‐1‐
――初恋の相手は、わたしだった。
そう幼馴染から告白された卒業式からの帰り道。
思ったことを率直に言葉にすると、
だから?
っていう。
そんな告白のされ方をしても、わたしにはわからない。
どっちなの。唯、あなたはどっちなの。
わたしはどっちなの。
「……じゃ、じゃあねっ」
わたしが答えを聞き出す間もなく、唯は足早にここを立ち去ってしまった。
まあ、いつかまた後で聞けばいい。きっと聞ける機会はある。
心に引っ掛かりを感じたまま、わたしは再び帰路についたのだった。――
‐9‐
――今思えば、あれがすべての元凶。
わたしの胸を患わせる、強大な呪文がかけられた日だった。
つくづく自分には呆れる。
胸がずきずきと痛む。
奥のなにかが二つに分かれて、その上と下が少しずつズレていく。
「……」
まるでこれじゃあ、わたしが唯のことを――。
「和さん、どうかしました?」
そうだとしても、しなくても。
あの日、ちゃんと相手してあげられなくて。
その後も聞いてあげられなくて。
あなたを目にして逃げてしまって。
日本を離れる前に、答えを出せなくてごめんなさい。
わたしが謝ることに、異議を唱える人もいるかもしれない。
悪いのはあちらだ。わたしが謝る必要なんてない。
けれど、わたしはそんな人に問いたい。
これはあなたが口の挟める領分なのか。
唯も悪いかもしれない、わたしも悪いかもしれない。
でも、これには一つだけの正解なんてものはない。
正解は不確かなもので、問いのみが確かに存在している。
全く醜い争いか、意地汚い駆け引きかに見えてしまうかもしれない。
納得できないだろうか。
だとすればわたしは、たった一つだけ、そこに言葉を落とす。
恋愛は、綺麗なものなんかじゃない。
「大丈夫よ、心配いらないわ」
「それなら良かったです。その唯さんとは、ずっと会ってないんですか?」
「そうね」
「でも、そろそろ一度は帰ってきてもいい頃合いだと思いません?」
「また適当なことを」
「奇跡は起こしたもん勝ちですよ。そして祈るだけならタダです」
無責任でいて、とても前向きな言葉だ。
それも、いまのわたしには眩しすぎるほどに。
だからわたしはあえて聞いてみた。
祈って、それで叶わなかったらどうなのかと。
ちょっと真顔に戻った後輩は、すぐ満面の笑みに戻って、こう言ってのけた。
「神様を恨みます!」
わたしのスマホが震えだしたのは、その時のことだった。
‐10‐
身を切るような寒さは、走っているわたしに鋭利な刃を向ける。
痛い。とても痛い。だからって、止まるわけにはいかない。
足はじわじわ痺れてきている。心臓が悲鳴をあげている。
後輩はあの後、わたしにこうも言ってくれた。
起きそうな奇跡があれば、こっちからもぎとる勢いで、と。
いまのわたしは、どんな小さな奇跡も逃さない。
それは誰にも譲らない。
他ならぬわたしのこの手で、必ず掴み取ってみせる。
今日、本当になにも予定を入れなかったのなら、ここにはこれなかっただろう。
人が無秩序に歩き回るターミナル駅に、わたしは立っていた。
人と人の隙間を縫いながら、あの子の姿を追う。
写真とも記憶とも違う、あの子の姿を。
突然のことだった。
「見つけたっ」
後ろから勢いよく抱き付かれる。
しかし、既に疲労しきっていた身体は体重を支えきれず、
わたしの視界がぐるりと回って床が広がる。
床と衝突する直前だった。
「っ……?」
「あわわ……、ごめんね和ちゃん」
わたしの腕を、唯の手がしっかりと握っていた。
‐11‐
「帰ってくるなら、もっと前から連絡しなさいよ」
「えへへ、ごめんね。って、前にもこんなことあったっけ」
「その時は唯の家だったわね」
二人の女性が、わたしの部屋でくつろいでいる。
茶色い毛をすらりと伸ばした彼女は、コルクボードを指さした。
「わっ、懐かしー! まだこの写真貼ってたんだ!」
「唯の部屋にも、前は写真が貼ってあったわよね」
「うん。でもこれだけ出張が多いと、写真飾るスペースも限られちゃって」
でもね、と唯は続ける。
「特別な三枚だけ、写真立てに入れて、飾ってあるんだ」
そう言って微笑んだ唯の顔に、どきりとした。
聞いてしまってもいいのだろうか。少しだけ怖い。
でも。
「その写真って、どんな写真なの?」
今のわたしは、聞かずにいられなかった。
「えーとね、一つは家族の写真。もう一つは軽音部全員の集合写真」
「もう一つは?」
聞いた途端、唯は目を伏せた。
口元に、苦々しい笑みを現していた。
自嘲的な態度に見えた。コルクボードに目を向けた。
「……わたしの、初恋の人」
あの日の影が、わたしの脳裏に突き刺さる。
ぎゅるぎゅると記憶が巻き戻り、あの日の熱が、音が、光が蘇る。
目の前の女性とあの女の子の姿が、重なる。一致する。
――なんだ、できるじゃない。
「ねえ唯。一つだけ、ずいぶん前に聞き忘れたことがあるんだけど」
「えっ、な、なにを?」
すうっと深呼吸する。
落ち着け、わたし。
早まる鼓動と、身体を巡る熱を感じつつ、平静を装いながら、
わたしはそっと囁いた。
「……どっちが先だったのかしら?」
ぽかんとなっている。唯は目をぱちくりさせた。
わたしの言葉を理解しようと、頭だけを動かしているような状態。
それ以外は空っぽにしているみたいだ。
やがて、わたしの言葉を解したとき。
唯はその目に積もりに積もった想いを煌めかせて、
しゃくり声をあげながら、表情を綻ばせ、こう言った。
「もう、ずるいなぁ。知らなかったよ!」
だからわたしもこう返した。
「お互い様よ」
‐12‐
和ちゃん、なんにも言ってくれなかったんだもん。
唯だって、なにも言ってくれなかったじゃない。
わたしは勇気を出したよ。
だけれどずるいのよ。
タイミングならいくらでもあったのに。
お互いにね。
「和ちゃんって、やっぱりイジワルだよ」
唯はそんな不平を垂れながら、床に座るわたしの膝に、自分の頭を乗せた。
その頭をそっと、優しく包むように、わたしは撫でる。
気持ちよさそうな唯の顔が、すぐここでわたしを見ている。
「イジワルで悪かったわね」
「でもまあ、惚れたもん負けってやつ?」
「お互いにね」
「それどういう意味なのー!」
決着なんてつかない、元々つけるつもりもない話が、延々と続く。
ゆったりと、静かに、秒針の音が聞こえるこの部屋で。
床に転がっている目覚まし時計に目をやる。
ちょうど長針と短針と秒針が、「12」の上に重なった。
「今ちょうど、唯の誕生日になったみたいね」
「あ、覚えててくれたんだ」
「当たり前よ」
「誕生日プレゼントは?」
「だから連絡くれって言ったじゃない。
今日帰るなんて聞いてないから、なにも用意してないわ」
なにかまた不満をぶつくさ言われるかと思えば、
唯は嬉々としてこう言った。
「じゃあじゃあ、和ちゃんがプレゼントってことで~」
溜め息を吐く。
悪戯っぽく笑う唯の目を、わたしは手で覆う。
突然のことに戸惑って、唯の口は半開きになっている。
その口を、わたしは唇で閉ざした。
「誕生日おめでとう、唯」
手をどけると、また唯はぽかんとしていた。
自分の唇にそっと触れ、わたしの顔をぼんやり眺めている。
やがて、くすりと笑みを零すと、一言だけ満足そうに呟いた。
「……やっぱりずるいや、和ちゃんは」
‐おしまい‐
最終更新:2014年11月28日 08:14