……そうして数十分後。3人は琴吹邸の前に立っていた。


紬「どうやって来たのかは内緒よ?」

澪「は、はい……」

紬「家のことも喋っちゃダメよ? 写真もNG」

唯「はひ……」

紬「ごめんね、セキュリティの面からあまり大っぴらにはできないの」


とのことなので、結局我々が知りたい点はこの場では明らかになることはないだろう。
残念である。


唯「で、でも、家の写真とかがダメならさっき言ってた「いい場所」って…?」

紬「うん、この家の敷地内にね、とっても素敵な場所があるの! そこだけ許可を貰ったから、どうかな?って」

唯「いいの!?」

紬「もちろん!」

唯「わーい、楽しみー!」

澪「まったく……はしゃぎすぎ」


と呆れたような物言いをしつつも、澪も妙な高揚感は自覚していた。
始めて訪れる所謂『豪邸』に属するであろう家の敷地内を歩き回り、その家の住人も認める『素敵な場所』へ、おそらくは特例であろう許可を得て撮影に行く。
……高揚しないはずがない。


紬「ちょっと歩くけど大丈夫?」

唯「もちろん!」

澪「どんな場所なんだろう……」

紬「じゃあ行こっか。あ、そうだ……斉藤!」パンパン


紬が声を張り上げながら手を叩くと、いつの間にか執事服の初老の紳士が傍に立っていた。


斉藤「お呼びでしょうか」

澪「うわっ!?」

唯「び、びっくりした……いつの間に…」

斉藤「お嬢様自身が我々を遠ざけない限りは、お呼び立てから5秒以内に必ず辿り着く。これがこの家の敷地内での暗黙のルールなのです」


どうやら琴吹家は5秒にうるさいらしい。


斉藤「してお嬢様、何用でしょう?」

紬「懐中電灯を3本貸して欲しいの。そして、しばらく私達だけにしてほしいんだけど……」

斉藤「承りました。旦那様や奥方様はご存知で?」

紬「はい。許可は得てあります。あの時のように世話をかけるようなことにはならないわ」

斉藤「ふふ、懐かしいですな」

紬「あの時はありがとうね」

斉藤「なに、当然のことをしたまでです」


2人にしかわからない会話を繰り広げる傍らで、どこからともなく取り出した懐中電灯をそれぞれ配る斉藤執事。


唯(いつも持ち歩いてるのかな?)

澪(いや待って、どんな状況にも対応できるプロ執事なら常備しててもおかしくない…かな?)


思考をシンクロさせながら、しかし2人の会話に割って入りながらそんなことを質問できる空気でもなく、唯と澪はただ「ありがとうございます」と礼だけ返した。
紬と会話しながらもその言葉に微笑を返すあたり、斉藤執事もプロである。


紬「あ、あと、私の合図でアレができるように菫を待機させておいて。電話入れるから」

斉藤「わかりました。では行ってらっしゃいませ。足元にお気をつけて」ペコリ

紬「はーい。じゃあ唯ちゃん澪ちゃん、行きましょっか♪」

唯「うん!」

澪「唯もだけどムギも楽しそうだな」

紬「うふふ、そう? 家にはあまり皆を呼べないけど、今から行く場所はいつか絶対皆に見せたいなって思ってた『琴吹家のとっておき』だからね!」

唯「へー、楽しみー!」


意味深な言い回しだが、澪は不安などは感じていなかった。
むしろあの紬が自分の家を持ち出してでもここまで言い切る場所だ、期待の方が大きくなろうというもの。
胸を躍らせながら、そして普段は目にすることもないレベルの豪邸を眺めながら紬の先導で歩いていく。
だが、徐々にその豪邸からは遠ざかっていき、周囲も薄暗くなっていく。


紬「そろそろ懐中電灯を点けて。足元に気をつけてついてきてね」

澪「わかった」

唯「ほへー……」


歩きながら唯が間の抜けた声を出すが、澪にも理由はわかる。
一般にイメージするお金持ちの豪邸の敷地内とは程遠い、まるで登山道のような雑多な植物に溢れたデコボコな道を歩かされているからだ。
もっとも、同時に結構な距離を歩かされていることもわかるので、琴吹家の敷地面積に驚いている面もあるのだが。


澪「む、虫とか出ないかなぁ……」

紬「大丈夫。そのあたりはちゃんとしてるから。あえて道はこのままにしてあるんだけどね」

唯「よ、よかったぁ……」

紬「ふふっ。はいっ、とうちゃーく!」


紬がタンッと小さく跳び、振り返って両手を広げる。
2人が周囲を見渡せば、そこは一面が開けており、小規模の円形になっている不思議なスペース。
そして中央には、


澪「これは…樹……?」

紬「——菫、よろしくっ♪」


携帯電話を開いて紬が一報を入れた瞬間。


唯「わあっ……!」


周囲にあたたかい明かりが灯り、中央にある樹を淡く儚くライトアップする。
照らし出された、その樹は……


澪「桜の樹…!」

唯「夜桜! 夜桜だよ澪ちゃん! すごいよ!!」

澪「………」

唯「……澪ちゃん?」

澪「ふわぁ……」

唯「おーい、澪ちゃーん?」

澪「……はあぁ……」

紬「唯ちゃん。そっとしといてあげましょう」

唯「……そうだね、すっかり心奪われちゃってるよ」

紬「ふふ、喜んでもらえてなにより」

唯「うん、すっごい綺麗。いいなぁ、ムギちゃんの家にはこんな絶景スポットがあったんだ」

紬「今度は皆で来ようね。ずっとずっと、絶対、皆にもいつか見せたいって思ってたんだ」

唯「うん!」


幻想的、としか言いようがないその光景に唯も当然心奪われながらも、それでもふと、当然の疑問を思いつく。


唯「……ところでムギちゃん、桜にはまだちょっと早くない?」

紬「そうなのよ、不思議でしょ?」

唯「えっ、何か理由があるんじゃないの?」

紬「ううん、謎なの。あのね唯ちゃん、この樹はね………伝説の『万年桜』じゃないかって言われてるの」

唯「……まんねんざくら? あ、もしかしてあの……?」

紬「そう。一年中花を枯らさず、一万年でも咲き続ける、そんな桜の樹」

唯「す、すごいじゃん! 実際にあったんだ!」

紬「もちろん、世間には知られてないけどね」

唯「なんで? もったいない……」

紬「……悪い人に見つからないため、よ」

唯「……ゴクリ」

紬「なんちゃって〜」

唯(お、重い!)


紬の言う事が嘘か本当かわからないままの唯だが、これはおいそれと他人に漏らしていい事ではないんじゃないか、と思った。これは紬からの自分達に対する信頼の現れでもあるのではないかと。
実際のところはわからない。この桜は琴吹家が国からの依頼で管理しているものかもしれないし、それ故に世間の目や悪人の目から隔離しているのかもしれないし、
そんなのは関係なく散る花と咲く花による四季の風情がなくなるから世間に知らせないだけかもしれないし、でももしかしたらこれが世界で最後の1本の万年桜なのかもしれない。
わからない、が、唯は自身の直感を信じることにした。


紬「そういえば、祖父の代あたりは「この桜を守る為に働いてるようなもんだ」とか言ってたような気もする。もっと前の代では、そもそもこの桜の近くに家を構えたことが琴吹家の始まりだって伝承もあるらしいけど」

唯「へ、へえ〜……本当に写真撮って大丈夫なの?」

紬「大丈夫大丈夫。そうやって連絡したし、たぶん大丈夫よ〜」

唯(たぶん!?)

紬「……でもね、今の家族があるのはこの樹のおかげなのは間違いないの」

唯(やっぱりこの樹には何か重いエピソードが!?)

紬「聞いた話だけどね……」

唯「ゴクリ」

紬「……私のお父さんとお母さん、この樹の下で告白したらしいの!」

唯「……へっ?」

紬「ね!ね!素敵だと思わない?!こういうの!」

唯「う、うん、そだね……」


もちろん唯も年頃の少女だ、そういうのに目を輝かせる気持ちはわかる。単に拍子抜けだったというだけのこと。
そんな唯を置いて紬が恋愛への憧れを語り、暴走を始める……とまではならなかった。紬の手が第三者によって握られたからだ。


澪「……すごい!すごいファンタジーな光景だよ!ありがとうムギ!」ギュッ

紬「あ、澪ちゃん」

唯「帰ってきたんだね」

澪「なあ唯!すごいよなこれ!!」

唯「う、うん、そうだね」


私も散々言ったじゃん、という言葉を唯はもちろん飲み込んだ。
少し優しくなれた気がした。


澪「写真!早く写真撮ろうよ!あっ私もデジカメ持ってたんだ!それっ!」パシャシャシャシャ

唯「すごい連写だ」

紬「唯ちゃんは撮らないの?」

唯「そうだね……えーっと、このあたりかな……」


と、唯がシャッターを切ろうとした時だった。


紬「あ、あれ?」


万年桜を囲い、ライトアップしていた照明が、徐々に明かりを落としていき……終いには消えてしまった。
そしてすぐに紬の携帯に着信が入る。


紬「どうしたの菫? 不具合? うん、待ってて、私も行くわ」

唯「どしたの、ムギちゃん」

紬「しばらく使ってなかったから何かトラブルがあったみたい。ちょっと様子を見てくるね」

唯「1人で行くの? 危ないよ?」

紬「斉藤が迎えを寄越してくれるから大丈夫。それに、これは誘った私の責任だから……すぐに戻るわ、5分くらいで」

唯「あ、でも……」

紬「……そろそろ遅いし、一緒に戻る?」

唯「ん……」


唯は、隣に立って未だに桜を見上げている澪に目をやり、少し悩んだ後、答えた。


唯「ううん、ムギちゃんを待ってるよ」

紬「わかった。すぐに戻るからね!」


懐中電灯片手に走り出した紬の背中に気遣う声をかけた後、唯は澪に向き直る。


唯「……写真、撮れなかったや」

澪「……私は撮れた、けど……」

唯「けど?」

澪「なんか、不意に終わってしまうっていうのは、どうも寂しいなって」

唯「………」

澪「ムギを責めてるわけじゃないよ。こんな素敵な光景をあれだけの時間見せてくれたんだから。ただ、なんか、ね」

唯「……近づいても大丈夫だよね、この樹」

澪「え?」


懐中電灯で足元を照らすこともせず、暗がりの中を唯は歩を進めていき、万年桜の樹の幹に背中を預けた。
ふう、と一息つき、次の瞬間には笑顔で澪を呼ぶ。澪ちゃんもおいでよ。


澪「……いい笑顔しちゃって」

唯「もう暗いけど、見えた?」

澪「なんとなくわかった。よっ、と」


澪も同じように樹に歩み寄り、唯の隣で背中を預け、それ以上の言葉を発しなかった。
背中に樹の胎動を感じた気がした。
隣の唯に目をやると、唯も同時にこちらを向く。少し笑い合った後、またも同時に上を見上げる。
夜の空の青の中に、確かに桜はあった。


唯「……ねえ澪ちゃん、さっきのムギちゃんの話、聞こえてた?」

澪「えっ、どんな話?」

唯「ムギちゃんのお父さんとお母さん、この樹の下で告白したらしいよ」

澪「そ、そうなのか、聞いてなかった……。ロマンチックでいいな、そういうの」

唯「だよね。というわけで、私達もあやかってみない?」

澪「え、えっ、唯、告白するのか!?」

唯「告白っていうか、誓うっていうか」

澪「な、なにを誓うんだ?」

唯「そんなの決まってるよー」


そっと、澪の左手を握りながら。


唯「——ずっとずっと、一緒にいられますように、って」

おわり