最初は、悪い夢だと思っていた。
始まりがいつだったのか、もう思い出せはしない。
私が二度目の産声を上げた時、
また一から人生をやり直せるという楽観的な期待しかなかった。
前世の記憶と精神を引き継いでいる状況に、優越感さえ持っていた。
勉強なんかしなくたってテストは簡単で、落ち着いた雰囲気で優等生に扱われて。
でも、駄目だった。
抗えない運命というものがあるのなら、それを変えることはできなかった。
死へと至る道筋は、何度繰り返しても避けることはできない。
真っ白な雪が積もる日に、私は死に続ける。
どんなに歩き続けても、積み重ねた全てがゼロに戻される。
永遠に大人になれないまま、高校さえ卒業できないまま死に続ける。
自ら死を選ぶことさえできず、
永久にやってこない未来のため、閉じた世界に生き続ける。
どんなに仲良くなった友達だって、『次』 に会えば忘れられている。
私だけが取り残されたまま、思い出のすべてが無かったことになっている。
この孤独を、繰り返す絶望をわかってくれる人なんているわけがない。
きっと信じてくれる人さえ存在しない。
ずっとそう思って生きていた。
やがて雪が積もり始めるころ、
姉と過ごした十数年が終わるのだろう。
二度と始まって欲しくなかったはずの人生が、
不器用だけど寄り添って過ごした毎日が、今はただ悲しい。
信じてもらえなくていい。
全てを打ち明けよう。
私が繰り返した生と死の全てを。
その狭間に響いたメロディを。
熱のせいでおかしなことを言い始めたと思ってくれればいい。
馬鹿げた作り話だと笑ってくれればいい。
残された時間を、その笑顔のために生きよう。
冷たい心の底を照らしてくれた光のために。
私はもう、ひとりぼっちじゃない。
こんなに強く誰かを抱きしめたのは初めてだった。
すっかり冷めてしまったおかゆが、温かく思えた。
全てを打ち明けた私に、彼女は優しく微笑んだ。
ずっと一人で抱え込んでつらかったね、と泣いてくれた。
気づいてあげられなくてごめんね、と抱きしめてくれた。
ありったけの涙と弱音を吐き出し、いつの間にか風邪は治っていた。
どこかぎこちなかった私たちの距離も、いつの間にか。
どこにでもいる普通の姉妹のように、私たちは過ごした。
勉強を教えたり、ギターを弾いて歌ったり、
一緒に買い物をしたり、料理を作ったり。
失われた時間を取り戻すように。
残された日々を大切に抱きしめるように。
私がいついなくなってもいいように。
必ず私を守ると言ってくれた姉のために。
きっと運命は変えられると信じた。
私たちなら、きっと。
いつの間にか季節は過ぎて、
灰色の空から雪が降り始めた。
彼女たちが最後の学園祭を終え、大学受験を控えた冬の日。
真っ白なため息が浮かんでは消えていく、雪が降る日のことだった。
信号待ちをしていると、
私を見つけた彼女が向かい側の道路から駆け寄ってきた。
子供みたいに輝く笑顔に、私はつられて微笑んだ。
そんな笑顔は、駆け寄る私の目の前で凍りついた。
すぐ傍で爆発したように響く車のブレーキ音。
危ない、と叫んだ姉に突き飛ばされて倒れる。
はね飛ばされ、冷たい地面に叩き付けられる姉の姿を
スローモーションで眺めながら、私は今さら気がついた。
抗えない運命があるのなら。
それは 『私』 にではなく、『
平沢唯』 にだったのだと。
死ぬよりつらい痛みがあることを。
遠くからサイレンの音が聞こえる。
仰向けに倒れて動かない彼女に、静かに雪が降り積もる。
私はふらつきながら駆け寄って、彼女を呼んだ。
お姉ちゃん。
ゆっくりと目を開けて私を見つけた彼女が、
小さくかすれた声で応える。
……やっと、お姉ちゃんって呼んでくれたね。
どうしてお姉ちゃんがこんな目に遭うの?
死ぬのは私のほうが慣れてるのに。
つらい思いをするのは私だけでいいのに。
ずっとそばにいてあげられなくて、ごめんね。
頼りにならないお姉ちゃんで、ごめんね。
そんなことない。
いつまでも一緒にいたいって歌ってくれたじゃない。
こんな私を守ってくれたじゃない。
私も憂みたいに生まれ変われるのかな。
生まれ変わってもまた、憂のお姉ちゃんになりたいな。
また、憂に逢えるのかな……
そんなのまるで、お別れの言葉みたいじゃない。
このままいなくなっちゃうようなことを言わないで。
お願いだから、私を置いていかないで。
もう私をひとりぼっちにしないで。
目を閉じないで。
もし私にも生まれてきた意味があるなら、と彼女はつぶやいた。
自分が身代りになってでも守ってあげたかったんだ、と涙をこぼした。
いつか憂がそうしてくれたみたいに。
雪の結晶のように綺麗な涙に見とれながら、私は気がついた。
今まで助けようとした子猫や子犬たちに、
何度生まれ変わっても再会できなかった理由を。
私たちがめぐり逢えた奇跡を。
私、最後にお姉ちゃんらしいこと、してあげられたかな。
私の涙を拭きながら、彼女はそっと微笑んで見せた。
彼女が歌詞に書いたような、とびっきりの笑顔で。
憂、私の妹に生まれてきてくれて、ありがとう。
私だって、お姉ちゃんの妹になれて幸せだったよ。
私が何度も繰り返した時間は無駄じゃなかったよ。
こうしてお姉ちゃんにめぐり逢えたんだから。
憂、私はきっと……
私たちはきっと、
この日のために生まれてきたんだね。
涙の跡をそっと拭った手が、力なく落ちた。
私はいつまでもその手を握りしめた。
あなたがどこにもいかないように。
ひとりぼっちにさせないように。
生きて。
彼女の唇は、確かにそう動いた。
あまりにも小さな声は、救急車のサイレンにかき消されていった。
握り続けた手に、涙に濡れた頬に、冷たい雪が降り積もる。
私たちの残した足跡と、思い出の全てを覆い隠すように。
寒がりな二人を包み込むように。
生きたい。
生まれて初めて、心からそう願った。
あなたの犠牲の先にではなくて。
自分が代わりになるんじゃなくて。
私は、あなたと同じ明日を一緒に生きたい。
止まっていた時間が動き出した。
雪が融け始めるように、ゆっくりと。
舞い散る雪が桜の花びらに変わるころ、私は再び軽音部に入った。
顔ぶれが変わっても、懐かしい部室はあの頃のままだった。
部室で他愛のない話をしながら、
入部してくれる新入生を探したり、不揃いな音を合わせたり。
相変わらずゆるやかな時が流れる放課後に、あの頃の私たちを重ねる。
お姉ちゃんに似てきたと言われるたびに、笑顔がこぼれる。
もう一度音楽に触れることで取り戻しつつあった、本当の笑顔。
本当の意味で生まれ変わった私が、そこにいた。
動き始めた時間はあっという間に流れ始め、
学園祭の時期が近づいていた。
再び軽音部に入ったのは、
学園祭でどうしても歌いたい曲があったからだった。
私にとって、本当の意味で最後の学園祭。
このステージに立つのは何年ぶりだろう。
ここでスポットライトを浴びるのは何度目だろう。
どんなに眩しい光でも、もう目をそらさない。
私たちを繋ぎ止めてくれた歌を、
二人を巡り逢わせてくれた歌を、私はゆっくりと歌い始める。
せいいっぱい優しく奏でたギターに、願いを込めて。
私の追いかけ続けた曲に、あなたがくれた言葉を乗せて。
この声が、どうかあなたの心へ届きますように。
キミがいないと何もわからないよ
砂糖としょうゆはどこだっけ
もしキミが帰ってきたら
びっくりさせようと思ったのにな
前に進もうとしていないだけだった数百年と、
あなたと過ごした十数年を想い、私は歌う。
長い年月を生きた私に、様々なことを教えてくれた日々。
どうしようもなく幸せな毎日だったと、今なら伝えられる。
両親がいない日には、ひとりぼっちの夕食の寂しさを忘れさせてくれた。
目覚めた時、誰かが傍に居てくれるという安らぎを与えてくれた。
帰りを待っていてくれる誰かがいることが、
ただいまを言える誰かの存在が、こんなにも幸せなことだと知った。
キミについつい甘えちゃうよ
キミが優しすぎるから
キミにもらってばかりで
何もあげられてないよ
私は、心寄せる誰かを作ってはいけないと思い込んでいた。
いなくなってしまう私のために涙する誰かを増やしたくなかった。
誰とも心を通わせず、ずっと一人でいたほうが苦しまずに済むはずだった。
忘れてしまったほうが心を痛めないはずだった。
そんな私の小さな思い込みを包み込んで、
呪われた運命の全てを照らしてくれた人。
キミがそばにいることを
当たり前に思ってた
こんな日々が
ずっとずっと続くんだと思ってたよ
伝えきれない気持ちが溢れて止まらない。
声が震えて、言葉がつまって、うまく歌えない。
私の不格好な歌声に、世界で一番優しい声が重なる。
ひとりじゃないよ、と微笑みかけるように。
ごめん 今は気づいたよ
当たり前じゃないことに
まずはキミに伝えなくちゃ
ありがとうを
生と死を繰り返す少女がいた。
他人の不幸を悲しみ、誰かの笑顔に微笑む、普通の少女だった。
きっかけが何だったのか、始まりがいつだったのか、誰にもわからない。
少女が人に無関心だったのなら、普通の人生を歩んでいたのかもしれない。
最初は子犬だったろうか。 野良猫だったろうか。
幼い子供だったろうか。 老人だったろうか。
始まりはブレーキを踏み損ねた車だったろうか。
バイクかトラックか、冷たい川か、火事だったろうか。
ほんのささいなきっかけで命が消え去ろうとする瞬間、
自らを犠牲に他の命を救うたび、少女は再び生を与えられた。
少女の不幸は、そんな場面に幾度となく遭遇してしまうことではなく、
誰も見捨てられないことだった。
死を迎えるたび、少女にだけ聴こえる歌があった。
儚く途切れながらも、美しく心地よい調べ。
生と死の狭間でだけ響く、安らかな旋律。
少女はそんな歌声を追いかけた。
かすかな記憶を辿り、少しずつ音をかき集めた。
いつしか死を受け入れることが怖くなくなった。
歌を聴く回数が増えるたび、
少女の笑顔から輝きが失われていった。
心から笑えた日はいつだろう。
気の遠くなるような永い時間の中で、少女はいつもひとりぼっちだった。
少女がどんなに仲のいい友達を作っても、
生まれ変わった少女を知っているはずがなかった。
過ごした時間は、全て失われてしまうのだから。
共有したはずの思い出は、少女の中にしか残されていないのだから。
5度、6度と繰り返す度に少女は気づく。
これは神の祝福や奇跡などではなく、呪いなのだと。
自分には、生きる意味が何もない。
人と深く関わることを諦めて、心を閉ざしたはずだった。
永い年月の果て、絡み合った運命に引かれ合い、
少女は奇跡にめぐり逢った。
キミの胸に届くかな
今は自信ないけれど
笑わないで どうか聴いて
想いを歌に込めたから
大切な誰かを想い、人は涙を流すのだろう。
心から幸せを願い、微笑むのだろう。
私に笑顔と涙を思い出させてくれた人。
こんな私を救うために笑い、涙してくれた人。
あなたの心に響いてくれれば、それでいい。
ありったけの 「ありがとう」
歌に乗せて届けたい
この気持ちは
ずっとずっと忘れないよ
この想いが、真っ直ぐに届いてくれればいい。
私は、自分が何度も生まれ変わった理由を考えた。
それはきっと、誰かのために生きたいと願ったからだった。
心寄せる誰かが欲しいと祈ったからだった。
客席から手を振る笑顔に、私はそっと微笑みを返す。
私に生きる意味を与えてくれた光に。
歌い終わって真っ白になった頭で、
傷跡が残らなくて良かったね、などと場違いなことを考えていた。
涙が溢れて止まらなかった。
あの時とは違う。
本当の笑顔から零れる涙は、幸せの結晶のように輝いていた。
私だけじゃない。
ひとりぼっちじゃない。
道標のない道を、誰もが手探りで歩いていく。
私たちが乗り越えた運命を、
あなたが繋いでくれた未来への道を、ゆっくりと歩き出す。
つまづいたり、立ち止まったり、
道を見失ったりしながら、それでも前に進んでいく。
これからいくつもの悩みや痛みを抱えこむこともあるだろう。
傷ついたり、迷ったり、立ち止まる時もあるだろう。
どんなにつらくても、
二人で分け合ったなら、きっと重くない。
ねえ、あの頃の私。
不安と孤独をひとりぼっちで抱え込んで、
生きる意味さえ見失っていた、あの頃の私。
心配しなくていい。
あきらめることなんてない。
生きる意味なんて、すぐに見つかるから。
幸せを支え合える誰かに、必ずめぐり逢えるから。
大切な人を見つけることができたなら、
その傍にいることができたなら、きっと誰よりも優しくなれる。
憂という名前に込められた願いを、いつか形にできるように。
おわれた
クソ忙しかったのもあるけど憂誕に間に合わなくてダラダラ書いてたら
完全に季節外れになってしまった
元々は去年の唯誕に考えていたという超難産っぷり
いつもセンパイシリーズの劣化版みたいなコメディばっかり書いてたせいか
真面目に書こうとするとギャグの前フリみたいな感覚になって
夢オチにしてぶっ壊したり、バッドエンドにしてみたくなる衝動を抑えるのが大変だった
元ネタというかこういう現象?を扱った作品は山ほどあるけど
最も参考にさせてもらったのは、某作家が山白朝子名義で書いた
『ラピスラズリ幻想』 と 『死者のための音楽』 という短編です
あと有名な(?)レスも引用させてもらったけど
『人が隣にきたときに優しくなれる』 みたいな発想を生み出せる人ってすごい
最終更新:2015年08月12日 05:30