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「消せないじゃない……」




込み上げる涙を堪えながら、溢れ出る言葉を漏らす。
私には消せない。
消せるはずなんてない。
こんな落書き、消せるわけないじゃないの……。

今、私の視線の先には黒板がある。
私は音楽の先生だから他の先生ほど使っていたわけじゃない。
それでも、一年付き合ってきた黒板だし、それなりに愛着はある。
私達のちょっとした相棒といった所かしら?
何度か生徒の皆が落書きしてるのを、微笑ましく見ていた事も何度かあったしね。
あんまり見事な落書きを書くものだから、消すのが勿体無いと思えた事も一度や二度じゃない。
特に唯ちゃんなんか劇的に上手いわけじゃないけど、味のある落書きをよくしていた。
消したくなかった。
消したくなかったなあ……。
クラスメイト全員の特徴を捉えた落書きをしてた時は特に……。

でも、私はその唯ちゃんの落書きを見た時以上に、黒板の落書きを消すのを躊躇っている。
ううん、これは落書きなんて言葉じゃ言い表せない。
これはメッセージだ。
皆から私に宛てたメッセージ。
卒業記念に残してくれた私へのお別れのメッセージなのよね――。


「お別れの……メッセージ……」


口に出して言葉にしてみると、私の涙腺からは遂に涙がこぼれ始めてしまった。
目まぐるしくて楽しかった私達の日々は終わってしまった。
新しい旅立ちのためとは言え、私達の一つの生活は終わってしまったんだ。
覚悟していたつもりだったけれど、その現実を目前にしてしまうと私の胸は激しく痛んでしまう。


――こんなんじゃ先生失格よ、さわ子……。


そうして何度も自分に言い聞かせる。
でも、流れる涙はどうしても止められない。
私は持ち主の生徒を巣立ってしまって孤独になった席に座る。
眼鏡を外して両手で目元を押さえると、熱い涙が手のひらに触れた。


――今日は大事な巣立ちの日なのに、泣いてちゃ生徒達に示しがつかないわ……。


そう、今日は私の生徒達の巣立ちの日。
卒業式の当日だ。
今日を迎えるまで、私は寂しくはあったけれど泣きはしなかった。
胸が痛む事もあったけど、自分の卒業式でも泣かなかった私だし、泣かないでいられるはずだった。
卒業する生徒達を笑顔で見送ってあげられると思ってた。
実際、卒業式が終わるまで、私は涙を流さなかったし、
生徒達から色紙を貰った時も嬉しくて胸が温かくなって、満面の笑顔を向けていられた。
皆を笑顔で見送ってあげる事が出来た――と思う。
でも――、


「これは反則よ、皆――」


呟くと同時にまた涙が溢れ出す。
教室で皆を笑顔で見送って――、
職員室で貰った色紙を何度も何度も眺めて――、
何となく最後に一年過ごした私達の教室にお礼を言おうと戻ってみて――。
私は、この黒板の落書きを見つけてしまった。





『さわちゃんサイコー』

『大好き!!山中先生』

『さわちゃんありがとー』

『またくるよ!』

『絶対遊びにくるからね』




皆から私に向けたお別れのメッセージ。
同時に、巣立ちの言葉。
私の手から離れて、新しい生活に旅立って行く皆の想い。
その言葉を見て、皆の想いを実感して、私にもようやく実感が湧いて来た。
今日が最後なんだって。
皆と会う機会はもうほとんど失われてしまうんだって。
分かっていたつもりだったのに、本当の意味では分かっていなかったみたい。
私は――まだまだ新米の先生でしかないのよね――。

だから、私は今更、涙を流してしまっている。
大切な生徒達からのメッセージを見て、胸の痛みの強さに嗚咽が止められない。
自分の涙の熱さを何度も何度も手のひらに感じながら――。
いつかは消さなきゃいけない皆のメッセージを強く胸に刻みながら――。




一頻り涙を流した後、私は軽音部の部室の扉の前に立っていた。
部室に顔を出す約束はしてなかったけど、皆の顔がとても見たくなってしまったから。
唯ちゃん、澪ちゃん、りっちゃん、ムギちゃん、梓ちゃん。
梓ちゃん以外の顔はもうこれからほとんど見る事が出来なくなる。
下手をしたら、数年に一度しか見られなくなる可能性だって少なくないんだもの。

私だってこれでも歳を重ねてるからよく分かる。
私もDEATH DEVILのメンバーとはまだ交流があるけれど、
逆に言えばそれ以外の同級生と会う事はほとんどなくなってしまった。
いつでも会えると思っていたのに、いつでも連絡出来ると思っていたのに、
いつの間にか連絡先も分からなくなってしまった同級生も一人や二人じゃない。
新しい生活に入るという事はそういう事……。
巣立っていくという事は、そういう事なんだものね……。

だから、私は皆の顔を見ておかなきゃ、って思った。
私の素の姿を知っている皆の前で、今のありのままの私を出したかった。
皆は私の生徒だけど、歳の離れた友達の様でもあったから。
素直な気持ちをぶつけ合える仲間でもあったから。
皆の前でなら、素直に泣いてもいいんじゃないか――。
もう会えなくなる前に、泣きじゃくってもいいんじゃないか――。
そう思えたから、私は皆の顔を見たくて此処に来たのよね。
前に進めなくなりそうな私の足を一歩でも進められるために。
多分笑っている皆の笑顔を見て、安心するために。


「皆――」


小さく頷きながら、私はドアノブに手を掛ける。
皆の顔を見てまた泣いてしまおう。
気持ちを思い切り吐露してしまおう。
そうしないと、私はきっと来年度の新生活に臨む事なんて出来ない。
こんな気持ちのままでは新入生を出迎えられないし、
卒業生の皆を本当の意味で送り出す事が出来ないと思ったから――。


「あっ……」


だけど、私の手はドアノブを回す事は無かった。
部室の扉の上方に付けられているガラス。
かなり近くにまで寄らなければ中の様子を窺えない材質のガラスの先に――、
私は――、皆の姿を見つけてしまったから。


床に座り込んでしまっている梓ちゃんの姿と、
梓ちゃんを優しい視線で見守っている唯ちゃん達の姿を――。


梓ちゃんの表情はこの場所からでは分からない。
でも、私には何となく確信出来てしまっていた。
梓ちゃんは泣いているんだって。
梓ちゃんは小柄だけどしっかりしている子だもの。
床に座り込んでしまうなんて、よっぽどの事があったに違いない。
例えば大泣きをしてしまっているとか――。

唯ちゃん達が卒業して、一人取り残される立場になる梓ちゃんだもの。
同じく学校に取り残される立場の私には、梓ちゃんのその気持ちがよく分かる。
梓ちゃんも頭では分かっていたし、分かっているんじゃないかしら……。
だけど、心がそれに付いていかない。
頭で全てを制御出来るほど、心が完全に成長し切れていない。
気を張っていても、不意のきっかけで寂しさや悲しさが溢れ出してしまう。
涙を堪えられなくなって、感情を爆発させてしまう。
それが今の梓ちゃんと……、私の状態なのよね……。


――私は何をやっていたのかしら……。


ドアノブから手を離して拳を作り、私は自分の頭を軽く小突く。
そのまま扉の前から離れて、階段の手すりに両肘を置いて顔を横にした。
大きく深呼吸をして、どうにか心を落ち着かせる。
胸の痛みは治まらない。
気を抜けばまた涙を流してしまいそう。
本当は皆の前で号泣してしまいたい気分でいっぱい。

でも――、それはしてしまったらいけない事よね。
今日は皆の卒業式。
今、泣いていいのは卒業生のあの子達と、
取り残される――ううん、卒業生の想いを引き継ぐ在校生達だけだもの。
先生が泣いていいのは、家に戻ってご飯を食べて落ち着いてからよね。
私達は――、私は先生だから、皆を笑顔で見送らなきゃいけない。
卒業生の皆に甘えるなんて事、しちゃいけないわ。


『学生気分が抜けないな』


なんて掘込先生にもよく言われるけど、やっぱりそうなのかもしれない。
私はまだ先生としては半人前だ。
生徒に頼りたくなっちゃうくらい、いっぱいいっぱいの先生だ。
この三年間も、皆と一緒だから乗り越えられた様なものだしね……。
だからこそ、今日くらいは何とか皆の見本にならなくちゃいけない。
これから先、ちょっとだけでも、山中先生が担任でよかった、って思ってもらえるように。


「ファイトよ、さわ子……」


涙を堪えながら、呟いて自分に言い聞かせる。
そうよ、ファイトよ、さわ子。
軽音部の皆と過ごして凄く楽しかったし、大切な思い出も出来た。
最後の最後、皆の心に私の泣き顔なんかを残しちゃうわけにはいかないものね。
新しい生活が私以上に不安なのは、きっとあの子達の方なんだから。
あの子に不安を抱えさせたまま、卒業させるなんてそれこそ先生として失格だもの。
だから、ファイト!




――ねえ、思い出のかけらに。




不意に優しい旋律と歌声が私の耳に届いた。
こんな場所で音楽が響くなんて、他に理由があるはずも無い。
唯ちゃん達が部室の中で演奏を始めたんだろう。
今まで聴いた事が無い曲だ。
多分だけど、唯ちゃん達から梓ちゃんに贈る歌なんだろう。
そう言えば、私達も卒業前に後輩達に一曲プレゼントした事があったわ。
確か……、曲名は『光』だったわよね――。

私達の曲はハードロック調の激しいナンバー。
今聴こえる唯ちゃん達の曲は穏やかで優しい旋律。
曲調や歌声は全然違うけど、唯ちゃん達と私達の気持ちは同じはずよね。
想いを引き継いでもらう後輩達に、精一杯の気持ちを込めて作った曲。
卒業生と在校生がお互いに新しい生活に真っ直ぐに向き合えるために――。

何故かしらね。
自分が卒業する時はそういう事を考えていたはずだったのに、
先生として生徒達を送り出す今はそんな大切な事を忘れちゃってたわ。
一番大切な事を見失ってたのよね……。
ううん、何故、じゃないわね。
私達が安心して後輩達の事を考えられたのも、
新しい生活に期待を持って卒業したのも、先生達が居たからなんだわ。

今更、気付いた。
先生とは喧嘩ばっかりしてたけど、心の何処かで信頼もしてた。
私達が本当に間違った事をした時には叱ってくれる、導いてくれるって信じてた。
だから、言い争いながらも、笑って卒業出来たんだ……。
よかった……、今更だけどそれに気付けて……。
あのまま皆の前で泣き出してしまわなくて、本当によかった……。


「さわ子先生」


聞き慣れた声を掛けられた、私は顔を上げて彼女に笑顔を向ける。
目の下は泣き腫れているだろうけれど、今度こそ私は笑った、心から。


「あら、真鍋さん」


『和ちゃん』と呼んだ事も何度かあった。
でも、今だけは教室での呼び名で、彼女を呼びたかったのよね。
私の気持ちを汲み取ってくれたのか、
真鍋さんは気を悪くした風でもなく微笑み掛けてくれた。


「部室、入らないんですか?」


「ええ、今はね……」


「そうですか……。ええ……、そうですよね……」


「真鍋さんこそ、入らないの?」


「はい、今は……」


ちょっと滑稽なやり取りだったかもしれない。
でも、私はそれでいいと感じていた。
今、部室に入るのは無粋で無遠慮過ぎるし、少し遠くから軽音部の皆を見たくもあった。
多分、いいえ、きっと真鍋さんも私と同じ気持ちだったんじゃないかしら。
とてもそんな気がするのよね。

真鍋さん……。
唯ちゃんの幼馴染みで、この桜高の元生徒会長。
凄く頼りになる生徒会長で、私自身も何度も助けてもらった。
私だけじゃなくて、生徒の皆も真鍋さんを頼りにしていたわね。
勿論、軽音部の唯ちゃん達も含めて。


「いい曲……ですね」


部室の方に視線を向けながら、真鍋さんが嬉しそうに微笑む。
私も変わらず笑顔を浮かべたまま、大きく頷いた。


「ええ、ホントにいい曲よね。あの子達も上達したものだわ」


「はい、私もそう思います。
この曲、聴いた事が無い気がしますけど、ひょっとして……」


「お察しの通りだと思うわ。
唯ちゃん達から梓ちゃんに贈る曲でしょうね。
うん……、放課後ティータイムらしい優しい曲よね……」


「そうですね……」


言って、真鍋さんが目蓋を閉じる。
今はこの曲を静かに聴いていたい気分なんでしょうね。
勿論、私も同じ気分だった。
真鍋さんと肩を並べ、優しい旋律にもう一度耳を傾ける。
耳を澄まして、旋律の流れに身を任せる。
ずっと聴いていたい――、
けれど、もうすぐ終わる旋律に――。




――ずっと永遠に一緒だよ。




唯ちゃんの優しいフレーズが私と真鍋さんの耳に届く。
優しい曲の演奏が終わる。
ずっと永遠に一緒になんて居られるはずがない。
そんなの夢物語よ――とは思わない。
勿論、永遠に一緒に居るなんて無理なのは私にも分かってる。
いつかは絶対に離れ離れになってしまう。

それでも――。
ずっと永遠に一緒に居ようとする事は出来るはず。
大切な人達の事を忘れずに憶え続けている事は出来るはず。
とても難しい事のはずだけど、唯ちゃん達になら出来そうな気がするから不思議よね。
勿論、大変な事もあるだろうから、負けないようにファイトよ、皆!
私もファイトを出して頑張ってみせるから――!


『ファイトだよ』


不意に私の耳にそんな声が聞こえた気がした。
私の声じゃない。
軽音部の皆の声でも、真鍋さんの声でもない。
何となくだけど、その声は今、私の目の前に居る人の声のような気がした。
あ、いや、人じゃないんだけどね……。

今、私の目の前に居るのは、階段の手すりに置かれている亀の置物だった。
私が高校生だった頃から――、いいえ、
ずっとずっと昔から、この場所で生徒達を見守っていた亀の置物。
勿論、亀の置物が喋るはずないから、声はきっと私の気のせいだったんだろう。

でも、気持ちはふっと楽になった。
この場所で私達を見ていてくれた物があった事に、
此処に居る何かが確かにあった事に気付けた気がしたから。
出来る事なら、私もそうなりたい。
ああ……、そうなのよね……。
私は――、先生って職業は――、学校に取り残されるわけじゃないのよね。
私達は皆の育った場所を変わらず守っていく。
そんな重大な仕事もあるのよね――。

だから、私は変わらず、私のままで先生を続けなきゃね。
いつかもしも生徒達が何か困難に直面した時、
楽しかった高校時代の事を思い出して笑顔になれるように。
そのために、先生は皆の居場所だった場所を守り続けるのよね。


「あの……、さわ子先生……」


目蓋を開いた真鍋さんが不意に私に訊ねた。
私は静かに頷いてから、視線を真鍋さんの方に向ける。


「どうしたの、真鍋さん?」


「唯達……、ずっと一緒ですよね?」


眼鏡の奥の真鍋さんの瞳は潤んでこそいなかったけど、少しだけ不安そうに見えた。
真鍋さんが滅多に見せない気弱な表情。
落ち着けて、決心出来て、やっと私にも気付けた。
真鍋さんが卒業を少しだけ不安に思っているんだって事に。

元生徒会長の真鍋さん。
しっかりしている真鍋さん。
頼り甲斐のある真鍋さん。

皆、そう思っているんだろうし、私もそう思っていた。
でも、それが真鍋さんの全てじゃないのよね。
いつも冷静沈着で頼れるように見えても、真鍋さんはまだ十八歳。
ついさっき高校を卒業したばっかりの女の子なんだもの。
少しだけとは言っても、新生活を不安に思わないはずなんてないわよね。
だったら、私に出来る事は一つだけだ。


「勿論よ」


真鍋さんの肩に手を置いて微笑み掛ける。
不安を完全に払拭するとはいかないまでも、少しでも真鍋さんを安心させられるために。
それが今、私が真鍋さんに出来る、しなきゃいけない事だと思う。
だって、私は――、




私は、皆の先生なんだもの!




だから、私は笑顔に続ける。
大事な生徒の巣立ちを笑顔で見送れるために。


「貴方達なら大丈夫よ、真鍋さん。
唯ちゃん達は皆の事を忘れないだろうし、貴方の事だって絶対忘れないわ。
あの子達は大切な思い出をずっと憶えていられる子達よ。
真鍋さんだって、唯ちゃん達の事を忘れるつもりは無いわよね?
だったら、大丈夫。
貴方達なら離れていても、きっと心の中ではずっと一緒よ」


私の言葉がちょっと意外だったのかもしれない。
少し戸惑ったように俯いていたけど、真鍋さんはすぐに顔を上げて笑顔になった。


「はい……! ありがとうございます、さわ子先生……!」


見惚れてしまうくらいの眩しい笑顔で、真鍋さんはそう言ってくれた。
可愛いなあ……。
うーん……、これは勿体無い事をしちゃったかも……。
真鍋さんにも色んな衣装を着てもらうべきだったかもしれないわね……。
くっ、山中さわ子、一生の不覚……!
って、まあ、それは置いといて。

でも、真鍋さんの笑顔が輝いていたのは確かだったのよね。
不安全てを払拭出来たみたいな眩しい笑顔。
残念だけど、私の言葉のおかげってわけじゃないのは分かってるわ。
私はちょっと真鍋さんの背中を押しただけ。
笑顔になれたのは真鍋さんが強い子だったからよね。
考えてみれば、真鍋さんはずっと唯ちゃんの保護者みたいな立場だったんだもの。
私より長い間、先生みたいな事をやっていたのよね。
言ってみれば、唯ちゃんの先生に関しては私の先輩って事になるのかしら?
私も真鍋さんを見習って、前向きに成長していかなきゃいけないわね。

もう私は泣かない。
少なくとも、生徒の前では泣かずに見本になろう。
少しでも頼れる先生になって、生徒を成長させてあげて、
生徒に成長させてもらって、それを繰り返しながら、私は先生を続けていこう――!


「真鍋さん――」


気が付けば、私は右手を真鍋さんに差し出していた。
突然だったかもしれないけど、真鍋さんはすぐに私の手を握ってくれた。
先生と生徒の当たり前の握手。
でも、考えてみれば、真鍋さんと握手したのはこれが初めてかもしれない。
歳の近い女の子の生徒と握手なんて、そう機会がある事でも無いしね。
それをちょっと私は後悔した。
もっと早く真鍋さんや皆と握手をしておけばよかった。
そうすれば、皆をもっと大切に思えていたかもしれないから。
皆の温かさを守ろうと強く思えていたはずだから。

だけど、まだ遅くない。
この気持ちを忘れず、新年度に臨めばいいだけなんだから。
来年は梓ちゃんが軽音部の部長になる。
梓ちゃん一人の軽音部は、今年度以上に大変になるんじゃないかしら。
だったら、私も頑張らなきゃね。
梓ちゃんに楽しい高校生活を送れたと思ってもらえるために。
りっちゃんが創部して、和ちゃんが裏で支えて、皆で成長させてきた軽音部を守るために。
大切な思い出の場所を残し続けるために。

真鍋さんが少し頬を赤く染めて、口を開いた。


「さわ子先生、今までありがとうございました」


「こっちこそありがとう、真鍋さん。
真鍋さんが生徒会長で本当に助かったし、楽しかったわ。
貴方なら何処へ行っても大丈夫。
何処へ出しても恥ずかしくない自慢の生徒よ、貴方は。
だから、自信を持って」


「はい……!」


「って言っても、色々と新生活に戸惑う事もあるかもしれないわよね。
そんな時は遠慮無く私に連絡して。
あんまり役に立たないかもしれないけど、一緒に悩んであげる事くらいは出来ると思うわ。
どんな時でも、私はこの学校で待ってるから」


「そんな事無いですよ、先生。
さわ子先生こそ自信を持って下さい。
私、さわ子先生のクラスでよかったって思ってるんですから。
だから……、何かあれば必ずご連絡します……!」


「ありがとう……!」


私達は笑顔で強く手を握り合う。
お互いの体温を感じる。






私は皆の居場所を守って――



  ――皆はそれぞれの未来に巣立っていく。






歩く道は違うけれど、一緒に居られた時間の事は忘れない。
教室の黒板のメッセージも今日には消さなくちゃいけないけど、私の手できちんと消そう。
皆のメッセージを心と目に焼き付けて、一文字一文字を丁寧に胸に刻みながら。
胸が痛んで、涙を流しそうになったって、今日の決心をずっと忘れないために。
心を込めて――。


「それじゃあ――」


真鍋さんが名残惜しそうに私から手を離しながら、それでも優しく笑う。


「ええ――」


私も笑顔のままで真鍋さんから手を離し、二人して同じ方向を向いた。


「いきましょう、先生」


「そうね!」


私達は笑顔で軽音部の部室の扉を開く。
大切な生徒、大切な仲間、大切な友達の巣立ちを笑顔で見送るために。


「あっ!
私達の曲――、聴いてくれる?」


部室の中に入ると、即座に唯ちゃんが笑顔で出迎えてくれた。
りっちゃん、澪ちゃん、ムギちゃん、梓ちゃんも笑顔を私達に向けてくれる。
始まるのはいつものナンバー。
この子達の代名詞とも言える代表曲の『ふわふわ時間』。
少しだけ目を瞑って、私はまた放課後ティータイムの旋律に身を任せた。

これから卒業して別々の道を歩く事になっても――。
一緒に行きましょう、それぞれの未来へ。
一緒に生きましょう、どんな離れた場所に居たって。
皆が迷った時にはいつだって力になりたいし、
どんなに辛くたって、頑張って皆の居場所を守り続けたいと思う。
そのためにも、私はずっと――






――此処に居るからね!


終わりです。



最終更新:2013年01月30日 01:18