○桜が丘女子高等学校・軽音楽部部室(夕)


夕陽が差し込む軽音楽部の部室、金色の髪の少女が並べられた席に手を置いている。
その瞳の端が輝いている様に見えるのは気のせいだろうか。
暮れていく夕焼け。
もう少しだけ宵の闇が深くなった時、唐突に軽音楽部の扉が開く。
金髪の髪の少女、斉藤菫が驚いた様子で目尻を拭い、扉に視線を向ける。


純「あれ? やっぱり空いてる?」


扉の先から軽音楽部の部員、鈴木純が姿を見せる。
肩で息をしている事から察するに、多少急いでいたのであろう事を窺わせる。
菫は軽く深呼吸した後、純に向けて首を傾げる。


菫「ど、どうしたんですか? 純先輩?」

純「スミーレこそどうしたのよ? 先に帰ったんじゃなかったっけ?」

菫「えっと……、あの、そう、忘れ物をしちゃいまして」

純「あはは、卒業式でまで忘れ物しちゃうなんてスミーレらしいよね」

菫「私らしい、ですか?」

純「ほら、ムギ先輩から頼まれてた食器、回収するのずっと忘れてたじゃん」

菫「うっ、それを言われると弱いです……」


軽く項垂れる菫。
微笑んだ純が駆け寄り、背伸びして菫の頭を撫でる。
菫とはかなりの身長差があるが、純はそれを物ともしない。


純「まあまあ、それもスミーレの個性でしょ? 私はそれでいいと思うな、スミーレは」

菫「忘れっぽいのが個性なんて嬉しくないです……」

純「だったら忘れ物をしないようにしなきゃね、スミーレ」

菫「気を付けます……。それより純先輩?」

純「何だい、スミーレ後輩?」

菫「純先輩こそどうしたんですか? 梓先輩達と一緒に帰ったはずじゃ?」

純「へへー、実は私も忘れ物をしちゃったんだよね」


自慢げに胸を張る純。
菫は何と言うべきか困った表情を浮かべる。
菫の反応に構わず、純は再び菫の頭を撫でる。


純「忘れ物は誰でもする物だからねー」

菫「それはそうですけど、純先輩こそ自分自身の卒業式なのに……」

純「卒業式でも忘れる物は忘れるの。むしろちゃんと忘れ物を思い出した私を褒めてほしいところだよ、スミーレ」

菫「あはは……」


肩を落として苦笑する菫。
その苦笑が少しずつ曇っていく。
表情を悟られない様に視線を逸らし、絞り出すかの如き声色で呟く。


菫「卒業式、でしたよね……」

純「うん、卒業式だったね」

菫「改めて卒業おめでとうございます、純先輩」

純「何、改まって?」

菫「もう一度言っておきたい気分だったから……、じゃ駄目ですか?」

純「別に駄目じゃないって。改めてありがと、スミーレ。お祝いに作ってくれた歌、嬉しかったよ」

菫「私達、上手く……、歌えてました?」

純「うーん……、あんまり上手くはなかったねー」

菫「ばっさりですかっ?」

純「正直なのが鈴木純ちゃんの美点なのだよ、スミーレくん」

菫「うう……、音痴ですみません……」

純「それでいいんだって、スミーレ」

菫「えっ?」

純「さっき言ったでしょ、嬉しかったって。上手い下手の問題じゃないよ。スミーレ達の歌、すっごく嬉しかった」

菫「それなら、よかったんですけど……」

純「ほら、梓も憂も泣いてたでしょ? それくらい嬉しかったって事よ。勿論私もね。だから自信を持ってよ、スミーレ」


真正面から純に見つめられる菫。
その頬が赤く見えるのは、夕陽に照らされているからだけではないだろう。
もう一度菫の頭を撫でてから純がまた微笑む。


純「それにしてもスミーレ達が私達に歌を作ってくれるまでになるなんてねー」

菫「意外でしたか?」

純「意外よ、意外。だって二人とも最初は完全な素人だったじゃない。後輩がこの子達で大丈夫なのか、正直不安だったんだよ?」

菫「それは……、否定できないですね……」

純「だけどね、すぐに安心しちゃった。二人とも頑張り屋でどんどん上達したし、学祭でも最高のライブができたしね」

菫「それは純先輩達に指導して頂いたおかげです」

純「そう言ってくれると先輩冥利に尽きるけど、でも本当に頑張ったよね、二人とも。楽しかった? この一年間?」

菫「はい! 楽しかったです! まさか自分がドラムを演奏する事になるなんて思わなかったですけど、それでも楽しかったです!」

純「そっか、それは何よりだよ、スミーレ」

菫「純先輩にリズム隊を引っ張ってもらえて、頼もしかったです!」

純「うんうん、もっと褒めていいのよ」

菫「私とのセッションを気持ち良いって言って貰えて、凄く嬉しかったです!」

純「それはスミーレの実力だよ。私こそ気持ち良いセッションをさせてくれてありがとね」

菫「純先輩のお家でのお泊まり会も楽しかったです! 卒業旅行にも付いて行かせてくれて嬉しかったです!」

純「スミーレの卒業旅行にも誘ってよね? その時に私の貯金が残ってればだけどさ」

菫「はい、是非!」


その言葉を最後に菫の興奮した様子が止まる。
視線を散漫とさせ、肩を少し震わせている。
それでも純は菫の顔を真っ直ぐに見つめて言う。


純「頑張ってよね、スミーレ。私の憧れの澪先輩達から受け継いだこの軽音部、任せたからね」

菫「はい、勿論です。私、純先輩達の分も……」

純「スミーレ? どうしたの? 大丈夫?」

菫「はい、だいじょ……、大丈夫……です……」


瞬間、菫の瞳から一筋の涙がこぼれる。
それから堰を切ったかの如く菫の喉から嗚咽が漏れ始める。
口元に手を当て、純より小さく縮こまる背の高い菫。


純「もう……、無理しないでよ、スミーレ。全然大丈夫じゃないじゃん」

菫「だ、だって私……、この一年間楽しくて……、ひっく、本当に楽しくて、来年から先輩達が居ないと思ったら、うえぇ……」

純「無理しなくていいんだってば、スミーレ。泣きたいなら泣いちゃった方が楽なんだしさ。大丈夫じゃないなら、泣こうよ」

菫「でも、でもぉ……、純先輩達の分も、私、頑張らなきゃいけないのに……」

純「素直になってってば。その方が私も嬉しいし。そうだ、ねえ、知ってる、スミーレ?」

菫「な、何を……、ですか?」

純「高校生ってさ、卒業しても四月一日までは高校に在籍してる事になるんだって。だからね、私達はまだスミーレ達の正式な先輩ってわけ」

菫「そう……なんですか……?」

純「だからさ、慣らしていこうよ。大丈夫じゃないなら、大丈夫になるように。その手伝いはするよ。だって私、スミーレの先輩だからね」

菫「純……先輩……」

純「それで、どうする? 本当に大丈夫? 大丈夫そうならスミーレ達に任せるけど」

菫「だいじょ……」


大丈夫、と菫の唇が形作る。
しかしその言葉は声にならず、別の言葉になって声に乗せられる。


菫「だいじょ……うばない……です。だいじょばない……、大丈夫じゃない……、大丈夫じゃないです!」

純「うん」

菫「私、まだ純先輩達と離れたくないです! あともう一ヶ月だけでも、一緒に……、居たいです!」

純「うんうん、私もだよ、スミーレ」

菫「で、でも、純先輩達に迷惑なんじゃ……」

純「迷惑じゃないよ、私だってまだスミーレ達と部活してたいし。それにね、よく考えてみてよ、スミーレ」

菫「?」

純「私達は三年生で、スミーレ達は一年生でしょ? 普通の部活なら居るはずの二年生が居ない部なんだもん。変則的に一年生を指導したって全然悪くないと思うよ?」

菫「純先輩ぃ……」

純「好きなだけ泣いてていいよ、スミーレ。それで泣き終ったらさ、軽音部の延長戦やっちゃおう。きっと楽しいよ?」

菫「はい……、はい……!」


その言葉を皮切りに再び大声で泣き始める菫。
優しい微笑みを浮かべた純は、泣きじゃくる菫を胸の中に抱きしめる。
部室内に決して悲しさだけから生じているわけではない泣き声が響く。


○桜が丘女子高等学校・校門(夜)


純と菫が肩を並べて緩慢に歩いている。
菫は目蓋を泣き腫らしているものの幸福そうに微笑んでいる。
二人の手は軽くとだが指先で繋がれている。


菫「今日はありがとうございました、純先輩」

純「いいっていいって。今日は私も卒業を祝ってもらったから、お互い様だよ。素直なスミーレも見れて嬉しかったしね」

菫「ちょっと……、恥ずかしいです……」

純「駄目だよ、もっと自分を曝け出さなきゃ。リズム隊は一心同体。どんな恥ずかしさも共有しなくちゃね」

菫「そういうものなんですか?」

純「そういうものなの!」

菫「わ、分かりました。恥ずかしい気持ちになってるのは、私だけの気もしますけど……」

純「あ、言ったな、スミーレ。じゃあ、これならどう?」


言い様、純は自らの髪を結っていたゴムを解いていく。
髪を下ろし、若干頬を紅潮させて純は続ける。


純「恥ずかしさ、共有してあげるよ、スミーレ。前も言ったでしょ? 髪を下ろすと恥ずかしいから嫌だって」

菫「いいんですか、純先輩?」

純「よくはないけどいいの! 私は有言実行の先輩なんだから! 二人で一緒に色んな事、恥ずかしい事も共有しちゃおうよ」

菫「それで、更に一心同体のリズム隊になる! ですか?」

純「そうそう、その調子。スミーレも分かってきたじゃない」

菫「あはは、私も純先輩とはもっといいリズム隊になりたいですから。あ、そう言えば純先輩?」

純「どうしたの?」

菫「忘れ物はいいんですか? 確か部室には忘れ物を取りに来たはずだったんじゃ……」


その菫の言葉を聞いた純が若干呆れた表情を浮かべる。
しかしすぐに思い直したのか、悪戯っぽく微笑んでその両腕を広げる純。
菫が戸惑った表情で純を見つめる。


菫「わ、私、何か変な事を言いました?」

純「結構鈍いんだよね、スミーレって。私の忘れ物はね……」

菫「忘れ物は?」

純「鈍くって忘れっぽくて寂しがりな後輩をこうしてあげる事だったの!」

菫「きゃっ?」


軽く悲鳴を上げる菫を優しく抱きしめる純。
戸惑った表情を浮かべていた菫も、いつの間にか笑顔になって純の背中に腕を回す。
優しい体温を感じ合う純と菫。
笑顔の二人を夜の闇が優しく包んでいく。



最終更新:2014年11月09日 11:31