まだあの人のことをつむぎ先輩と読んでいた頃のこと。
先輩と二人で帰る機会があった。
というのも澪先輩が風邪をひき、律先輩がお見舞いに行ってしまったからだ。
私も一緒に行きたかったけど、幼馴染二人の間に割り込むのは抵抗があった。

唯先輩は部活がないと分かると生徒会室に行ってしまった。
なんでも幼馴染がいるらしい。

そんなわけで幼馴染のいない私とつむぎ先輩の二人で帰ることになったのだ。

帰り道、つむぎ先輩は浮かなそうな顔をしていた。
この人も澪先輩のお見舞いに行きたかったのだろう。
私は理由を聞いてみることにした。

「どうして澪先輩のお見舞いに行かなかったんですか?」

「それはね、
 澪ちゃんは弱ってるところを見られるの嫌だろうから」

「でも、律先輩は行きましたよ」

「りっちゃんは幼馴染さんだからよ」

「でも、私達も同じ軽音部の仲間ですよね」

「それでもね、
 壁はあると思うから」

つむぎ先輩は少しだけ寂しそうな顔をした。
風邪をひいたときみんながきたら、私もたぶん困惑してしまう。
弱ってるところはあまり見たくないから。
でも、それ以上に来て貰えたら嬉しいと思う気もする。

こう考えてしまうのは唯先輩に毒されてきているからかもしれない。
唯先輩は強引にスキンシップをとってくる。
私はそれが苦手だ。
どうせなら澪先輩に抱きついて欲しいと思う。

にも関わらず、私は徐々に籠絡されつつある。
ある日突然に抱きつき行為が止まったら、寂しいと感じてしまうかもしれない。

ここまで考えて私は思った。
私はこの人に唯先輩のようになって欲しいのだろうか?
そんなことはないはずだ。

横目でつむぎ先輩の顔を見ると、青い顔をしていた。

「ちょっとだけ休んでいってもいいかな?」

生理、らしい。
私は公園のベンチまでつむぎ先輩を連れてきて、座らせてあげた。

「しばらくすれば楽になると思うから」

「薬は?」

「もう飲んだから大丈夫。
 今回のはちょっとだけ重いけど、少し休めば楽になると思うから」

「飲み物、買ってきますね」

自動販売機はすぐに見つかった。
本当はポカリが欲しかったけど、なかったのでアクエリアスを買った。
戻ってくると、ベンチの前には鳩が集まっていた。
つむぎ先輩が餌をやっているみたいだ。

「休んでないと駄目です」

「ううん。
 もう平気だから」

「……どうぞ」

「ありがとう」

先輩はペットボトルの蓋を開けて、一口飲んだ。
美味しいと呟いて、鳩にやっていたクッキーを渡しにくれた。

私はクッキーを小さく砕いて鳩にやった。
鳩は必死に食べていたけど、烏が飛んできたので逃げてしまった。

「あぁ……」

「烏さんが来たのね」

「はい。残念です」

「梓ちゃんは、烏が嫌い?」

「……好きじゃありません」

つむぎ先輩は空を見上げて、ゆっくりと口ずさんだ。

「もしも

 黒い烏が

 もしも 

 真っ白だったら

 こんなに嫌われなかったかもね」

「歌?」

「ええ、ある歌の一節」

「烏が真っ白だったら、ですか」

「私のことを歌ってるみたいじゃない?」

「え?」

「私はね、
 自分のことを白い烏だと思ってたの」

「白い烏?」

「ええ。
 だからみんなの中にいると目立ってしまうの」

つむぎ先輩の髪は確かにとても目立つ。
青い瞳も。

「だから、白い烏ですか」

「ええ、人々に嫌われなかった烏。
 でもね、白い烏は他の烏にはどう見えたと思う?」

「それは、わかりません」

「別に嫌われたりはしなかったわ。
 むしろみんなが集まってきた。
 白い羽がみなの興味を惹いたのね。
 たぶん、それはそんなに悪いことじゃなかった」

「……」

「でもね、白い烏は思ってしまったの。
 自分の羽が黒くてもこの人達は友達でいてくれるんだろうか、
 この人達は自分が白い烏だから傍に居てくれるんじゃないかって」

「……」

「話しすぎちゃったみたいだね。
 そろそろ帰りましょう」

この人をそのまま帰してはいけないと思った。
だから、私はつむぎ先輩の手をとって、自分の家まで連れていった。
先輩は抵抗らしい抵抗をしなかった。
たぶん、生理で弱っていたからだろう。

「どうして、梓ちゃんの家に連れてきたの?」

「しばらく休んで欲しかったからです」

「そう……」

つむぎ先輩は私の言葉を受け入れてくれた。
それから左手に持っていた小さな鞄を持ち上げた。

「ケーキ、食べる?」

私は冷蔵庫を開いて、麦茶の入った容器を取り出した。

……最近、麦茶を買うようになった。
スーパーに行くとどうしても麦茶に手が伸びてしまう。

告白するのは気恥ずかしいが、つむぎ先輩が影響してるのは確かだと思う。
ただ、勘違いしないでおいて貰いたいのは、つむぎ先輩が特別ではないということだ。
もしも澪茶というものがあれば、そちらを買っていたかもしれない。
麦茶より美味しければの話ですが。

私は麦茶の入ったコップを2つもって、つむぎ先輩のところへ戻った。
保冷鞄の中にはケーキが4つ残っていた。
先輩は全部食べてもいいよと言ったので、ショートケーキとガトーショコラを取り出した。

私がケーキを食べている間、つむぎ先輩は目を細めてにこやかにこっちを見ていた。
食事中に見られていると気恥ずかしいものだけど、先輩の視線にそういうものはなかった。
観察しようという感じが全くなかったからだろう。
私は時間をかけて二つのケーキを平らげた。

「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

「……ケーキが食べたくて誘ったんじゃないですからね」

「梓ちゃんそんなこと考えてたの?」

「だから、考えてませんって」

私が声を荒げると、つむぎ先輩はわらった。
普段なら怒るところだけど、今日は少し嬉しかった。
弱っているつむぎ先輩を笑わせることができて、嬉しかったのだ。

今なら聞ける気がした。
自分のことを白い烏だと言うつむぎ先輩――。
そのつむぎ先輩が澪先輩のお見舞いに行かなかった本当の理由を。

「つむぎ先輩は、どうして澪先輩のお見舞いにいかなかったんですか?」

「えっ?」

つむぎ先輩は不思議そうな顔をした。
それから顔を赤らめて、自分の下半身に目線を向けた。

「あっ……そうですよね」

「うん。私が行っても迷惑かけるだけだろうから」

私は的はずれなことを考えていたようだ。
つむぎ先輩は遠慮していたのではなく、生理だからお見舞いに行かなかったのだ。

「私が白い烏の話をしたから心配しちゃった?」

「少しだけしました」

「ごめんね。
 でも大丈夫。
 あれは昔の話。
 りっちゃん達は別だから」

「別、ですか?」

「うん。
 りっちゃん達はそういうのと関係なく私に接してくれる。
 だからね、こうやってお菓子を持っていくこともできるの」

「お菓子を?」

「ええ。
 お金持ちでも、髪が金色でも、青い瞳をしていても、変わらず接してくれる。
 だから私は好きなようにやれるんだよ」

そう言い切って、つむぎ先輩は満足そうに微笑んだ。
何かをやりきったような、少し誇らしげな表情。

この微笑みが、私には少しだけ寂しかった。
つむぎ先輩は私の仲間だと思っていたから。
ほんの少し離れれたところから他人に接している仲間だって。

私は自分が寂しさを感じていることを、悟らせまいと必死だった。
つむぎ先輩がまた自分語りを始める。

「醜いあひるの子って知ってる?」

「……白鳥の子供がアヒルの群れに混ざってたって話ですよね」

「ええ。
 私ね、自分があの白鳥だと思ったことがあるの。
 自分のことを白鳥だなんて、嫌な子供だと思わない?」

「でも、そういう気持ち、わかります」

「でね、いつか本当の場所に、仲間の元に帰るんだ。
 だから、今はそんなに楽しくなくてもいい。
 中学校までは、そう思ってたの」

「でも、今は……」

「ええ、今は本当に楽しいわ。
 だからね、
 この時間を大切にしたいなって思うの。
 もしかしたら醜いあひるの子だって同じかもしれない。
 群れに戻ったあとよりも、
 猫さんや牝鶏さんと過ごした時間のほうが楽しかったかもしれないでしょ」 

「それは、いつか私たちの元からいなくなるってことですか?」

「そうね。ずっと先の話だけど、
 いつかは必ず別れがくるわ。
 ずっと一緒にはいられないでしょ」

その言葉を聞いて、少しだけ安心してしまった。
つむぎ先輩はやっぱり私と同じだ。
いつか別れがくる。
だからこそ今を大切にしようとする。

唯先輩とは違う。
私側の人間だ。

なら、私にもできることがある。
別れなんてこないと思わせてやることができる。
律先輩達ではあげられなかった何かを、私がつむぎ先輩に与えてあげられるかもしれない。

そうだ。
手始めにこのかわいい幻想を壊してあげよう。
白鳥だなんて思い上がってる、つむぎ先輩の幻想を。

「先輩は白鳥なんかじゃないです」

「どうしてそう思うの?」

「つむぎ先輩の眉毛が太過ぎるからです」







私の言葉に、つむぎ先輩がなんと返したかは覚えていない。
どんな顔をしたのかも覚えていない。
でも、頭を軽く叩かれたことだけは覚えている。

スキンシップしてくれたのは、これがはじめてだったから。



終劇ッ!!



最終更新:2013年01月20日 21:26