◇
――梓ちゃんが、唯ちゃんの所へ向かったらしい。
「一人で来て欲しい」と言われたらしく、他の皆は待ちぼうけを食う事となった。
唯ちゃんと梓ちゃんのご両親、そして和ちゃんは、戻ってくると信じて唯ちゃんの家で待機。
澪ちゃんは、自分を追い詰めすぎて疲れ果てているりっちゃんのそばに。さわ子先生が二人を送ってくれるそうだ。
そして私は……一人であの病院へ向かった。
紬「先生!」
医者「……ああ、これは琴吹のお嬢様。何かありましたか?」
紬「……何か、というわけではないですけど……」
そう、何かがあったわけではない。
ただ、嫌な予感がしてならない。
紬「…先生、本当に処置は成功していたんですか?」
医者「……確かに、あの子の記憶は一向に戻らない。お嬢様が不安になられるのもわかります」
確かにそれもある。でも多分それだけじゃない。
梓ちゃん以外の皆は、たとえ記憶が戻らなくても友達として過ごすと決めている。
記憶が戻らなかった、それだけなら諦めもつく。嬉しい事じゃない、そこに一人の女の子の犠牲と覚悟があったのは確かなのだから、嬉しくはない。
けど、諦めはつく。『唯ちゃん』が帰ってこない事自体には、諦めはつく。
唯ちゃんは死んだ。その揺ぎ無い事実を皆で受け入れるだけなのだから。
なのに、漠然とした不安は私の胸の内を多い尽くしている。
医者「……他者への記憶の転写。これは過去に類を見ない試みですからね」
◇
唯「――私は、本当は『
平沢 憂』で、その頭に『
平沢 唯』の記憶を上書きした、ってこと?」
梓「……はい」
にわかには信じ難い。
でも、私の記憶が何よりも証明してしまっている。私は唯のはずなのに、何故か憂の記憶がある。それが何よりの証明。
身体は憂で、記憶は唯。本来はそうなる予定だったのだろう。
でもそうはならなかった。恐らくどこかで失敗したのだろう、私は唯の記憶を持っていなかった。
しかし、それでも私は唯だと言われ続け、私も自身を唯として疑うことなく記憶と自我と自己を作り上げてきた。
そこに今、憂としての記憶が戻ってきた。厳密には憂の部屋を見た時から戻りつつあったものが明確になった。
しかしそれは私が今まで作り上げてきた私とは相反するもの。到底受け入れられないもの。
それでも確かに私のもの。かつての私が持っていたもの。つまり、どちらも私。どちらも手放せない。
純ちゃんの言う通り、私は『混ざってしまっている』ようだった。
……泣き止んだ梓ちゃんは、ただ淡々と、私の身に起きた事を説明していく。
梓「私を庇って事故に遭い、命を落とした唯先輩を生かす方法として、ムギ先輩が調べてくれました」
唯「事故? 私は……魔物に襲われたんじゃなかったの?」
梓「記憶を喰らう『魔物』……それは、私達が作り上げた『幻』です」
唯「……『魔物』なんて存在しなかった、ってこと…?」
梓「そうです」
唯「な、なんでそんなこと…?」
◇
医者「ですがお嬢様、少なくとも理論上は成功しています」
紬「……本当に?」
医者「琴吹様の信頼を裏切るような真似はしません。しかし、前例の無い試みであるが故に、完璧な処置を施しても成功が約束されているわけではない、という事は説明の通りです」
紬「……そう、ですね。その時の為に、私達は話し合っていろいろ仕組みました。……『魔物』などを」
医者「はい、そういうことです」
紬「同時に、貴方は医者としてしっかりと『失敗した場合にどうなるか』についても説明してくれました」
医者「………」
紬「『どうなるかわからない』と。前例が無いが故にわからない、と」
この人はリスクが不明瞭である事を誠実に説明してくれた。
それを受けて私達は仮説を立てた。専門家でもないのに考えた。
あの子は過去の記憶が戻らないまま一生を終える。
唯ちゃんの記憶だけ消え、憂ちゃんの記憶が残る。
そのどちらかだろう、と。そのあたりだろう、と。
その上で私達は『魔物』をでっち上げた。
そのほぼ全ては、唯ちゃんも憂ちゃんも消えてしまう、という、私達にとって最悪のパターンである前者の仮説を想定しての事。
過去の記憶の無いあの子が、自分の巻き込まれた事故を調べないように、極力突拍子のないものにする必要があった。調べようとする気さえ起きないくらいに。
調べれば、知ってしまう。自分のために命を差し出した女の子がいる事を。今の自分が一人の女の子の命の上に成り立っているものだと知ってしまう。
そうなれば普通は自分を責めるだろう。最悪の場合、罪悪感から自ら命を絶つ。そんな事、彼女は――憂ちゃんは望んでいない。徹底して隠す必要があった。
事故の目撃者、関係者、平沢家を知っている者、全てに徹底した緘口令を敷いた。時には権力をチラつかせ、時にはお金を握らせた。心を鬼にし、持てる全ての手段を使って隠蔽した。
唯一、唯ちゃんを轢いて逃げたあの男だけは当時は所在が知れなかったけど、『魔物探し』と称して皆で追い詰め、『退治』した。これで隠蔽は完璧なものになり、全ては『魔物』の仕業となった。
あともう一つ。同様に最悪のパターンを想定しての事ではあるが、こちらは皮肉にも、あの子に施された処置が最新の医療技術を用いていた事に関係する。
人の頭を切り開いて脳を直接すげ換えるような方法ではなく、脳から記憶をデータのように吸い出し、それを他の脳に上書きする、という、まるでパソコンやCDのようなにわかには信じ難い最新技術。
詳しい原理は説明されても全くわからなかったが、外科手術を行わずに記憶を弄れるという使い方次第では危険極まりない技術だという事。故に禁忌とされ、人に処置を施した前例はない事はわかった。
それを憂ちゃんに使った。その上で記憶が戻らなかった場合、あの子には何の外傷も無く、事故も私が隠蔽したので存在しない、なのに自分は病院にいて記憶はない、という不思議な状況となる。
『魔物』なら、そんな不思議な状況にも一応の説明は付けられる。何と言っても魔物なのだから。未知なる危険な存在なのだから、何が起こっても不思議ではない。
無傷で記憶だけを喰らうような真似だって出来るはずだ、『魔物』の仕業なら。
そして、あの子が後々唯ちゃんの記憶を取り戻せば、あるいは運悪く憂ちゃんの記憶を取り戻した場合でも、魔物をでっち上げた理由は説明すればわかってもらえるだろう。
最初から記憶があれば更に話は早い。魔物をでっち上げず、私達がした事を話すだけで済む。
その場合でも優しい唯ちゃんは憂ちゃんがいない事にショックを受け、自分を責めるとは思う。でも命を絶つ事は絶対にないと言い切れる。
何故なら、それは自分が身を挺して梓ちゃんを助けた事の否定になるから。その時の記憶と感情がちゃんと唯ちゃんの中に残っていれば、そんなことは絶対にしない。
あとは唯ちゃんが憂ちゃんのいない世界に慣れるまで、寂しさが癒えるまで、私達が総力を上げて支える。それで問題は無い。
そうだ、何も問題は無いはずなんだ。皆でそう決めたんだ。
なのに、胸騒ぎが止まらない。まるで私達が何か、もっと最悪のパターンを見落としているような……
◇
皆の危惧した通り、私の今のこの命が誰かの犠牲の上にあるというのは心苦しい。
かけがえのない姉妹が既にこの世にいないという事も考えるだけで辛い。
でも、今すぐに自ら命を絶とうとは思わない。まずは梓ちゃんの話を聞きたい。
唯「魔物についてはわかったよ。でも、言い難いけど……そもそもその医療技術が胡散臭いとは思わなかったの?」
梓「他の方はどうかわかりませんが、私は思いませんでした。私のせいで唯先輩は事故に遭ったんです、唯先輩が生きれるのなら私はどんなものだろうと迷い無く縋ります。たとえ代償が私の身体であっても」
唯「っ、そんな、そんなの……」
梓「…はい、あなたは初日に言ってくれましたね、先輩として守りたかったんだと思う、私が無事ならそれでいい、って。それを見越した事を、憂も言っていました」
唯「憂……私、が…?」
憂としての記憶を取り戻したはずの私だけど、何を言ったかは覚えていない。そのあたりの事は一切覚えていない。
いずれ思い出すのだろうか。
それとも、唯として生き続けている私が、唯が死んだ後の記憶を無意識に拒んでいるのだろうか。
梓「……「お姉ちゃんが守りたかった梓ちゃんがそこにいなかったら、お姉ちゃんは悲しむ」って。だから私じゃダメだって、そう言って、憂が身体を差し出すと名乗り出ました」
純「……そして私はそれに反対しました。梓と一緒に説得しようと思って、三人だけで話をしようとしました」
軽音部ではなく、家族でもない。言わば一番の部外者の純ちゃん。
だからこそ反対出来たのだろう。あくまで憂――私の友達として。
純「とはいえ、唯先輩を諦めろだなんて言えません。でも憂がいない事を知れば唯先輩は悲しむ。梓が言われた事を憂にも言おうとしたんです。でもそこで憂に先手を打たれました」
梓「憂は私に言いました。「お姉ちゃんの事、よろしくね」と。言わば事故の原因でもあるはずの私に、全幅の信頼を置いて、そう言ったんです」
純「私には、そんな梓を助けてあげて、と頼んできました。もうダメでした。わかっちゃうんですよ、目で」
唯「目で…?」
純「……この子は、この場で私が行かないでと叫んでも、きっとそのうちフラッとどこか遠い所へ行ってしまう。それがわかってしまって……憂にいなくなって欲しくないのに、憂の邪魔も出来なくて…!」
梓「……負い目のある私は、憂の信頼に背けず、憂の願いを叶えると誓いました。その信頼が私を責めるものだとしても赦すものだとしても、どちらでもよかった」
純「憂は、梓を責めたりなんてしないよ…!」
梓「…そうだね。でも当時の私にはどっちでもよかった。憂の望み通り、唯先輩を取り戻す事しか頭になかった。だから純は近づかせないようにした。ごめんね」
純「……今でも、私は憂の事を引きずってる。何か他に方法は無かったのかなって思ってる。だから梓の判断は正解だし、私も梓の邪魔もしたくなかったから近づかなかった」
なるほど。でもその結果、梓ちゃんは記憶を失うフリまでするくらい一人で抱え込んでしまい、澪さんが純ちゃんに助けを求めた。
その時の純ちゃんからすれば、本当に記憶喪失なら梓ちゃんを助けたくて、ウソだとしても今度こそは何か力になりたくて家まで来た、といったところだろうか。
梓「そして……その結果、今があります」
唯「今……」
梓「私だけが諦めず、あなたに『唯先輩』を押し付け続けたせいで、あなたは『混ざってしまった』……そんな今です」
唯「そんな、梓ちゃんのせいなわけ……」
無い、とは言い切れない。当人である私にはわからない。
なのに当人である私は『結果』としてここに在る。だから、梓ちゃんの言葉を、可能性の一つとして肯定してしまう。
否定は出来ないのに、存在だけで肯定してしまう。梓ちゃんを責めたいわけじゃないのに…!
梓「……唯先輩、『混ざってしまった』あなたは、私を憎みますか…?」
唯「な、なんで…? そんなことするわけ――」
梓「あなたが命を落とす原因を作り、あなたが命を差し出すのを止めず、あなたが取り戻してほしかったあなたを失わせた原因である私を、あなたはどうしますか?」
唯「梓、ちゃん……?」
『平沢 唯』が命を落とす原因を作り、
『平沢 憂』が命を差し出すのを止めず、
『平沢 憂』が取り戻してほしかった『平沢 唯』の記憶を失わせた原因。
それが自分だと、梓ちゃんはそう言っているんだ。
憎んでくれと、責めてくれと、殺してくれと、二人と同じくらいの傷を負わせてくれと、そう言っているんだ。
梓「あなたにとって私は姉の仇であり、妹の仇であり、妹の願いを潰した張本人なんですよッ!!」
純「あ、梓、落ち着いて……」
梓「純も言ったじゃない! もう取り返しのつかないところまで来てるって! そうしたのは私! 最初の原因も私! 全部私のせい! そうでしょ!?」
純「で、でも私は知ってる! 梓は憂との約束を守ろうとしただけだって!」
梓「守れなかったんだから何の意味もないよ! もう唯先輩は『混ざってしまった』んだから!」
純「そ、それは……」
梓「………あっ、そうだぁ……混ざったんなら……あなたは唯先輩でもあり、憂でもあるんですよね…?」
梓ちゃんが、空虚な瞳をして嗤う。
梓「今なら……謝れるじゃないですか。唯先輩、私はずっとあなたに……私のせいで死なせてごめんなさいって、ずっとずっと、それだけを言いたくて……!」
空虚な瞳から、涙が伝う。
梓「憂にも……唯先輩を死なせてごめんって、何度言っても足りないし……こうして今、憂の最期の願いもダメになっちゃって、私は謝らないといけないんだ……ごめんね、憂ぃ…!」
こちらに歩み寄りながら、手を伸ばして。
梓「ごめん、っ、ごめんなさいっ……ごめん、ひぐっ、ゆいせんぱ、っ、うい、っぁ、ぅ、うあぁっ……! い、いくら謝っても、っ、足りないよぉっ……!」
……私にしがみつく直前、梓ちゃんの顔が普通の女の子の普通の泣き顔に戻ったのを、私は確かに見た。
◇
律「――なあ、澪」
澪「ん? どうした?」
律「……私達、このままバラバラになるのかな」
澪「……らしくないな、律」
律「ずっと思ってたんだ、どこかで何かを間違ったんじゃないかって」
澪「例えば?」
律「……わからない。わからないけど、唯がああなって、憂ちゃんもいなくなって、今度は梓だ。どこかで何かを間違えたとしか思えない」
澪「……蝶の羽ばたきみたいなものかもしれない。少なくとも、律が気に病む必要はないはずだ」
律「そうかな」
澪「律は間違った事はしてないよ。万が一してるとしたら、きっと私達全員だ」
律「……そうかな」
澪「そうだよ」
律「でも、怖いんだ。唯をあんな目に遭わせたのだって、人間なんだ。私達を狂わせたのは人間なんだ。同じ人間である私達が、どこかで何かを狂わせてないとは言い切れない」
澪「……唯をあんな目に遭わせたのは、『魔物』だよ」
律「……そういえば、そう言い出したのは澪だったっけ」
澪「あんなのが、人のする事だと思いたくなかった。人の仕業だと認めたら、もう誰も信じられなくなる気がしたんだ……」
律「……でも、そんな私達は『魔物』を産み出した。恐ろしい『魔物』を。梓を傷つけた『魔物』を」
澪「………」
律「私達が、他のどこかでも『魔物』を産み出してた可能性だってある」
澪「……律らしくない。けど、それはその通りだな……」
律「なあ澪、聞き方を変えるよ。私達は、もう一度みんなで笑い合える時が来るのかな…?」
澪「それは、来るさ」
律「どうして?」
澪「私は、来ると思いたい。私達は、みんな唯の事を大事に思って動いたんだ。その気持ちだけは……私は信じたい」
律「たとえそこに『魔物』がいても?」
澪「……『魔物』がいたなら、また退治して、笑顔を取り戻せばいいだけだ。私達の手で――」
◇
魔物なんてどこにもいなかった。
ただ、人の手により一つの命が失われ、一人の記憶が失われただけだった。
そしてその結果、私がある。
死んだはずの『平沢 唯』の名前と器を持ち、消えたはずの『平沢 憂』の記憶を持つ私が。
人の手により、大切な姉妹を失った私がここにいる。
大切な人はもういない。あの頃にはもう戻れない。その事を想うたび、心が締め付けられ、涙が出そうになる。
しかし、同時にそれを事実として静かに受け入れようとしている自分がいる事にも気づいていた。
誰よりも近しい人を失ったはずなのに、皆のように不確かな技術に縋ろうという気持ちにはならなかった。かといって逆に梓ちゃんを傷つける気にも到底なれなかった。
私は感情の振れ幅が小さくなってしまったのだろうか。私はやっぱり壊れてしまっているのだろうか。
そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。
何故なら、妹が私のために命を差し出した事に心を痛めようにも、私には憂の記憶がある。私はこの世で唯一、憂の記憶を持っている。
しかも都合よく、事故の時間から後の記憶は無いままで。それが何故かはさっきも少し考えたけど、今はもう一つ説がある。恐らくは処置の影響だろう、という説だ。
頭の中で現実時間と記憶が紐付けられている、という前提になるけど、私が記憶を取り戻すよう処置された現実時間の範囲が、唯が事故に遭った時、あるいはその少し前だとしたら。
そしたら、その範囲から漏れてしまっている、唯の事故の後にあたる時間の憂の記憶は戻らない、ということになる。
その時間の憂の記憶も私の頭の中のどこかにはあるんだろうけど、その時間は唯にとっては眠っていた空白の時間であるため、取り戻すための処置をされなかった。
だから、それはどこかでずっと眠ったままなのだろう。無かったことにされた憂の中の、本当に無かったことにされた、悲壮な決意の記憶は。
ここまでは推測だけど、憂として死んだ記憶が私に無いのは事実だ。皮肉にもそのおかげで、生き続けている憂が私の中にはある、と言える。
同様に、姉が戻ってこない事を嘆こうにも、私は唯としての振舞い方を知っている。私はこの世で唯一、唯として生きる事が出来る。
更に言うなら、皆から学んだ唯の姿と、取り戻した憂の記憶に写る唯の姿を併せれば、私は今まで以上に唯になれる。
記憶こそ足りないものの、この世で一番唯に近いのは私だ。私が唯と呼ばれた事、皆が私を唯と呼んだ事、それら全てがその証明だ。
そもそも、私の中に唯としての記憶はなくとも、唯として生きてきた記憶はある。たとえ短いものだとしても、確かにある。
今は私が唯であり、この先も唯として在れる。そんな私は誰よりも唯と言えるだろう。唯として死んだ記憶もないのだから。
つまるところ、真実を知った私は姉妹を喪った事実を唯と憂どちらの視点でも見れてしまうから、皆ほど取り乱さないのかもしれない、と思う。
しかしそれは、死んだ姉妹の事をちゃんと悲しめないとも取れる。心から大事に想っていたはずの姉妹を喪って悲しめないなんて、そんな私は唯も憂も名乗れない、とも思う。
そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。
一体どちらが正しいのだろう?
わからない。私にはわからない。
肝心な事が何もわからない、こんな私は、誰なんだろう?
「………ああ」
そうか。
どちらでもないのかもしれない。
私は、唯であり、憂であり、そのどちらでもない。
そうだ。
表面を見れば唯であり、真実を見れば憂であり、内面を見ればどちらでもない。
『混ざってしまった』私は、そんな存在。
唯であって憂ではなく、憂であって唯ではなく、唯でも憂でもない。
そんな、曖昧な存在。
そんな、不確かな存在。
そんな、混沌とした存在。
そんな、夢幻のような存在。
そんな、作り物のような存在。
言わば、
そんな、魔物のような存在。
この世に『魔物』がいるとすれば、ここにいる。
人の手によって産み出された『魔物』が、ここにいる。
人の痛切な想いで生まれてしまった『魔物』が、ここにいる。
『魔物』は、尊い『平沢 唯』の記憶を喰らい、尊い『平沢 憂』の身体を奪い、ここに在る。
彼女らを大切に想う皆にとっての『光』を喰らい、ここに生きている。
『光』を喰らい、しかし『光』にはなれず、誰にも望まれなかった在り方で『魔物』は生きている。
それでも。
「……あずにゃん」
「っ!? ゆい……せんぱい?」
それでも、『魔物』は『ひと』に憧れた。
「……私は、『平沢 唯』になるよ」
大切な人のために自らを犠牲に出来る姉妹のような、そんな『ひと』に憧れた。
「ごめんね、記憶が戻ったわけじゃないんだ」
「それは……わかってます、私のせいです」
「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないよ。元々無理があったのかもしれない。人の手に余る分野だったのかもね、記憶っていうのは」
「でもっ……」
「うん、それでも、みんなはそれに希望を見出した。結果は残念だったかもしれないけど、それを知ってる人は、ここにいる三人だけ……」
「それって……」
「まさか……」
「……言ったでしょ? 私は『平沢 唯』になる、って。みんながそれを望むなら」
それを、こんな私に望んでくれる人がいるのなら。
私はいくらでも、この身を差し出そう。
「……『私』が、みんなと『平沢 憂』の望んだ未来を創る。二人とも、手伝ってくれるよね?」
「……はあ、そんな言い方は卑怯ですよ、全く」
「敬語、やめてもいいよ?」
「……考えておきます」
最初に私の手を取ったのは、純ちゃんだった。
確かに卑怯だったかもしれない。でも、純ちゃんが一緒にいたほうが、憂としては嬉しい。
そして、もう一人。
唯としても憂としても、私としても、一緒にいて欲しい人。
「……あずにゃん。梓ちゃん。あなたの隣にいるのは、『私』じゃダメかな?」
「……ダメ、じゃないですけど……でも、私は……私のせいで……」
「ダメじゃないなら、いいよね?」
「わ、私はッ!」
「ずっとそばにいる、って言ってくれたよね?」
「っ、そ、それは……」
「……私はあなたの望んだ私じゃないし、あなたは私に負い目がある。なかなか割り切れないかもしれないけど、私はあなたと一緒にいたいよ。一緒に考えようよ、私達の関係を」
「………いえ。私から言わせてください。……手伝わせてください。唯先輩と、憂と、あなたのために、私に出来る事をさせてください…!」
そう言って『私』を見つめる梓ちゃんを、あずにゃんを、抱き寄せた。
これで私達は運命共同体だ。
『魔物』と『ひと』と『ひと』。不思議な組み合わせでもあるし、以前も一緒にいた組み合わせでもあるし、人前であまり一緒にいるのは不自然な組み合わせでもある。
でも、二人は私を助けてくれるだろう。
私が皆にとっての光である限り。
喰らってしまった光の代わりである限り。
光が照らすはずだった道を、代わりに照らし続ける限り……
誰かが欠けた世界で、『魔物』は『ひと』に憧れ、ずっと一緒にいたいと願った。
それが叶うかどうかは、私には――まだ、わからなかった。
おわり。
最終更新:2015年09月23日 21:39