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1985年 - (2007/08/15 (水) 19:24:42) の編集履歴(バックアップ)


ヘイゼルの悲劇

1985年5月29日ベルギー・ブリュッセルのヘイゼルスタジアム
UEFAチャンピオンズカップ決勝戦リヴァプール対ユヴェントスの試合で、
両チームのサポーターが小競り合いをきっかけに暴徒化し、リヴァプールのサポーターがユヴェントス側の観客席にになだれ込み、サポーター同士が衝突する事態に発展した。両チームのキャプテンが事態を鎮圧するべく必死に呼びかけたが、耳を貸すファンはいなかった。

そしてユヴェントスのサポーターがリヴァプール側の襲撃から逃れるために壁によじ登り、重量に耐え切れなくなった壁は崩壊した。これに伴い多くの人々が下敷きとなり、結果として死者39名、負傷者400名以上を出す大惨事になってしまった。死傷者の大多数がイタリア人だった。

多数の死傷者を出した原因として一番に挙げられるものは、競技場の老朽化である。

試合が中止になれば、暴徒化したサポーター達が再び街中で暴れ出しかねないと判断した主催者側が、試合開始を大幅に遅らせて試合を決行させた。試合は、PKをミシェル・プラティニが決めてユヴェントスが1-0で勝ったが、当然のことながらこのチャンピオンズカップ獲得をユヴェントスの選手たちが素直に喜べるはずがなかった。試合後、プラティニは「もう、サッカーをしたくない」と言った。

この事件後、イングランドのクラブは無期限(後に5年間、当事者のリヴァプールは7年間に変更される)国際大会への出場を禁じられた。このことが、後のイングランド代表の低迷の一因となった。また、主催者となったベルギー・サッカー協会に対しても、「カップ戦の決勝戦の開催地となる権利の剥奪」という処分が下された。




1985年9月1日 
'85WEC第7戦ベルギー・スパ1000km 
オー・ルージュのコーナーでステファン・ベロフが
ジャッキー・イクスのマシン左後部に接触 
ベロフはガードレールに衝突し死亡

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