元はと言えば先輩があのように具合を悪くしたのは私が突然おじゃましたせいでもあります。
それでなくとも、優しい先輩のことですから
私のわがままに無理に付き合っていたのではないかと、そう思ったのです。
このように考えたが最後、たかだか1週間と少ししかお話していない先輩をライブに招くことが
なんだかとても押しつけがましい行為のような気がしました。
不安はざわざわと胸の中で広がります。
これ以上踏み込めば、もしかしたら本当に迷惑に思われるかもしれません。
例えそれが杞憂で、先輩がライブに喜んで来てくれるとしても、臆病な心に囚われてしまった私は
一歩を踏み出すことが出来ずにいたのです。
そこで私は姑息にも、明石さんに先輩の分のチケットを託すことにしたのです。
もし先輩に会ったら、このチケットを渡して欲しいと……。
明石さんは何も言わず了解してくれました。
――これで私の独り言は終わりです。
以降は、先輩の個性豊かな物語と、私たち放課後ティータイムのライブをお楽しみください。
○ ○ ○
威勢よく琴吹さんを守ると言い切った私であるが、人望も才能も一向に発揮される気配がなく
時間だけが過ぎてゆき、とうとう何も打つ手がないままライブ当日を迎えてしまった。
私は今、まさに京音堂の入口で立ちつくしている格好であった。
「先輩」
遠くで私を呼ぶ声が聞こえた。
振り向くと明石さんがこちらへ歩いて来るのが見える。
「随分とお早いのですね。小津さんの悪だくみは明らかになったのですか?」
私は何も言えず、しょんぼりと地面へ視線を落とした。
「気を落とすことはありません。小津さんが何をしでかすつもりなのかは分かりませんが、
あの紬さんがそう簡単に屈することはありえないでしょう」
「なぜ断言できるのだ?」
「紬さんはああ見えてとてもしっかりしていますので」
明石さんと琴吹さんの間に
どういった信頼関係が置かれているのか私には知る由もないが、この断定ぶりである。
この二人には全面的な信用というか、あえて言葉を添えるまでもなく
互いを認め合っている風な達観した友人関係が確立しているように思えた。
そんな仲を羨ましいと思う反面、私とて小津に対する
並々ならぬ負の信頼を置いていることを忘れてはならない。
小津はやる時はやる男である。
今の所そのやる気のほとんどは不毛極まる行為に向けられていたが、
精力溢れる努力は認めざるを得ない。
明石さんが琴吹さんを信頼しているのと同じように、私もまた小津の性悪な人格を知り尽くしていた。
「万が一ということもある。もし琴吹さんの身に何かあろうものなら、私は世間に顔向けできない」
私が持てる限りの緊張感を発すると、明石さんは諦めたように視線を私から離した。
すでに周りには人が大勢たむろしていた。
今日は単独ライブとのことだから、この場にいる全員が
琴吹さんのバンドを見るために来ているということになる。
「とにかく今日は記念すべきライブなのです。先輩も楽しまないと損ですよ」
そう言って明石さんはつかつかと京音堂へ入っていった。
私もその後を追っていく。
中はもう人でいっぱいだった。
私は小津の姿を探してみるが、昨今のファッションを代表するような若き大学生が蠢くこの界隈に
ぬらりひょんの面はどこにも見当たらなかった。
スタジオの扉が開いた。
開演を知らせる合図である。
私は人の波に揉まれ、なすすべなく中へ押しやられた。
これでは怪しい人物を見張ることすらままならない。
そうこうしているうちに暗闇のスタジオに暑苦しく人間達が詰め込まれ、
そう広くない空間に、にわかに興奮が高まっていくのが感じられた。
私といえば、ざわめく大衆から一歩引いた場所で高みの見物がごとく屹立していた。
しかし放課後ティータイムのメンバーが姿を現し、観客から熱狂的な歓声があがると、
私もその興奮に当てられ、小津を探すどころではなくなってしまった。
「みなさん、今日は集まってくれてありがとう!放課後ティータイムです!」
真ん中のマイクスタンドに立つ女性が手始めに挨拶すると、ステージの目の前、最前列の辺りから
「ゆいー!」だの「みおー!」だのといった黄色い声援が飛んだ。
後から知ったのだが放課後ティータイムの主要なファン層は同じ年頃の女子大生であり、
一部では絶大な支持を得ていたにも関わらず1年前に解散、
今回はどちらかというと復活ライブという位置づけとしてファンが集まったらしい。
私は琴吹さんに目をやった。
彼女は前列にいる3人ほど名前を呼ばれることはなく、目立たない位置でキーボードを構えていたが
その表情は楽しげで、メンバーを見守るように落ち着いた姿勢を崩さなかった。
最初のMCを観客はそわそわしながら聞いていた。
徐々に全体に緊張感が広がっていく。
頃合いを見計らったように彼女たちは目配せし、ドラムスティックが力強くカウントを取る。
ライブが始まった。
――――――
――――
――
表現力に乏しい私がこの激動のライブを事細かに話して聞かせたとして、その魅力の何割が伝わるだろうか。
読者諸賢には大変申し訳ないが、
放課後ティータイムの過熱を極めた復活ライブの様子は端折らせてもらうことにする。
ただ一つ、今の私の現状から言えることは、まさに圧倒的という感想に他ならない。
私は本来の目的を忘れ、気付くとライブは終演していた。
終わってみれば小津の些細な悪行など微塵も介入する余地がないように思われた。
事実、ライブは一切の滞りなく始まりから終わりまで盛り上がりが途切れなかった。
興奮冷めやらぬ観客たちがぱらぱらとスタジオから出て行く。
「しっかりして下さい、先輩」
明石さんに袖を引っ張られ我に返った。
いつの間にかスタジオに居るのは私と明石さんだけであった。
「紬さんが待っています」
ライブの余韻も相まって、私は明石さんの言葉の意味を汲み取りかねて見事な阿呆面をしたまま
「え」とだけ口にした。
明石さんは何も言わず、ぐいぐいと私を引っ張っていった。
「こちらが楽屋です」
私の意思を完全に置いてけぼりにして明石さんは楽屋の薄い扉をノックした。
まだ心の準備が出来ていない。
「あっ先輩!」
開かれた扉の方を振り向いた琴吹さんは私を見るなり驚いて声を上げたが、
すぐにその表情はほころび笑顔で私の元に駆け寄った。
先程まで談笑していたであろう放課後ティータイムの面々と不意に目が合い、私は赤面してうつむいた。
ライブの時も思ったが、この女子バンドのビジュアル的魅力は筆舌に尽くしがたい。
そんな彼女らの視線を一身に受けたら、世界一気丈な精神を持っている私といえど緊張の色は隠せない。
そしてそれは当然、私の目の前で嬉しそうにしている琴吹さんにも当てはまる。
私は何を言うべきか迷った。
不明瞭な感情が伝えるべき言葉を濁らせ、私は琴吹さんとまともに目も合わせられない。
「来てくださってありがとうございます。先輩には色々とお世話になりました。
お粗末だったかもしれませんが、今日のライブは先輩へのお礼です」
そう言って琴吹さんは頭を下げた。
「……この後、すぐに出発してしまうのか?」
「はい……」
琴吹さんは歯切れ悪く、それでも笑顔は崩さず言った。
彼女の背後には放課後ティータイムのメンバーが椅子に座り、じっとこちらを見ている。
琴吹さんは私が言わんとすることを静かに察し、話を続けた。
「私の高校時代の友人です。このライブを提案してくれたのは彼女たちなんです」
私は「そうだったのか」と抑揚なくつぶやいた。
およそ一カ月ぶりに会い、わざわざライブという場まで設けてもらったにも関わらず、
琴吹さんにかけてやる言葉が何も思いつかない。
私が再び押し黙ると、今度は横にいた明石さんが声をかけた。
「ライブ、とても素晴らしかったです。いつか日本に帰って来た時に、
ぜひもう一度聞かせてもらえれば私も先輩も喜びます」
「私も今日はすごく楽しかったわ。しばらくはこっちに戻ってこれないかもしれないけど、
数年後、機会があればまた放課後ティータイムで音楽をやりたいと思ってる……」
琴吹さんは後ろに座る4人に振り向いた。
メンバーは納得したように頷き、
その間には何者も寄せ付けない確かな意思の繋がりがあるように思われた。
「その時は先輩も明石さんも呼んで、またお酒を飲みましょう」
それが別れの挨拶だとでもいうように、琴吹さんは笑顔で言った。
「待っている」
かろうじて絞り出した台詞がそれだった。
他にも言いたいことが沢山あるような気がするが、今の私にはこれが精一杯である。
私たちは短い会話の後、明石さんに「そろそろ私たちは席を外しましょう」と言われて
楽屋を去ることになった。
琴吹さんは、促されるまま立ち去ろうとする私を最後まで見送ってくれた。
彼女はしっかりと現実に目を向け、どんな困難が待ち受けているか分からない未来に
覚悟を持って邁進しているというのに、私の体たらくといったらどうであろう。
好機は目の前にいつもぶら下がっている。
いつだって私はその一歩を踏み出せずにいた。
「琴吹さん!」
諦めでもやけっぱちでもなく、私は自分が何を為すべきなのかようやく理解した。
張り上げた声に臆することなく琴吹さんは振り向いた私をまっすぐに見つめていた。
「何があっても諦めず、頑張るんだ。私は応援している。
そして数年後、また放課後ティータイムの音楽を聞かせてくれ。
それまでに私も、君に負けないくらい立派な人間になろうと思う。また会えるのを楽しみにしている」
彼女は満面の笑みで「はい」と頷いた。
――
――――
――――――
後から聞いた話だが、あの日、小津は実際にライブ直前に琴吹さんと接触する計画を立てていたらしい。
しかし幸いにも計画は頓挫した。
その原因については小津の口から聞きだすことは出来ず、様々な憶測がなされたが、
ある有力な目撃証言によれば琴吹グループ傘下のSP達によって
<図書館警察>もろとも小津が羽交い絞めにされ、ライブハウスから放り投げられたとのことだ。
明石さん曰く、「小津さんの計画は元から琴吹さんに筒抜けだったのかもしれません」だそうだ。
琴吹さん自身が小津の企てを知っていたとは思えないが、
少なくとも彼女を護衛する琴吹グループによって小津が懲らしめられたのは事実のようである。
その他にも事情通らしい明石さんや小津の話でいまさら思い知った事では、
琴吹さんはそこら辺に転がっている「なんちゃってお嬢様」とは一線を画した、
正真正銘本物の「お嬢様」だったのだ。
平凡な私がおいそれと声をかけることすら失礼なほど、彼女の生きる世界は別次元であった。
厚かましくも惚れてしまった経緯もあったが、むしろそこで思いとどまったのは正解だったのかもしれない。
それでも琴吹さんなら、こんなむさ苦しい私でも寛大に受け入れてくれる器の大きさがあるような気がする。
例えどんな人間に対してだろうと、彼女は分け隔てなく愛情を注いでくれるだろう。
しかし私のように、琴吹さんから溢れ出る愛情を受け止めきれない矮小な器の持ち主は
その無垢透明な愛の海に溺れ死んでしまうことは想像に難くない。
これでよかったのだ。
私は心の底から納得した。
この一ヶ月にわたる怒涛の心理的葛藤物語のささやかな結末として、私は明石さんと親しくなった。
明石さんは表立って言わないが、
琴吹さんの身内に小津の策略を洩らしていたのは彼女なのではないかと推測する。
もしそうだとすれば小津に負けず劣らず見事な暗躍ぶりである。
私と明石さんがその後いかなる展開を見せたか、それはこのスレの主旨から逸脱する。
したがって、そのうれしはずかしな妙味を逐一書くことは差し控えたい。
読者もそんな唾棄すべきものを読んで、貴重な時間を溝に捨てたくはないだろう。
成就した恋ほど語るに値しない物はない。
別の日、私は二階にいる師匠の部屋に明石さんと訪れた。
先日の京音堂襲撃未遂によって失脚した小津は
今まであらゆる方面から買った恨みによって居場所をなくし、
師匠にかくまってもらっているらしい。
「おや、二人ともお揃いで」
「聞いたぞ。お前、完全に追放されたんだってな」
「まあ、やらかしちゃいましたからね」
「これに懲りて人にいらんちょっかいを出すのは止めるんだな」
「お断りします。それ以外に僕がすべきことなんて何もないですからな」
小津は例の妖怪めいた笑みを浮かべて、へらへらと笑った。
「僕なりの愛ですわい」
「そんな汚いもん、いらんわい」
私は答えた。
おわり
思ったより森見風を受け入れてくれる人が居て嬉しいww
書いてて本当に思い知ったけど、あのセンスと語彙は異常すぐる
こんな稚拙な文章書いちゃってどれだけファンにお叱りをもらうかドキドキしながら投下してたわ
ともあれここまで読んでしまった人はお疲れさん、そしてありがとう
最終更新:2016年12月28日 08:10