決して無事でないことを物語っていた。リーツ教授はゆっくりとウインを床に下ろす。
アズニャーは目を見張り、動かないウインに這いながらも近づいた。
「ねえ、ウイン……どうしちゃったのさ、ウイン!」
返事はない。これが、あれほど圧倒的な戦いを見せた彼女の最期なのか。
アズニャーはそれを認められないでいた。
誰にも問われていないというのに、首を振りつづけることしか出来なかった。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。無意識のうちに言葉が漏れつづける。
そんなことでしか自分の感情を吐き出すことができなかった。
そんな時、アズニャーにさらに追い討ちをかける足音が聞こえてくる。
扉を開け、部屋に入ってきたのはミオーニャであった。
彼女もまたなにかを持っているようだった。
リーツ教授のようにゆっくりと、ミオーニャはそれを床に置いた。
それは壊れた赤縁の眼鏡だった。
「そ、そんな……なんでですか、ノードカット……!」
彼女の目はマスクで覆ってあった。
しかしアズニャーは直感的に、これが彼女のものであると悟っていた。
もはや眼鏡はノードカットの存在証明であり、
眼鏡が彼女の九割を占めているといっても過言ではないだろう。
アズニャーは悲しみと恐怖で、身体が縛り付けられていた。
いまや頼りにしていた二人は打ち負かされてしまった。
自身の唯一の武器も、敵の主将に踏み躙られている。
四方は敵の組織に囲まれていた。これ以上の恐怖があるだろうか。
身体の奥から絶望に蝕まれていくのがわかる。彼女にこれ以上戦える力は残っていないのだ。
そんな彼女に声をかけたのは、役立たずのユヴィーであった。
「ねえホワイトアズニャー。一緒に来ない?」
その提案に誰もが言葉を失ってしまった。
「もう行くアテは無いんだよね。だったら、私たちと一緒に世界を征服しようよ」
「バカ! こいつは敵なんだぞユヴィー!」
「敵だろうと関係ない。だって私たちは世界を征服するんだから。
敵の一人や二人、征服できないでどうするの」
「そういう話で片付けられるものなのか、これ……?」
ミオーニャは突飛な発言に呆れ、肩を竦めた。
代わってリーツ教授が説得を再開させる。
「だけど正義の味方を名乗ってたやつだ。
味方になったフリして、いつ裏切るかわかったもんじゃない」
「それは私たちの力が足りないだけだよ。征服失敗ってこと。
その程度の力じゃ、世界征服なんて出来ないと思う」
リーツ教授も説得の方法がないと判断し、ついに匙を投げた。
ムギエイラは端から様子を見守っているだけだった。
元々規則にはうるさくない。ユヴィーは自分を信じ、アズニャーに言葉をかけた。
「ホワイトアズニャー。自分勝手で悪いけれど、お願い。私にあなたを征服させてください」
アズニャーは訳がわからないでいた。一般の高校生が正義の味方になり、
今度は悪の組織の一員になろうとしているのだから、混乱するのも当然である。
しかしなによりも、ガスマスクの裏の顔を知っているアズニャーにとって、
この言葉に込められた真剣さには驚くより他がなかった。
一体どんな顔でこの言葉を紡ぎだしているのか。彼女は今どんな顔をしているのか。
興味は尽きることなく、どんどんと膨らむ。
そしてアズニャーは、先程の言葉を頭の中で繰り返した。
私にあなたを征服させてください。
何も意識していなかったはずだった。
しかし何故かこの言葉一つで、アズニャーの胸は抑え難いほどに鼓動していた。
または締め付けられていた。胸の熱さが血管を伝い、身体中へと巡っていく。
「あっ、あの……うっ……」
踊りまわるような胸、締め付けられるような痛み。
それが何度も行き来を繰り返しているうちに、
彼女はついに限界を超え、意識を飛ばしてしまったのだった——。
10、
——……ああ、長い夢を見た。
“私”は上半身だけを起こし、夢の内容を思い出していた。
疲れて熟睡していたためなのか、非常に長い夢を見ていたようだ。
だが夢は記憶にほとんど残らない。時間の経過に応じて、それは顕著になる。
こんなごちゃごちゃの夢となると、それは尚更のことだった。
朝ご飯を食べながら、ふと憂と和先輩のことを思い浮かべていた。
もう夢の内容には靄がかかり始めているものの、確か二人は戦いに敗れていた。
役割は正義の味方だったか。私もその一員になっていたような気がする。
もう思い出せないことが多いのは残念だけれど、
今も元気なあの二人を勝手にボロボロにしてしまうのはよろしくない。そんな気がする。
あと、和先輩は眼鏡と二アリーイコールにしてしまってごめんなさい。
朝ご飯を食べ終え、出掛けるための身支度をする。
私たちの日常は何一つ変化がない。
今日のこの朝ご飯も身支度も、変化のない幸せで溢れている。
そうですよね、唯先輩。
「ほえ?」
私が一通りの支度を終えても、唯先輩はまだ朝ご飯を食べているところだった。
遅い。さすがに遅すぎる。集合時間は八時。
現在時刻は七時四十五分。もう置いていってしまおうかと思った。
「ちょ、ちょいとお待ちを〜!」
それなら急いで食べてくださいね。
ムギエイラ様は優しいお方ですけど、時間を大切にしない人は嫌いですから。
「自分の彼女とどっちが大切なのっ!」
そりゃ唯先輩ですよ。でも約束を守らない唯先輩は、あんまり好きじゃありません。
唯先輩は涙目になりながら、沢庵とご飯を口の中へかきこんでいった。
私がお気に入りの文庫本を十ページほど読み進めた頃、
ようやく唯先輩はご飯を食べ終えていた。時間もギリギリだ。
そろそろ出ないと本格的にマズイ。時計と唯先輩を忙しなく交互に見る。
やっと準備を終えたと玄関に駆けてきた唯先輩は髪も整えていなく、
到底人前に出れるような格好とはいえなかった。
靴を履いている横から、櫛で髪を整える。
「ありがと、あずにゃん」
「さあ急いで行きますよ。今日は征服達成一周年の式典が行われるんですから」
「うん、そうだね!」
私たちは二人揃って、我らがツムギュダーの征服した世界へと踏み出した。
車通りの少ない狭い道を歩く。
緩やかな川に跨ぐ橋を渡る。
綿菓子のような雲の漂う空を仰ぐ。
何一つ変わらない日常。
これが私たちの征服した世界。
この世界、この時間が未来永劫続かんことを。
我らツムギュダーの光の導くままに!
‐ お し ま い ‐
最終更新:2014年04月07日 21:58