ねぇ知ってる。

「なに」

一冊の 繰り返し読める本と
一人の 離れがたい恋人と
一人の 頼りになる友人と
一つの 忘れがたい思い出

この四つがあれば 人生はしあわせなんだって。

「ふぅん」

今のわたしって おまけの人生を生きてるのかも。

「なんだよ 急に」





しあわせなことは もうすべて むかしのはなし。はるか かなた。

朝 目が覚めたとき。ゆっくりと 瞼をひらく。

眩しくやさしく差しこむ光を感じて
一瞬 あのころに戻ったんじゃないか と思うことがあるけれど
そんなことはない。

あるわけがない。





むかし わたしが いたところは すべてが満ち足りていた。


でも

たのしいことも
うれしいことも しあわせなことも

ぜんぶ もう終わっちゃったのよ。



「今が そんなに辛いのか」

ううん。そういうんじゃない そういうんじゃないわ。
そばにあなたがいてくれるだけで わたし 救われているもの。

しあわせよ 今も。とっても。

「わたしだって そうだ」

ありがとう。
でも でもね。そう あの頃が しあわせすぎたのね。だからよ きっと。

「バカ」

なんで 過去には戻れないのかしら。

「バカ。バカバカ。バカなこと 言うな」

そうね。わたしって バカね。ごめんなさい。



思い出も いつか 全部忘れてしまうときがきたら どうなっちゃうのだろう。どうなって しまうのだろう。

もう だれも。みんなみんな忘れてしまったら それはなかったことになってしまうのだろうか。


ちょっとづつ。ね。みんな 忘れていっちゃうのよ。離れていっちゃうのよ。



スマートフォンのバイブレーション機能は 0時をまわってしばらくした今も

動く気配を見せていない。


歳を重ねることに 何の意味があるんだろう。
その日を迎えることに 何の意味があるんだろう。
誰からも忘れられてしまったその日に 何の意味があるんだろう。


なんのいみが あるんだろう。




「子供っぽいこと 言うな。みんな 前を向いていなきゃ 歩いていけないんだから」



前を向いていたって その先に光がなかったら 目を瞑っているのと 後ろを向いているのと 何も変わらないじゃない。

こころの中でひとり そう 呟く。



「わたし シャワー浴びてくる。とりあえず布団の中に入って目を瞑っていなよ。そうしたら きっと眠れるから」

うん。待ってる。

「待ってなくていいから。早く寝なよ」

わかった。


目を背けたまま 返事をする。



紅茶のカップを片付けると 布団に入って 目を瞑る。
しばらくそうしていたけれど やっぱり なかなか寝付けなかった。


紅茶を飲んだ せいかしら。


外の様子が気になって カーテンを開けた。雨はいつの間にか やんでいた。
けれども 雲に覆われて 月も 星も 見えなかった。



「あ 雨やんでる」

あれ もう あがったの。はやいね。

「言ったろ。シャワーだけにしたから」

そうだったね。

「私 雨って案外きらいじゃないかも」

わたしは きらい。

「そう 言うなよ」

だって 太陽も 月も 星も なんにも 見えないよ。

「いいよ。見えなくたって。なくなっちゃうわけじゃ ないんだから」

なくなってるかも しれないよ。

「いいよ なくなったって」

わたしは いや。かなしいもの。全部なくなっちゃうのは。

「そうだな。私だって悲しい。だけどさ。もしなくなっちゃっとしてもだよ。
 太陽も 月も 星も。昔 空の上に浮かんでいた事実までなくなったりは しないよ」

そうだと いいね。

「少なくとも私は忘れないよ。ずっと。ずっとな」

やさしいね。

「バカ。でも さすがにこれだけ雨が続くと お日様が恋しくなるな」

お日様。なくなってないかな。

「大丈夫。お日様も お月様も お星様も ちゃんとまた 空に浮かぶさ。
 さ。早く寝よう。私 髪の毛乾かしてくるな。ちょっとうるさくするけど ごめん」

ううん。いいよ 気にしないで。

そうして いつものように 左の手でそっと わたしの髪を撫でてくれた。





ありがとう。いつもやさしくしてくれて。
ごめんね。めんどくさい女で。





もう一度布団に入って 目を瞑る。

ドライヤーの音に混じって 鼻歌が聞こえてくる。



 『悩みも 迷いも とけて きっと 明日も 晴れますように』





ふいに 家計簿を付け忘れたことに気がついて 起き上がる。
灯りを付けないままに 窓際においてある机まで移動して すっと引き出しを開けた。
暗くても いつも同じところに入れているノートとペンは すぐに取り出せる。


使ってるよ 澪ちゃん。

ちゃんと インクも 補充してるんだから。



毎日ね 見つけてるよ。
毎日ね 思い出してるよ。



風が吹いて カーテンが揺れた。

雲が晴れて 半分と少し欠けた月が 姿を現す。

月の光が差し込んで
いま わたしが いるところ を
やわらかく 照らした。



おしまい


以上です。

むぎゅう、誕生日おめでとう。あなたの未来が幸多きものとなることを祈って。



最終更新:2014年07月02日 06:37