授業が終わり部室にやってきました。
でも、誰もいないみたいです。
……と、思ったらソファの上に1人。
遠目でもわかります。金色の髪をした彼女はムギ先輩です。
気持ちよさそうに、顔をほころばせて寝ています。
私は先輩の横に座り、本を読み始めました。

しばらく待っていても他の先輩たちはきません。
もう一度ムギ先輩を見ると、まだ気持ちよさそうに寝ています。
つられて私も大きなあくびを一つしてしまいました。
私は本を放り出してソファにもたれ掛かりました。

先輩と一緒にまどろみの中へ……。



むぎ「あずさおねえちゃん?」

梓「誰?」

むぎ「むぎだよ。あずさおねえちゃん」

梓「…誰?」

むぎ「だからむぎだよ! むぎのこと忘れちゃったの?」

梓「むぎちゃんって言うんだ。ねぇ、ここはどこかな?」

むぎ「おうちだよ」

梓「おうち?」


目を覚ますと、私の前には小学生ぐらいの女の子がいました。
金色の髪をした愛らしい彼女は、自分のことをむぎと呼びます。
でもこの特徴的な眉毛、どこかで見たような……。

まさか。


梓「えっとむぎちゃんの苗字はなんていうの?」

むぎ「みょうじ?」

梓「えーっと。うえの名前のこと」

むぎ「ことぶきだよ。おことのことにふえをふくのふくでことぶき。おねえちゃんわすれちゃったの?」


やっぱり…。
この小学生ぐらいの女の子はムギ先輩。
ということはこれは……夢かな?

梓「むぎちゃん。ちょっとほっぺたをつねってくれる?」

むぎ「そんなことしたらいたいよ?」

梓「大丈夫だから」

むぎ「じゃあ…えいっ」

梓「く、くすぐったいよ。もっと強く」

むぎ「えいっ! えいっ!」

梓「うーん。ちょっとわからない。そうだ、自分でつねればいいんだ」

私はほっぺをつねってみました。
ちゃんと痛い。
じゃあ夢じゃないってこと。
でも、痛いと感じてるのが錯覚だとしたら?
そもそも夢のなかだとつねられても痛くないって、何が根拠なんだろう。

梓「……わかんなくなっちゃった」

むぎ「あずさおねえちゃん、さっきからちょっとへん」

梓「ごめんね。むぎちゃん」

むぎ「ふふん。わかればいいんです」

梓「むっ、えらそうだね」

むぎ「うん。むぎはえらいんだよ」

梓「へーっ。どうして偉いの?」

むぎ「このまえピアノのこんくーるでゆうしょうしたんだから」

梓「へー。それは凄いね」

むぎ「あずさおねえちゃんもきてたのにわすれちゃったの? じゃくねんせいけんぼうしょう?」

梓「若年性健忘症……難しい言葉を知ってるんだね」

むぎ「ふふふ、むぎはなんでもしってるの」

梓「そうなんだ」

幼い頃のムギ先輩ってこんな感じだったのかな?
でもこれは夢の中だから、私の中で幼年期のムギ先輩がこんなイメージってこと?
そんなイメージなかったんだけどなぁ…。

菫「むぎー。かえりましたよー」

むぎ「あっ、おっきいおねえちゃん」

菫「おっきいおねえちゃんじゃなくて菫お姉ちゃんですよ」ギュー

むぎ「そんなにつよくだきしめたらいたいよー」

菫「また梓ちゃんと遊んでたんですね。ほんとうにむぎは梓ちゃんが好きねぇ」

むぎ「ふふん。むぎがあそんであげていたのです」

菫「まったく、梓ちゃんに似て偉そうな言葉遣いをするようになってしまいましたね。お姉ちゃん悲しいです」

むぎ「かなしいの?」

菫「うーそっ。むぎならどんなでもかわいいんですから」ギュー

えっ、むぎちゃんがこうなったのは、私のせいなの?


菫「あら、梓ちゃん、今日は大人しいですね」

梓「あっ、どうも。中野梓です」

菫「どうしたの? 突然自分の名前言って」

梓「う、うん。なんでもないよ」

菫「私はちょっとレポート書かなくちゃいけないので、むぎのこと頼みますね」

梓「はい、任せるです!」

菫「あっ、そこはいつもの梓ちゃんなんだ」

梓「…うん」

この菫というひとは大学生みたいです。
ムギ先輩にもこんなお姉ちゃんがいるのかな?
金色の髪だけど眉毛は普通だし。うーん……。

私のほうは……夢の中でも高校生みたい。
体格とかあんまり変わってないし。

しばらくむぎちゃんとお話して御飯を食べて、自分の部屋に戻りました。
どうやら私と菫さんは、むぎちゃんの本当のお姉ちゃんではないみたいです。
代々琴吹家の執事をやってきた一族の子供らしく、むぎちゃんの姉妹同然に育ってきたみたい。
執事服を着た父とメイド服を着た母の姿はちょっとしたカルチャーショックでした。

そして私はやっぱり高校生。
ムスタングもあったし、軽音楽部にも所属しているみたいです。
でも、ムギ先輩なしでちゃんと軽音部は活動できているんでしょうか?

少しだけわくわくしながら布団に潜り込みました。


次の日、目が覚めても私はこの世界にいました。
学校へ行くと、当然のように純と憂がいました。
普通に授業を受けて、それから軽音部の部室に行くと、先輩たちが私を待っていました。

唯「あっ、きたきた」

律「それじゃあ行くか」

澪「あぁ」

梓「えっ、どこへですか?」

唯「やだなーあずにゃん。あずにゃん家に決まってるじゃん」

律「あぁ、早くむぎちゃんのお茶を飲みたいしな」

澪「早くむぎちゃんを抱きしめたい…」


どうやら軽音部の活動は私の家…もといい、むぎちゃんの家で行われているようです。
私達が家につくと、むぎちゃんが歓迎してくれました。


むぎ「みんなすわってすわって」


むぎ「はい、ゆいちゃん。こうちゃだよ」

唯「ありがとうムギちゃん!!」ムギュ

むぎ「わっ、とつぜんだきついたらこぼれちゃいます」

唯「ご、ごめんね」

むぎ「だきつくときはかくにんをとらなきゃ、めっ! なんだから」

唯「う、うん」

むぎ「よしよし。しっぱいはだれにでもありますよ」

唯「慰めてくれるの?」

むぎ「もちろんです」

唯先輩……小学生にたしなめられてる。
それにしてもむぎちゃん小学生なのに貫禄あるなぁ。


むぎ「はい、みおちゃんもどうぞ」

澪「ありがとう。な、なぁ…」

むぎ「わかってます。どんときちゃっていいです」

澪「それじゃあ」ギュ

むぎ「ふふふ。みおはやさしくだきしめてくれるからすきです」

澪「ほ、本当か?」

むぎ「ほんとうです」

澪「うんうん。私もむぎがすきだぞ」

むぎ「ふふふ。みおはうわきものですね」

澪「う、うわき」

むぎ「だんなさんがこっちをみてますよ」

澪「り、りつ?」

律「べ、別に見てないぞ」

むぎ「はい。りつちゃんもどうぞ」

律「あ、ありがとう…」

むぎ「かいしょうなしのだんせいはだめですよ」

律「わ、わたしは女だ」

むぎ「かいしょうなしはじょせいでもだめです」

律「う、うん。わかってるよ」

むぎ「ほら、みおちゃんがこちらを見てますよ」

律「あ、あぁ」

むぎ「ふふふ。あのふたりはおにあいですね」

梓「そ、そうだね」

小さくてもやっぱりムギ先輩はムギ先輩だ。
あれ、むぎちゃんが紅茶を飲みはじめた…?

梓「あの…むぎちゃん?」

むぎ「なんですか?」

梓「私のぶんの紅茶は…?」

むぎ「あずさおねえちゃんはいつもじぶんでいれてるじゃないですか」

梓「あっ…そうだったね」

むぎ「あ、わかりました。むぎにあまえたいんですね」

梓「え」

むぎ「ちょっとまってね。いまよういするから」

梓「う、うん。お願いするね」

むぎ「ふふん。あずさおねえちゃんはしかたないですね」

なんだかむぎちゃん嬉しそう。


むぎちゃんの紅茶を飲んだ後、先輩たちは楽器を取り出しました。
ちゃんと練習はするみたいです。
もしかしたら現実世界より真面目かも。

しばらく演奏していると、いつの間にかむぎちゃんがいなくなっていました。
そういえばさっきインターホンの音が聞こえたような…。
見に行ってみようかな。


むぎ「…」

純「この子、梓が言ってた…」

憂「むぎちゃんかな。かわいいね」

純「なんだか怯えてるみたいだけど」

むぎ「…」

憂「あはは…」

梓「あれ? 純と憂、どうして…」

むぎちゃんは口をぎゅっとして私の後ろに隠れてしまいました。
私の服を掴んで、ちょっとだけ震えてるみたい。怖いのかな?

梓「むぎちゃん。この人達は大丈夫だから」

むぎ「ほんとう?」

梓「ほんとうだよ」

むぎちゃんは恐る恐る私の横に出てきました。
私はむぎちゃんに二人を紹介することにしました。

梓「こっちは憂。唯先輩の妹だよ」

憂「はじめまして、むぎちゃん」

むぎ「ゆいちゃんのいもーと?」

憂「うん」

むぎ「むぎとおんなじ?」

憂「そうだよー」

むぎ「よろしくおねがいします」

憂「うん。よろしくね」


むぎ「こっちのおねえちゃんは?」

純「私? 私は梓の友達で…」

むぎ「あずさおねえちゃんのおともだち?」

純「うん。親友なんだよー」

梓「えー?」

純「な、なんだよ」

むぎ「…」

梓「むぎちゃん、どうしたの?」

むぎ「あずさおねえちゃん。おともだちはたいせつにしなきゃ、めっ! だよ」

梓「えっ、私が怒られるの?」

純「怒られてやんの。やーいやーい」

むぎ「じゅんちゃん」

純「な、何かな、むぎちゃん?」

むぎ「ふつつかなあねですが、これからもなかよくしてくださいね」

純「う、うん…」

梓「それで二人はどうしてここに?」

純「…」

憂「…」

梓「顔を見合わせてどうしたの?」

純「だって…」

憂「うん…」

梓「むぎちゃんは何か知ってる?」

むぎ「ううん、しらない」

憂「梓ちゃん。今日は梓ちゃんの誕生日でしょ」

梓「あっ」


ムギ先輩の隣で寝たのが11月10日だったから、次の日は11月11日。
今日は私の誕生日なんだ。

梓「それじゃあ二人は…」

純「うん。お祝いにきたってわけ」

憂「お誕生日おめでとう梓ちゃん」

むぎ「あずさおねえちゃんのたんじょうび…」



菫「むぎー。かえりましたわよー。あら、みんなもうきてたんですね」

むぎ「おっきいおねえちゃん!」

菫「きょうは梓ちゃんの誕生パーティーをやるために早く帰ってきたんですよ」

梓「私の誕生パーティー?」

菫「はい、それはもう盛大にやるんですから」


菫さんの言ったとおり、私の誕生パーティーは盛大に行われました。

ちょっとしたハプニングはありました。
唯先輩と菫さんが妙な意気投合をしたり。
シャンメリーで酔ってしまった澪先輩が延々と律先輩に愚痴を言ったり。
純とむぎちゃんがドーナツで輪投げを始めたり。

みんなおおはしゃぎで、とても楽しい時間を過ごしました。
そして最後はみんなが私にプレゼントを渡してくれました。

唯先輩は写真立てを。
澪先輩はCDを。
律先輩は熊のぬいぐるみを。
純はとびきりの笑顔を。
憂はとても綺麗なボールペンを。
菫さんはとびきり美味しいケーキを。
それぞれ私にくれました。


それからみんなでケーキを食べて、解散となりました。
菫さんは後片付けへ。
楽しいパーティーでしたが、ちょっとだけ気にかかることがありました。
ケーキを食べ始めた頃から、むぎちゃんの様子がおかしかったのです。


梓「むぎちゃん? 具合でもわるいの?」


むぎちゃんはしばらくばつが悪そうな顔をした後、勢い良く言いました。

むぎ「あずさおねえちゃんごめんなさい!!」

梓「ん? なんで謝るの」

むぎ「ぷれぜんとよういしなかったから」

梓「プレゼント? そんなの気にしなくていいよ」

むぎ「だめなの」

梓「いいよ。プレゼントもらうようなことしてないんだから」


この世界で私は良い姉ではない。
まだ一日も過ごしていませんが、間違いないと思います。
きっと菫さんのほうがずっと良い姉でしょう。


梓「だって、お姉ちゃんらしいことしてないでしょ」

むぎ「ううん。そんなことない。いっぱいしてもらったの」

梓「たとえば?」

むぎ「いつもあそんでくれるの」

梓「むぎちゃんが遊んであげてるんじゃないの?」

むぎ「…」

梓「あっ、ごめん…」

むぎ「ううん。あやまるのはむぎなの」

梓「…」

むぎ「あずさおねえちゃんにはいっぱい、ほんとうにいっぱい、してもらったの」


むぎちゃんは辿々しい口調でいろいろ話してくれました。
ピアノの練習でつらいことがあると、いつも私が励ましてくれること。
軽音部のみんなを連れてきてくれたことを、本当に感謝していること。
玩具で遊ぶ時間よりも、私とおしゃべりしている時間のほうが楽しいということ。
さっきも知らない人からかばってくれて、嬉しかったということ。
その他にもいっぱい、いっぱい話してくれました。

それは私じゃないと言っても、むぎちゃんは聞き入れてくれないでしょう。
それなら、伝えるべき言葉はひとつだけです。


梓「それじゃあむぎちゃんに誕生日プレゼントをおねがいしちゃおうかな」

むぎ「でも、なにもよういしてないから…」

梓「別に遅れてもいいんだよ。純もそうするって言ってたし」

むぎ「そうなんだ」

梓「じゃあ…そうだね。手作りのケーキをお願いしようかな」

むぎ「けーき?」

梓「うん。むぎちゃんにできるかな?」

むぎ「ふふん。むぎのじしょにふかのうのよんもじはないのです」


すっかり元気になったむぎちゃんは、書斎から料理の本を持ってきてソファで読み始めました。
しばらくすると疲れたのか、むぎちゃんは眠ってしまいました。

そっとむぎちゃんの体を持ち上げ、膝枕してあげました。

さっきむぎちゃんが言っていたようなこと。
お姉ちゃんとしてむぎちゃんにしてあげられること。
ずっと一緒にいれば、いつかそれができるんじゃないかな。
そんな思いが浮かびました。

むぎちゃんの横顔を見ていると、急に眠気がやってきました。
数分後、私も眠りにつきました。

深い、深い眠りに。


梓「…」

紬「あっ、起きたんだ」

梓「……むぎちゃん?」

紬「…」

梓「あ、ムギ先輩」

紬「おはよう。梓ちゃん」

目の前にはムギ先輩が。
あぁ、夢から覚めたんだ。
じゃああのむぎちゃんにはもう……。


紬「ねぇ、梓ちゃん」

梓「…?」

紬「ショートケーキとチーズケーキとチョコレートケーキ、どれが一番好き?」


――――
―――
――
あれから一週間ぐらいしたある日。
いつものように私は部室に行きます。
扉をあけて挨拶をしても、返事はきませんでした。
でも、誰もいない…というわけではないみたい。
この寝息はたぶんムギ先輩です。

私は先輩をおこさないようにそっと近づき、横に座ります。
しばらくすると睡魔に襲われて、夢の世界へ旅立ちます。
そう、あの世界に。



むぎ「あずさおねえちゃん。きょうもあそんであげます」




おしまいっ!




最終更新:2012年11月12日 21:20