「それじゃ行ってきます」

今日も朝早く律先輩が仕事に出かける
遠い職場なので私より1時間も早く出る

「気を付けてくださいね」

私がそう答えると律先輩は私の頭を一撫でして笑って出かけてゆく

律先輩は私に「そんなに早く起きなくていいのに」と言う
それでも私は律先輩と同時に起きる
仕事に行くまでに掃除とかいろいろできるし、とにかく時間を有効活用できる

もちろん一番の目的は律先輩を見送ることなのだけれど

「はぁ、寒」

私も職場へ行くために車に乗る
律先輩と一緒にお金を貯めて買った車
「何かの役に立つかもしれないから」と言われて取った免許は律先輩と同じMT免許
だから車もMT車
しかもかわいいのが良いからと古いヨーロッパの車
安かったけれど隙間風はひどいし冷房暖房なんてついていない、ギヤチェンジさえ特殊作業が必要な時もある、およそ現代の車に慣れた身からするとお粗末な車

そんな車に乗ってエンジンをかける
古い車なので冬は最初のうち、暖気運転をしなければならない


「よっ、と」

ヨーロッパの車なのでもちろんサイズもあちらに合わせてある
だから足をよく伸ばさないとペダルをうまく踏めない
律先輩には短足だと笑われたけれど律先輩もクラッチを踏むとき小さく声を出している

「律先輩、今日も大丈夫かなあ」

どうにも最近律先輩は体調がすぐれない
ここ3か月で2回は軽い風邪になっている

「律先輩、そんなにハードスケジュールで本当大丈夫なんですか?」

「大丈夫だって、それにいっぱいお金もらえるし」

そう、律先輩はお金をより多くもらうために無理をしている
あくまでも私には楽をさせて、というのが律先輩の考え

けれども私はそうは思わない
お互い働いて、お金を稼いで、一緒に暮らす
私はそんな関係を理想としている

あるときそんな気持ちを律先輩に伝えたら

「そっか、梓はそう考えてるのかー。よし、私ももっと頑張るぞ!」

と、ある意味扇動させる結果となってしまった。

スリップを恐れつつ私はなんとか職場についた


休み時間
食堂に行き、お弁当を食べていたとき携帯に着信がきていることに気が付いた
知らない番号だったけど隣県の番号であることは分かったから念のため折り返す

“田井中さんが勤務中に体調不良で倒れた”

私はそれだけ聞くとあとは適当に返事をして、上長に許可を取って、退勤処理をして車に飛び込んだ

暖気運転の時間がもどかしい
何をすればよいかわからず手をこすったり、足を動かしたりして暖を取る

ある程度、暖気運転が済んだらあとはもうスピードに身を任せた


息を切らしながら会社の保健室に入ると律先輩がベッドに横たわっていた
私が傍に寄ると律先輩がゆっくりと目を覚ました

「ああ、梓か」

まったく、なんですかその呼び方は
いつもいつも、私はこんなに律先輩のことを想っているのに
心配と、呆れと、愛おしい気持ちと、そんなものが全部ごっちゃになってしばらく言葉を発することができなかった

「まったく、せっかく気持ちよく仕事していたのに、邪魔しないでくださいよ」

いつまでたっても天邪鬼な私、本当の、素直な気持ちは伝えられない
それでも律先輩は笑って

「そうだ、梓と一緒に帰るんだ」

と言ってくれた


帰る、と言ったけれどそのまま帰らず病院に行った
行く途中「そういえば梓の運転する車に乗るのは初めてだなあ」なんて呑気なことを律先輩は言っていたけれど明らかに顔は疲れていた

診断してもらうと疲労が原因の軽い症状、暫く休めばよい、ということだった

「今日は私がご飯作りますね」

「大丈夫だって」

「ダメです。ちゃんと休まなきゃ!」

「でもお医者さんも言ってたじゃん、好きなこともしろって」

「まぁ、そうですけど」

いつも、いつも私は律先輩の世話になっている、という意識が強い
だからこんなときこそ、と思っていた

律先輩はそんな私の気持ちを察したのか

「今日は梓にいっぱい助けてもらって感謝してるぞ。ありがと」

と、私を抱きしめ頭を撫でながら言ってくれる

「で、でも」

私は大したことをしていない、まだ足りないということを伝えようとした
けれど

「いつの間にか梓の運転も上手くなっていたし、今日はいろいろ学んだよ」

と一層私を強く抱きしめた


一緒に寝る前、とうとう私は決心した
そして伝えた

「律先輩。今の会社、やめてください」

律先輩はすこし訝しげな顔をしながら

「それは出来ない、だって」

理由を言いかけたところに私は畳み掛ける

「律先輩がいつも私のことを想って、私に楽をさせたくて、多少キツくても仕事を続けてきたのは知っているつもりです」

「でも、律先輩、私は律先輩と一緒にいることが一番幸せなんです」

「お金も大事です。でも私にとって一番生きている上で大事なのは律先輩とともに生活することなんです!」

「だから、だからやめてください」

律先輩が少し困ったような顔をする
罪悪感のようなもので胸がきゅうと締めつけられる

「そうか」

小さな声でそう言い、少し間をおいてから

「わかった!今の会社やめる!」


その後すぐに律先輩は辞表を出して今は専ら職探しをしている
家も家賃の安いところに引っ越して、ありとあらゆるものを節約した
世間では以前の生活のほうが良い、とされるのかもしれない
けれど

「梓、料理もずいぶん上手くなったな」

「もうすぐ律先輩を追い越しますよ」

「なに、ちょっと料理できるようになったぐらいでこのバカ猫が!」

「見てろよー今度はだな…… 」

こんな我が家が私にとっては一番の楽園だ





最終更新:2014年12月07日 19:04