……人間、時として無茶も必要なのだ。
 その無茶が人間を成長させてくれることもある。

 こうした論理を味方につけて、自分こそ正しいと叫ぶ者がいる。

 ああ、面倒くさい。
 わたしはそこそこ楽に生きていければいいのに……


 ――あれ、生きてる。
   無茶したけど、もしかしてわたし生きてるんじゃないか。


 面倒くさいけれど、はっと身体を起こす。
 傷はどこにもない。
 さっきのコマ送りの風景は、ただの錯覚だった。
 別に死ぬようなこともないのに、
 頭の中でそう勝手に認識されてしまったのか。

 他の四人も、頭や身体を擦りながら起きあがった。
 誰一人としてケガはしていない。
 ムギの言っていたことは、どうやら間違いじゃなかったようだ。


  *  *  *


律「スリル満点だったなぁ」

梓「死ぬかもしれなかったんですよ!?」

律「なんだ梓、お前はムギの言ってることを信じてなかったのか~?」

梓「い、いやだって、ムギ先輩だって適当なこと言ってるみたいでしたしっ!」

紬「わたしは本気だったのよ、梓ちゃん!」

梓「絶対嘘だ!!」

澪「と、とりあえず落ち着こうよ、梓。無事に降りることは出来たんだから」

唯「にしても高いねえ。普段使ってる机なのに」

澪「……本当だなあ。頂上が見えないし」

唯「なんか、靄がかかってるみたいだよね」

澪「それ、わたしも同じだ」

唯「本当に小さくなっちゃったんだね、わたしたち」


  *  *  *


 わたしたちの探検は広大な部室を出ることから始まり、
 今では外のジャングルに敢然と立ち向かっていた。
 恐らく、このジャングルらしきものも、
 校舎脇のすぐそこにある草むらか、花壇でしかないんだろうけど。

 どうやらわたしたちの身体は小さくなるにあたって、
 身体の大きさ以外にも色々な変化が起きているらしい。

 一つ目に、人間に視認されていないこと。

 気配を感じ取ったのか、こちらに視線を送られたことはあったが、
 それ以上の発見にまで至ったことはない。

 多少の身長差はあるが、おおよそ一・五センチ。
 さわちゃんのときも思ったけれど、
 大きさを考えれば、むしろ誰にも気づかれない方が不自然で、
 つまりこれは身体が小さくなった際の弊害なのかもしれない。

 二つ目に、視認されないだけでなく、声も届かないこと。

 どれだけ大きな声で叫んでみても、気づかれない。
 虫の喧しい鳴き声に掻き消されているのかもしれないけれど、
 それすらも小さくなってしまったわたしたちにはわからない。

 三つ目に、これは今わかったことである。

 言語レベルが身体の大きさに比例しているのか知らないが、
 今のわたしたちには、“動物や虫の言葉を理解できる”のだ。


 ――こんにちは。どちらへ行かれるのですか。


 話しかけてきたのはアリだった。


  *  *  *


澪「ひぃ、喋ったああああ!?」

蟻「貴方も喋っているではないですか」

澪「見えない聞こえない、見えない聞こえない……」

律「あ、えーと……こいつのことは放っておいてください」

梓「……アリ、ですよね……?」

律「まあ小さくなったんだし……言葉が通じてもおかしくはない……?」

蟻「そうだ、申し遅れました。わたしアリス女王家に仕える49号という者です」

唯「ありす?」

49「わたしどもの女王の名前です」

律(アリのアリス、ってダジャレかよ)

紬「わたしたちはちょっとお出かけに……ここの土地は初めてなもので。
 49号さんはどちらへ?」

49「ははあ、こんなときに散歩ですか。
 わたしは現在、周辺の土壌調査を行っているのです」

紬「土壌調査?」

49「はい。最近になって周辺の土壌汚染が深刻化しているようで、
 急遽調査を行うようになったのです」

49「既に他の種たちの中には、移住を検討している者たちもいます」

紬「だから“こんなときに散歩”なんですね」

49「失礼にあたったのであれば、謝罪いたします」

紬「汚染の原因は突き止めたんですか?」

49「いいえ。しかし、“唯一の知的生命体たるわたしども蟻”にかかれば、
 その原因を突き止めることもできましょう」


  *  *  *


 その言葉を聞いたわたしは、隣の梓と顔を見合わせた。
 澪は怖がって、全くそちらに顔を向けることができないでいた。
 それはそれとして、今の言葉。

 なるほどなるほど、アリは少なくともそう考えているということか。
 井の中のカワズならぬ、草の中のアリといったところだろうか。

 ただ、ここで真実を言ってしまうのは得策でない気がしていた。
 梓もわたしの考えに頷く。
 この考えは憐れみ故と、保身故のものだった。

 あくまで今のわたしたちは小人。そして武器をもたない。
 一方で49号と名乗ったアリの顎は、見るからに頑強で、
 噛まれれば無事で済まないことが明白だった。

 いくら地上七十センチから落下して無傷といっても、
 それは自分の体重が軽くなっているから無事なのであって、
 あれに噛まれればひとたまりもない。

 アリの尊厳を傷つけるのは、色々な意味で避けるべきだろう。

 49号は自身らがどれほど優れた発明をしてきたか、
 その生活環境や狩りの手法などを説明しつつ、
 深い草むらジャングルの案内をしてくれていた。

 少々煩いことには違いないが、
 右も左もわからない中に現れたガイドとしては、
 申し分ないともいえる。

 49号が突然足を止め、身をかがめた。
 わたしたちも釣られて姿勢を低くしていると、
 すぐそこの草陰から、黒いクモが八本の足をうごめかせながら現れた。

 澪が叫び声を上げそうなったので、急いで口を押さえる。
 しんとした緊張感の中、クモは周囲を見回している。
 やがてクモは、わたしたちに気づくことなく、草の向こうへと去っていった。

 やつらは天敵なんですよ。
 49号は胸を撫で下ろしながら、そう言った。


  *  *  *


49「貴方たちはニンゲンというのですか」

紬「ええ、聞いたことないですか?」

49「さあ……初めて聞きますね。どこか遠くの地に住んでおられるのですか?」

律「近くにもいるし、遠くにも沢山いるよ」

49「なんと……それはそれは……」

梓「……」

梓「人間はあれだけアリを見かけているのに、
 アリは人間を認識していないのでしょうか?」

澪「か、かもしれないなっ」

梓「わたしたちも、上の方は靄がかかってるみたいで見えませんし……、
 そういうことなのでしょうね、きっと」

澪「……」

梓「……澪先輩、まだ怖がってるんですか?」

澪「むしろ梓はもう慣れたのか……?」

梓「まあ、さすがに……」

澪「……わたしは頼りがいのある後輩を持ったよ」

律「お前も少しは頼りある先輩を演じてくれ……」

49「おや? ……おおっ!」

紬「どうしましたか?」

49「いえ、あれを発見しましてね!」

紬「あれは……アリの巣?」


  *  *  *


 目の前にあったのは、49号より小さな無数のアリが
 忙しなく出入りを繰り返している巣穴だった。

 それを見つけて49号は、不思議と高揚している様子だった。
 持て余しているかのように六本の足を乱雑に動かし、
 どうしたものかと頭を四方八方に回している。

 ムギが、その高揚ぶりの理由を尋ねる。
 49号は相変わらず落ち着きのない様子で、嬉々として叫んだ。


 ――候補です、候補!


 今度はわたしが、一体なんの候補なのかを尋ねた。


 ――ドレイに決まってるじゃないですか!


 49号は同じ調子で、確かにそう言い放った。


  *  *  *


律「ど、奴隷って……」

49「まあまだ決まったことじゃないですから、候補ですけどね。
 正式に決まれば、すぐにでも奴隷狩りが始まりますよ」

紬「あなたたちは、他のアリを奴隷にするんですか?」

49「そうですね。子育て、女王様の世話、掃除、エサ集め、なんでもやらせてますよ」

紬「どうして?」

49「どうして――、と申しますと?
 これは決まったことでありますので、特に理由はありませんが」

唯「悪いことしてるなって思ったりはしない……?」

49「はあ……よくわかりませんね。
 これはあくまで決まったことですので」

唯「そうなんだ……」

梓「……そういう種なんですよ、唯先輩」

唯「うん、わかってるんだけど……だけど……」

梓「……」

49「なにか困ったことでもありましたか?」

梓「いえ。ところで、土壌調査はどうなりましたか?」

49「そうですね、巣の移動を考えたほうがいいかもしれません」

49「そのためにも奴隷が必要なのですよ。
 いやあ、移住していなくて本当に助かりました」

唯「……やっぱりおかしいよ」

49「はい?」

律「お、おい唯……!」

唯「りっちゃん、わたしはね……
 アリのことに関わるのはおかしいかもしれないけど」

唯「でも、なんとなく、これを許しちゃいけない気がしてるの」

49「……なにをしているのですか?」

唯「……絶対、ここから先には行かせないよ!」


  *  *  *


 厄介なことになってきた。
 確かに奴隷にするなんて話、簡単に聞き流せるわけがない。

 こっちの都合で、勝手に面倒事を押し付けるなんて、
 相手からすればたまったものじゃない。

 だけれどあいつらはアリで、こっちは人間。
 他種族の習性に首を突っ込んだところで、一体なにになるんだ。

 しかし、唯は一切引こうとしていない。
 ここで引いてしまったら、なにかが終わると言わんがごとくの覚悟で、
 49号の前に立ちふさがっている。
 両手を大きく広げ、自らが壁のようになって。

 49号はため息を吐いた。顎をカチカチ鳴らしている。
 一方で、唯はなんの武器も持たず、身体は恐怖でがくがく震えていた。
 有利か不利かなんてものは、どう見ようと明白だった。

 49号が一歩唯に近づく。唯は一歩も下がらない。

 また一歩

    一歩

     一歩

      一歩

       一歩

        そして一歩。

 49号はついに、唯のすぐ目の前にたどり着く。
 唯は依然として両手を広げ、そこに立ち続けている。

 目に涙を溜めながらも、強く確固たる意思がそこに光る。
 わたしたちは一歩も動けずに、
 その光景をただ眺めていることしかできなかった。

 そして、49号の黒く頑強そうな顎が一杯に広がり、
 唯の身体をめがけて急接近する。

 もう、これ以上見れたものか!
 友人の危機にも拘わらず、わたしは目を逸らしてしまう。
 いいや、そんなことなんて誰であろうと見たくないとも!
 声にならない叫びが、喉の奥で渦巻いていた――






 ――――!








 一瞬だけ、強烈な光が辺り一帯を包み込んだ。
 そしていつの間にか、わたしの立っている場所には大きな影がかかっていた。
 原因を探ろうと、わたしはおろおろ視線を巡らせる。
 そして気がついた。

 唯が、元の大きさに戻っていたのである。


  *  *  *


唯「あれ」

唯「……戻ってる! やったー!」


 「――!」


唯「ん、なんだろう……って、りっちゃんたち!
 まだ小さいままなんだねえ」

唯「うわあ、あずにゃんちっちゃくてかわいい……持って帰りたいなあ」


 「――!!」


唯「あはは、怒ってる怒ってる」

唯「あっ。あの蟻さん、どこ行っちゃったんだろ。逃げられちゃった」

唯「……もう。次にあったら許さないからね」


  *  *  *


 ケーキを食べた量に比例しているのか。
 それとも体質によって効果に差があるのか。
 詳しいことはまだわからないけれど、今の事実は唯だけが大きいということ。
 そしてわたしたちは、その唯の掌に乗せられている。

 唯が一歩を刻むたびに尻から大きな振動が伝わり、転がりそうになる。

 冒険を十分に堪能し、盛大に疲れたわたしたちは、
 唯の手によって部室に戻ってきていた。
 床に下ろされると、まるでそのタイミングを待っていたかのように、
 あの眩い光が一瞬にして部室全体を真っ白に塗り上げた。

 次に気が付いたときには、わたしを含め全員が元の大きさに戻っていた。


 ――ごめんなさい!


 ムギは今回のことでひどく落ち込んでいるようだった。
 誕生日のサプライズで仕込んだつもりだったものが、
 わたしたちを怖い目に遭わせてしまったのだから、
 そうなってしまうのも無理はないだろう。

 ただ、わたしは素直に面白い体験をしたと感じている。
 それは他ではできない体験で、間違いなく世界でただ一つの誕生日プレゼントだ。

 澪は怖がりっぱなしだったけれど、梓はそこそこ面白かったと言ってくれた。
 唯も笑顔で答えた。楽しかったよ、と。
 ムギの表情はたちまちに晴れていった。

 しかし食べる度に小さくなるケーキでは、これ以上食べ進められない。

 机の上に並ぶ五つのケーキを惜しげそうに見ていると、
 ムギはなにか粉の入った容器を取り出し、それをケーキに振りかけた。
 どうやら例の砂糖の効用を抑える粉末らしい。
 琴吹グループのオーバーテクノロジーは天井知らずだ。

 あとはいつもの五人で、いつものように談笑をしながら、
 それなりに祝いの言葉を貰って、だらっとした空気のまま解散となった。



 帰り際、澪がぽつりと言葉を零した。
 あのとき、唯が言ったことを覚えているか、と。

 なんのことかわからなかったので問い返してみると、
 “次にあったら許さないからね”の、次の言葉とのことだった。
 よくそんなことを覚えているなあと感心しつつ、首を振った。
 澪は薄っすら笑みを浮かべ、肩を竦ませる。そして空を仰ぎ見た。

 空に浮かぶ雲の切れ間から、お日様が顔を覗かせる。
 地上へと差し込む僅かな光を、澪はじっと見つめているようだった。



 ――でも、次は誰なんだろう。



 澪は、そよ風にもかき消されそうなほどの声で、そう囁く。
 それが、あのとき唯の言った言葉だった。



 ところで――、














 ――あの砂糖の名前は、なんだっただろう。







最終更新:2014年08月21日 07:08