唯だけではない。私も彼女も呆けていた。
そんな中で女神様が若干うろたえながら言葉を続ける。
女神様「あ、あら? この子と一緒に現実世界で生きたいのでしょう? その願い、叶える事は出来るんですよ?」
澪「・・・ハッ。ほ、本当ですか!」
女神様「ええ。ですが、いろいろと問題はありますけど・・・」
唯「問題?」
澪「願いを叶える代償が必要、とかですか?」
女神様「そこまで重いものではないけれど・・・そもそも私達の手を離れた時点でこの世界の事は忘れてしまうようになってるんですよ」
唯「手を離れる?」
彼女「貴女達で言えば、要するに恋人として成立し、私達を必要としなくなった時点で、ですね」
彼女は知っていたのか、自分が忘れられてしまう事を。
それが大前提にあるから、私達との別れも当然のものとして受け入れようとしていたのだろうか。
女神様「一方のあなたは私が手続きすれば正式な卒業生として送り出す事は可能です。ですが、同様にここでの事は忘れてもらう必要があります」
彼女「・・・」
女神様「ですから、貴女達もこの子もこの世界の事を忘れてしまう。そんな状態でまた出会えるかは、私からはなんとも言えません」
唯「そんなっ!」
女神様「それに、卒業という形で送り出してしまうとこの子は転生扱いになります。つまりそちらの世界では赤ちゃんとして産まれてくる事になります」
彼女「それでは何年後に再会できるかもわかりませんね」
女神様「一応、貴女達の子供として産む事も出来ますよ? 女の子同士での妊娠を可能とする技術が確立されるまでは保留になりますけど」
澪「そ、それは・・・///」
視界の端でチラリと唯を見てみると、珍しく唯も顔を赤くしていた。かわいい・・・
って、そうじゃなくて! 子供なんてまだ考えてないからその方法は論外としても、お互いの事を忘れての転生というのは不安が残る。
他に手がないなら仕方ないけど、不確実な方法はなるべくなら採りたくない。
もっと言うなら、出来る事なら忘れたくない。
澪「あの、転生というやり方しかないんですか?」
女神様「それが正しい輪廻のあり方ですから。一度人としての死を迎えたこの子は、新たに一から命を育むべきなのです」
唯「えっ・・・」
彼女「・・・」
唯は聞いていなかったのだろう、驚いた表情をしている。
私だってたまたま彼女が口を滑らせてくれたから知っているに過ぎない。迂闊だった。あまり転生という言葉を前面に出すべきじゃなかった。
唯にはちょっと重い事実だったかもしれない。大丈夫だろうか・・・
彼女「そうやって胸を痛めてくれるだけで充分ですよ、唯さん。もう過去の事です。今の私にはこうやって居場所があるんですから」
女神様「ここにいる子達は、誰もが生前に恋愛も出来ずに若くして命を散らした子。そういう子が来世で素敵な恋愛が出来るよう、カミサマの下で働く事はよくある話なのですよ」
唯「そう、なんですか・・・」
唯は若干落ち込みつつも受け入れているようだが、早世したという事までは私も知らなかった。
以前、「人生は有限なんだから生き急がないと」と言われた事を思い出す。あの時の言葉は、私が思っていたより遥かに重かったんだ。
同時に、自分の経験からくる言葉を私に投げかけてくれる彼女はやっぱり誠実で、いい子だと改めて思う。
私も唯のように静かに受け入れよう。きっと彼女もそれを望んでいる。
女神様「もちろん、同性が好きな子、異性が好きな子、男女それぞれをカミサマが役割分担をして、ね。本人の望む所で働いて学んでもらっています」
澪「なるほど・・・」
推測するに、さっきの私の質問にある「ここで生きている経緯、原理」という問いに対する答えがこれなのだろう。
カミサマが、その権限において転生する前の彼女の魂を一旦預かり、ここでこうして形にしているのだ。
最初に『彼女』が言っていた「なるべく個性を持つべきではない」というのは、むしろ生前の自分を忘れようとしているのかもしれない。来たるべき転生の日に備えて。
澪「そういう仕組みが出来上がっているということは、やっぱり他に方法はない、と?」
女神様「・・・無い事はないです。カミサマの力でズルは出来ます」
唯「ほんと!?」
女神様「ですが、ズルはズル。人の世界ではバレたら怒られる事です。カミサマのズルはバレないし怒られない代わり、代償があるのでオススメはしません」
唯「代償・・・」
唯がこちらを見る。私は頷く。
代償なら、私達が払う。払えるはずだ。唯と確認したんだ、切れる手札はこちらの方が多いと。
はっきり言って、この展開は予測済みだ。どこまでの代償なら払えるかも打ち合わせ済みだ。
澪「代償とは何ですか? 私達で払えるものなら何でも差し出します」
女神様「現実世界での思い出、とでも言いましょうか。記憶に残る情報。頭にデータとして刻まれたモノ。それらを誰かからいただく事になります」
唯「それで・・・私達がそれを忘れればズルができるの? どういう仕組み?」
女神様「簡単に言えば、地球上にある思い出の総量はカミサマの基準でデータ化、数値化してみると常に一定なんです。人が生まれれば増えて、亡くなったり忘れたりすれば減り」
唯「思い出を・・・数値化?」
女神様「思い出というか、記憶と言った方がわかりやすいでしょうか。頭の中に刻み込まれる物事全て、です」
澪「・・・たぶん唯は自分に当て嵌めればわかりやすいんじゃないか。勉強を頑張ったらコード忘れるじゃないか、唯は」
唯「おおっ、なるほど。私の頭みたいに一定量しか覚えられないんだね、地球も」
気を悪くするかとも思ったけど普通に納得してくれた。ちょっと胸が痛い。
女神様「厳密にはいろいろあるのですが、簡単に言うとそうなります。ここでの出来事もそのデータ量を圧迫しているので、終わったら忘れてもらう必要があるのですよ」
澪「・・・つまり、人が物事をどうしても忘れてしまうのは、地球の、そしてカミサマの意思?」
女神様「正確には地球というよりも空間ですね。空間に存在できるデータの総量の問題です。データ量を一定に保たないと歪みが発生してしまうんですね」
澪「・・・なんか怖いことになりそうですね」
女神様「うふふ、そうですね」
落ち着いた笑顔で言われても結構困る。
しかし、そうか。世界がそういう仕組みになっているという事は、どうあってもここでの出来事は忘れてしまうという事か。
出来れば忘れたくはなかった。けど、忘れる事で彼女と現実世界で友達になれるというのなら、仕方がないと思える。
現実世界で今を生きる事と、夢の世界での思い出。どちらを優先すべきかと問われたら、要らないのは思い出だ。
女神様「それで本題ですが、代償として記憶データを差し出してもらうと、もちろんそこに空白が出来ますよね。そこにこの子の情報を入れるんです」
澪「それで・・・現実世界に存在できるようになる?」
女神様「私がズルして『生きている』この子の情報を入れる事で、世界がこの子の存在を認識します。そうすれば後は世界がこの子を生かしてくれます、自然に」
唯「おおっ!」
唯が喜ぶ。私も喜びたいのはやまやまだが、まだまだ女神様の説明では不透明な部分が多いから楽観視は出来ない。
それにそもそも、このズルに女神様や『彼女』が賛成してくれているのかもいまいちわかっていない。喜ぶには、まだ早い。
澪「ところで、どんな思い出を差し出せば『彼女』の情報量と釣り合うんですか?」
女神様「あら、そうね、一番大事な所を説明してませんでしたね。頭がいいのは知ってましたけど、流石ですね」
澪「あ、ありがとうございます・・・?」
女神様「そうですね、そもそもこの子がどんな立場で現実世界に降りるか等によっても必要な情報量は変化します。極力貴女達と無縁な立場が望ましいですね」
澪「立場・・・ああ、なるほど」
唯「? なんで?」
澪「例えば唯のもう一人の妹という立場にしたとする。すると唯や憂ちゃん、そしてご両親の頭の中にその子との思い出がないと不自然になるだろ?」
唯「うん、そうだね」
澪「つまりそれだけ情報量を必要とする=空間の情報量の空きが必要になる。でもこれがもし「最近引っ越してきた知らない子」だったら、唯達の中に思い出は要らない」
唯「そのぶん楽ってこと?」
澪「楽っていうか・・・」
女神様「楽っていうか、差し出す貴女方から見ればお得でしょうか」
その言い方もどこかおかしいような。
女神様「カミサマとして言わせて貰うなら、澪さんが言ったようにいろんな人の記憶を弄る必要があるような立場だと必要な情報量が跳ね上がるのでオススメしません」
澪「となると、やっぱり無縁な子にするべきなのか」
女神様「そもそも記憶を弄られるのもイヤでしょう? 私としてもなるべく記憶に手を加えずに済むならそれが一番ですし」
澪「た、確かに」
唯「でも、それじゃ私達と会えなくなるんじゃ・・・?」
そうだ、お互いにここでの記憶は無くなるはずだ。情報量という見地からも忘れた方がいいのは確かだし。
だったら唯の言う通り、結局会えるかどうかという不安は残るんじゃ・・・
女神様「無縁だけど会う運命にある子、にすればいいのです。それこそ例えば隣に引っ越してくる予定の子、とかですね」
澪「な、なるほど」
唯「会う運命にある子、かぁ・・・」
女神様「運命なら私達カミサマの得意分野ですからね、多少の無理は通してみせます。安心して任せてくれて大丈夫ですよ」
運命、すなわち未来の事なら人の記憶を弄る必要もほとんどないだろうし、カミサマとしても楽なのかもしれないな。
・・・と、そこで一つの閃きが私の頭の中に生まれた。
今日の出来事から連想された閃き。これは我ながらいい閃きだと思う。
澪「あのっ!どんな立場になるか、私達の希望を言ってもいいですか?」
唯「澪ちゃん?」
女神様「いいですよ。何なら立場だけじゃなく性格とかも言っていいですよ。今のこの子はまっさらですから」
彼女「め、女神様!?」
女神様「あら、何か希望がありましたか?」
彼女「い、いえ、そういうわけではないのですが」
女神様「だったら、あなたの為に記憶を差し出してくれるあの子達の希望を聞くくらいいいでしょう?」
彼女「・・・自分の性格が勝手に作られるというのは居心地が悪いです。それにそもそも、私は彼女達の記憶と引き換えの生なんて望んでは・・・」
唯「えっ、一緒に来てくれないの・・・?」
危惧していた展開。他ならぬ『彼女』自身が拒むという、最悪の展開。
可能性としては充分にあった。彼女はそれほどに誠実で真面目で責任感がある。
私達が一方的に代償を差し出すだけで自分は何もしないなど、認められるはずがないのだろう。
実際、次の瞬間にその通りの事を彼女は言った。
彼女「・・・気持ちは本当に嬉しいです。ですが、自身は何もせずに幸せを享受するなど、私自身が認められません」
唯「幸せ、だって。そう言ってくれるのは嬉しいなー」
彼女「・・・問題はそこではありません」
澪「あなたは私達に幸せをくれたよ。だから、その幸せが少しくらいあなたに返ってきてもいいはずだ」
彼女「・・・ですが・・・」
澪「・・・せっかくだから私達が差し出す予定の記憶についても言っちゃおう。唯、いいよね?」
唯「うん。カクゴの上だよ」
変にカッコつけた唯に微笑みかけ、もう一度『彼女』に向き直る。
これから言う言葉は、彼女を怒らせるだろう。女神様も怒るかもしれない。でも、それだけの覚悟が私達にはあるという証明だ。
唯と利き手同士で手を繋ぎ、大きく息を吸い、口を開く。
澪「――私達の恋心と引き換えだ。私達とまた友達になって欲しい」
彼女「なッ!?」
女神様「!?」
彼女「何を・・・何を考えているんですか! 貴女達二人が本当に心から互いを好きだったことは知っています!なのにそれを自ら手放すなど!」
唯「本当に好きだから、だよ。本当に好きだし、一度ここまで近づけたんだから・・・一度忘れてもきっとまた好きになれるって、信じてるんだ」
澪「あなたの後押しはないだろうから、いつになるかはわからないけどね。もしかしたら高校生のうちは無理かもしれない」
唯「でも、絶対にいつかまた好きって言えるようになる」
私達は、そんな未来を信じている。それが私達が話し合って出した結論だった。
『彼女』に沢山背を押してもらっておきながらこんな結論を出すのは説得力が無いかもしれない。でも、根拠はある。
私達はお互いに、出会った時から相手の事が気になっていたのだから。それでいて恋心だと自覚するまでは、私達らしい日常を過ごしていたのだから。
だから、出会いから全て無かった事にならない限りは、きっと辿り着く未来は同じ。私達はそう信じてる。
唯「だから、この気持ちを差し出すことで友達を一人引き止められるなら、それでいいかなって」
彼女「そんな・・・そんなこと・・・!」
女神様「・・・その選択は、この子の頑張りを無に帰すということですよ?」
澪「いいえ。さっきも言いましたが、彼女の頑張りが彼女に返ってくるだけのことです。善因善果です。決して無にはなりません」
女神様「・・・」
しばらく黙っていた女神様だったが、ゆっくりと両手を胸の前に持って行くと・・・ハートマークを作った。
女神様「満点です。それだけの『重い』想いなら、この子を現世に送り込むのに何の不自由もありません。貴女達の希望もほとんど叶えられるでしょう」
唯「やったー!」
彼女「め、女神様!?」
女神様「そろそろ卒業かなあと丁度悩んでいたところです。見知らぬ人の処に転生するか、二人の想いに応えるか・・・自分で決めなさい」
彼女「ですが・・・ですが、この二人は本当に純粋に、お互いの事が好きでっ・・・!」
女神様「ええ。この二人は純粋すぎるのでしょう。恋人と友人のどちらも大切にしたいと欲張ってしまう。それでいて恋情も友情も永遠だと信じている。それはとても危うい」
澪「あ、危ういかなぁ・・・私は唯を信じてるだけなんだけど」
唯「私も澪ちゃんを信じてるだけだよ」
彼女「・・・純粋に妄信してるように見えます」
女神様「でしたら、あなたはたとえ全てを忘れようとも、友として近くにいればいい。彼女達が道を踏み外さぬように、友として『楽しい日常』を提供すればいいのです」
彼女「楽しい・・・日常・・・」
女神様「日常で薄められた恋心は、僅かずつですが確実に積み重なっていきます。そしていずれ、二人にとっての幸せな未来へと正しく至る」
澪「幸せな未来・・・」
女神様「焦ったり、変に急ぎさえしなければ、そもそも私達のような月下氷人なんて必要ないのですよ♪」
彼女「女神様がそれを言いますか・・・」
月下氷人。縁結びのカミサマ。すなわち仲人。
それを必要無いとは、心強い言葉ではあるけど女神様が言うとなんかいろいろと台無しなような。
日常を過ごしていれば大丈夫と言われたんだから、本当に心強いんだけどね。
女神様「さて、この子の決意も固まったところで話を戻しましょうか」
唯「固まったの?」
彼女「・・・」
女神様「大丈夫、固まってますよ。ちょっと素直になりきれてないだけです」
確かに固まってはいるのだろう。私なら俯きがちに頬を染めたその表情から察せる。
小さくない代償こそあったものの、私達の望み自体は叶っての決着という事だ。とても嬉しい。
女神様「それでは、引き続き希望を聞かせてもらいましょうか。この子の・・・設定の」
澪「極端に身も蓋もない言い方になった!?」
唯「ねえねえ澪ちゃん、さっき言おうとしてたことってもしかして」
澪「あ、ああ。うん、どうせなら新年の律のお願いと合致したほうがいいかなって」
唯「やっぱり。ということで私達の後輩で新入部員って設定でお願いします!」
澪「唯まで設定って言い出しちゃったよ」
女神様「ふむふむ、後輩キャラですね。性格等の希望はありますか?」
澪「うーん、私としては今のまま、真面目でいい子でいてくれれば特には」
唯「はいはい! ギター大好きでまっすぐな子がいいです!」
澪「まっすぐ、か。唯みたいに感情に素直な子なのは確かにいいかも。後輩だからって遠慮しないでさ」
唯「あ、じゃあ澪ちゃんみたいに演奏が上手い子がいいです!」
澪「そうだなあ、唯に教えられるくらい上手い子なのも面白いかもな。唯の新年のお願いがそれだったし」
唯「うっ、そ、そこまでしなくても・・・どうかなぁ」
女神様「ふふっ、つまり『心から音楽が好きな子』って事ね」
唯「まあ、軽音部に入部するくらいだからそうなるよねー」
うまくオチがつき、設定が固まったところで彼女に向き直る。
それを察した彼女は、ようやく顔を上げて視線を合わせてくれた。
澪「じゃあ、その時が来たら先輩として頼ってくれ」
彼女「・・・はい、よろしくお願いします」
唯「お礼に可愛がってあげるからね!「入部希望なんですけど!」って来るといいよ! あ、でも今みたいな堅苦しい敬語はやめてね!」
彼女「・・・考えておきます」
女神様「まあ設定を反映するのは私なんですけどね。大丈夫、ちゃんと堅苦しすぎない普通の子にしますよ」
澪「ありがとうございます、お願いします」
女神様「・・・ただ、恋心と引き換えという性質上、若干惚れっぽい子になってしまう可能性はありますが」
彼女「今何か聞き捨てならない言葉が聞こえませんでしたか?」
女神様「大丈夫、恋する事は素敵な事です。私の下でお手伝いをしていたあなたなら、それはわかっているでしょう?」
彼女「・・・それは、まあ・・・」
女神様「ところで澪さん達。せっかくですからこの子の名前まで考えていきますか?」
澪「えっ、いいんですか?」
女神様「それくらいはサービスしますよ。愛と絆の大切さを知っている子達に、我々カミサマが応えないわけにはいきませんからね」
澪「あ、ありがとうございます」
といっても、自分のネーミングセンスに自信があるわけではないんだけど。
でも『彼女』と目が合うと頷いてくれた。これは間違いなく光栄な事だ。唯と相談しつつ、一枚噛ませてもらおう。
唯「なんか可愛い感じでお願いします澪ちゃん!」
澪「あれっ丸投げ?」
唯「いやー、私はあだ名とか、既にある名前をちょっとイジる感じのなら好きなんだけどね」
澪「一から考えるのは嫌、と」
唯「嫌というかー、苦手というかー、自信ないっていうかー・・・恋のキューピッドだからキューちゃん!とかなら言えるけど」
澪「・・・」
彼女「・・・」
女神様「普通の子の名前としては、ちょっとイマイチですねぇ・・・」
唯の自由な発想力は魅力の一つでもあるのだけど、それが真面目な名付けに向いているかはまだ未知数だ。
とはいえ、自信がないのは私も同じ。最終的には『彼女』の判断に任せたいところだ。
唯「あ、キューピッドじゃなくて恋のほうから取って恋ちゃんとか!?」
・・・未知数だ。
彼女「今のところ、あんまり上手くないですね」
唯「ば、バッサリだー!?」
澪「でも、漢字一文字っていうのはいいかもな」
唯「そ、そうだよね、今のところ軽音部はみんなそうだもんね!」
それに、唯のように何かしらの由来から考えるというのはいいと思う。
『彼女』の姿とか、してくれた事とか、その辺りから何かアプローチできないだろうか。
姿は・・・あ、唯をベースにしているからダメか。本当の姿がわかっているならまだ考えようはあったけど。
してくれた事は・・・私や唯になりきったりしつつのアドバイス、か。なんか言葉面だけ見ると口寄せをするイタコみたいだな。
分類としては私の苦手な心霊現象に含まれそうな口寄せだけど、良い話でも耳にする事があるので私でも知っている。イタコも同様だ。
あ、いや、イタコって恐山周辺の巫女の事を言うんだったっけ? なら職業としては巫女、でいいのかな。巫女は神子とも書くし、今の彼女にはピッタリだ。
という事で・・・ミコちゃん? いや、漢字一文字に出来ないし、若干安直な気もするし、これは無しかな。
じゃあ何か巫女の別名からとか? イタコのようなのが他にもあったはずだ。ええと・・・
唯「そういえば今更だけど、恋のキューピッドなのに弓矢は持ってないんだね」
彼女「本当に今更ですね・・・ギターの弦で矢を放てば満足ですか?」
唯「ギターの弦と弓矢の弦は違うからね!?」
澪「・・・ん?」
弓矢・・・? 何かひっかかる・・・私が昔同じ疑問を抱いたからというのではなくて、何か今考えてる事と関係するような・・・
あ、そうだ、イタコみたいに口寄せをする巫女の別名で「大弓」というのがあったっけ? あったような気がするような?
しかしまぁ、弓なのか巫女なのか、字面だけ見るとややこしいな。二つくっつけてユミコ、なんちゃって――
澪「――あっ」
唯「澪ちゃん?」
弓。巫女。くっつく。
それらから思いついた名前。漢字一文字にもなる名前。
澪「・・・梓、なんてどうだろう」
もっとも、思いついたとはいえこれでは最早ただの連想ゲームだ。
弓、巫女、それのどちらにも共通して使える漢字、くっつけることで意味のある単語になる漢字。
それが『梓』。
梓巫女は梓弓を携え、口寄せを行う巫女。でも彼女は弓を持っていないし、彼女のした事も似てはいるものの口寄せではない。
彼女自身を由来とするには遠すぎる、遠回りしすぎた連想ゲーム。
でも、案外いい名前じゃないかな?
彼女「・・・悪くないですね」
唯「梓ちゃん、かあ・・・」
女神様「ふふっ、決まりですね。この子が地上に降り立つ時には、その名を授けましょう」
唯「やったね澪ちゃん、名付け親だね!」
彼女「いい名をありがとうございます」
澪「て、照れるな・・・本当にいいのか? 何というか、思いついた経緯があまり胸を張れるものじゃないような・・・」
彼女「はい。どのような考えで梓に至ったのかもちゃんと知った上で、いい名だと言ったんですよ」
澪「・・・シンクロしてるんだもんな、今更か。わかった、ありがとう」
彼女「いえ、こちらこそ」
女神様「・・・さて、それでは覚悟はいいですか?」
女神様が、間を置いてから真剣な声色で言う。
それの意味するところは言うまでもない。少しばかりの、別れの時だ。
女神様「最後の確認です。これが終われば貴女達二人の恋心は消え、私達の事も忘れ、そこから連鎖する形でこの子と出会った事により起きた出来事まで忘れます」
澪「・・・彼女に背中を押してもらった結果起きた出来事まで忘れる、ということですか?」
女神様「そうです。全ては恋心が由来なのですから、覚えていては不自然になりますからね。それらの存在しない、ある意味では正しい歴史に戻るとも言えます」
澪「・・・存在しなくなって、正しい歴史に、ですか」
女神様「・・・それでも、本当にいいのですね?」
・・・正直、怖くないなんて言えない。でも、信じると決めたんだ。前を向かなくてはいけない。
未来を、信じると。
それに今の説明だとやっぱり出会いは変わらないし、もっと言うなら私が恋心を抱くきっかけになった出来事も忘れないはずだ。そこに『彼女』は関与していないのだから。
大丈夫。きっと大丈夫。胸を張って、未来を信じよう。
唯を、そして私自身を信じよう。
唯「・・・澪ちゃん」
澪「・・・うん」
唯が見せてくれた未来を信じる。
私が歩むであろう未来を信じる。
仲間達と共に在る未来を信じる。
恋人と一緒に歩く未来を信じる。
そして。
梓とまた出会える未来を信じる。
だって、そんな未来が一番欲しいと思ってしまったんだから。
だったら、そこに辿り着けると信じるしかないじゃないか。
信じる事から始めよう。
みんなで信じれば、きっとその想いはシンクロするはずだから。
みんなが夢見た未来は、叶うはずだから。
彼女「・・・また会いましょう。信じてますから」
まばゆい光の中で、私は確かに彼女の声を聞いた。
◆
「――ふぅ。記憶を消すのも大変ですね。ようやく終わりましたよ」
「特にあの二人、舞台で抱き合ったりまでしてたから・・・その穴を埋めるようなインパクトのある出来事に差し替える必要がありました」
「もっとも、
その他のほとんどは二人だけで完結していたので、そこは苦労しませんでしたが。誰かに相談したりもしなかったようですし」
「ん? そうですよ、あなたの為に消す記憶の方ではなく、世界の辻褄合わせの方の話です」
「データ量を減らしすぎてもいけませんから、名残を残したり、あるいは全く別の出来事に差し替えたり・・・大変でした」
「さて、次はあなたを設定通りの姿にしないといけませんね」
「身長は・・・後輩らしく小さめでいいかしら。髪の色の希望はありますか?」
「そうですか。だいぶあの子の事を気に入っていたようですね」
「あなたはよく働いてくれました。正直に言うと、手放すのは惜しいです」
「・・・ところで、両親の性格の希望とかはありますか?」
「普通、と。「こら梓、宿題しなさい!」・・・こんな感じでいいですか?」
「え? いえいえ、言ってみただけですよ? 深い意味はないですよ? 本当ですって」
「・・・さて、誰か暇そうな人を捕まえてきましょうか。これから忙しくなりますね・・・」
◆
――何かが足りないような、そんな想いがずっとある。
日常が満ち足りていないのか、そもそも日常に何かが足りていないのか、それはわからないけれど・・・
そんな想いをずっと心の片隅に抱えたまま、それでも表に出さずに楽しく過ごした三学期は終わり、私達は無事進級した。
そして新年度。新入生歓迎会で唯とアイコンタクトをしたりされたりで楽しくボーカルをした後に、それは訪れた。
女の子が、訪れた。
?「入部希望、なんですけど・・・」
唯「・・・え? 今、なんと?」
?「入部希望・・・」
その言葉を頭が認識した時、何かが満たされた気がした。
心の中の一部か、全部か、どちらかが満たされた。
頬が熱い。笑顔が零れる。
嬉しい。その子がここにいる事が、とても嬉しい。
律「確保ーーーっ!!」
?「っ、えっ?ひゃあああ!?」
幼馴染の突拍子もない行動に咄嗟に手を伸ばすも、喜びでしばらく動けなかった身では届くはずもなく。
でも、同様に突拍子のない行動でお馴染みのもう一人の部員に目を向けると、彼女もどこか私のような――
――心の中の何かが満たされたような、そんな満面の笑みを浮かべて立っていたので、この件で律を怒鳴るのはやめにしようか。
その子は後に梓と名乗った。
その名を聞いて、私は・・・この五人でずっと仲良くやっていけたらいいなと、そう思った。
ずっと、ずっと、遠い未来までずっと。
そんな未来を、夢見た。
そして、願わくば――――
おわり
最終更新:2016年09月11日 19:27