▼‐06


「そいつは不思議だね」

「でしょー?」


 部室で今朝の一部始終を話すと、Tちゃんは前屈みになりながら聞き入った。
 腕を組み、考え込む姿勢になった。しかし。


「わからん」

「だろうねえ」

「初めから期待されてなかったのか、わたしは」


 口を尖らせながら言う。わたしはTちゃんをなだめて、ため息をついた。


「はあ……とはいえ、わたしにも全然わからないんだよね」

「どうしたもんか。先輩はわかりますか?」


 すぐ近くに立っていたS先輩が面食らった顔をして、自分のことを指さす。
 Tちゃんはそれを見て頷いた。


「わたしにも見当つかないよ。というか、そんな話だけでわかるわけないっしょ」


 S先輩は肩を竦めた。
 ふと、あることに気づいた。A先輩が姿を見せていない。
 部室を見回しているとS先輩は、ああ、と声を漏らし、


「あいつなら今日は来てないよ。連絡もついてない」

「大丈夫なんですか?」

「さあ。部活終わったら家に直接行ってみるよ」


 この適当さも、仲の良さが為せる技だろうか。


「ところでさ、そのカメラで新しい写真が撮られてたんでしょ?
 どんな写真なのか見せてよ」

「これです」

「ふーん。なんだか、よくわからない写真だね。おっ、これこの前のじゃん」


 そう言ってから、別の作業をしていたN先輩の方へ振り向く。
 N先輩も視線に気づき、こちらへ顔を向ける。


「ああ、それ! 消してって言ったのに!」


 N先輩はまたこの前と同じように手を伸ばすが、
 カメラは高く持ち上げられ、やはり届かない。


「はいはい、落ち着いてねー。どうどう」

「わたしは馬じゃない!」


 先輩たちの微笑ましい掛け合いを眺めながら、わたしはまだ考えていた。
 どうにも腑に落ちない点が多い。
 無事に帰ってきたことは、喜ぶべきこと。
 だけれど、そこに漠然とした不安があることは、やっぱり否定できない。

 部活の作業も今日の分は一通り済んだので、解散となった。
 わたしは教科書を置き忘れていたことを思い出し、小走りで教室に向かっていた。
 扉を開くと、夕焼け色に染まった部屋に差す、人影があった。


「あれ、和ちゃん」

「あら島さん。どうしたの」


 真鍋和ちゃん。同じクラスの子で、赤いアンダーリムの眼鏡が特徴。
 見た目通りの秀才で、クラスの皆からは頼りにされている。
 生徒会にも入っていて、次期生徒会長は真鍋さんだと影で言われているとかいないとか。


「ちょっと忘れ物しちゃって」

「同じね、わたしもなのよ。島さんは部活が終わったあとかしら?」

「うん。写真部なんだ」

「じゃあ普段からカメラ持ち歩いてるとか?」

「勿論!」


 そう言って、自分のカメラを高々と持ち上げる。
 和ちゃんはそれを興味ありげな様子で見上げていた。


「ちょっと見てみる?」

「じゃあ少しだけ」


 カメラを操作し、今まで撮ってきた写真たちを見せる。
 和ちゃんの反応は簡素なものだったり、驚くほど関心を寄せるものだったり、
 思わず吹き出してしまったりと、意外なほどに多彩なものだった。


「色々な写真を撮っているのね」

「そうだね。被写体にこだわりを持つ人もいるけど、わたしはそうじゃないからなあ」

「でも、最近撮った写真たちかしら。ちょっと変わってる気がする」

「気づいた? あれはわたし以外の誰か知らない人が撮った写真なんだよ」

「えっ、どういうこと?」


 和ちゃんは、今度は不思議そうにカメラを見つめている。
 これは良い機会かもしれないと思い、和ちゃんの秀才っぷりにあやかろうと、
 わたしは昨日からの事の内容を、細かい点まで全て話しきった。


「なるほどね。で、誰が持ってきてくれたかわからないと」

「うん。ちょっと怖いんだ」

「そうでもないと思うわよ、これ」


 目を丸くした。今、和ちゃんはなんと言ったか。


「えっと、和ちゃん。誰が持ってきたか、わかったの?」

「そんなに難しい話じゃないと思うけれど」


 確かに和ちゃんの頭の良さには期待した。
 しかし、こんな一瞬でそんなことを言ってのけてしまうなんて。
 当事者のわたしが全くわからないというのに、
 一体どこから、和ちゃんはそれを導き出したのだろう。


  ▼‐07


 待たせている人がいるからということで、
 歩きながら和ちゃんの推測を話してもらうことになった。


「この件で不可解な点は、これにほぼ凝縮されるわね。
 “どうして島さんの家のポストに、カメラが入れられていたか”」

「あ、島さんじゃなくて、ちずる、でいいんだけど」

「あら、ごめんなさい――。交友範囲が狭いと、どうも距離感掴めなくて」


 その割には随分とマイペースな気がするけれど。とは言えなかった。


「それで、その不可解な点をどう解いていくの?」

「ああ、そうそう。この事実は、例えば“なんでちずるの家を知っていたか”とか、
 “何故このカメラがちずるのものだとわかったか”、
 “どうして直接渡さなかったか”という謎を含むわけよ」


 ふむふむ。


「他にも“新たに撮られた微妙な写真”があるけれど、
 これ以外の点は幾重にも重なって、多層的なモノなんだけれど――」


 話が長くなりそうだったので、手で先を制した。
 和ちゃんは、小説の影響を受けちゃってしょうがないわね、と苦笑を浮かべた。
 また話を再開する頃、わたしたちは階段の一段目に足をかけていた。


「じゃあ大前提として、このカメラからちずるの家を特定することは出来ない。
 このことから、届けてくれた人は“ちずるの家を知っている人物”ということで、間違いないわね」

「異論はないよ」

「さらに、これが“ちずるのカメラだとわかる人物”。
 見た目じゃ誰のカメラなんてわからないし、ちずるの写ってる写真もない」

「そこなんだよねえ」

「これをシンプルに考えるの。この写真を撮ったのが、ちずるだと知っているのは誰?」


 少し考え、すぐに答えが浮かぶ。


「“写真部”……?」

「そう。写真部なら、この写真を見ただけで――というか、
 下手したらカメラを見ただけでも、わかったんじゃないかしら」


 とっさに疑問を投げかける。


「いやその可能性は考えたんだけどさ。じゃあ、なんでポストに入れたの?
 そして、この不可解な写真たちはなに? こんな――」


 言葉を濁そうと思ったが、ここで遠慮しても仕方ないだろう。


「言ってしまえば、こんな雑な写真。
 いくら“悪ふざけ”でも、写真部の人たちなら撮らないと思うんだけど」

「そうね。この写真は、至って“真剣に”撮られてるものね」

「どういうこと?」


 反射的に出た言葉だった。
 わたしの言葉と正反対の言葉を和ちゃんは用いたのだ。
 話しながらだからか、歩く速度は随分と遅い。やっと二階に辿り着く。
 廊下を右に折れて進みながら、和ちゃんは話を進めていった。
 カメラは和ちゃんの手によって操作されている。


「なにも感じなかったかしら。特に、この猫の写真とか。
 家の写真もそうね。あと、電車の写真もそういえばそうなのかも」

「ど、どういうこと?」

「これらの写真の共通点よ。電車はちょっとわかりにくいかもね。
 でも残り二つ、猫と家の二つの写真の共通点だけで十分よ」

「うーん」

「猫の写真。これ、随分と至近距離から撮られてるわ。
 これだけ近寄るためにわたしたちは、随分と低い姿勢にならないといけないわよね」


 少しひっかかる言い方だ。考えてみる。
 これだけ近づくということは、例えば雑誌かテレビかの猫特集でなければ、
 つまり一般人がやったら、奇異の目で見られることは避けられない。
 和ちゃんの言葉が頭の中で繰り返される。
 “わたしたちは、随分と低い姿勢にならないといけないわよね”。――頭の中で、なにかが弾けた。


「そうか……これ、“ちっちゃい子供”が撮ってるんだ」

「そう。猫にいとも容易く、周りの目を気にせず近づける。
 家を撮ろうとしても、すぐそこの生垣が写真に映り込んでしまう。
 電車の写真、これに迫力を感じたのは、いつもより大きく感じるから。

 これらは全て、“撮影者の背が低い”ことを示しているの」


 素直に納得した。だが、そうすると新しい疑問点が出てくる。


「写真部にはそんなちびっ子はいないよ?
 いや、というか猫に近づいて不審がられない高校生って……」


 しずかのことが思い浮かんだが、流石にこの場で出す話題じゃない。


「そうでしょうね。だから一つ、ここで聞いてみるわ。
 部内に、弟か妹のいる人はいないかしら?」


 なるほど。例えばカメラを拾った人が、その誰かの弟か妹で。
 さらに、わたしのカメラを弟や妹が持っていることに、その誰かが気づいたのなら。
 それをわたしに届けてくれるのは、至って自然なことなんじゃないだろうか。


「さて、残る疑問はどうして直接渡してくれなかったのか、だけど。
 部員の中で、どうしても今日会えないような人はいた?」

「先輩の一人が来てなかったよ、そういえば」


 まさかA先輩が、と思ったが、わたしは首を振った。


「でもあの先輩には弟も妹もいないよ」

「じゃあ他にいる人は?」

「一人先輩にいるけど、今日普通に部活で会ったし」

「その先輩、なにか面白い特徴とか持ってない?
 さっき話してくれてたじゃない」


 面白い特徴というと、少し失礼な気はする。
 とはいえ、確かにこれは面白い特徴に入ってしまうのだろうか。


「確かに凄いアナログ人間で、デジタル機器の操作は出来ないけれどさ」


 自分でそう言ってから、はっとした。わたしの中で、またなにかが弾けた。
 今、とても重要なことを言った気がしている。和ちゃんは満ち足りた顔をしていた。
 三階に上る階段に足をかけた。


「ちずるは自分の部屋、他の人に見せたいと思う?」


 唐突な質問だったけれど、わたしはすぐに答えた。


「絶対嫌だ。散らかってるもん」

「それじゃ、この事件は解決ね」


 そう言って、和ちゃんはカメラを操作し、ある一枚の写真を示してきた。
 ああ、なるほど。そういうことかと、笑いが徐々に込み上げてきた。


「……なーんだ。あははっ」


 可笑しくなって、つい笑いだしてしまった。
 和ちゃんも釣られて笑みを浮かべる。
 そりゃそうだ。こんな部屋、誰にも知られたくない。
 それは散らかった――衣服が床一面に広がり、テーブルの上には写真立てやハードカバーの本、
 携帯電話に絡まったイヤホン等々の小物が散らばった――部屋なのだ。


「きっと弟さんが撮ってしまったんでしょうね。
 先輩としては恥ずかしくて恥ずかしくて、これを削除してしまいたかった。
 ところが先輩は削除の仕方がわからない」

「困った困った」

「だから先輩は考えた。これはわたしの部屋じゃないということにしよう。
 黙っていれば、誰にもバレることは無いってね」

「そこで黙ってポストに投函したわけだ」

「以上がわたしの推測よ。どう?」


 気持ちよく頷き、ささやかな拍手を送った。
 こんなくだらない話に付き合ってくれてありがとう、と。
 しかしなかなか笑えるお話だ。先輩には悪いけれど。
 先輩。やっぱり弟さんが成長する前に、自分でデジタル機器の操作を学んだ方がいいですよ。
 または部屋を片付けましょう。


「その写真、消してあげなさいよ。先輩だって見られたくなかったんだから」

「わかったよ。先輩が必死に隠したかったものだもんね」


 わたしはカメラを操作し、そのデータを削除するボタンを押す。
 はいといいえの二択が現れる。迷わず、はいを選択。
 こうして先輩の恥ずかしい写真は跡形もなく、闇に葬られたのだ。


「それじゃ、ここで」


 そういって三階に上り切った和ちゃんは、音楽準備室の中へと入っていった。
 わたしはその背中が完全に見えなくなるまで、ずっと見送っていた。
 あとで先輩本人に確認を取ったところ、見事和ちゃんの推測通りだった。
 和ちゃんの推理は寸分の狂いなく、正解を射抜いていたのだ。

 満足していた。これで全ての曇りは晴らされた――はずだった。
 先輩に確認を取った日からも、時々わたしは思い出すのだ。
 あの時の、写真を確認していた和ちゃんはどこか、奇妙な“真剣さ”があった気がする。
 さらに、頭の中で繰り返される、最後に言われた言葉。
 あの言葉からも同様の“真剣さ”を感じられたような気がするのだ。


 第二章「灯台フォトグラフィ」‐完‐



最終更新:2014年07月05日 20:11