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一人暮らしって、なんて気楽なんだろう!


そう思えていたのは大学を卒業し、住み慣れた町を離れ社会に出た数日だけだった。

何年か経った今では、自分と交流を持ってくれる人の数の少なさを嘆きつつ、
寂しさと人恋しさにテレビを点けっぱなしにして眠りに就く私がいる。

そんなことをしていれば当然、ひと月の電気代やらなんやらも馬鹿にならない訳で、
引き出しの奥に突っ込んでいる通帳の桁は色々と足りない。


「ふっ……」


小さなアパートの部屋に吐き出される溜め息。


料理だって、「自炊するぞ」と息巻いていたのはほんの僅かの間。

目線を少し隣にずらせば、
そこには電子レンジの中で虚しく回っている冷凍食品が目に入った。


「明日は……八時からか。あんまり寝れないなぁ」


使い古した携帯で仕事の予定と時間を確認。

目の前には二つのゴミ袋。


「行きがてら、ついでにコレ出して……他には……」


重い体で明日出すゴミの不燃と可燃を分ける。

……乾電池はどっちだ?


粗方分け終えたあと、一息つこうとウサギのマグカップの中に紅茶を注ぐ。

とは言っても、学生の頃に飲んでいたような高級なものではなく、
ただのティーパックなのが現状。


「熱っ」


……舌をヤケドした。


ふーふーと、吐息で熱を冷ましてからもう一度紅茶に口をつける。

分かってたはいたけど美味しくない。

こうなると学生時代にムギが淹れてくれたあのお茶の味が懐かしくなってくるんだ。


「無駄な抵抗」とぼやきながらティーシュガーを紅茶に足して二回目の溜め息を吐く。


「また、ムギのお茶飲みたいな……皆は今何やってるんだろ」


脳裏に浮かぶ、かつての仲間の姿。


時々、こんなしょっぱい日常の繰り返しの中で、
不意に「あの頃に戻れたら」なんて思ってしまいそうなことがある。

あの頃は皆同じ夢を見て、その時を生きるのに一生懸命で、それがずっと続くと思っていた。

でも、今ではすっかり身も心も大人に変わった私には、
『あの頃』と『思い出』はもうイコールのものでしかない。

二度とは戻れない。振り返るだけ。


「思い出なんて要らない、だって今強く深く……」


そんなのは嘘。

今の私を慰めてくれるのは他でもないその『思い出』だ。


「なんてね」


なんだか、端から見ると自分に酔ってるみたいで馬鹿らしい。

もう休もうかな。


着ていたスーツをハンガーに掛け、パジャマを取り出す。

お風呂は朝一のシャワーで済まそう。


「……おやすみなさい」


つくづく、反応を返してくれる人がいないというのは寂しい。

そんなことを思いながらベッドへ潜り、低い天井を見上げる。


きっと、これからもこの日常は変わらない。

良いことも悪いことも身の丈にあったもの以外、素通りしてゆくこの日常は。



コン、コン。



「!」


玄関のドアから二回のノック音。

時計を見ると、針は夜の十時を指していた。

こんな遅くに誰が?


側に置いてあった薄手のカーディガンをパジャマの上から軽く羽織って、
玄関の覗き穴に目を通す。


一人暮らしの女性なんて、不審者の恰好の獲物だ。

ほいほいと「はい」とは出ていけな……


「(あれ、誰もいない)」


ただの風の音だったんだろうか?

しかし、それと同時に私の頭に嫌なものがよぎる。

多分私がこの世で最も恐怖し、嫌悪するもの。


「……まさか、おば」


そんな訳無い。

……そんな訳無いよね。


恐る恐るドアノブに手を掛けて息をのむ。


大丈夫、さっきのは風だ、そうに決まってる。

子供に言い聞かせるようにその可能性を否定する。

そしてその否定の根拠を確実なものにする為には、ドアを開けて確かめる他無い。

というか、何もいないことを確認しないと怖くて寝られない。


「お化けなんていなーいさ、お化けなんてうーそさ……」


人より心許ない勇気を総動員させる。

よし、開ける……ぞ。


「そーっ……」


少しだけ開いたドアの隙間から顔を出して、周りを見渡してみる。

……うん、何も無いな。良かった良かった。


そう思った刹那、目の前に黒い影がぬっと現れて私に飛びついた。

それはあまりにも突然で、対応出来ずに後ろに押し倒されてしまう。


「わああああああああああ!?」


風でもお化けでもなかった。

正解は一番最初に危惧した不審者でした。笑えない。


「(あああ……パパ、ママ、先立つ不幸を……)」


心の中で自分を愛してくれた両親に詫びる。

そして、これからされるであろう行為を想像して全身の身の毛がよだった。

こんなことならいっそお化けの方が良かった。


「うう……ぐす……」

「あ、泣いた……やり過ぎた?」


ひっぐ……え?


今、やり過ぎたって言ったか……?

これからやられるんじゃないの?


覆い被さっている影がゆっくりと私に顔を向ける。


整った顔立ちに綺麗な茶髪のショート。

見た者に強く印象づけるおでことカチューシャ。


見間違える筈が無かった。


「……律?」

「うん」



ゴンッ!!!



律の脳天に左ストレート。

されるいわれが無いとは言わせない。


「いっ……てぇぇぇー!!!」

「こんのぉ……ばぁかりつぅぅぅ!!!」


飛び交う怒声。


「何すんだよー!」

「こっちの台詞だ! いきなり何してくれるんだ!」

「驚かせようと……てへ☆」

「タチが悪すぎるッ!」


怖かった……本当に怖かった。


「ごめんごめん……久し振り澪」

「久し振りぃ律……ずずっ」


あ、また涙出てきた。


「いや、本当にごめん……」


律が申し訳無さそうにしゅんとしている。


確かに怖くて泣いちゃったけど、この涙の理由は多分それだけじゃない。


「(律だ……)」


今度は自分から律の胸に飛び込む。

懐かしい匂いと温もり。


「お、おーい澪さーん?」


うるさい。


「とりあえず部屋に入れてほしいかなーって……ここ玄関……」


――――――


「こっちに来るなら連絡くらい寄越せよな……今何時だと思ってるんだ」


長い間使ってなかったお客様用のマグカップを軽く濯いで紅茶を注ぐ。


「それにしても三年……四年振りくらい? 皆は元気なのか?」

「元気だよ。あんまり会えないけど。
 ムギはお父さんトコの会社やってるし、唯は梓と自作の曲の売り込みとかしてる」


へぇ、結局ムギはグループを継いだのか。一人娘だもんな。

唯と梓はまだ音楽を続けてるみたいで何より。

正直、羨ましい。


「律はどうしてたんだ?」

「……は、花嫁修行?」


深くは聞かないことにしよう。


「で、なんだっていきなりこっちに来たんだよ」

「今日、何の日?」


今日?

カレンダーを見てみるが、取り立てて何も無い。平日だ。


「え、マジで分かんない? 自分の誕生日だろー?」

「あ」

「お誕生日おめでとう澪!」


満面の笑顔の律。

手にはどこぞから取り出したクラッカーが見える。


「忘れてた……」


桜ヶ丘を離れて数年。

こっちでは誰も祝ってくれる人がいなかったから正直忘れていた。

もうこの歳になるとそんなのいちいちやってられないというのもあったけど。


「忘れてたってなんだよ。私は毎年祝ってたんだぞ?
 去年だって、澪にお誕生日おめでとうメール送ったじゃん」

「……そうだっけ?」


「うっわ、ひでー。それも忘れてるとか」

「せっかく澪にプレゼント持ってきたのになー。渡せなかった四年分まとめてさ」


「しょんぼりっちゃんだなー」とか言いながら律が口を尖らせる。

可愛い。


「ごめん律。わざわざありがとうな、凄い嬉しい」

「……」


何も返さずに律が無言で頬を染める。


「で、プレゼントって何?」

「もう少し余韻に浸らせろよ……」

「いいからいいから」

「もお……はい」


そう言う律の手には何も無い。

見間違いかと思って目を擦っても何も無かった。


「……プレゼントは?」

「え、私だけど……ああ、それとこれ婚姻届な」


どこからともなく取り出される一枚の紙。

いつかは目にするかもと思っていた物が、よもやこんな形で見ることになるとは。


「……またイタズラ?」

「わりかし本気」


冗談や嘘の目では無かった。


「私と結婚してください!」


え? え? 理解と反応が追いつかない。


「私と……律がか?」

「嫌?」


嫌だとかそんなんじゃなくて、ええと。


それ以上言葉を続かない私を察してか、律が再び口を開く。


「澪がいないと寂しいんだよー、一緒にいたいんだよー」


子犬がじゃれるように私の胸に律がすり寄ってきた。


「こ、子供かお前は! 離れろ……!」

「やだ」


律は体の線は細い癖に、力はドラマーゆえかそれなりに強い。

抵抗も空しく、また押し倒されてしまう。


「おい、冗談は……」

「冗談なんかじゃない」


律が私を見つめて放さない。

気恥ずかしさから反射的に目を逸らすけど、律はそれを許さなかった。


「この四年間、ずっと会いたかった。寂しかった」

「律……?」


自嘲するように微笑む。


「……最初は諦めようとしたんだ」

「皆には皆の道がある。それで離れるんなら仕方の無いことなんだって」

「でも、出来なかった」


律の付けていたカチューシャが重力に逆らえず、私の胸元に落ちる。

すると、抑えるものの無くなった前髪が露わになり、律の目を隠した。


「忘れられないんだ、皆と過ごしたあの日が。澪の隣にいられたあの時が」

「好きなんだよ……ずっと澪が好きのままなんだよ……」



『ごめんね澪、私、大人になれなかったよ』



「……」


……同じだ。

律も忘れられなかったんだ。

あの頃の思い出が。あの頃の時間が。あの頃の記憶が。


ただ違うのは、私は諦めを拒まず、律は諦めを拒んだこと。


「あ……」


律が身を起こして私から離れる。

その隠れた顔から覗いた表情はこのまま消えてしまいそうなほどに悲痛だ。


「あはは……迷惑……だったな。誕生日にかこつけて、一方的に勝手なこと……」

「馬鹿」


言葉を遮って、律を抱きしめる。


気持ちは痛いほど伝わったさ。

だって私も忘れられなかったんだから。


大きくて小さい、さびしんぼうがここに二人。


こうしていられるのならずっと子供のままでも良いかもしれない。


そう思わせてくれるのは、きっと君でしか。それでしか。


――――――

――――

――


「……にしてもプレゼントに婚姻届は無いよなぁ」

「……そ、そんくらい本気だったんだよ」


今更、律が照れを隠すようにそっぽを向いた。

しばらくはこのネタでからかってあげようか?

学生時代に色々やられたからな。お返しだ。


「まぁ、受け取ってあげるけど」

「結婚……してくれんの!?」

「駄目」

「あ、そう……」


目に見えて意気消沈してる。面白。


「……勘違いするなよ。返事は八月二十一日まで保留するんだ」

「私はまだ律に四年分の誕生日プレゼントを渡してないからな」


婚姻届を律の前にちらつかせて、ちょっと意地悪く笑ってみせる。

四年待てたんだ。あと7ヶ月くらい待てるだろ?


「……それって」

「……さぁ、どうだろうな」


想わせぶるのは大人の特権ってことだ。


おわり



最終更新:2013年01月15日 21:48