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      ―卯月の頃 その2―  【4月17日  春の土用入り】 自室のベッドに深々と身を沈めながら、翠星石は、悶々と喘いでいた。 胸の上に重石を載せられているような、鬱陶しくて、異様な息苦しさ。 払い除けようとする右手は、虚しく空を切る。 (……なんなのです、一体) 意識が明瞭になるにつれて、全身に重みを感じるようになっていた。 まるで、誰かに――のし掛かられているみたいに。 だがモチロン、そんなイタズラをする者は、居ない。 この家から蒼星石の姿が消えた日を境に、二度と起こり得なくなったのだ。 ならば、いま感じている、この重みは一体……なに? 圧迫された肺を、風船のように膨らませるべく、翠星石は大きく息を吸い込む。 すると、懐かしい匂いが、彼女の鼻腔をくすぐった。 いつか、どこかで嗅いだ憶えのある匂い。 胸がキュンとなる、愛しい匂い。 (まさか、蒼星石っ!?) ビックリして目を見開くと、誰かが、翠星石に覆い被さって寝息を立てていた。 蒼星石の匂いは、そこから薫ってくる。 けれど、髪の色は鳶色ではなく、艶やかなブロンドだった。 (真……紅……です?) 金髪から彼女を連想してしまったが、早朝から、真紅が来るハズがない。 何らかの理由があって訪れたとしても、こんな馬鹿げた真似をする娘ではなかった。 まして、蒼星石の匂いを漂わせているなんて……有り得ない。 「だ、誰です? お前は――」 恐る恐る伸ばされた手が届き、指が触れた途端、その人物が微かに呻いた。 ビクッ! と引っ込めた手を追い掛けるように、ゆっくりと身体を起こしてくる。 なだらかな肩から滑り落ちた一房の金髪が、翠星石の口元に、蒼星石の匂いを運んできた。 そして、なおも徐に、顔が上げられる。 「っ?!?! お、お前はっ!」 それは、翠星石の瞳に焼き付いて消えない、あの娘の顔だった。 言葉を交わしたことは無いけれど、この二週間近く、その娘の事ばかり考えていた。 蒼星石のルームメイト…………オディール=フォッセー。 「何しに来やがったです! 私は、お前のコトなんか大嫌いですっ!」 仰向けのまま、敵愾心も露わに食ってかかる翠星石。 オディールは馬乗りになって、妖しく微笑みながら…… 白く細い両腕を、翠星石の頚に伸ばしてきた。 ひたと絡み付いた指に、力が込められる。 「蒼星石は、私のモノよ。貴女は邪魔だから、消えてちょうだぁい」 「っ! そ……う、せ……」 蒼星石は、お前のモノじゃねぇですっ!  そう叫ぼうとしたが、もの凄い力で頚を絞められて、声が出せない。 こんなコトで、死ぬ? 命ばかりでなく、蒼星石まで奪われてしまうの? (そ、そんなの……イヤです!) 翠星石は怒りに震える身体を、勢いよく跳ね起こした。 馬乗りになっていたオディールが、振り落とされる。 圧迫されていた喉が解放されて、声が出せるようになった。 「ふざけんなですぅっ!」 飛び起きた翠星石の瞳に、胸元から転げ落ちるチビ猫の姿が映った。 どうやら、今まで見ていたのは全て悪夢で、 息苦しかったのは、胸の上に猫が乗っていた為らしい。 「チビチビっ! まぁた私の上に乗ってやがったですかっ」 腹立たしげな翠星石の言葉に、チビ猫は『知らんがな』と言わんばかりに欠伸した。 昨夜、翠星石が部屋に連れ込んでいたのだから、自業自得というものだ。 普段なら、チビ猫は祖父の布団で寝ている。 「はふぅ~…………今、何時です?」 チビ猫の欠伸が移ったらしく、翠星石は欠伸をかみ殺しながら、 身体を捩って、枕元の時計を確認した。そろそろ起床時間だ。 今日は月曜日。週明けから、なんて最悪な寝覚めだろうか。 憂鬱な溜息を吐くと、翠星石は身支度を整えるため、ベッドから起き出した。 新学期も始まり、翠星石と雛苺は、同じ研究室に所属することとなった。 真紅と巴は、それぞれ別の研究室に所属している。 もうすぐ五月。そろそろ、進路を決めなければならない。 在学か、就職か。 修士課程に進むための試験は、もうすぐ実施される。 その為の勉強もしなければならないから、悠長に構えている余裕はなかった。 講義を終えて、研究室に顔を出した翠星石を、雛苺が笑顔で出迎えてくれた。 四年生ともなると、履修する科目は各々で異なる。 このコマの講義を選択していない雛苺は、一足先に研究室で勉強していたのだ。 「あ、来た来た。翠ちゃん、お疲れさまなの~」 「はぁ……雛苺は、いつでも脳天気ですね。羨ましいですぅ」 「……さり気なく、ヒドイこと言われた気がするの」 「細かい事を気にすると、ハゲになるですよ。ふぅ……」 いつも通りの軽口を叩いたかと思えば、重い吐息をする翠星石の態度に、 雛苺は表情を曇らせた。 今朝方から、どうも様子がおかしかったので、密かに心配していたのだ。 「翠ちゃん……何か、心配事でもあったの?」  「別に、何もねぇです。ちょっと、寝覚めが悪かっただけですぅ」 やはり、憎まれ口に、いつものキレがない。 雛苺は開いていた教科書を閉じると、席を立ち、鞄を掴んだ。 入口の近くに立ち尽くしている翠星石に歩み寄って、彼女の腕を引っ張る。 「? 何するです、雛苺」 「今日は、もう帰るの。そんな調子で勉強しても、頭に入らないのよー」 「え……でもぉ」 反論したものの、確かに、雛苺の言うとおりだった。 一限からずっと、頭に浮かんでくるのは、今朝の夢のコトばかり。 講義でナニを話したかなんて、ちっとも思い出せない。 どうして、あんな夢を見てしまったのか。 やはり、蒼星石への執心が、原因なのだろうか。 夢の中で、翠星石を邪魔者よばわりしたオディールの幻影も…… あるいは、蒼星石を独り占めしたいと想う翠星石の、鏡像だったのかも知れない。 ……なんて浅ましい。 翠星石は、勝手にそうだと思い込んで、軽く自己嫌悪していた。 「少し、気分転換しに行くの。うふふ……翠ちゃん、きっと驚くのよ~」 「どこに連れていく気ですか? 変なところだったら、承知しねぇです」 「大丈夫なのっ。ヒナを信じて欲しいのよ?」 陽気に笑う雛苺に連れられて、訪れたのは、大学の側にある喫茶店だった。 学生たちが頻繁に利用するので、なかなかに繁盛している。 しかし、夕暮れ間近なこの時間は、閑散としていた。 禁煙のカウンター席に陣取って、雛苺はマスターに、なにやらジェスチャーを送った。 「まぁ~た、なにを企んでやがるです。激辛ピザでも喰わせる気ですぅ?」 「すぐに解るのよ~♪」 ――と、雛苺が話をはぐらかした直後、 店の奥から、マスターが両手で、巨大な器を運んできた。 独りでは絶対に食べきらないだろう量が、盛りつけられている。 「……な、な、なんですか、これは?!」 「特注パフェ、翠星石スペシャルなのよー!」 「それは、見れば何となく解るです。でも、これは……」 あまりのスケールに、翠星石は、ただただ唖然とするだけだった。 翠星石の名を冠しているだけあって、 チョコレートシロップを使って、コミカルな翠星石の似顔絵が描いてある。 商売柄か、とても巧い。なかなかにココロ憎い演出だ。 キゥイゼリーと、ストロベリーゼリーで緋翠の瞳を表現している辺り、芸が細かい。 「雛苺…………私の為に、こんなものを特注してくれてたです?」 「翠ちゃん、朝から元気がなかったでしょ?  だから、お昼休みに来て、注文しておいたのよ」 「気遣いは、とっても嬉しいですけどぉ……なんで、わざわざ特注パフェです?」 「ヒナが食べたかったからなの! 三十分で完食したら、タダになるの~」 どうやら、これ幸いと、自分を出汁にしてくれたらしい。 ちゃっかりしているというか、意外に計算高いと言うか……。 でも、雛苺が朝から気に掛けてくれていたと知って、翠星石は嬉しく思った。 さり気なく支えてくれる友達の存在を、ココロから頼もしいと感じた。 (ありがとうです、雛苺。いつもは、おバカで喧しいヤツですけど、  おめーが居てくれて、ホントに良かったですぅ) 彼女が誘ってくれなかったら、今もきっと、下らない夢のことで悶々としていた。 蒼星石とオディールの仲を勘繰って、ウジウジと不貞腐れていただろう。 けれど今は、そんな瑣末なコトなんて、鼻で笑い飛ばせる心境だった。 「さあ、頑張って、三十分で食べ切っちゃうのよー!」 言うが早いか、雛苺は舌なめずりしながら、描かれた翠星石の顔面にスプーンを突き立てた。 「ひああぁっ!? そんなザックリと……ひ、ひでぇコトするヤツですぅ!」 「うよ? だって、ストロベリーゼリーが欲しかったんだもーん♪」 「だからって…………なんか、そこはかとなく悪意を感じたですぅ」 「考え過ぎなの。ヒナは、翠ちゃんのこと大好きなのよ?」 「っ?! 急に、なに言い出しやがるですかっ……おバカ苺っ!」 見る間に、顔を紅潮させる翠星石。 雛苺は、翠星石の狼狽など意に介さずパフェを取り分けて、ぱくついている。 一口ごとに、ニコニコと幸せな笑みを見せていた。 その様子を見て、翠星石は、ふっ……と、頬を緩ませた。 雛苺の言う『大好き』に、恋愛の意味は含まれていない。あくまで友愛どまりだ。 それなのに、いくら、情緒不安定になっているとは言え、 動揺してしまったなんて……みっともない。 でも、好きでも嫌いでも、誰かに想われているのは嬉しかった。 なんとも想われずに、路傍の石の扱いをされるよりは、ずっとマシだ。 (こんな親友を持てて、私は……幸せ者かも知れねぇですね) 気を取り直して、翠星石はスプーンを手に取った。 折角、雛苺が特注してくれた翠星石スペシャル。食べなければ罰が当たる。 「こうなったら、ヤケの大食いですぅ!」 「…………それを言うなら、痩せの大食いなの」 「それは、方言ってヤツです。さぁさぁ、無駄口を叩いてる暇はねぇです!」 「うぃー! 時間は待ってくれないのよー」 二人は、この後もワイワイお喋りを愉しみながら―― 仲良く特大パフェと格闘し続け、見事に完食したのだった。 翌日、二人がお腹を壊して講義を休んだコトは、たちまち人口に膾炙して、 喫茶店の『おバカ伝説』として、長く語り継がれていくこととなる。

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