梓「ふうっ、髪はこれでよしっと」

 ——あと一時間ほどで日付も変わろうという時間帯、私はお風呂から上がり髪を乾かし終えて自分の部屋に戻る。

 今日は両親が泊まり込みで出かけているので、家には私一人。
 ちょっと寂しく思わないこともないけど、うちではしばしばあることだしもう慣れっこだ。

梓「明日も学校あるし、早く寝ちゃおっ」

 そうして明日の時間割を確認、準備を整え終えて布団に潜り込もうとした所、

梓「ん、電話?」

 充電器に備え付けた携帯が鳴り響き、メールではなく電話がかかってきた。
 こんな時間にかかってくるなんてまた純あたりがしょうもない電話をかけてくるぐらい……そう思いながら携帯を手に取りディスプレイを眺めてみると、

梓「……えっ!?」

 ディスプレイの画面には「澪先輩」の文字が。

 どうして澪先輩がこんな時間に私に——まさかおやすみを言うだけにわざわざそんな、いやそれだけでも嬉しい限りだけど、などといった考えが僅かな思考時間の中で頭を駆け巡ったのち——とりあえず早く出なきゃという考えに至り慌てて電話に出る。

梓「も、もしもしっ」

澪『あっ、梓? 夜分遅くに電話掛けてごめんね』

梓「い、いいえ、大丈夫ですっ」

澪『そう……? ならよかったんだけど』

 電話で聞く澪先輩の声はなんだか、いつも聞くより大人っぽく聞こえてくる。
 こんな時間に澪先輩の声が聞けるのは嬉しい限りだけど、

梓「それで、何かあったんですか?」

澪『ん、ああ』

 澪先輩は何の用事もなくいたずらや冷やかしで電話を掛けてくるような人ではない。
 私は澪先輩に何かあったんじゃないかと少し不安になりながらたずねてみる。

 ——と、

澪『その、大したことじゃないんだけど……明日の朝、梓と一緒に登校したいから梓の家に行ってもいいかな?』

梓「えっ?」

 そんな私の考えとは裏腹に、澪先輩からは全く予想していなかった言葉が。
 ——澪先輩が朝、わざわざ私の家に来てくれてそれから一緒に登校してくれる?

梓「ど、どうしてまた?」

 嬉しいか嬉しくないかでいえばもちろん嬉しいけど、どうして急にとも思ってたずねてみるけど、

澪『ん、うーん今言うとちょっとね』

梓「な、なんです?」

澪『ふふっ、今はひみつかな』

 澪先輩は電話の向こうでくすりと笑うだけで明確な理由は話してくれない。
 なんだろう、気になる……。

澪『それでどうかな? 明日の朝、梓の家に行っても』

梓「あっ、はい! 全然それは大丈夫なので」

澪『そっか、よかった。じゃあ七時半頃に行くけど、それぐらいの時間でいい?』

梓「はいっ、大丈夫です」

澪『了解、じゃあ明日七時半頃に梓の家に行くから。おやすみ、梓』

梓「はい、おやすみなさい澪先輩」

 そう明日一緒に登校する約束をした所で、澪先輩からの電話は切れた。

 突然澪先輩から電話が来ただけでなく一緒に登校する約束までしたからか、電話を終えてからもまだ軽く私の脳は沸騰状態。
 もうお風呂から上がったばかりでもないというのに。

梓「なんだかびっくりしたなあ、ほんとに……」

 とりあえずは落ち着くために軽く深呼吸、それから布団にもぐり込んで改めて早々に床に着くことにする。
 澪先輩と一緒に登校する約束をした以上、寝坊なんてするわけにはいかない。

梓「けど澪先輩と一緒に登校出来るなんて……なんだか嬉しいな」

 澪先輩の方でどういう理由があってかは分からないけど、それでも私にとってはやっぱり澪先輩と一緒に登校出来るっていうことだけで嬉しい。
 そう思うと、ようやく落ち着いてきた頭が今度は楽しみで軽く興奮してきてしまった。

 もう、小学生の遠足前夜でもないのに興奮して眠れないなんてなったら子供っぽいことこの上ないよ——






 ——そして翌日の朝、幸い寝坊するなんてことなくいつもより少し早いぐらいに目は覚めてくれた。

 身嗜みを整え、菓子パン一個と砂糖少し多めのコーヒー一杯の簡単な朝食を終えてカバンとむったんを持った所で時刻は七時二十分過ぎ。
 準備万端、いつ澪先輩がやってきても登校出来る状態だ。

梓「まだかな、澪先輩……」

 胸がなんだかドキドキしながら澪先輩を待つ。
 そして、


 ——ピンポーン。

梓「! はーい!」

 七時半になる五分前、予定の時間より少し早く家のインターホンが鳴り響いた所で私は玄関へと向かう。

梓「はい、どなたですか?」

 確認するまでもないだろうけど、玄関の扉を開ける前に一応の確認。

「あっ、梓? 私、澪だよ」

梓「はいっ、今開けますね!」

 やっぱり確認なんて必要なかった。
 私は玄関の扉を開け、

梓「澪先輩っ!」

澪「うおっ!? 梓!?」

 朝からたずねてきてくれた澪先輩に思いっきり抱き着いていた。

梓「澪先輩っ、待ちかねました! 来てくれて嬉しいです!」

澪「あ、梓っ、待ちかねてたのは分かったからちょっと、一旦離れて……」

梓「ふえ? ……はっ!」

 そう言われて自分が澪先輩に抱き着いていることにようやく気付き、慌ててパッと離れる。
 な、何やってんのわたし——!?

梓「ごっ、ごめんなさい! わたし、会うなり澪先輩に抱き着いたりなんかして……!」

澪「いやいいよ、来ただけでそんなに喜んでくれるなんてちょっと予想外だったけどさ」

 恥ずかしくてすっかり赤面しているであろう私に、困ったような笑いを浮かべる澪先輩。
 これじゃいつも会うなり抱き着いてくる唯先輩と変わらないよ……。

梓「そっ、それでどうしたんですか? 急に一緒に登校しようって……」

 もちろん嬉しいですけど、と一言付け加えながら改めて澪先輩に朝一緒に登校しようと誘ってくれた理由をたずねてみる。
 と、

澪「もう、梓やっぱり忘れてるんだな」

 澪先輩はちょっと呆れたような口ぶりで呟く。

梓「私が忘れてるって、いったいなんですか? 昨日から気になってるんです、教えてくださいっ」

澪「しょうがないな……じゃあ教えるぞ?」

 すると澪先輩は私にそっと近寄り、

梓「えっ……?」

澪「梓、17歳の誕生日おめでとう」

 そう言いながらふわりと、私の体を抱きしめてくれていた。
 澪先輩のほうから抱きしめていただいたことで一瞬思考が停止しかけるが、

梓「誕生日……あっ! 今日ってもしかして」

澪「そう、今日は11月11日、梓の誕生日だろ?」

 澪先輩の言葉で玄関前に掛けられているカレンダーを咄嗟に見ると確かに今日は11月11日……私の誕生日だった。

梓「私、すっかり忘れてました……」

澪「ふふっ、梓らしいと言えば梓らしいけど」

 私の耳元で澪先輩がくすくすと笑い、思わずドキッと私の心臓が跳ねる。

澪「本当は一緒に登校しようっていうのはただの口実でさ。本当は……」

 少し体を離し、澪先輩はすぐそばで私の顔を見つめる。

澪「誰よりも先にこうして、面と向かって梓の誕生日を祝いたかったんだ」

梓「澪、先輩……」

 ——実際に澪先輩に面と向かって祝われて、なんだか胸がじーんとする。

 わざわざ誕生日の朝にこうして来てくれて、真っ先に祝ってくれるなんて。
 それも——

澪「迷惑だったかな?」

梓「いいえ、そんなことないです」

 私は再び澪先輩の体にぎゅっと抱き着き、

梓「すごく嬉しいです……他の誰でもない、澪先輩から真っ先に誕生日を面と向かって祝っていただいてくれて」

 ありったけの感謝を込めて、お礼を言った。

澪「そっか……よかった」

梓「ん……」

 澪先輩もまた、私を抱き返してくれた。
 やっぱり、澪先輩は静かでそれでいて深く優しくしてくれる素晴らしい人だって改めて思う。

 だから私はこうして、澪先輩に甘えたくなっちゃうんだ——






 ——そしてその日の放課後の部活、

「ハッピーバースデーディアあずさー♪ ハッピーバースデートゥーユー♪」

梓「ふうーっ」

唯「おめでとーっ! あずにゃん!」

紬「おめでとう、梓ちゃん♪」

澪「おめでとう、梓」

律「おめでとうな、梓っ」

梓「あ、ありがとうございますっ」

 部の先輩たち皆で私の誕生日会を開いてくれて、ちょっと気恥ずかしいような、なんだか申し訳ない感じ。
 でもこうして誕生日を祝ってくれる人達がいるって、すごくありがたくって嬉しいことなんだよね。

律「梓も17歳かー、見た目はそれよりも若く見えるけどなー」

梓「む、そんなこと言ったら律先輩だって実年齢より若いですよ?」

律「おっ、そうか? いやー若いって困るなーっ」

梓「……皮肉で言ったんですけど」

律「ん?」

梓「いえ、なんでもないです」

紬「うふふ」

 17歳にもなって相変わらず体は女性らしく成長してないのは悔しいところだけど、それでもいつかは澪先輩やムギ先輩みたいにおっきくなってみせるんだからと心の中で改めて決意。
 願いとは叶えられないもの、なんて言う時もあるけどそんな言葉は私の手で叩き出すってものだ。

律「よっし、じゃあ各自持ってきたプレゼントを梓に進呈するかっ」

梓「そんな、プレゼントなんて」

澪「ふふっ、じゃあ私からな」

 そう言うと澪先輩は綺麗に包装された紙袋を取り出し、私に手渡してくれた。

澪「はい、梓。改めて誕生日おめでとうな」

梓「あっ、ありがとうございます……開けてみてもいいですか?」

澪「ん、ちょっと恥ずかしいけどいいよ」

 澪先輩からの了承を得て袋から取り出してみると、

梓「わあっ、ペンダントですね」

唯「わおっ、みどり色の小さな石がついてるよ!」

律「石っつーかそれを言うなら宝石な、唯」

紬「まあ、綺麗ね♪」

 澪先輩がくれたのは、緑色の小さな宝石がついたペンダント。
 緑色に光る宝石は大きさこそ小さいけど、きらきらと光っていてとても綺麗……。

澪「どうかな? 色は緑がいいかなと思ったんだけど……」

梓「ありがとうございますっ、すごく嬉しいです! でも高かったんじゃ……」

澪「いや、大丈夫だよ。安すぎず高すぎずってとこさ」

梓「本当ですか?」

澪「ああ、本当だ」

梓「……分かりました、本当にありがとうございますっ、澪先輩」

澪「ううん、どういたしまして。喜んでくれて何よりだよ」

 柔らかく微笑みながら私を見つめる澪先輩に、私も微笑み返す。

 またこれで私、一段と澪先輩のこと——

律「はいそこ、二人だけの誕生日会やってんじゃないぞー?」

澪「り、律?」

梓「ちょっと、律先輩ったら」

紬「うふふ、ごちそうさまっ」

梓「ム、ムギ先輩までっ」

唯「プレゼント、次はわたしだよー! 私からは新しいネコミミとネコの肉球を模したあったか手ぶくろを……」

 ともあれ、ますます盛り上がりそうな私のお誕生日会を前にして、どうやら今日ばかりはまともに練習が出来ないことを覚悟しておいたほうがよさそうだ——。


(おしまい)