”さそり座”なんて言っても本物のさそりが空の上にいるわけじゃない。

ただ空の上でバラバラに散らばっているようにしか見えない星と星を結びつけて、それを”⚪︎⚪︎座”って名前をつけてしまうなんて、昔の人の想像力ってすごいなと思う。

何もないように見えるところに一つの形を作り上げてしまう。
一旦名前の付けられてしまったそれは、以後ずっとその名で呼ばれる。

この広い夜空に広がる星たちの名前は、全て誰かが作り上げたものなんだ。

本物のさそりじゃない。ニセモノ。
そうであったらいいな、というだけの、想像の産物。

真っ暗な夜空に浮かぶ星が、一際明るく光を放った。

眩しさに一瞬目を閉じる。

星が弾けた。

「あっ」

つられてひとつふたつ…どんどん星が弾けていく。
鮮やかな色を光を放って弾けるそれは、まるで花火のようだった。

丸く綺麗な弧を描いて星は弾けていく。


「花火、また二人で見に行きたいね」

……また?

「…行ったじゃない。忘れちゃったの?」

…。

「大丈夫、あなたが忘れちゃったとしても、わたしが全部覚えてるから」

…。

「どうしたの。黙ったまま……」

カチューシャ。

「カチューシャ?これがどうかした?」

…いつからしてた?

「何言ってるの?昔からしてたじゃない。あなたと出逢ったときからずっとこうじゃない。

 忘れちゃったの?」

…。

「ヘンなの」

…ああ。ヘンだな。おかしいよ。

「そうよ。あなた、おかしいわ」

そうだ。おかしい。
そのカチューシャ……
























全然似合ってないよ。
























「……え」

いつもはカチューシャなんて、つけてなかったろ。

「…してるよ」

してない。

「…してるもん」

こうしてる間にも星は弾け続けていく。
ぱちんぱちんとポップコーンが爆ぜるみたいに弾けていく。

星が弾けるときの光が集まって、ふたりを照らした。

ムギはカチューシャであらわになった額を覆うように両手で顔を隠していた。

「全部…覚えてないの?」

「違う。覚えてないんじゃない。なかったんだ」

「…あるよ」

「ないよ。
 ……他人の思い出を間借りしても、何の意味もないよ」

星が減って、空はまたどんどんと暗くなっていく。

ムギが顔を上げてわたしの目をじっと見た。


「ねぇ澪ちゃん。星の数って、偶数だと思う?それとも奇数だと思う?」

「……」

「わたしはね、偶数ならいいな、って思うの。奇数は、嫌いだから」

そう言って、カチューシャを外して首を左右に振ると、長く伸びた金色の前髪が彼女の青い目にかかった。


「バカみたいね、わたし」


瞳を隠す前髪のせいで、表情は見えない。

鼻先に冷たさを感じて仰ぎ見ると、灰色の空から雨粒が降ってきていた。
続いて雨音が戻ってくる。

「…雨。いつまで降るんだろ」

「雨はやまないよ。ずっとずっと。世界が水の底に埋まるまで。それでもう世界はおしまいなの」

「困るよ、それじゃ」

「澪ちゃんは、梅雨がキライ?」

「どうだろ。決して好きってわけでもないけど…キライでもないよ。雨を見て詩をつくるときもあるし…ムギは?」

「キライ」

「好きかと思ってた」

「どうして」

「だって」


「だって…









 誕生日、もうすぐだろ?わくわくしたり、しないのか?」


















「…覚えててくれたの?」

「忘れるもんか。軽音部でわたしが一番最初にムギの誕生日、教えてもらったんだぞ。
 忘れるわけ、ないじゃないか。ほら、うどんのキーホルダー、あげただろ?

 ねぇ覚えてる?」


…忘れちゃったかと思ってた。全部。

澪ちゃん、ズルいね。不意打ちだよ、そんなの。
わたしはポケットの中のキーホルダーをぎゅっと握りしめた。
いつだって持ってるキーホルダー。わたしのお守り。

「だから雨が上がらないと困るんだ。学校の外に出られなきゃ、困るんだよ。

 プレゼント、用意してるんだから。渡せなくなっちゃう…だろ」






やわらかい。

いつの間にか真後ろに立っていた澪ちゃんが、背中からわたしを抱きしめていた。
お互いの身体は雨に濡れて冷たいはずなのに、ちっとも寒くなんかなかった。


ねぇ覚えてる?

あの日もこうやってわたしの腰に、腕を回してくれていたね。


鼓動のスピードがどんどん増していることに気づかれないように、ゆっくりと深呼吸を繰り返したけれど、無理みたい。どうしようもないわ。



「ひとつだけ、お願い。約束して」


「なに?」


「誕生日に欲しいものがあるの」



ねぇ。わたしが今までどんなきもちで澪ちゃんのこと見てたか、あなた知ってる?
知らないよね。それなのにこんなこと言って…
ねぇ。今わたしがどんなきもちなのかわかる?わかんないよね。でもね、それじゃ困るの…


「いいよ、なんでも言って」


わたしをこんなきもちにさせておいて、ただじゃおかないわ。
だからね、澪ちゃん。ひとつだけ、お願い。







「さぬきうどん、食べに連れてってね♪」







これは借り物の思い出じゃないよ。ほんとうのことだからね。だからぜったいにわすれないでね。
きっと。やくそくよ。








風が吹いた。
靡いた前髪の間から、ムギのニコッと笑う顔が見えたかと思うと世界がぐるっと反転して、
わたしは空をめがけて落ちていった。

すべての星が弾けたと思っていた夜空にはまだ、
赤い星がふたつ、輝いていた。


-大学三回生、梅雨。


「それじゃまるで、わたしがストーカーみたいじゃない……」

この街全部が見渡せる坂のいちばんてっぺんで、ムギが不満そうに呟いた。

「澪ちゃんひどい。わたしのこと、そんな風に見てたの?」

「いや……ゼェゼェ そう いう わけじゃ ヒィフゥ だって ハァハァ ゆめだし……しょうが ないだろ……」

「…澪ちゃん 意外と体力ない」

「……う うるさい」

太ももはピキピキしっぱなしだし、膝もガクガクする。
額の汗を拭う気力もなく、自転車をムギに預けたままわたしは両手を膝について肩で息をしていた。

「澪ちゃん、背中。ブラ、透けてるよ」

「えっ、ホント!?うわぁ…どうしよ…」

「ハァ・・・クールでかっこいい澪ちゃんはどこに行っちゃったのかしら……なーんかゲンメツ」

「そ そんなこと言うなよ・・・わっ」

頬にピタッと冷たさを感じて顔を上げた。
視線の先にムギの悪戯めいた笑顔。


「えへ。はい、カルピスソーダ。澪ちゃんこの、白くて甘くてしゅわしゅわするの、好きだったよね~。
 あ、それともビールのほうがよかった?」

「バカ。まだ日が暮れる前だぞ。それに自転車だって飲酒運転で捕まるんだ」

マジメねぇ…わたしは休みの日なら昼からでも飲むわ。それに缶一本くらいじゃ、顔に出ないから絶対にバレないし。

余裕綽々といった感のムギは、笑いながらトートバックから取り出したタオルを手渡してくれる。
随分と準備いいな。さすが経験者。

ごくごくと音を鳴らしながら、喉を通って身体の中を流れていく。
乾いた全身に炭酸飲料が染み渡っていく。

「ああ、生き返る…ってオイ」

プシュ

「おっとっと…こぼれちゃうこぼれちゃう…もったいないもったいない…」

「飲むのかよ…」

「え?だってせっかく買ったんだもん。澪ちゃん、飲まないんでしょ?もったいないじゃない」

星のマークがついた缶ビール。
腰に手を当て腰を大きく反らすと、音を鳴らして流し込んでいく。
よりよって500ml…。まぁいいか。今日のところは多めに見よう。
漕ぐのは帰りもわたしだし。


「さて、帰りましょうか」

「え。もういいのか?」

「だって今日曇ってるから夕日見えないし。明日の朝、家出るの早いし」

「いやまぁそうなんだけど…ここに来たいって言ったのムギはじゃないか」

「そうよ。このしんど~~~い上り坂をね。
 自転車の後部座席に乗って優雅にのんびり上るのがわたしの夢だったの~☆」エヘ

可愛らしい眉が垂れ下がる。
最近短めに揃えた前髪のせいで、年齢以上に幼く見えるムギ。
この可愛らしい女の子のお腹に黒いものが潜んでいるなんて、誰が思うだろう……

「…な……それなら原付でもよかったじゃないか……!」

「澪ちゃんご自慢のベスパ?ああ、あれじゃダメよ。
 だって、筋肉痛はもちろん、あのときのわたしが体験した感覚全てを澪ちゃんに体験してもらうのが今回の狙いだったんだもん。
 おかげで当初の目的はほぼ達成したわ☆」

「そ、そんなことのために…大体あのときだって漕ぎたいって言い出したのムギだろ!わたしは途中で替わろうか?って何度も言ったじゃないか!」

「ふーん、自分に都合のいいことは随分細かいところまで覚えているのね」

…もう何を言ってもどうにもならない気がして、わたしは大きくため息をついた。

雲に覆われて夕日は見えないし、灰色の街はお世辞にもきれいだとは思えなかった。
京都タワーもちゃちなロウソクにしか見えない。感動を呼ぶ要素はひとかけらもなかった。

せめて雨が降らなかったことだけが幸いかな。


「ほら、もう行こう」

「あれ?もう飲んだのか?」

「残りは自転車の後ろでゆっく~~~り楽しむことにするの♪」

「そうですか…」

突っ張る太ももに鞭を打つようにして足を上げて自転車にまたがる。
硬いサドルがおしりに厳しい。
荷台にムギが腰掛けるのを確認して、えいやっ、とペダルを踏み込んだ。

長い坂道をゆっくりと下っていく。
ひんやりとした風が火照った身体を通り過ぎる。
ムギは右手をわたしの腰に回して、左手でビールをちびちびやりながら時々口笛を吹いて上機嫌だ。

うしろのムギが転げ落ちたりしないように、ブレーキを程よくかけながら、ゆっくりゆっくり坂道を下っていく。

「随分ゆっくり下るのね。澪ちゃんってホント小心者なんだから」

誰のためにゆっくり下ってると思ってるんだ……!
でも、声には出さない。

「…ここまで来るのに、時間がかかったね」

「上りは仕方ないだろ…最近運動してないから体力落ちちゃって…自転車乗るのも久しぶりだし」

「ちがうちがう。うどんよ、うどん。

 さ ぬ き う ど ん !」

「……あ、ああ。そっちか」

「誕生日に本場のさぬきうどん食べさせてやる、って約束してくれてから、もう何年経ったのかしら?」

「高校生の財力じゃカンタンに香川まで行けるわけないだろ… (イヤミっぽいなぁ、昔はこんなんじゃなかったのに…)ボソ 」

「なにか言った?」

「なにも」


坂の途中で、坂を上っていく自転車の高校生二人組とすれ違った。
わたしたちと同じ真っ赤な自転車に乗っていた。

まるで鬼みたいな顔して必死にペダルを漕いで坂を上っていく。
今日は夕焼け、見れないぞ?
罰ゲームかなにかか?
まぁ、夕焼けが見れなくっても、案外上る価値、あるんだけどな。












ムギの身体がわたしの背中に密着した。
ビール、飲み干したのかな。
わたしの身体を伝ってムギの心音が響いてくる。
少し鼓動が早いのは、アルコールのせいか、
それともわたしの心音と混じってしまってるせいか、
どっちだろう。







ムギが耳元でふっと囁いた。
わたしはそれに頷く。

腰に回した両手の力が、また強くなった。
ブレーキを緩める。

自転車はスピードを上げて長い坂を下っていく。

風が吹いている。

最高速度を超えて、このままどこへでも行けそうな気がした。




おしまい。






最終更新:2015年07月02日 07:59