♪‐08


 わたしと砂原さんが待ち伏せていたのは、
 迷子センター兼遺失物預かり所兼その他雑務引き受け所兼事務所、
 つまりは事務所から少しだけ離れた場所だった。

 そこに向かう人が一度に確認できるポイント。
 わたしたちが待っている人物は勿論、例の迷子だ。
 砂原さんは言う。


「一度目のアナウンスでは、焼きそばとかを食べきれていなかったから戻れなかったけど、
 これぐらい時間が経てば、さすがに親の元に戻ろうとするでしょ?」


 息を潜めて見守っていると、例の迷子と思われる子供が、
 事務所に向かって歩いているのが見えた。
 なぜ子供というだけで、現在捜している迷子だとわかったのか。

 砂原さんは呟いた。


「やっぱりあの子は“狐面を捨てていなかったね”」


 そう、その事務所に向かっている子供は狐面を被っていたのだ。
 紛れもなく、あの白をベースにした和風で不気味な――おや。

 なにか違和感を感じる。

 砂原さんの持つ狐面と見比べ、すぐに違和感の正体を見つけ出した。
 右上にある、“金色の塗りつぶしがない”。

 わたしは砂原さんの策に賭け金を置くと言った。
 現にそれが、大きなリターンとなって眼前に迫っているのなら。
 わたしはそのリターンをまた全てこれに賭けてしまおうじゃないか。

 唯――唯は自分のことを、どれだけ賭けてきたのだろう。

 あの周りを巻き込む幸福感は、なにを信じて得たものだろう。
 踏み出す勇気か。止まらぬ覚悟か。周りの全てか。
 テスト用紙が貼りだされた時、わたしに相談にきた唯の中にあったものは。
 そして、それを一番身近に見ていたのは誰なのか。

 いまこそ、その時だ。

 わたしは子供の前に仁王立ちし、行く手を遮った。
 不審そうにわたしを見上げる子供の顔に向かって、わたしは言い放った。


「逃げることはできないぞ」

「な、なんだよ……」


 砂原さんの持つ狐面を指さす。
 たちまち子供の顔がさあっと青ざめていった。


「既に言い逃れのための偽仮面は、こちらで回収した。
 いま事務所に向かったところで無駄だ。
 わたしたちはこれをお母さんには見せないし、一切を隠し通す」

「うっ、うっ……」

「教えてもらうよ。もう一人の小さな犯人のことも」

「ううううっ……!」


 そう、これは――



 ――立派な脅迫である。



 あれだけ暑苦しい言葉を並べておきながら、小さい子供に対してこれである。
 ほら、正義の味方も時には手段を選ばないというじゃないか。
 要はそれと一緒で、いざというときは脅迫という手段も辞さないという、その、
 そういうアレなんだ。

 砂原さんの冷たい視線が痛い。


「ま、まあ待って砂原さん。そんな視線を向けるにはまだ早い」

「十分だと思うけど」


 じとーっとこちらを見ている砂原さん。怖いってば。
 ところでこの子供――便宜上、迷子君だからM君と呼ぼうか。
 M君は俯いて、時折しゃくり声を上げていた。


「あー……ところでM君」

「M君って誰だよ……」


 しまった、心の中だけで使おうとした呼称が。
 とりあえず名前をしっかり聞いた上で、質問を加える。


「その狐面には金色の塗りつぶしがないみたいだね」

「なんだ、塗りつぶしって……」

「これだよ」


 自分たちの持っている狐面の右上を指さす。
 M君(心の中では意地で使い続ける呼称)は明らかに訝しんでいた。
 知らない様子だ。しかし、それはそれで妙でもある。


「知らないんだね」

「うん」

「じゃあつまり、君のお友達が勝手に塗ったということだ」

「そう、なのかな……」

「お友達はこういうことを黙っているような仲?」

「そんなことない! あいつは、俺の一番の友達だ!」


 尋問、誘導、そして自白。基本的なスキルである。
 これで大体の構造が見えてきた。だからその眼はもうやめて砂原さん。

 とぼとぼ歩くM君に連れられ、もう一人の犯人――M君の親友のもとにつく。
 落胆した様子のM君と、もう一つの狐面を持っているわたしたちを見て、
 多くのことを察したのか、その親友君も血の気が引いているようだった。

 話はこうだった。

 引っ越しが突然決まってしまったM君と、
 最後の思い出を作りたい親友君。
 しかしM君のことを探していたあの女性は、
 お祭りで色々買ってくれるような人ではなく、とても厳格な人物なのだそう。
 そんなことでは最後に満足のいく思い出も作れない。

 ということで、親友君はこの窃盗を提案したのだ。
 初めは乗り気でなかったM君。
 親友君は、自分はこの自分のお面を被って行動するからバレない、
 バレたとしてもお前のことはなにも言わない、と言った。

 するとM君も、やはり子供ながらお祭りを存分に楽しんでみたかったのだろう、
 協力する気になっていた。
 ただしそれは、条件付きのものだった。

 自分の作ったもう一つの狐面を被ること。
 そうすれば手作り狐面を被った人物が会場内に二人いることになり、
 もし狐面を被った人物を探すことになっても、
 操作の手を撹乱することができると睨んだそうだ。

 狐面ということで、まず自分に疑いがかかる。
 手作りの狐面を気に入っているというのは本当の話なのだ、そうなって当然だろう。
 そこでもう片方の狐面を捨てて、それが犯人のものだとすれば、M君は助かる。
 親友君は初めから疑いもかからない。これで無事解決。

 子供ながら、なかなか狡賢いことを考えるようである。
 詰めの甘いところも、また子供ゆえなのかもしれない。

 さて、親友君は表では納得したように見せたようだが、実のところそうではなかった。
 そこで密かに、自分のお面に新しい特徴を付けた。金色の塗りつぶしだ。
 これほど目立つ特徴なら見逃されることはない――つまり、M君のお面と見間違えられることはない。

 勿論、このことはM君には秘密で、だからこそ狐面自体は使い続けたのだろう。
 そもそも狐面を使っていなければ、狐面を捨てるというM君の計画は根本から崩れる。
 あらゆることを考えた上での折衷案だったことが窺える。


「つまり、二人の気遣いが重なったおかげで、少し不可解な、
 でも蓋を開けてみれば単純な事件だったってことかー……」

「そういうことになるね」

「あの、俺たちはどうなるんですか……?」


 M君が恐る恐る尋ねてくる。
 事情ありとはいえ、悪事を働いたことに間違いはない。
 少し考える。そして、そっと笑みを浮かべて、こう語りかけた。


「わたしから親には伝えないよ。
 でも、二人とも悪いことをしたって、わかってるよね?」

「うん……」

「じゃあ謝ろう。元の持ち主たちが――帰っちゃったかもしれないけど、いるのなら」


 二人は揃って首を縦に振った。
 そして、身体を六十度ぐらいまで折ってから、


「ごめんなさいっ!」


  ♪‐09


 その後わたしたちはこの二人と行動を共にし、
 色々な場所を歩き回った。
 そして二人が盗んだ相手を見つけたなら、ささっと近寄り、謝罪。

 大抵の人はこんな小さい子たちがと驚愕して、中には親を出せという人もいたが、
 そういうときはわたしが前に出て一緒に謝った。
 親に言わないと約束したのはわたしだ、これぐらい快く引き受けよう。

 島さんに電話をし、今回の旨を伝える。
 彼女も今回の被害者の一人なのだ。


『えぇと、そのマナブ君が引っ越しちゃうから、色々記念に?』

「うん」


 ちなみにM君と読んでいた子の本名はマナブ。
 Mという仮称に、全く偶然一致していたのである。


「いまこっちにいて、謝りたいって言ってるんだけど」

『いいよいいよ、気持ちだけで許したって伝えといて』

「いいの?」

『突然の引っ越しなんて可哀想だもんね。
 なにより、反省しているなら良し、だよ』

「そっか……わかった、伝えておくよ」


 これで恐らく、できる限りのことはしたと思う。
 最後に気がかりなのは二人を探している親――あれ、そういえば。


「君は一人で来たの?」

「うん」


 親友君はなかなか逞しい子みたいだ。
 さて、もう一人のM君は元・迷子ということで、
 早めに親のところに帰ったほうがと思ったが、


「あの人、親じゃないんだ」

「えっ」


 少しの間言葉を失ってしまったけれど、
 これ以上踏み込むのは、わたしのしていいことではないだろう。
 複雑な家庭事情があるとするなら、
 それは然るべき人や機関によって解決されるものだ。

 二人を見送り、わたしと砂原さんは別れた皆のもとへ歩いていた。


「お疲れ様」

「あ、うん。ありがとう」


 横でわたしを気遣ってくれる砂原さんは、結局最後まで付き合ってくれた。
 策を提案し、ここまで導いてくれたのも彼女だ。


「ありがとう」

「……別に感謝されるようなことなんてしてないよ。
 それより、秋山さんって思ったより足で稼ぐ人なんだね」

「どうだろう。もしそう思うなら、砂原さんに言われたからじゃないかな」


 そう言うと、砂原さんはくすりと小さく笑みを浮かべた。
 それはよかった、と。砂原さんはそう言った。


「まあ、わざわざついて来たかいがあったってことだね」

「助かったよ。でも、本当はどうしてついて来たの?」


 まさか縞々が気になったというのが、本当の理由であるわけない。

 ところが意外な沈黙。今まで言い淀むことなく話をしていた砂原さんが、
 明後日の方向を向いてしまっている。
 聞いてはいけないことだっただろうか。
 それでも、その表情に険しさは一つも見て取れない。

 いつもの、といっても今日初めて会ったみたいなものだけど、
 あの肝の据わったような落ち着いた表情。
 極めて冷静。冷徹ではなく、周りを静観しているよう。
 砂原さんが自身の眼に映しているものとは、一体。

 唯たちの姿が見え始める。
 見ると、島さんたちも合流しているようだ。
 なかなか賑わしく、わたしたちを出迎えてくれる様子。

 不意に、砂原さんが歩調を早めた。というかほとんど走り出した。


「ちょ、え、待って、早!」

「……秋山さん、もう悪い結果は散々でしょ?」

「えっ、なに?」

「さっきの質問の答えだよ」


 運動神経は悪い方じゃないけれど、砂原さんはわたしを置いていく形で、
 そのまま先に行ってしまった。
 わたしは徐々に速度を緩めながら、再び考え始めた。

 ――もう悪い結果は散々。

 これはつまり、どういうことなのだろうか。


「澪ちゃーん!」


 向こうで唯が手を大きく振って、わたしを呼んでいる。
 思考停止。エンジンフルスロットル。
 わたしは猛然と、皆の元へと駆け出した。
 何故か全員逃げる。いやなんで。


「鬼が来たぞ!」

「お、鬼ごっこなんてやる気ないぞ!?」


 訴え虚しく、鬼ごっこに自動シフト。
 まあこうなっては仕方ない。
 全力で逃げ惑う人々を捕える、極悪非道の鬼になりきろうではないか。

 さてさて今宵は大人気なく鬼ごっこなぞを嗜んだわたしたちは、
 その際吹き出した汗とともにあらゆる悩みを空気中に蒸発させてしまい、
 終わってみれば純粋な疲労感だけが募る重い重い身体を、
 ただ持て余しているだけなのであった。

 そこにいたのは想像もしたことない、幻みたいな顔ぶれ。
 ううん、やはり日本の夏は特別暑いようだ。


 第三章「化けるような夏」‐完‐



最終更新:2014年09月28日 10:45