◆  ◆  ◆

 プラスチック製トレイの上に散らばった紙コップや
 シロップの入れ物や
 バイト募集の宣伝チラシなんかをゴミ箱に押し込めるのは
 なぜか名残惜しくって、

 トレイ置き場の近くで
 サカナクションの歌詞カードと まどマギのDVDを広げて
 何か語ってるカップルと目が合うのも
 ちょっと申し訳なくて、

 もたつきながら一階へ降りると
 レジのそばで私の分まで支度を済ませた澪の声がする。

 生返事で振り向いた先、
 手招いて指さしたケースのなかには
 ハッピーセットのおもちゃが並んでて、
  3番のゼンマイで走るハリネズミがかわいい
 なんて黒目をきらきらさせてるから、
  うちに着いたら買ってやるから
 なんて母親みたいな声で言ったら
「約束だからな」
 って念押しされた。

 いや、自分で買えって高校生。


 ほら、行くぞ、注文だと思われるから、
 なんて手を引こうとしたのに
 指先だけ触れたまま一歩も動けなかったのは、
 私だってここを立ち去るのが名残惜しかったから。

 あは、マックなんてどこにでもあるのに。
 私たち、どこ行っても変われやしない。

「ねえ律、来年またここに来ようよ」

「……その頃には、ハリネズミ売り切れてるよ」

 そうじゃないって、と澪を笑わせる私。

 でも澪は、
 ここが二人で来た一番遠いとこだから、って。
 ここが世界の果てだからって。

 そんなことをレジの近くで言うからこっちが恥ずかしくって
 とりあえず外出ようよ、
 って先にドアの向こうに歩み寄った。

 自動ドア、反応が遅くていらつく。
 外が明るくて消えかけてたガラスに映る自分の顔、
 開いたドアで分かれて一瞬で消える。
 顔にふれる外の風、思ってたよりも涼しいのがよかった。
 指二本ほどでつながってるあいつの手を引いてアスファルトに足を踏み出す。

 と、その足が空を踏んだ。

 よろける。
 手をついて掴まる場所もない、バランスを崩した私の脚は――


「……律。そこ段差あるよ」

 転ばなかった。
 手をくいっと引かれて、かろうじて立ってた。
 まだ寝ぼけてたのかな。
 あきれたため息とほほえみ、つられてにやける私。

「焦らないでいいよ」

「転ばないってば」

 はあ?と澪が聞き返す。

 あ、そうか。
 なんか聞き違えてた。
 なのに向こうは何か納得したみたいで、
 律はあぶなっかしいからな、とうなづいてみせた。
 まるでお母さんみたいで、別の意味で顔が熱くなりそう。

 先に出ようとしたら、それより先に手を引かれて、
 二人で名前も忘れた町のマックから外に出た。
 握りしめてたから、今度は転ばずに済んだ。


 夜遅くに着いた時は物珍しく見えた町並み、
 明るくなって見ればうちの近所と変わらない景色だった。

 ビジネスバッグを抱えた男が
 目の前を抜け、駅前のロータリーに向かう姿を目で追えば
 バス停から同じような格好で会社に急ぐ人たち、
 制服姿でカバンを背負った高校生も見える。

 道の反対側に見えるのは
 あの子たちの両親が出てきたスターバックスで、
 あれをエクセルシオールに変えて、
 数メートルおきのおしゃれな電灯もケヤキの街路樹に変えて、
 バス停前のバーミヤンと河合塾の代わりに
 松屋とシダックスを増やせば、ほとんど桜が丘駅前通りの出来上がりだ。

 歩道の隣に自転車用の道があるだけ、こっちの方が都会かもね。


「日本って、狭いな」

 早足の人たちにぶつからぬように、
 日陰の部分を選んで歩きながら言った。

「でも、こんな遠くまで来れた」

 澪がいう。

「変わんないじゃん、桜が丘と。なんかさ、ずっと掌の上だった」

「広がったよ、私の世界。
 これから先、マック見るたび、この場所のこと思い出せるよ」

 振り向いて指さした先、
 黄色いMの字と24時間営業の看板。
 狭いビルの3フロア、
 うちの駅前マックの方がまだ広そうで、
 正直言ってかなしくなるほどしょぼい。

「あのね、律。
 変わらないってことは、
 いつでも今日のことを思い出せる、って意味なんだ」


 つまり、発想の逆転だった。
 家に帰って
 お金とか 時間とか 受験や いろいろで
 自分の町から出られなくなったって、
 スタバやセブンイレブンやマクドナルドが思い出させてくれる。

 目に焼き付いた色をきっかけに、
 今いる場所のことを少しだけぼやかせば、
 今日や昨日やその前のことをきっと思い出せる。

 きっかけが足りなかったら、肌にでも触れればいい。
 水っぽくて甘ったるいコーヒーでも一口すすればいい。
 そしたらきっと、
 桜が丘に帰っても二人きりの旅が続けられる。
 二人の世界はこわれずに済む。

 そんな子供みたいな思いつき、誰かさんに似ていた。


「唯と連絡取ってたんだ。
 一昨日から、律がぼーっとしてる時とかに。
 さっきコンビニで、
 律のお母さんに借りた交通費を私の口座へ送ってもらった時も、
 ほんとは唯と少し話してた」

 全然知らなかった。
 私ら、やっぱ子供でしかなかったんだ。
 ちっと考えれば、
 警察沙汰になっててもおかしくなかったわけで。

「ううん、最初のキスしちゃったときの、
 いや、その前から唯が聞いてくれてたんだ」

 あは、まじかよ。


「あいつには頭があがんないな、しばらくは」

 ぼやいたら、ちょっと怒ったような声が返る。

「ムギや梓、みんなにもだろ。それにまず、お母さんたちと聡君」

 ……本当だよな。

 こいつは私ほど叱られなれてないだろうし、
 そもそも私が駆け落ちしたようなもんだし。
 駆け落ち? ひゅー。
 ばかいえ、そんなロマンチックなもんじゃなかっただろ。


 でも、と澪が立ち止まって付け加える。
 赤信号だった。

「町も空気も律も、変わっても変わらないものがちゃんとある。
 って実感できた。この旅で」

 横断歩道の向こうにそびえる駅ビルを眺めながら、
 あの子は口ずさむようにいった。


 想像力と体温がつきない限り、どこにだって行ける。
 それだけで、私、これからも生きていける。
 澪がいうのはそういうことらしい。

「だから、私はもう大丈夫。律も私も、二人とも大丈夫なんだ」

 最後にはっきりと付け加えた。

 遠くでバスが停車するブザーが聞こえて、
 青信号とともに無数の足音が広がって、
 頭の上で電線から鳥が滑空しだして、
 そよ風はまだ冷たくて、手の熱はあったかい。

 ここにいてよかった、ってこの瞬間ほんとに思えた。


 信号が青に変わった。
 隣からスーツの女性が一足先に歩き出す。
 続いて学ランの男子生徒たち。
 日傘を差した妊婦さんは、少し遅れて。

 私も渡ろうとしたとき、先に歩き出した澪が、ふっとつぶやく。

  長い寄り道だったな、 って。

 あいつはちょっと笑いをこらえてこわばった顔してたせいか、
 横顔の目元がやけに幼くて、
 六、七歳くらい年下の女の子みたいに一瞬見えた。


 ああ、そうだ。
 きょうも寄り道して帰るんだったっけ。


「なぁ澪、……いや。みおちゃん」

「んん? どしたの、りっちゃん」

 数十センチ先で私の手を引く澪が、
 後ろを振り返って、私をりっちゃんと呼んだ。
 みおちゃんは待っててくれてる。

 ポケットの中にはさっきのストロー袋。
 今なら私にだって、
 みおちゃんみたいに本当のことを言えそうな気がする。

「あのね、」

 大丈夫、これは嘘じゃないから。


「……だいすきっ!」


 あの子の返事を待った。
 ここから七年くらい経って本当の大人になっても、
 またこんな風に言えてたらいいなとか思ったりしながら、
 澪の返事を待った。


 そして澪が私にいうのがきこえた、


「……えへ。わたしも!」



おわり。


参考

Bloc Party - Sunday
 

ふくろうず - マシュマロ
 



最終更新:2014年08月31日 11:25