別れの挨拶を告げ合う声、練習をはじめた運動部のかけ声、遠くから響いてくる金管楽器の音色。

ここは放課後の昇降口。いろんな音が聞こえてくる。


「あれ?純。いま帰り?ジャズ研は?」

「今日はひさしぶりに練習休み!梓は?」

「…聞かなくてもわかるでしょ。いつものことだよ…はぁ。練習したかったな」

呆れながらも梓はどこか楽しそうに見える。

「ジャズ研が練習休みって珍しいね」

「うん、だから駅前に新しくできたケーキ屋さんにでもいこっかなーって思ってるんだけど…」

「ああ、あそこの店?実は私も前から興味あったんだよね」

「さっすが梓!よく知ってるねー!チーズケーキが美味しいって評判なんだよ。せっかくだし梓も一緒に行こうよー」

「えっと私今日は…」

「あずにゃーん!はやくはやくぅー!」

「あずさぁー、早く来ないと置いてくぞぉー!」

校門の方から梓を呼ぶ声。

「はーい!今いきまーす!…ごめん、純。私これから先輩たちとそのケーキ屋さんに行く約束してて…」

「そ、そっかぁ…」

「ごめん…また今度憂も誘って三人で行こうよ」

「そうだね。じゃあ、また明日」

「じゃあね。バイバイ」

「…バイバイ」

私に別れを告げ、背中を向けると、梓は跳ねるようにして向こう側に走っていった。


私と一緒にいるときの梓。
軽音部の先輩たちと一緒にいるときの梓。

同じ梓なのに、違う梓。

なんだかこう…きらきらしてる!…きらきら。



楽しそうだな、梓。

私は予定を変えて、まっすぐ家に帰ることにした。

_____

ジャズ研!

〜♪

(ヤバっ、ミスった!)

「ちょっとストップ」

「…はい」

「…純。そこさっきもミスしたとこでしょ」

ため息混じりに呆れた調子で先輩が言う。

「あ、はい。すみません…」

「ちょっと、最近ミスが多いよ。もうすぐ一年が入ってくるっていうのに…先輩になる自覚あるの?」

「すみません…」

「自覚があるのかどうか、聞いてるんだけど?」

「あ、あります!」

「本当に?」

「本当です!」

同級生達の冷ややかな視線が突き刺さる。

先輩たちの指導は、最近どんどん厳しくなっている。
最上級生の自分たちが部をなんとかしないと、という責任感の現れだろうか。それとも単に私が不器用なだけか…。
新歓ライブが近いせいもあって、余計ぴりぴりしてる。

「まぁまぁ…あんまり言い過ぎるのもよくないよ?」

「だって…」

「純だって頑張ってるんだから」

「先輩…」

「まったくもう。甘いんだから」

厳しい先輩もいれば、やさしい先輩もいる。
性格的なこともあるんだろうけれど、これは余裕…この人は「当確確実」な立場だからこそ、自分のことだけじゃなくてまわりのこともみられるのだと思う。

「ありがとうございました。助けてもらっちゃって…」

「ううん、大したことないわ。でもね…
 純ももうすぐ先輩になるんだから、きちんと後輩を教えられるくらいにならないとね」

「…はい。頑張ります…」

「うん、上達しなきゃ、ライブのステージに立てるかどうかもわかんないしね」

ジャズ研の練習は厳しい。
部員が多いから、みんながみんなライブのステージに立てるとは限らない。

一生懸命練習しないと、どんどん落ちこぼれちゃう。
でも、一生懸命練習しても、後輩に追い抜かれてしまう先輩もいる。三年間で初めて立ったステージが三年の学祭…ということもありえなくはないのだ。

ジャズ研に入ったばかりの頃は、まさか自分がそうなるかも、なんて思いもしなかった。

ベースをはじめたばかりだったから、楽器に触るだけで楽しくて、同級生とはわいわい仲良くて、先輩はやさしくてかっこ良くて…自分も自然とああなるんだって思ってた。

学祭ライブが終わって三年生の先輩達が引退した頃からだろうか。

同じ一年生同士でも上手い人、そうでない人。個々人の技術に差が出始めた。

素人同然の一年生が、いきなり学園祭に出られることはまずない。
でも、四月の新歓ライブでは、進級したばかりの二年生のうち、何名か技術が高い部員はステージに上がることができる。

仲良しこよしの同級生時代はおしまい。
ジャズ研は競争。上手い人がステージにあがって、下手な人はずっとあがれない。

同級生は友達っていうより、ライバルになった。

私も新歓ライブのステージに上がることを目標に秋から頑張ってきたつもりだったけど…どうやら無理みたい。

上手くなることばかり意識して練習する放課後は、いつしか楽しさより、しんどさの方が上回るようになった。

頑張ってる。頑張ってるつもりなのに…みんな、私よりどんどん上手くなっていく。

一生懸命練習してみて改めて、憧れた先輩がどれだけ凄かったのかわかった気がする。私には、無理。あんな風には、なれそうにもない。

今日は練習が休み、なんて嘘。
ジャズ研には休みなんてない。

休みってことになっていたって、みんななんだかんだ部室に集まって練習してる。
他の人より上手くなる為に、ライブのステージに上がれるようになる為に。

落ちこぼれてしまった私には、そんなこと関係なかった。


「休みなんだから、休もう」


ところがちょっと気分を変えたくて、久しぶりにどこかいこうと思っても、遊びに誘う友達がいない。

本当にいないわけじゃない。
梓も憂も友達だ。クラスメイトとだってうまくやっている。

でもみんな、放課後は他にやることがある。

部活だったり、勉強だったり、バイトだったり、家事だったり…

ジャズ研を離れてしまったら、私、何にもないのかな。

ジャズ研にいたって、何にもないのにな。

触ってるだけで楽しかったはずのベースが、今は私の肩にずしりと重かった。

校門を出てしばらく行ったところにある、大きな木の下でふと足を止め、天を仰ぐ。
この間まで、新入生を祝うように華やかに咲き誇っていた桜は殆ど散ってしまって、寂しい姿になっていた。

「純ちゃーん!」

誰かに名前を呼ばれた気がして、周囲を見回すと、学校とは逆の方から憂が走ってきた。

「はぁはぁ…」

いつも落ち着いていて滅多に慌てたそぶりを見せない憂が、こうして息を切らしているのは珍しいことだ。

「あれ…憂。どうしたの?今日は先に帰ったんじゃ…」

「うん、学校にちょっと忘れ物しちゃって、今から取りに戻るとこ。純ちゃんは?」

「私は……今日は、ジャズ研、休みだから」

「そっか」

憂はいつものようにニコッと笑った。

「せっかくだから純ちゃんもつきあってよ」

「えっ」

「いいでしょ、ねえ」

そういっていつになく強引な憂は私の腕を掴むと、返事も聞かずに引っ張っていった。


校門のところまで戻ってくると、そこにいるのは梓たち軽音部だった。

「あれ、梓。あのお店に行ったんじゃなかったの?」

「うん。休みだったんだ。今日」

「そっか、残念だね」

「いいよ、また今度行くからさ」

「で、なんで学校に戻ってきてるの?」

「それはだなっ、鈴木さん…!」

「私たち軽音部は一日一回お茶とお菓子をたべないと…」

「死んじゃうカラダなの〜」

ぱたりと倒れるフリをするムギ先輩。

「ムギちゃんっ!ムギちゃんが倒れたっ!」

「急げ唯隊員!早くムギを部室に運んでお茶を飲ませるんだっ!」

「…お前ら、いい加減にしとけよ」

梓と一緒にいた先輩たちがいきおいよくしゃべりだしたと思ったらいきなりミニコント。
思わず圧倒される。

「そうだ!純ちゃんも憂も一緒にお茶しようよ!」

「待て待て!そんな強引に誘ったら迷惑だろ!…でもよかったら、ど、どうかな…?」

わっ!澪先輩だっ!近くでみるとかっこいいなぁ…。ドキドキする。
確かに軽音部の雰囲気は独特で、五人の絆が堅そうに見えるから、仲間に入りにくい雰囲気はある。

けれど…今日の私は、ひとりになりたくなかった。それに梓も憂もいるし、憧れの澪先輩と仲良くなれるチャンスだし…

「…純ちゃん、せっかくだしお邪魔しちゃわない?」

「そう…だね。お邪魔しても、いいですか?」

「もちろんだよ!」

そういって唯先輩は、ぱあっとあかるく笑った。
憂にそっくりな顔をしているのに、ちょっとだけ違う。憂の、安心感のあるやさしい笑顔とは違っていて…一瞬でみる人の心を一瞬で掴んでしまうような笑顔だった。梓や憂がこの人に夢中になる理由がわかる気がした。

私は恐る恐る音楽準備室にお邪魔した。

軽音部のお茶は本当に美味しい。
これまでもこれからも…こんなにおいしい紅茶を飲むことはないんじゃないか、というくらい…感動した。

もちろん、ケーキも抜群の味わい。こんなおいしいチーズケーキ食べれるなんて。ケーキ屋さんに行かなくても十分に元がとれた気分。

軽音部の先輩達は、よそ者である私がいても平常運転。なんら普段と変わる様子はない様子。
唯先輩と律先輩がふざけてじゃれあって、それを澪先輩と梓がたしなめて、それを見つめるムギ先輩と憂が微笑んでる。梓に聞いていた通りの軽音部だった。

こうして、美味しいケーキを食べてお茶を飲んで、楽しくおしゃべりして思い切り笑うと、嫌な気持ちがなくなって、すっと楽になっていくようだった。久しぶりに声をあげて笑った気がする。

…ところで。
聞いてはいたけれど、本当に練習しないんだな。ジャズ研では考えられない。
ただ、だからこそ私は助けられたんだと思う。そんなに無理しなくてもいいんだって。ときには息抜きも必要なんだって、教えてもらった気がした。

「おい、そろそろ練習…」

だらけムードにしびれを切らした澪先輩が、練習しようと言い出した。

「えーだってーお客さんがいるのに私たちだけ練習してたら悪いだろー」

「いや、だけど…」

「律先輩!憂と純をサボる言い訳にしないで下さい!」

「…あの、私たちちょっと長居しすぎちゃったしそろそろ…」

「あっ、そ、そういう意味で言ったんじゃないから!」

「わかってるよ、梓。でもホントに長くお邪魔してたし」

「じゃあさ!最後に私たちの演奏、聴いていってよ!」

軽音部の…演奏……

〜♪♪♪♪♪〜


軽音部の演奏は、技術的に言えばジャズ研の先輩たちより劣ると思う。もしかしたら私自身ともそれほど差がないかもしれない。
なのに、ジャズ研の先輩たちの音とは違っているけれど、凄く魅力的で、今の私に心にとても響いた。

なんでだろう。

どうしてなんだろう?

いつも疑問に思っていた。

あんまり練習しない軽音部が、なんで本番になるとあんなにいい演奏をするのだろう。
一生懸命練習してもうまくなれない自分からしてみると、そんな軽音部が悔しくて、許せなく思うこともあった。

けれど。

今日はじめて、軽音部にお邪魔して、一緒にお茶して、それから演奏を聴いて…わかった気がする。なんで軽音部が不思議にいい演奏するのか。

この人たちは音楽をすごく楽しんでる。
音楽が大好きで、一緒に演奏する仲間が大好きで…今を楽しむその「好きさ」が溢れているから聴く人の心に響くじゃないかって。そう思った。

私に欠けているものを持っている人たち、私が忘れていたことを思い出させてくれた演奏。

「私…今からジャズ研行ってきます!」

「えっ!練習休みじゃ…」

「いいの!なんかみなさんの演奏聴いてたら、私もベース弾きたくなったのっ!」

私は勢いよく音楽準備室を飛び出すと、駆け足で部室に向かった。

私、音楽が好きなんだ。どんなにしんどくてもやっぱりベースを嫌いになんてなれない。

私、音楽が好きなんだ。後輩に憧れられるようなかっこいい先輩にはなれないかもしれないけど、ベースを弾くのはすっごく楽しい。

私、音楽が好きなんだ。せっかく同じ部に入った仲間たちと一緒に、演奏…したいんだ…。


ジャズ研の部室の扉の前にたどり着くと、一度深呼吸をする。そして私は勢いよく扉を開けた。

「すみませんっ!遅くなりましたっ!」

「…純、遅い。遅れた分は居残り練習で取り戻しなさいよ」

「はいっ!今日もよろしくお願いしますっ!」

遅れてやってきたくせに満面の笑顔で元気いっぱいの私。
先輩がそれを見て、何を思ったのかはわからない。口角をあげてフッと笑うとプイとむこうを向いてしまった。

まあいいよ。居残りさせてくれるなんて願ってもないことだしね。大好きなベースを少しでも長く弾いてられるのだもんっ!

「純ちゃん、元気出たみたいだね」

「…まったくもぅ。世話が焼けるんだから」

「あれ?そんなこと言って。純ちゃんの様子がおかしいってメールくれたの、梓ちゃんじゃない?」

「ま、まぁ純はだいじな友達だから…」モゴモゴ

「フフ…そういえばチーズケーキ美味しかったね。また食べたいよ」

「じゃあ次は純も誘って三人でお店に行こうよ」

「そうしよっか。じゃあ私、純ちゃんにメールしておくね」

「うん、よろしくね。憂」



おしまいです。


あとがき



最終更新:2014年04月10日 13:16