満天の星が降る、夏の夜。見上げた先に、天の川。夏の大三角形。
「澪が言ってたんだけど」
「ホントの七夕は八月なんだってな」
「ふーん」
「本来は旧暦に合わせるべきなんだと。ほら、実際の七月七日は梅雨じゃん。天の川見えないだろ」
「なるほどねぇ。確かに天の川、綺麗だね」
そういえば着替え、どうしよっかなー…ってぼんやり思った。
後先なーんも考えてなかった。
「しあわせだよね」
「うん?誰が?」
「織姫と彦星」
「なんでだよ。一年に一回しか逢えないんだぞ」
「しあわせだよ。だって、一年に一回だけでもゼッタイ逢える、って決まってるんだもん」
「そうか?毎日逢える方がいいじゃん」
「…そだね。……そうだよね。それに七夕の日が曇っちゃったら、逢えないしね」
唯が私の手をぎゅうっと強く握った。
「さみしいね」
「………いーや、もしかしたら」
ずっと夜空を見上げていた唯が、こちらを向いた。
「雲に隠れて見えないだけでさ、みんなにナイショでこっそり、ふたりだけで逢ってるかもしれないぞ〜?」
私も唯の方も向いた。深く澄んだ唯の瞳に映る、私の姿。
「……そうだね。そうだと、いいね。もしそうなら、すっごいしあわせなことだよ。うん」
「そうだな」
「うん……うん……」
唯は自分に言い聞かせるように、力強く頷いた。
「それに…なんだか
いまのわたしたちみたい」
「…そうだな」
ドン
ドンドン
ドドン
ドン
花火が打ち上げる音が聞こえた。
まだ花火大会やってるんだな。そういえば今日だったな。
同じ日の、同じ町の、ここからついちょっと先で行われているはずの出来事が、遠い国の、遠い過去か未来か、どうか自分たちと全く別の世界で起こっている出来事のように思えた。
私と唯。
まるで私たち二人だけが、別の世界に、二人だけの世界に紛れ込んでしまったみたいだった。
「花火、見られてよかったね。あずにゃん達もどこかでこの花火見てるかな」
私たちは同じ世界にいる。
別々の世界に別れ別れになっているような気がしても、同じ空の下、私たちはつながっている。私と唯が今、ここから見上げた花火を、澪やムギや梓も、どこか別の場所で、きっと見ているに違いない。
「それぞれみんな離れたところにいてもさ。同じ空が見上げてる、って思うと、嬉しいよね。つながってるような気がする、っていうか…離れててもいっしょにいる、っていうか…。う〜ん、なかなかうまく言えないんだけど」
「…だな」
「みんなもそう思ってくれてるといいなぁ」
私だってうまくいえやしないけど、たぶん今私が考えてることと唯が考えてることは結構近いと思うぞ。きっと他の三人だってそうだ……と、思いたい。
「りっちゃん」
「なんだ、唯」
「ありがとね」
「いいってことよ」
「私をけいおん部に誘ってくれて」
「え、なに?そこ?いま、いきなり??今日のことじゃないのかよ」
「あ、いや勿論今日のこともありがとね!…でもけいおん部に誘ってくれたことはもっと感謝してるんだ。
だって、りっちゃんが無理矢理にでも誘ってくれなきゃ、私、けいおん部に入ってなかったもん。
今日も、今までも、これだけ楽しいのは、りっちゃんのおかげだよ」
「私だけじゃないだろ?」
「もちろん、澪ちゃん、ムギちゃん、あずにゃん、さわちゃんのおかげでもあるけど…でもね」
私の瞳を見据えて唯は言った。
ドン
「りっちゃんに一番感謝してる。全部全部…私にとっての『たのしい』のはじまりは、りっちゃんだったから。りっちゃんのおかげだよ。ありがとう」
大輪の花火が夜空に咲いた。
「…よ、よせやい!きもちわりぃ!」
「き、きもちわるい…」
唯の『たのしい』が始まりが私、か。
でも私だって、唯からいっぱいいーーーーーっっぱい『たのしい』をもらってるぞ。
そのことをすっごく感謝してる、唯と出逢えてよかったって思ってる。
それを伝えようと思ったけれど、なんだか恥ずかしくって。唯の目を見てらんなくて、私は顔を真っ赤にしたまま、また目を逸らしてしまった。
「あ、悪い、ヘンな意味じゃ…そ、それに楽しいのは今日や今までだけじゃないぞー!明日もこれからも楽しくしないとな!」
「そうだ、ね」
「そうだぞ。二学期は学祭ライブがあるからな!高校生活最後のライブだぞ、頑張ろうな!」
「うん。がんばろうね」
そういうと唯はいきなりぎゅっと抱きついてきて、私の身体をつよくつよく抱きしめた。
突然のことに私はどうしていいのかわからなかったけれど、長くプールに浸かっていて大分と冷えていた身体が、奥の方からカーッと熱くなっていくのがわかった。
唯の胸の心音が、どくんどくんと聞こえてくる。
きっと私の心音も、唯に聞こえてる。
夜空には、どぉんどぉんと響く、打ち上げ花火。
「ありがとうの言葉だけじゃ、伝わらない気がしたから」
ふっと唯の力が揺るんで、両手が私の身体から離れた。
私は、唯を抱き返せなかった。
もし二人がつよく互いを抱きしめ合ったら。
暗い夜の水の中、二人の居場所だけを月の光に照らし続けたら。
二人そのまま、心と身体も溶けて一つになっちゃったかもしれない。
「りっちゃん、私、もう行くね」
「…あ、も、もう上がるのか。じゃあ私も…」
「ううん。私、先に行くから」
「え、なんだよ。急に」
「私のキャリーバッグの中に着替えが入ってるから使って。たぶんサイズおんなじくらいだから問題ないと思う。ついでにバッグをもあげる!持って帰ってくれると助かるな」
「お、おい!唯は着替えどーすんだよ…」
「私は浴衣着て帰る。濡れてないから大丈夫」
「いや、浴衣が濡れてなくても身体は濡れてるだろ!」
「ダイジョブダイジョブ……あ、それとバッグの中に小さい箱が入ってると思うんだけど、その箱は明日になるまでゼッタイに開けちゃダメだよ。でも明日になったら必ず開けてね!約束だよ!」
「なぁんだよそれぇ〜。ややこしいなぁ…」
「いいから!約束!」
唯が小指を差し出して、私も小指を出して
「ゆーびきーりげーんま〜ん う〜そつーいたーらはーりせーんぼーんの〜〜ばすっ ゆぅびきった!」
指切りを終えると、唯はそのまま泳いでいき、プールサイドに上がった。
月の光に照らされながらこちらを振り向いて唯は言った。
「今度逢えるの 二学期だね 楽しみだね」
月明かりが眩しくて、唯の顔はよく見えなかったのだけれど、きっと笑っていたと思う。
そうして唯は、目映い光の中を消えていった。
もうひとつの夜空にも月が浮かんでいて、水面が揺れるのに合わせてぐにゃぐにゃと形を変えていた。
☆
唯から預かったキャリーバッグをガラガラと引きずりながら、私は通学路を自宅に向いて歩いていた。
幸いにして夜の学校に侵入した件は、誰にもバレていないようだった。
「おい、律!」
聞き馴染んだ声だなと思って振り向くと、澪だった。
ムギと梓もいっしょにいる。
「お前、どこ行ってたんだよ!」
「ああ、悪い…」
「心配してたんですよ!約束の時間になっても来ないし、連絡は取れないし…」
「ケータイ忘れちゃってさ…」
「まったく…唯といい律といい…」
「…っと、唯…も、もしかして来てなかったのか?」
私は人ごとのように聞いた。
「ああ…待ち合わせの時間ちょっと前にメールが来てな。夏風邪だって。通りで今日、様子がおかしいわけだよ」
「そ、そうか…心配だな」
なんだよ唯のヤツ。ケータイ持ってきてたんじゃないか…。
それにしてもいつの間にメールしてたんだろう。ずっと一緒にいたけれど、そんな様子はちっとも見られなかったはずだけど…
「りっちゃん、もしかしてひとりで隠れてケバブ食べてたんじゃ…」
「いんや。食べてねーよ」
「じゃあどこに行ってたんですか?」
「うん…まぁ…その、な」
『ふたりだけのヒミツ』と約束した以上、言わない方がいいだろう。
ムギと梓は随分気になっているようだったけれど、言い淀む私の様子を見て、澪は何か理由があるのだろうと察してくれたのか、あまり深くは追求してこなかった。鉄拳一発喰らったけど。
「ところでそっちは花火、ちゃんと見れたのか?」
「見ることは見れたんだけど…人が多くてぎゅうぎゅうだったせいではぐれちゃって…」
「花火見ながらお互い連絡取り合って、さっきやっと落ち合えたんです」
「人が多すぎてケバブ売り切れて食べられなかったの…」ショボン
そっか。みんな、なんだかんだちゃんと花火見れてたのか。
みんなそれぞれ別のところにいたって、同じ花火見てたんだな。
唯、やっぱり私たちけいおん部はつながってるぞ。みんな離れたところにいたって、同じ空を見てるんだ。唯にちゃんと教えてやらないとな。
そうそう、それと今日恥ずかしくって言えなかった感謝の言葉もいつかちゃんと言わないと…ぎゅうってやるのはちょっと無理かもだけど…。チャンスを見て、そのうち。
大体『今度逢えるの二学期』ってなんだよ、唯。明日は私の誕生日だからみんな集まろうって前々から言ってたじゃんか。まさかアイツ。忘れてるんじゃねーだろーな…もしそうなら寂しすぎるぞ!
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——————高校三年生、17歳の夏が終わりを迎えようとしていた。
それは、去年と、一昨年と、変わらない夏だと思っていた。
今日できなかったことは、明日やれるって思ってた。
昨日も、今日も、明日も、同じような毎日が続くと思ってた。
宿題?明日やるよ。練習?明日頑張るからさ。
でもそうじゃなかった。
この夏は、今、この時にしかないんだってこと。
もう二度と、巡ってこないんだってこと。
今日という日は二度とやってこないってこと。明日とは違う日だってこと。
その時伝えなきゃいけなかった言葉は、チャンスを逃せば二度と伝えられないかもしれないんだってこと。
そんなこと、気づきもしなかった。
一度きりの夏。17歳の夏。
10年経って、20年経って。
私は振り返るたびに、なんで、あのとき、ああしなかったのか。
なんで、あのとき、きちんと言葉にして伝えなかったのか。
なんで、あのとき、目を逸らしてしまったのか。
なんで、あのとき、抱き返さなかったのか。
もう一回、演奏しようって言われてそうしなかったのか。
無理にでも…海にいくべきだった。
ずっとずっと、後悔することになる。
なにが「今度逢えるの二学期」だよ。
嘘、つくなよ。
約束、破るなよ。
9月1日。
教室の一番隅、最後尾窓際の席は、空席のままだった。
チャイムが鳴り、さわちゃんが入ってきても、空席のままだった。
次の日も、その次の日も。
私たちが卒業するその日までずっと、空席のままだった。
それから今に至るまで、私は七夕の日が来るのを待ち続けている。
私の知らない、遠い国に行ってしまった織姫が、帰って来る日を待ち続けている。
もし、彼女が帰ってきたら。
天の川の向こうに彼女の姿が見えたら。
私は川を渡り、あの日、伝えられなかった言葉を伝えなきゃならない。
それからみんなでお茶をしよう。
ムギの持ってきたケーキを食べよう。
お茶は私が淹れる。部長直々に淹れる紅茶だぞ?ありがたく飲めよ〜。
私がバカな冗談言ったら、いつもみたいにちゃんと乗ってきてくれよ?
一緒に澪に叱られようぜ。
梓が怒り出す前に練習はじめよう。みんなで一緒に演奏しよう。
ドラム、まだ続けてるんだぞ。だからばっちりセッションできるぜ。
何の曲がいい?
ふわふわ?ふでペン?ホッチキス?
『冬の日』がいいか?あの日、口笛吹いてたもんな。
今なら大丈夫、恥ずかしがったりしない自信があるよ。
それから…それから…。
海に行こう。
行きたいって言ってたもんな。
もちろんふたりで。
澪にも、ムギにも、梓にもナイショで。誰にもナイショで。
誰もいないときに行こう。
海をひとり占め…いやふたり占めしよう。
たくさん泳いで疲れたら、夜の浜辺に寝そべって、花火を見よう。
静かな夜の海。
打ち上がる花火。
満天の星。
流れる天の川。
輝く月。
私の指には、あの日もらった指輪。
あの日と変わらない、私たち。
ちゃんと、覚えてるんだぞ。
そうして、私は待っている。
ずっと。今も。
………でもそれは、これから先の話。
このときの私は何も知らない大バカだった。
いつかそう遠くない未来、そうやって後悔することも知らず、夜空を見上げ月明かりに照らされて、ダラダラと歩く、17歳最後の夜。
満天の星が降り注いでいた、
17歳最後の夜。
私と唯が過ごした、最後の夜。
了
ここまでお読み頂いたみなさま、どうもありがとうございました。
このSSは「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」という映画を下敷きに書かせて頂きました。
ちょっと早いですが、りっちゃん誕生日おめでとう。
これからも元気いっぱい、明るく楽しいりっちゃんでいてね。
最終更新:2014年08月21日 06:28