音楽室は静かだった。
今日は学校が休みだからだ。
普段は校舎に溢れている生徒たちの声はなく、校庭などで部活動を行う生徒の姿もない。
広い校内にいるのは、管理会社の守衛と用務員が一人ずつ、当直の二人と仕事を片付けにきた教師が一人の五人だけだった。
夜以外にも、たとえ天気の良い昼間であっても、一年間の中にはときどきこんな日がある。
ただ、風もなく湿度も気温も穏やかな日——感覚が静けさを感じる以外に割かれない日というのは珍しいかもしれない。
学校が本当に静かな日。
静まり返った校舎の中には、無音が微かに微かに響いている。
それは、記憶の音の残響だ。
かつて鳴った音の記憶が、周囲に、或いは自身の身体の内側に、粒子のようにちらばり、その小さな小さなものを手ですくいとり、かき集めることで、ようやく聞こえる音。
彼女は一人、音楽室にいて、久方ぶりに聴く、その静かな無音の響きに耳をすましていた。
音楽室は静かだった。
今日は学校が休みだからだ。
普段は校舎に溢れている生徒たちの声はなく、校庭などで部活動を行う生徒の姿もない。
だから、隣の音楽準備室からは何も聴こえてこない。
もちろん紅茶の香りもお菓子の甘い匂いも鼻をくすぐりはしない。
そもそも、それらの記憶の残滓が残っているとすれば、ここではない。
しかし、彼女は音楽室にいた。
音楽準備室にいれば、きっと別のものに紛れてしまうだろうから。
壁を一枚隔てた方が、自分が望むものがはっきりとするはずだから。
どちらにせよ、彼女が聞きたいものも、嗅ぎたいものも、既に過ぎてしまった3月を隔てて、より遠くにあるのだ。
彼女は自分の中にある記憶を探り、ピアノの蓋を開け、白い鍵盤をゆっくりと3つ、順番に押す。
ミ、ド、ミ
——こうするとね、私の名前を呼んでくれるの。
嬉しそうに話してくれたあの子はもういない。
この音の響きも、すぐに消えてしまう。
ただ、それでも彼女はもう一度、同じように鍵盤を弾いた。
あぁ、思い出した。
——の呼ばれ方と同じ。
——一緒だね。
ミードーミ
音が奏でる名前は五文字。
——それじゃ他の子とも一緒じゃない。
——ううん、三文字から五文字なのはね、私とね、
——梓ちゃんのあだ名をいれて三人かしら。
——もうっ!
怒った顔もちゃんと覚えている。
思い出した、なんて嘘だ。
ちゃんと覚えている。
だから、繰り返す。
名前を呼ぶ。
ミ、ド、ミ
おわり。
最終更新:2014年05月25日 22:23