昔々、ある王国の村に素晴らしい刺繍(ししゅう)の腕を持つ 秋山澪という少女が住んでいました。


澪「よし、今日も刺繍ができだぞ。今日も誰か買いに来てくれるかな……?」

澪ちゃんは、自分で縫った刺繍を売って、生計を立てていました。


しばらくすると、澪ちゃんの前にたくさんのお客さんがやってきました。

唯「おー!今日も綺麗な刺繍ができたね、澪ちゃん!」

憂「毎日お疲れ様です、澪さん」

律「本当に澪は刺繍の天才だな!」

梓「じゃあ今日は私が買っちゃおうかな? 澪さん!この刺繍ください!」

澪ちゃんの作った刺繍は 毎日誰かが買ってくれるほどの人気商品でした。


梓「じゃあ代金はこのぐらいで……」ジャラジャラ

澪「! そそそそんなには貰えないよっ! ただの刺繍だし!私はこのぐらいで十分だからさ」

澪ちゃんは遠慮がちな性格だったので 自分の刺繍を高価な値段で売ることはしませんでした。

だから決して澪ちゃんの生活は楽なものではありませんでしたが、それでも彼女は毎日刺繍を作っているだけで、満足でした。


やがて、澪ちゃんの刺繍の腕前に関する噂は広まっていき、その噂は澪ちゃんが住む国の国王の家臣の耳に入るまでになりました。


澪ちゃんの住む国の王様は、美しい金髪で、透き通った碧き瞳を持った少女でした。

その王様は若いながらも、権力を振りかざすこともなく、非常に国民思いであったため、国民みんなから愛されていました。

しかし、近頃その若き女王の 大切なペットの亀が亡くなり、女王もひきこもりがちになり、国民は女王様のことをとても心配していました。

女王様のことを心配しているのは執事も同じで、そこで執事は、女王様を立ち直らせるために一つの提案をしたのでした。


斉藤「紬女王様。ちょっとお話があるのですが……」

紬「……何かしら斉藤。私はいまとても悲しい気分なの。だから手短にお願いね……」

斉藤「はっ。実は、ここから少し離れた村に刺繍が非常に上手な少女がいるとのお話を聞きまして……」

紬「刺繍が上手な子……? なんでまたそんな話を私に?」

斉藤「はっ。僭越ながら申し上げますが、その子に亡くなられた女王様のカメの刺繍を作って頂くのはどうかと……」

紬「トンちゃんの……、刺繍……?」

斉藤「左様でございます。今我々の下に敷いてある、この絨毯(じゅうたん)に女王様のカメの刺繍を作ってもらうのです。
   そうすれば、また毎日トン様を拝見することもできます。いかがでございましょうか?」

紬「……分かったわ。斉藤、その子を連れてきて頂戴。ただし、手荒な真似をしてはダメよ?」

斉藤「はっ。承知しました」


そう言うと女王の執事は、お城を後にし、澪ちゃんの住む村へと向かいました。


・・・・・・


澪「さあ今日も刺繍ができたぞ」

翌日も、澪ちゃんはいつものように刺繍を売りに出かけました。

いつものようにお客さんが来るのを待っていると、見慣れない人が澪ちゃんの前にやってきました


斉藤「あなたが秋山澪さんですか?」

澪「ひっ…!は、はい……」ブルブル

人見知りでもある澪ちゃんは、初対面のお客さんに話しかけられて緊張してしまいましたが、なんとか返事を返します

斉藤「あなたにちょっとお願いがあるのですが……」

澪「お願い……ですか……?」

ごくり、と何故か唾をのみ込みながら、彼女は緊張した面持ちでその男性の言葉に耳を傾けました。


斉藤「実は……あなたに女王様のために刺繍を作ってもらいたいのです」

澪「じょ、女王様のために!?」

澪ちゃんはびっくりしてしまいました。なんとこの人は女王様の部下の人だったのです!

澪「え、で、でも私なんかで大丈夫なのかな……?」

澪ちゃんは不安げに そう呟きました

斉藤「大丈夫です。あなたの腕前は聞いていますから」

澪「うぇえっ!? わ、わたしってそんな有名だったの!?」

恥ずかしがり屋でもある澪ちゃんは、その言葉にとても驚いてしまいます

斉藤「はっ。皆様からとても刺繍が上手であると……」

澪「は、恥ずかしいっ///」


さて、恥ずかしさの話はともかく、澪ちゃんも女王様がペットを亡くされてひどく落ち込んでいることを知っていました。

斉藤「お願いできますか?」

澪「……わかりました。私でよければ」

なので澪ちゃんは、女王様のために刺繍を作ることを決意しました。

澪(私なんかで大丈夫なのか不安だけど……。女王様のために頑張るぞ!!)


・・・・・・


その日の午後。

女王様が住むお城に、澪ちゃんは連れてこられました。



斉藤「女王様。お連れしました」

紬「あなたが……秋山澪さん?」

澪「は、はいっ!!」

女王様と会うのは 澪ちゃんも初めてだったので緊張しましたが、とても優しそうな雰囲気のお方だなぁ、と澪ちゃんは思いました。

紬「では早速なんだけど……。私のペットだったカメさんの刺繍を作ってくれるかしら?」

紬「これがその子の写真なんだけど……」スッ

澪「あ、ありがとうございます」


女王様から手渡された写真には、楽しそうに餌をあげる女王様の姿と、その餌を美味しそうに食べている
ちょっぴりブタ鼻(?)のカメの姿が写っていました。

紬「名前はトンちゃんっていうの。つい数日前に……うっ。しんじゃった……けど……」グスッ

澪「女王様……」

温かく柔らかそうな白い手で 涙を拭う女王様を見て、澪ちゃんは絶対に良い刺繍を作ろうと思いました。



その日の夜から、澪ちゃんは刺繍に取り掛かりました。

執事からお茶やお菓子を出されて休むのもほどほどに、澪ちゃんは黙々と刺繍を続けました。

澪ちゃんが刺繍を初めて七日目。

澪「できたっ!」

ついに、お城の絨毯にトンちゃんの刺繍が完成しました。



澪ちゃんは額いっぱいに汗をかきながら、女王様の部屋に嬉々として報告に向かいました。

澪「女王様!できました!!」

紬「本当!? 今、見に行くわね!」スクッ

女王様も 澪ちゃんの嬉々とした表情を見て、嬉しそうな笑みを浮かべながら絨毯のある部屋に向かいました。



紬「まあ……!」

澪ちゃんの素晴らしい刺繍を見て、女王様はとても感動し、感嘆の声をあげました。

澪「えへへ///」ポリポリ

女王様が感動している様子を見て、照れ隠しに頭をかきながらも、澪ちゃんもとても嬉しい気分になりました。



しかし、女王様は不思議なことに気が付きました。

紬「あら……?よく見るとトンちゃんに羽が生えているわ……?」

確かに、澪ちゃんが作った刺繍には、甲羅に羽が生えたトンちゃんが描かれていました。


しかし、それは澪ちゃんが間違ってつけてしまったものではありませんでした。

澪「それは、トンちゃんがちゃんと天国に行けるように私がつけたんです」

女王様の方を向き、澪ちゃんははっきりと答えました。



紬「!! 澪ちゃん……。トンちゃんのために……!」

澪「よ、余計なことしてしまいましたか?」

澪ちゃんは一瞬、勝手に羽をつけてしまったから怒られると思いました。

しかし、女王様は 澪ちゃんの方を向いて、まるで天使のように優しい笑顔で、微笑みました。

紬「ううん。いや寧ろありがとうを言いたいくらいだわ澪ちゃん」ニコッ


紬「ありがとう!澪ちゃん!!」ムギューッ

そして、感極まった女王様は、思わず澪ちゃんに抱き着いてしまいました。

澪「わわっ///!? じょ、女王様!?」ドキッ

紬「本当にありがとう、澪ちゃん……」ギュッ

澪「女王様……」ギュッ

澪ちゃんは驚きましたが、女王様を拒もうとはせず、優しくその温かく 柔らかい体を抱き返してあげました。



紬「……そうだ、澪ちゃんにはお礼をしなきゃね。ええと、何がいいかしら……」

数分間の抱擁の後、女王様は体を離して、澪ちゃんへのお礼の品を探しはじめました。


澪「……あっ」

澪ちゃんも何となく 室内にある様々な物を見ていましたが、虹色に輝くベースに目が留まりました

紬「あら?これが欲しいの?」ヒョイッ

女王様もそれに気が付いたようで、その虹色のベースを澪ちゃんの方に持って行ってあげます

澪「! いいいいやいや!そんな高価なものを頂くわけには……!」

澪ちゃんはそんな高価なものを貰うわけにはいかないと、必死に腕をブンブンと振ります

紬「いいのよ。このベースは虹色が好きな私のために 斉藤が買ってきてくれたんだけどね、間違えて左利き用のを買ってきてしまったの」



紬「ほら、私は右利きだしあなたは左利きでしょう?だからあなたが貰ってくれた方が、このベースも幸せだと思うわ」

澪「で、でも女王様の好きな色のベースを頂くわけには……」

紬「そう……」

紬「! 分かったわ。ちょっと待ってて頂戴」

遠慮がちな澪ちゃんが渋っていると、女王様は何かを思いついたのか、部屋を出て行きました。

澪「……」ジーッ

女王様が部屋を出ていったあとも、澪ちゃんは虹色のベースを見続けていました。



紬「澪ちゃん。お待たせ」

数分後、女王様が何かの箱を持って戻ってきました。

澪「……はっ!」

ベースに見入っていた澪ちゃんは我に返り、女王様の方へと向き直ります

紬「バウムクーヘンよ。これなら貰ってくれるかしら」

女王様が持っていた箱はバウムクーヘンの箱のようでした。

澪「は、はい。そのくらいなら……」

澪ちゃんは女王様から 箱を受け取ろうとしました

澪「わっととっ!!」

しかし手が滑ってしまい、澪ちゃんはバウムクーヘンの箱を地面に落としてしまいました。



紬「澪ちゃん!? 大丈夫!?」

澪ちゃんの辺り一面に、バウムクーヘンが散らばってしまいます

澪「はい……。折角いただいたのに……。すみません……」

幸いバウムクーヘンは個別に袋で梱包されていたため問題ありませんでしたが、

女王様の前でこんな失敗をしてしまい、澪ちゃんはバウムクーヘンの穴でもいいから入りたい気分でした。

澪「……あれ?」ヒョイッ

澪ちゃんが散乱したバウムクーヘンを拾い集めていると、一枚の紙が落ちていることに気が付きました。

その紙の文字を読んで、澪ちゃんは驚きました。

澪「虹色のベース……引換券!?」



澪ちゃんに 箱に仕込んであった引換券の文字を読まれると、女王様はちょっと恥ずかしそうに顔を赤らめながら、話しました

紬「ごめん。隠すつもりじゃなかったんだけど……。澪ちゃん、ベースを欲しそうにずっと見てたから……」

澪「女王様……!」ウワーン

澪ちゃんは嬉しさのあまり、涙を流しながら女王様に抱き着いてしまいました。



そしてその時、とても不思議な出来事が起こりました。

澪ちゃんが流した真珠のような涙は、絨毯のトンちゃんの刺繍の上にも落ちると、なんとその刺繍は命を得て動きだしたのです!

澪紬「」ポカーン

澪ちゃんと女王様があっけにとられる中、命を得た羽を持った刺繍、いやトンちゃんは、
まずは女王様の方を向いて軽く頭を下げてお辞儀をしました。

紬「トンちゃん……!生き返ってくれたのね……!!」ピョンピョン

女王様が歓喜のあまり飛び跳ねる中、トンちゃんは今度は澪ちゃんの方を向き手招きをしました。



澪「え……?私……?」

澪ちゃんがおそるおそるトンちゃんの方に向かうと、トンちゃんは頭を上に揺さぶりながら、甲羅に乗るよう促してきました。

澪「甲羅に乗るっていったって……。少し小さいような……」

トン「……」クイックイッ

それでもトンちゃんは強く甲羅に乗るように促してくるので、澪ちゃんは意を決して、恐る恐るながらも甲羅に乗りました。

トン「……!」バッ

次の瞬間、トンちゃんは羽を羽ばたかせ、澪ちゃんを乗せて宙に浮かびました!



紬「わー、すごい!トンちゃん、お空を飛べるのね!」

澪「うわぁー!? あははは!!すごいなぁー!」

トン「……」バサッバサッ

澪ちゃんと女王様の歓声が響く中 トンちゃんは今度は窓の方を向き、羽をより一層強く羽ばたかせました。

澪「外へ出たがっているのかな?」

紬「そうかもしれないわね。今窓を開けるわね」ガラッ

トン「……!」ビューン

澪「うわぁあああ!!?」

女王様が窓を開けると、澪ちゃんを乗せたままトンちゃんは もの凄い勢いで飛んでいきました。



紬「……びっくりしたわ」

女王様が少し呆気にとられながらも、窓の外を見てみると、そこにはとても神秘的な光景が広がっていました。

紬「虹……!虹だわ……!」

女王様が治める王国の空には、羽の生えたカメに乗った少女と、そして彼女たちのすぐ近くに、とても美しい虹が浮かんでいました。



こうしてこの少女が起こした奇跡の物語は、「虹の刺繍」という名前を付けられ、後世まで語り継がれました。

彼女の奇蹟は、何世代にもわたって、人々の心に縫いこまれたのでした。


おわり



最終更新:2014年11月09日 10:49