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「――その後の、雪華綺晶の行方は判りません。
 お祖母様も、手を尽くし探したそうですが……何も。
 今となっては、これだけが彼女の名残……存在した証です」
 
言うと、彼女は胸元のペンダントを手にとり、物悲しそうな眼差しを注いだ。
そして、気持ちを切り替えるように、少しだけ残っていたお茶を飲み干した。
僕も、彼女に倣って缶を呷る。
仰ぎ見た夏空は、より蒼を深くして、夕暮れの近いことを仄めかしていた。
 
それからの数分の間、僕らは、言葉を探していた。
――と言うか。ただ、お互いを気遣い、遠慮し合ってたんだと思う。
僕も、彼女も……。
時折、もごもごと、言葉と呼ぶにはほど遠い音を、口の中で転がすだけで。
 
相も変わらず、四方八方から、アブラセミの喧しい声が降ってくる。
なんだか囃し立てられているようで、黙ったままでいるのは面白くなかった。
 
「もしかしたら――」
 
だから僕は、セミを無視して、センチメンタルな思いつきを口にしてみた。
 
「雪華綺晶は、槐さんの元に帰ったんじゃないかな」
 
墓とは、そういうものだ。先祖代々が暮らすための、もうひとつの住居。
不幸だった父娘……常世の国では、せめて幸せであって欲しい。
そう願ってしまうのは人情だろう。
隣りに座る彼女も「――そうですね」と、悲しげに睫毛を伏せた。
 
「本当に……そうであれば、いいと思います」
「槐さんの工房には、その後、誰も確かめに行かなかったのかい?」
「雛苺が、一度だけ行きました。修理に出していた『水銀燈』を引き取りに。
 支払う相手がいなくなってしまったけれど……それでも、代金を置いてきた、と。
 帰宅した雛苺の話では、これと言って変わったところは無かったそうですよ」
 
本当だろうか? 僕には、気になっていることがあった。
それは、世界霊魂を具現したという謎の結晶……ローザミスティカの行方について、だ。
雪華綺晶が去るときに置いていったのは、ペンダントだけ。
では、彼女がローザミスティカを持ち去ったとして――それは、何のために?
 
そもそも、彼女は二度目の死の訪れを待つ数日間、何を考えただろう?
何をして、過ごしたのだろう……。
父を手に掛けてしまった――させされた、のほうが正しいのかな――ことへの後悔と絶望か。
白い肌が黒灰色に染まり、悪臭を放ちながら溶けてゆく様への、恐慌と狂乱か。
……まずもって、まともな精神状態だったとは、考えられない。
 
幼子のように泣いて、震えて――
雪華綺晶は、それこそ必死に、縋りつける何かを求めてたんじゃないかな。
それとも、いつの間にか身体にわいた蛆の群に、思い出の数々を投影して、
夢の名残を摘み取るように、ひとつひとつ潰しながら、終わりの時を待っていたんだろうか。
 
 
 
  幕間4 『Old Dreams』
 
 
 
人は得てして、孤独を感じたとき、楽しかった頃に想いを馳せるもの。
いま感じているストレスを、過去の幸福で相殺させるべく、自己防衛が働くのだろう。
雪華綺晶もまた、その例にもれず、父娘の紡いだ幸せな思い出に縋ろうとしたのなら――
さっきの思いつきのとおり、住居もかねた工房を目指した可能性が高い。
そして、ひょっとしたら……偶然にも、ローザミスティカに関する記述を見つけたかもしれない。
 
槐氏は、病死した娘――薔薇水晶を生き返らせるために、それを欲した。
寄せ集めの材料と、師匠ローゼンの手記を頼りに、自作すら試みたと言うじゃないか。
彼は確かに、ローザミスティカの組成と効用、および使用法を知っていたんだ。
それらの重要書類は、第三者の判り得ない場所に、巧妙に隠してあったに違いない。
 
もし、雪華綺晶が、その書物の在処と持ち出す術を知っていて、読み、理解できたとしたら?
……『甦生』という単語に取り憑かれ、呪文のように唱えたかもしれない。
もう一度、普通の女の子として生き直せるかも……。
そんな希望が、妄執に置き換えられることは、充分に考えられることだ。
 
そこに、お誂え向きの存在――雛苺が現れた。しかも、たった独りで。
雪華綺晶にとっては、千載一遇のチャンスだ。衝動的に、雛苺に成り変わることを企んで……。
 
 
「――ひどい妄想だ」
 
思わず、僕は独りごちていた。いくら仮定と言っても、突飛に過ぎる。
『~だろう』『~かも』ばかりで、確たる道標もなく、思索だけが独り歩きしている。
仮定とは事実の究明の手段であるべきなのに……
仮定を仮定で補うなんて、まったくもってナンセンス。
 
僕の呟きを聞きつけて、隣から、険を孕んだ声が届いた。
「お祖母様は、ウソを吐くような人じゃ――」
 
「いや、待って。違うんだ。ちょっと別のこと考えてて……
 君の話を、妄想よばわりしたんじゃないよ」
「……そうでしたか。ごめんなさい、ムキになったりして」
「いいんだ。誤解を招く言い方をした僕も悪かった。
 ところで、雛苺さんと会って、話をしたことは?」
「いいえ……残念ながら。彼女の消息は、分からなくなってしまったから」
「そりゃまた、どうして」
「すべての絆は、引き裂かれてしまったの。人類が生み出した、2度目の地獄によって」
 
2度目の地獄。なんのことかと、暫し考えて……あっ、そうか! 僕は声をあげていた。
1937年――雪華綺晶の失踪から4年後、日本は盧溝橋事件を契機に、日中戦争に突入している。
更に2年後の、1939年。ポーランドに侵攻したドイツに対し、イギリス、フランスが宣戦布告した。
第二次世界大戦の勃発は、数千万もの人命を奪い、傷つけ、生き延びた者の人生をも狂わせた。
コリンヌさん達の塗炭の苦しみに比べたら、僕が抱えてる悩みなんか、まだケーキみたいな甘さだろう。
 
「緒戦で敗北したフランスが、ドイツ・イタリアと休戦協定を締結したのは、ご存知ですか?
 国土は4つの地区に分割され、そのひとつの自由地区に、フランス政府の首都が移されたの」
「ヴィシー政権だね。首相は『ヴェルダンの英雄』ペタン元帥だったっけ」
「そうです。新政府は【労働・家族・祖国】をスローガンに、占領下でのフランス再生を目指しました。
 でも、実状はドイツの傀儡政権でしかなく、突きつけられる要求は酷くなるばかりで……。
 曾祖父の会社も、かなり劣悪な条件で、対独協力させられたと聞いています」
「そういった不満の蓄積が、民衆をレジスタンス運動に駆り立てたんだろうね」
「ええ。曾祖父もドイツに協力しつつ、裏で、レジスタンスの活動資金を援助していたそうです。
 会社や家族を護るため、きわどいダブルスタンダードも、やむを得ない時代だったんでしょうね。
 けれど、戦況が不利になると、ドイツは自由地区さえも占領してレジスタンスの摘発を強めました。
 そして――とうとう、悲劇の日が、訪れてしまったんです」
 
 
穏やかじゃないね。そう切り返して、僕は横目に、彼女の様子を窺った。
……が、僕の位置からだと夕日が逆光になり、翳った表情を読むことはできなかった。
これ以上、思い出すのが辛そうなら、ここでお開きにしてもいいんだけど、どうしたものか。
迷っていると、彼女は重い息を吐いて、手中のアルミ缶を握りつぶし、口を開いた。
 
「レジスタンスへの資金援助が発覚して、曾祖父は親衛隊(SS)に連行されました。
 それっきり……曾祖父は、二度と戻らなかったそうです。
 会社や屋敷もドイツに接収され、雛苺や使用人たちとも、離ればなれに――
 それ以後、彼らの消息は不明のまま。僅かな手懸かりさえ、掴めていません」
 
何年も寝食を共にした仲ならば、きっと懸命に、お互いを探し続けたに違いない。
なのに、何十年もの歳月を経てなお、コリンヌさんは誰とも再会を果たせなかった。
逢いたくても、逢えなくなった……。そう考える方が、状況的に見て、自然だろう。
 
つまり――
いや、やめておこう。これ以上、過去の不幸を掘り返したところで、何も変えられない。
しつこく詮索して、空気の読めない男だと思われるのも、心外だし。
彼女のためを思うのであれば、結菱二葉氏の所在を探してあげるべきじゃないか。
 
「だいぶ日も傾いてきたし、そろそろ――」
 
言って、立ち上がりかけたものの、なんだか身体が重くて、僕はまたベンチに腰を落とした。
夏バテかな? なんて……我ながら、わざとらしさに失笑を禁じ得ない。
いま感じた重みの正体は、分かってる。この胸に蟠っている、モヤモヤの重みだ。
有り体に言えば、未練だった。この娘と、このまま別れたくない……という。
 
もっと、たくさんの言葉を交わしてみたい。もっと親しくなりたい。
僕は、突然この胸に湧いた、思春期の少年みたいな強い想いを持て余して――
ふと我に返ったとき、彼女に名刺を差し出していた。
 
「僕の方でも、結菱邸がどの辺に立ってたのか、調べてみるよ。
 この一帯は空襲で焼け野原になったはずだから、戦前の地図を見た方が早いと思うんだ。
 二葉氏の現住所についても、なにか判り次第、連絡するからさ」
 
また逢いたいがための、姑息な口実。下ゴコロ丸見えになってやしないか、心配になる。
彼女は名刺を手にして、そこに印刷された僕の名と肩書きに、目を走らせた。
そして――信用に値すると認めてくれたらしく、ひとつ、頷いた。
 
「でも、いいのかしら? お仕事の妨げには、なりません?」
「心配いらないさ。今は、夏休み中だからね。喜んで協力するよ」
「じゃあ素直に、ご厚意に甘えさせていただきますわ。
 あの……名刺をもう一枚、いただけません? それと、ペンを」
 
求められたものを手渡すと、彼女は名刺の余白に、細々とした字を書き連ねた。
 
「私の携帯電話の番号と、メールアドレスです。一応、宿泊先のホテルと部屋番号も」
「オディール=フォッセーさんだね。連絡するのは、いつでもいいかな?」
「ええ、お願いします。少しくらい遅い時間でも構いませんから、きっと電話してね」
 
約束ですよ――と。彼女は、握った右手を突き出して、弾くように小指を立てた。
女の子と指切りするのなんて、何年ぶりだろう。なんだか緊張するなぁ。
僕は、胸のドキドキを悟られまいと、余裕っぽく頬を弛めながら……彼女の白い指に、小指を絡めた。
 
 
  ~  ~  ~
 
 
家に帰るなり、夕飯も食べず、風呂にも入らず、パソコンに向かう。
オディールさんのためにも、一刻も早く、結菱二葉氏の情報を収集したかったからだ。
開始8分――僕の求めるものは、拍子抜けするほど簡単に見つかった。
 
結菱家は旧華族で、戦前は貿易の他にも、造船、航空、製鋼などの企業をまとめ、
国内で五指に数えられる巨大な資本を有していた。いわゆる、財閥だ。
日本の無条件降伏の後、進駐したGHQによって財閥解体が行われたものの、
結菱グループは今もなお巨大資本を誇っているんだから、大したものじゃないか。
 
僕が見つけたファイルには、双子の兄、結菱一葉氏の死についても触れられていた。
昭和32年、大西洋で沈没した豪華客船ダイナ号に乗船していた、唯一の邦人――
それが、一葉氏だった。彼はその事故で、不幸にも、帰らぬ人になったそうだ。
弟の二葉氏は、兄の急逝に大きなショックを受け、一時期、人前に出なかったらしい。
そして、どうにか復帰した時、穏和だった彼の人柄は、すっかり変わっていたと言う。
以来、結菱グループ総裁として辣腕を振るい、一線を退いた今も、名誉顧問に就いて隠然たる影響力を持っているとか。
 
現住所については、少しばかり手こずったけれど、なんとか目星を付けることができた。
古都・鎌倉にある結菱グループの別荘に、どうやら二葉氏は隠居しているらしい。
取り急ぎ、彼女に電話をかけた。その場で、明日、二人で彼を訪ねる約束もした。
 
 
――思いがけず早々に目的が果たされてしまって、なんだか物足りない気分だ。
そこで僕は、他の人物についても、調べてみることにした。
 
コリンヌ=フォッセーもまた、意外に著名人だったらしく、速やかにデータが上がってきた。
彼女は戦後、曾祖父の会社の代表取締役に就き、収益の一部を戦災孤児の救済基金に充てている。
また、奨学金としてフォッセー基金を設立するなどの功績に対し、近年、フランス政府から表彰されていた。
国家功労勲章の表彰式典の写真に、勲章を手に品よく微笑む、小柄な淑女を確認できた。
 
ゆったりと胸の辺りまで伸ばされた、柔らかそうな金髪の毛先が、くるんと縦にカールしている。
ライム色の澄んだ瞳と、ふっくらした頬、全体的に丸っこい面差しがチャーミングだ。
若かりし頃は、かなりの美人だったんじゃないか……なんて、ついつい、想像を膨らませてしまう。
この人とも、一度でいいから、話をしてみたかったな。
 
次に調べたローゼン・槐の両氏については、うわさ話の域を出ない、信憑性に乏しい情報ばかりだった。
ローザミスティカや、エーテル・クリスタルなんて単語に至っては、検索にすらヒットしない。
けれど……興味を惹く記述も、僕は引き当てていた。ローゼンもまた、孤児を集め、養っていたらしい。
彼は、子供たちの才能に応じて、さまざまな自活のための技能を教えたと言う。
槐氏も、あるいは、才能を見出されて弟子となった孤児の一人だったかもしれない。
 
他には、ローゼンは実の娘(一人娘だったらしい)に惨殺されたらしいなんて情報も出てきたけど……
さすがに、これはガセだろうね。インターネット上にある情報の全てが、真実とは限らないし。
 
 
――まあ、とにかく。より詳しい話は、明日、当事者に会って聞くほうがいい。
すっかり遅くなった夜食を済ませ、シャワーを浴びた僕は、いつもより早く床に就いた。
 
 


 
 
  幕間4 終
 
 
 【3行予告?!】
 
遠ざかる人なら、なにも告げはしない。悲しみは私だけのもの――
ぐるぐると――それこそ未来永劫、二人の想いが廻るだけ。
それが、私の望む世界の、すべて。
 
次回、エピローグ 『ささやかな祈り』
 
 

最終更新:2008年07月03日 01:36