教師になってから思うことがある。
それは生活と仕事のギャップが大きすぎるということ。
人生の見本として教壇に立つ時間も、軽音部の中で素の自分を出す時間も、どちらも楽しすぎる。
楽しすぎるが故に、ひとりの時間はより一層寂しく感じられる。
OLであれなんであれ、多かれ少なかれそういうことを感じているのだとは思う。
でも、教師の場合、それが特に顕著……だと私は勝手に思っている。
出来合いのものを買ってきて、お酒を飲みながら過ごす夜。
教材の準備をしながら過ごす夜。
TVの音がやけに虚しく響いて、いたたまれない気持ちになる。
独り身である以上、仕方ないことだと思っていた。
彼女が遊びにくるようになるまでは。
ドアを開くと今日もほら……
紬「おかえりなさい、さわ子先生」
さわ子「今日もきてくれたのね」
紬「ケーキが余ってしまったので」
さわ子「座って。今お茶を入れてあげるから」
紬「はいっ!」
私はスーツを脱いでセーターに着替え、どてらを羽織る。
ムギちゃんはもう着替えて炬燵に入っている。
私も急須にお湯を入れて、すぐに炬燵へもぐりこむ。
炬燵に入ると、ムギちゃんが体を寄せてくれた。
ムギちゃんから熱を貰って、私の体はすぐに温まる。
さわ子「はい、お茶をどうぞ」
紬「ありがとうございます」
紬「あっ、今日は抹茶のシフォンを持って来たんです」
ムギちゃんはあらかじめ用意しておいた皿にケーキを置いた。
ケーキはひとつ。
フォークはにほん。
以前、ムギちゃんはフォークを1本しか用意しなかった。
それだと悪い気がしてしまうので、フォークを2本用意してもらうことにしたのだ。
……一緒に食べたほうが美味しいというのも、少しだけある。
さわ子「あっ、これ美味しい」
紬「そうですか? うふふ」
さわ子「ほら、ムギちゃんも食べて」
紬「はい……あら、ほんとう」
ムギちゃんは一口食べて、お茶をすする。
紬「お茶との相性もバッチリです」
さわ子「でも、ムギちゃんのお茶ほどじゃないでしょ」
紬「ううん。私、さわ子先生のお茶、大好きだから」
さわ子「そう?」
面と向かって言われると照れてしまう。
ムギちゃんは私のお茶を喜んでくれる。
お茶だけじゃない。簡単な料理を作っても、とっても喜んでくれる。
喜んでくれる子がいると、こっちとしても張り合いがある。
ムギちゃんが来るようになってから、通販で加賀棒茶を取り寄せて、お茶をいれるようになった。
それほど大きな出費ではないし、ムギちゃんの笑顔に比べれば安いものだと思う。
ケーキを食べ終わった後は、まったりテレビを見る。
番組は特に決めていない。
バラエティーだったり、クイズ番組だったり、流行りのドラマだったり。
どれも見飽きた番組だけど、ムギちゃんと見ると飽きない。
例えばクイズ番組。
ムギちゃんは一問一問答えを予想する。
そして正解が出ると一喜一憂する。
だから私も一緒に予想してしまう。
いつもはなんとなく見ていた番組でも、ムギちゃんと一緒なら楽しめる。
ドラマだってそう。
キスシーンを食い入るように見つめるムギちゃんや、
別れのシーンで涙を堪えるムギちゃんを見ているだけで楽しくなれてしまう。
さわ子「夕ごはんも食べていく?」
紬「いいんですか?」
さわ子「もちろんよ!」
紬「やったっ!」
小さくガッツポーズするムギちゃん。
アンチョビ&キャベツのパスタと温野菜を作ってムギちゃんと食べた。
夕食を食べてしばらくすると、ムギちゃんの家の人が迎えに来る。
それまでの時間、テレビを消してムギちゃんとお話する。
さわ子「そういえばあの話どうなったの?」
紬「あの話ですか?」
さわ子「あの、りっちゃんと……」
紬「あぁ、りっちゃんと梓ちゃんの……」
さわ子「えぇ」
紬「無事付き合っちゃいました!」
さわ子「本当?」
紬「ええ、初々しいりっちゃんと梓ちゃんがとってもかわいいんです!」
紬「先生も今度――って、さわ子先生!!」
さわ子「な、なに?」
紬「最近どうして部室に顔を出してくれないんですか?」
ムギちゃんが家に遊びに来るのは、私が軽音部に顔を出さなかった日だけ。
ケーキを持ってくるという名目だからだ。
それで、ついつい軽音部から足が遠のいてしまう。
さわ子「ごめんなさい。最近職員会議とかで忙しくて」
紬「それなら……しかたありません」
さわ子「明日は行くから、ね」
紬「やったっ!」
また小さくガッツポーズしてる。
さわ子「それで話は戻るけど……」
紬「りっちゃんと梓ちゃんがとってもかわいいの!」
さわ子「ええ、でもちょっと意外な組み合わせだなって」
紬「そう……ですか?」
さわ子「ええ、だってあの二人……」
紬「喧嘩するほど仲がいいって言います!」
さわ子「それにしても、ねぇ……」
紬「うー」
不満そうにムギちゃんが唸った。
紬「先生はあの二人が付き合うことに反対なんですか?」
さわ子「ううん。そうじゃないの。でも意外だなって」
紬「そうかなぁ?」
さわ子「唯ちゃんと澪ちゃんにはそういう話はないの?」
紬「ええ、残念だけど二人は付き合う気はないみたいです」
さわ子「残念なんだ?」
紬「だって唯ちゃんと澪ちゃんもとってもお似合いだと思うから」
さわ子「そっかぁ……」
紬「はい」
さわ子「ムギちゃんは、付き合ってみたいと思わないの?」
紬「私、ですか?」
さわ子「うん。ムギちゃん、唯ちゃんと仲良しさんじゃない。澪ちゃんとだって、ね」
紬「うん。確かに仲良しさんだけど、付き合いたいとは思いません」
私は何を聞いているんだろう。
これ以上は生徒と教師の会話じゃない。
わかっていても、私の口は止まってくれなかった。
さわ子「ムギちゃんは、女の子に興味ないの?」
紬「あります」
さわ子「なら……っ」
ムギちゃんの瞳が、私の瞳を射抜いていた。
紬「女の人になら興味、あります」
さわ子「……駄目よ」
紬「わかってます」
さわ子「ムギちゃん?」
紬「さわ子先生は良識ある大人だって知ってます」
さわ子「……うん」
紬「だから待ちます」
さわ子「えっ」
紬「卒業したら生徒と教師じゃなくなるから」
さわ子「……」
紬「……」
それきりムギちゃんは顔をそむけて黙ってしまった。
そのかわり、私に体を預けてくれた。
ムギちゃんが着ているどてらは私が去年プレゼントしたものだ。
「おそろい!」と言って喜んでくれたムギちゃんの顔が思い浮かぶ。
あの笑顔は、天使の笑顔だった。
……そうだ。ムギちゃんは天使かもしれない。
いや、きっと天使で間違いない。
翼はないけど、この子は天使だ。
だから私はこの子を手放しちゃ駄目だ。
こんないい子は二度と現れないのだから。
インターホンが鳴る。
執事の人が迎えにきたのだろう。
お別れの挨拶の代わりに、ムギちゃんのお凸にキスをした。
ムギちゃんは天使なのに真っ赤になった。
おしまいっ!
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最終更新:2013年01月12日 22:23