そうやって、先輩が冗談っぽく言ってさよならをした日があった。
あれはたしか二年前、オリオン座が消えるってニュースが流れてて、慌てて二人で夜空を見上げに行った日。
先輩の手は私より少し大きくて、でもきっとだぶん平均的には少し小さな手。

そんな華奢な手の平で私の手をギュっと握りながら、唯先輩はオリオン座を見上げていた。

その日、先輩は言った。

「目に見えなくなるって意外と信じられなくて困る」

そのセリフは全てがすべてあの日と同じわけではない。
私の記憶力はたかが知れているから、ニュアンスだけを、雰囲気だけを残して、細部なんて時間の経過と共に消えてしまう。
あの日一緒に観たオリオン座だって、今頭に思い浮かべられるものはあの日のオリオン座そのものではなくって、私がそうであると記憶して、そうであってほしいと願っている、あの日のオリオン座っぽいものだ。

そういう意味ではあの日の唯先輩のそれっぽいセリフは正しかったんだな、と私はいまさらになって思う。
目に見えなくなるって、信じられなくて困る。
私は唯先輩と一緒にいないとき、唯先輩の存在を信じられない。
唯先輩と手を繋いでいただなんて。唯先輩と互いに寄り添っていただなんて。
唯先輩が私のことを、私が唯先輩を好きなように好きだなんて。
私は疑い深いほうだから、唯先輩の存在を感じられないと、唯先輩のことをなかなか信じられないときがある。
だから、唯先輩に抱きしめられること、私は内心とてもうれしと思っている。

その日、私たちはさっぶい十一月の真夜中の歩道橋の上で、オリオン座を見つめた。
誰もこなくって、歩道橋の上にまで街頭の灯りは届いてこなくって。
自販機で買った午後ティーをカイロ代わりに買い込んで、歩道橋の真ん中あたりに座って二人でいた。
普段は律先輩とバカなやり取りをしている唯先輩も、消えてなくなってしまう運命にあるらしいオリオン座の真下では、なにやらセンチメンタリズムに浸っているらしくって。
ズズッと午後ティーのミルクをすすって、はぁ、と息を吐く。
その息がマフラーの隙間にこしだされて、とても白い息となって、夜空へと舞い上がっていった。

そんな何気のない、まるで意味のない冬のワンシーンを私はふとした瞬間に思い出すことがあった。
炊飯ジャーを開けたときとか、
お鍋の蓋を開けたときとか、
お風呂でお湯につかっているときとか、
肉まんにパクッとかぶりついて離れたその瞬間とかに。
唯先輩が夜空に白い息を吐くその光景を。  

そして、こう思うのである。
唯先輩はあの時、
白い息を吐いていたのだろうか、
それとも白い息を作っていたのだろうか、と。

そんな他人にとってはどうでもいい言葉の違いでも私は唯先輩のこととなると妙に気になる。
きっと先輩はなんにも考えずにただオリオン座を観ていたセンチメンタルな気持ちを引きずって、
そのセリフを言ったっていうこともなんとなくわかってる。

そのセリフの後に続く言葉だってなんとなく推測できている。
でも、私は、ふと、きっと唯先輩と私の間でお別れのようなものが来るときに、おそらく唯先輩はそのセリフみたいなことを言うんだろうな、となんとなく思ってしまった。

そう、だから、だからだから、そう。

帰りがけに朝焼けの中で唯先輩が言ったその別れのセリフは、
私の中で消えようとしていたオリオン座の灯りよりも鮮明に私の中に残ったのだ。


その日から二年後の私は一人で夜空を見上げていた。
バイト帰り、これまたさっぶい十一月の夜空を、今度は自転車にまたがって。
コンビニで買ったピザまんを頬張って、中身のチーズをハフハフしているときに、
その内側から立っている白い湯気にまた唯先輩のあの白い息のことを思い出しながら、
ふと夜空を見上げたのである。

そして、頭上に広がっている光景に仰天して思わずアツアツホカホカのチーズを丸呑みしてしまって、
喉元を涙目で叩きながら、信じられない、と一言を発する。

そこには消える運命であったはずのオリオン座が鎮座していた。
あれれ、私、二年前に唯に騙されたのかな、
たしかに光は薄くなっているけど、オリオン座あるじゃん、
まだオリオン座あるじゃん、
なんだよ、もう。

ゴホゴホと、さっきのチーズの丸呑みで火傷したようにいがらっぽい喉からおっさんっぽい咳を出しながら
私は帰ったら唯に言ってやろうと思った。
オリオン座、今から見に行かないって。
午後ティーを買いこんで、あの日のように手をつないで歩道橋の上から。
で、こう言ってやるんだ。
一緒に住んでいるから全く意味はないんだろうけど。

「さよなら唯、またいつかオリオン座を一緒に観ましょう」

そんな感じのニュアンスのようなそれっぽいセリフを白い息を吐くだか作るだかしながら。



最終更新:2014年11月09日 10:41