【ひきこもりの終焉】


「和ちゃーん……、くすぐったいよう……!」


「我慢なさい、唯。
私だって身体中がこそばゆくて気持ち悪いくらいよ。
でも、今日を乗り越えれば少しは慣れていくはずよ。
だから、頑張って、お願い……!」


「う……、うん……」


私の家の玄関の前、私が懇願すると、唯は戸惑った表情で頷いてくれた。
今日一日……、今日一日を乗り切れば私の目的は達成されるのだ。
もう形振り構ってはいられないし、
衣服のこのくすぐったさにも耐えないといけない……。

今日はお父さんとお母さんがハワイから帰国してくる日だ。
正確には夕方過ぎに帰って来るらしいけれど、そんな時間まで待てなかった。


「そんな方法で本当に大丈夫なのか、和……?」


くすぐったそうにしながらも、澪が心配そうな表情で私に訊ねる。
澪の言い分も当然だけれど、私には他に方法が思い付かなかったのだ。
日焼けしていない私達の姿を誤魔化す方法……、
当然だけどそんな方法は一晩考えても思い付かなかった。
思い付かなかった代わりに、別の発想に辿り着いた。
日焼けしていないのが問題なのであれば、
本当に日焼けしてしまえば、何の問題も無いという答えに辿り着いたのだ。

勿論、一朝一夕で簡単に日焼けなんか出来るはずもない。
でも、この時代には、自在に日焼け出来る文明の利器が存在している。
そう、日焼けサロンだ。
この町にそんなお店が存在しているなんて知らなかったけれど、
意外に需要があるらしく、駅前に一店ある事が澪に携帯電話で調べてもらって分かった。
ならば、私達は一刻も早く日焼けサロンでこんがり焼けるだけだ。
お金なら問題無い。
二週間の生活費としてお父さん達が残してくれたお金が、まだ二万円ほど残っている。
「和ちゃんがケチで助かったよねー」とは唯の弁だけど、事実なので反論の仕様も無い。
それに私は自分の守銭奴さに感謝している。
最後の最後、問題を解決出来る余力が残っていたという事だものね。


「じゃあ、行くわよ、二人とも。
言っておくけど、知り合いに会っても気付かない振りをしていて。
最終目標はあくまで日焼けサロンで肌を日焼けさせる事よ。
それまではまだこのひきこもり生活が続いてると認識しておいて。
いいわね?」


「ほいさ!」


「わ、分かった!」


二人が頷いたのを見届けると、
私は玄関の扉を開いて二週間振りに服を着て外界に飛び出す。
その私の後に唯と澪が続いて来る。


「うわっ、まぶしっ!」


呻いたのは唯だった。
久し振りの直射日光は暑いというより眩しかった。
暑さだけなら私の家の中の方が上かもしれない。
でも、日の眩しさと熱に照らされ続けるのは、ずっとひきこもっていた身としてはかなり辛い。
いきなり挫けそうになる自分自身を叱咤して、私は一歩、また一歩と駅前に足を進めていく。
これが最後の試練なんだから。
この試練を乗り越えれば、何の問題も無く高校生活を過ごせるんだから……!
そう自分に言い聞かせながら、三人で人目を避けて進んでいると不意に。


「あっ……!」


見知った顔が道路の先に立っている事に気付いて、私は唯達の足を止めさせた。
危なかったわ……。
これは偶然なのか、それとも神の悪戯なのか、
道路の先、ほんの二十メートルほどの距離に私は律の姿を発見していた。
見る限り、私達も行きつけのハンバーガー屋に向かっているみたいね。
まだ律が私達の姿に気付いている様子も無い。
用心しておいてよかったという所かしら。
でも、まだよ……。
まだまだ用心して進んで、ひきこもり生活を完璧な形で完遂しないと……。

と。
嫌な予感がした私は黒髪のクラスメイトに視線を向ける。
黒髪のクラスメイト……、
澪は久し振りに見る律の姿に居ても立っても居られない様子だった。
離れていた時間が澪の中の感情を遥かに増大させてしまったのだろう。
会えない時間が想いを強くしたのね、澪……。
……そんなロマンティックな事を考えている場合では無かった。
咄嗟に私は澪の手首を掴んで、耳元で重い口調で囁いてみせる。


「駄目よ、澪。
気持ちは分かるけれど、まだ駄目。
律と会うのは私達が日焼けをしてからよ。
それからなら、いくらでも会いに行っていいから……!」


「で、でも、律がすぐ傍に……。
久し振りに見る律の顔を見てたら私……、私……!」


「後で……、後でよ、澪……!
そうね……、今度、あんたと律のデートを協力するわ。
私と澪と律で何処かに遊びに行く約束をして、
当日になって私に急用が入ったって事にすれば、あんたと律の二人きりのデートよ。
どうか、それで手を打ってくれない?
お願いよ……!」


「う……、うう……、わ、分かったよ。
我慢する……、我慢するから……、約束だぞ、和……」


「当然よ、任せて」


二人で固く手を握り頷き合う。
念の為、唯の手首も握っておいて、これで問題はクリアされたはずね。
後は律が通り過ぎるのを待てば……。

それにしても、危なかったわ。
久し振りに律の姿を見たけれど、予想以上に日焼けをしているわね。
日本の海で四日泳いだだけの律でさえ、あの日焼け具合なのだ。
ハワイに二週間行っていたはずの私達がこの肌の白さだと異常でしかないわ。
日焼けサロンでは念入りに焼いてもらう事にしなきゃね……。

そう思った瞬間、私達は気付いてしまった。
律が駆けて行った先に、ツインテールの子が立っていた事に。
普段と全く異なっているから、見落としてしまっていた。
肌の色が全然違っていたから気付けなかったのだ。
特徴的なツインテールにあの背丈……、間違いない、梓ちゃんだ。
これは予想外だった。
律は驚きの黒さと言っていたけれど、
まさか本当に梓ちゃんがこんなに日焼けしていたなんて……!

だけど、それだけなら問題無い。
これは単に律と梓ちゃんが待ち合わせをしていた、
ってだけの話であって、私達のこれからの行動には何の問題も無いわ。
むしろ梓ちゃんに気付かれる前に、
日焼けした梓ちゃんの姿を見ておけて幸運だったとも言えるわね。
こんなに日焼けしてるなんて、話には聞いていても想像も出来ない。
それこそ律が駆け寄って行かなければ、梓ちゃんの存在にも気付けなかっただろう。
大丈夫、私はまだついているわ……!

でも、私は不覚にも思いも寄っていなかったのだ。
澪の律に対する想いの強さに。
二週間律に会えなかった澪の寂しさに。

きっかけは合流した律が梓ちゃんの手を握った事だった。
これから二人で何処かに遊びに行くのだろう。
私はそれくらいに軽く考えていたのだけれど、
澪にとってはそれこそがいたく衝撃的な事だったのだ。


「ああああああああああああああああああっ!」


街中に響くのではないかと思えるほどの絶叫。
絶叫したのは、勿論澪だった。
半泣きで、絶望し切った表情で、喉の奥から叫んでいた。
周囲で歩いていた人達が足を止めて一斉に私達の方に視線を向ける。
勿論、それは道路の先に居た律達も例外ではなかった。


「あっれー、澪に唯に和じゃん?
どうしたんだよー、こんな所で?
もうハワイから戻って来たのかー?」


梓ちゃんの手を握ったまま、律が道路の先から駆け寄って来る。
ひきこもり生活の事なんか完全に忘れ去っている様子で、
澪が律達の繋がれた手を指し示しながら、呻く様な言葉を絞り出した。


「なななななな、何で二人とも手を繋いでででででで……!」


「何でって訊きたいのは私達の方なんだが……。
手……ってこれか?
いや、これから憂ちゃんと会う約束しててさ、
遅れちゃって悪いから二人で急ごうぜ、って意味で手を握っただけなんだが……」


「そ、そうなんだ、よかったー……」


「よかったって何だよ……。
いやいや、それより、おまえ達どうしてこんな所に居るんだよ?
何かやけに日焼けしてない気がするけど、実はハワイに行ってないんじゃないか?
なんてなー」


そう言ってから律が笑ったけれど、梓ちゃんも含めて誰も続いて笑わなかった。
そうしている間にも、私の頭は混乱の極致を極めていた。
まだ……、まだよ、和……。
まだ誤魔化せる、誤魔化せるはずよ……。
そうね……、この全然日焼けしてない肌は、
ハワイで凄く焼けて恥ずかしいから、化粧で白くしてるって事にすれば……。
誤魔化せる……、これならまだ誤魔化せるわ……!


「この日焼けはね、律。
実は化粧で……」


「そういえば、唯先輩?」


私の誤魔化しの言葉は、梓ちゃんの質問に掻き消されてしまった。
まさか自分に話を振られるとは思っていなかったらしく、
唯は動揺して痙攣したように震えながら大汗を掻いていた。
震える唇を開いて、首を傾げる。


「ななな、何かな、あずにゃん……?」


「憂が心配してましたよ?
お姉ちゃんハワイでちゃんとやってるかな、って。
元気な姿をちゃんと憂に見せてあげて下さいよ?」


「う、ううう、うん、勿論ダヨ?
憂と会えるのが楽しみダナー?」


「それともう一つ質問があるんですけど、パスポートはどうしたんですか?
急にハワイに行くなんて、パスポートも必要なのに……」


「パ、パスポート……?
ももも、勿論、持ってるよ?
わわ、私、海外旅行した事あるもん!」


「憂が期限切れてるはずだ、って言ってたんですけど……」


「き、期限……っ?」


唯が縋るような視線を私にぶつけて来た。
パスポート……。
うん、パスポートね……。
そういえば、あったわね、そういう面倒なしきたりが……。
すっかり忘れていたけれど……。
私は肩を落として太陽を見上げながら笑った。
久し振りの太陽はいやに眩しくて目に染みた。
何故だか太陽がぼやけた気がしたけれど、
それは涙で私の瞳が濡れてしまっていたからなのかしら……?
こうして、私の二週間に渡るひきこもり生活はいやにあっさりと終わった。

後の事は思い出したくないので、
これで私の一夏のひきこもり生活について語るのを終わろうと思う。
この後、予想していたほどには皆に馬鹿にされはしなかったけれど、
予想していた以上に皆から心配されてしまったのが逆に痛かったのだが、それはまた別の話だ。
ただ一つ言える事があるわ。
このひきこもり生活で学んだたった一つの事……。
それは……。







素直に生きよう!










         おしまい





最終更新:2013年02月20日 22:43