この部屋も、ついさっきまでは賑わっていた。
今や残されたのは、部屋の主である私と、床に転がっている唯だけだ。
箪笥から、この時期にしては頼りない、タオルケットを取り出す。
そうだ、打ち上げだ。
私たちは二年目の学園祭を成功させ、その打ち上げだといって、
多くのものをここに持ち込み、さっきまで騒ぎ合っていたのだ。
初めに潰れてしまったのは、唯だった。
周りの喧しい盛り上がりにも拘わらず、
唯は気持ちよさそうに寝息を立てていた。
それは、ついに打ち上げが終わりを告げても、そのままだった。
あいつらは言った、私を唯の保護者だろうと。
だから言い返した、そんなものになった覚えはないと。
しかし、この状態では部屋に帰すこともままならないと、
私はしぶしぶ、唯をここに泊めることを承諾したのだ。
取り出したタオルケットを、唯の身体に被せてやる。
まだ周囲に温かさが残っている気がした。
身体がすっかり隠れたことを確認した私は、自分のベッドに潜り込んだ。
「晶ちゃん」
背中側から声が聞こえる。振り向くと、唯がこちらを見ていた。
「ありがとねえ」
「礼はいいから、寝てろ。てかお前、そんな酒に弱かったのか」
唯は視線をふっと逸らした。
「ねえ、晶ちゃん」
「なんだ」
「恋をするって、どういうことかな?」
「いきなりどうした。わかんねえよ」
「えっちしたいと思うことなのかな」
思いがけない言葉に、吹き出してしまう。
唯は、躊躇うような様子ひとつ見せていない。
「お前、相当酔ってるだろ」
「じゃないとこんな話できないよ」
唯は困ったように、くしゃりと笑う。
なんとなく恥ずかしくなって、天井のほうへ顔を向けた。
「さわりたいとか、さわられたいって思うのかな」
「そうなんじゃねえの」
「晶ちゃんはそうなんだ」
「るっせ」
「ごめんね」
「なんだよ本気で謝るなよ、気持ち悪い」
「気持ち悪いのかなぁ」
くしゃみをした。洟を啜る音が聞こえる。
「私ね、女の子が好きなんだ」
「はっ?」
「さわりたいし、さわられたい——もっといえば、セックスだってしたい。そういう意味の好き」
面食らったといえば、確かに面食らった。
とはいえ、なにかを深く考える余裕もなかった。
私は素直に思ったことを、そのまま零す。
「お前ってそっちだったんだな」
「気持ち悪い?」
「別に」
「本当に?」
「そうやって弱気でいられる方が、お前らしくなくてかえって気持ち悪い。
お前はお前でいろ」
「ありがと、晶ちゃん」
沈黙が下りる。途切れてしまった。
酔った唯はよくわからない。寝たのかと思った。
「晶ちゃんは初恋を覚えてる?」
また唐突に、唯は質問を投げかけてきた。
投げやりに答える。
「初恋もなにも、さっき一年ぶりの失恋をしたばっかだよ」
「あらま」
「ふん」
鼻を鳴らす。ごめんごめんと、小さな声が聞こえた。
「私の初恋の相手はね、女の子だったの」
「だろうな」
淀むこともなく、自然と出てきた言葉だった。
「大好きだった」
「いつの話だ」
「自覚したのは高校——多分、三年生のとき」
「ふぅん」
「その子に、もっとくっついていたかった」
「誰かれ構わずくっついてまわってるだろ、お前」
「足りないもん」
少し声が高くなった。ふと、さっきの話を思い出す。
「恋してるからか?」
「そうなのかな」
「そうなんじゃないか」
「あのね、ほんとのことを言うとね」
寝転がったまま、唯は両手を天井に向けて上げた。
「全部をさらけだして——、その露わになった背中に腕をまわしたい。
二人の乳房がつぶれちゃうぐらい、くっつきあいたい。——溶けちゃうぐらいに」
「お前そんなこと思ってるのかよ」
「恋しちゃった人にだけだよ」
「そうかいそうかい」
「だけ、なんだよ」
しつこいぐらい繰り返し、唯はそれを言い聞かせた。
しかしそれは、わざとらしく咳払いをすると、ぴたりと止まった。
そろそろ寝ようかと思った。
「その子と一回だけ寝たの」
飛び起きた。唯は天井を見つめて、こちらを一つも見ていなかった。
両手は、だらしなく下ろされている。
「私が汚らしい——あの時はただ必死なだけだったんだけど、
あとから考えると、そう思えるような——頼み方をしてね」
「その話を聞いて私は、なんて返せばいいんだよ」
つい口調が荒っぽくなる。唯は申し訳なさそうに笑った。
「素直に思ったことを言ってみてよ」
「そうか。じゃあ、どうだった」
「最悪だった」
そうだろうな、と思った。
「やっぱり、って思う?」
「まあ」
「だよね」
「じゃあ、なんでしたんだよ」
「初恋だったから」
「は?」
「子供っぽい意地みたいな、そんなものだよ」
「ハジメテは初恋の人がいい、ってか」
半分、冷笑を含めた声で、私は言った。
はっとなって、口元を押さえる。しかし、唯は意にも介していなかった。
「それが叶えば満たされる、とか」
「それで」
「からっぽだった。ぜんぶ」
「そうなんだろうな」
こんなことを話しているときでも、唯の声は一つも震えていなかった。
酔っているから——というだけでは説明できない、
もっと深く、暗くて冷たいものが、奥底で渦巻いているように感じる。
今の唯の声は、気味の悪いぐらい重みがなく、空虚だ。
「初恋とか、ハジメテがその人なのとか、一つも意味ないんだって」
「それだけじゃな」
「わかりきってたんだ。でも、そこには私も知らないものがあるんだって、
子供くさく、信じて疑わなくってさ」
「で、結局」
からっぽだった。唯は天井を見つめたまま、さっきからこちらに一つも見向きしない。
私は再びベッドに身体を潜り込ませる。疲労感がどっと押し寄せる。
天井を映している私の視界が、次第に狭まっていく。
「どう思う?」
「そんなことしたお前を、か?」
「うん」
「大馬鹿だな」
この会話の中で一番大きな笑い声が、唯の口から出された。
「もう終わりにしないとね」
「何度もあったのか、こんなこと」
「ううん。寝たのは一回だけ、それっきりだよ」
「じゃあなにを終わりにするんだよ」
「なんだろうね」
もやもやとした。
言葉の端っこを捕まえようとした。
ふわりと煙のように消えてしまった。
空虚だ。
なにが面白いのだろう。
ちらりと、唯を見る。
どこか冷たく、息が詰まるほど静かだった。ぞっとした。
目を逸らした私の意識は、いとも簡単に、渦巻く睡魔に吸い込まれていった。
夢を見た。
一方は平坦な道が続き、もう一方はすぐそこで深い崖にぶつかる、分かれ道。
そこに唯は立っていた。
唯は一つ息を漏らし、崖へと続く道に穴を掘る。看板を立てる。
そうしてから崖のほうを一瞥すると、唯はもう一方の道を選んで進んだ。
看板にはこう書かれている。
<もうおしまい>。
唯が立ち去ったあとで、私はその看板に唾を吐いた。
おしまい
企画に出そうと思ったものの、別にエロくはないなと思って投下を渋ってたらこんな時期に
ありがとうございました
最終更新:2014年06月28日 23:02