律「あ、梓…」
梓「ひっ…」
『こわいこわいこわい…唯先輩助けて…』
律「あ、梓…?」
律「なんだよ梓…どうした?」
梓「あ、あ…イヤ…」
律「梓…」
律「…」
律「…はは」
律「…なんだよみんな…」
律「なんなんだよおおお!!!!!!」
生徒「いやあああああっ」
憂「純ちゃんふせてっ!」
純「もういやっ!いやだあああっ!!」
『こわい』
『助けて』
『ばけもの』
律「うぜえって言ってんだろ!!!」
和「律っ!」
パシン
和の平手打ちで私は正気に戻った。
和は泣きながら…震えながら私の頬をぶった。
和の心の中も私にはわかった。
怖い…その言葉で和の心も埋め尽くされていたが、勇気を振り絞って私に近付き、私を正気にさせてくれた。
律「…あ…」
和「馬鹿っ!何やってんのよ!梓達まで傷付けてどうするのよっ!!」
律「ち、ちが…そんなつもりじゃ…ご、ゴメン…!梓、ゴメンな…?」
梓「…うぅ…」ガタガタ
律「憂ちゃん…純ちゃん…」
憂「…は…はい…」ガタガタ
純「いや…いや…もうヤダ…」ガタガタ
律「………」
律「ごめん…」
大勢の心の声を背中に浴びながら、私は飛び散ったガラスの破片をじゃりじゃりと踏んで、音楽室へ帰って行った。
音楽室
ガラッ
律「ただいま…」
唯「あ、りっちゃん…おかえり…」
『りっちゃん…こわい…こわいよぅ…』
律(そうか…さっきの…学校中に私の心の声が聞こえてたんだな…)
紬「血が出てるわよ!消毒しなきゃ…」
『こわい…でも…どうしよう…りっちゃん…』
律「…いいよ…かすり傷だから…」
律(怖がってるくせに…何だよ…仲間じゃなかったのかよ…)
紬「で、でも…」
律「いいってば!!」
紬「…!」ビクッ
律「…あ…ごめん…傷はいいから…今日はもう帰る…また明日な…」
澪「…」
律(何だよ澪…何か言えよ…何でもいいから…。くそ…)
それから学校中が私を批難した。
最初は誰も口に出しこそしなかったが、心の声はずっと私に聞こえていた。
廊下を歩けば誰もが私を避けるようになり、唯もムギも梓も、顔は笑っていたが、ずっと私を怖がっていた。澪も相変わらずだ。
次第に、私を快く思わない人達の声は大きくなっていき、あからさまになっていった。
みんなはっきりと口に出すようになっていった。
その矛先は澪達にも向きはじめ、私は居場所を失いつつあった。
律(私はみんなと…澪と一緒にいたいだけなんだ。何で邪魔されるんだ…)
律(もうイヤだ。澪に怖がられてるってわかってて、部活なんてできるわけない…)
あの視線は、相変わらず四六時中私に張り付いていた。
それももうどうでも良かった。
音楽室
ガラッ
さわ子「…みんないるわね」
唯「さわちゃん…どうしたの?暗い顔して」
澪「…律の事ですか?」
紬「最近部活に来なくなったわね…」
さわ子「…今日、りっちゃんから退部届けを渡されたわ」
梓「そ、そんな…!」
唯「そんなの聞いてないよー!」
さわ子「私も考え直すように言ったわ。でも、『私のせいでみんなに迷惑はかけられない』って…」
紬「りっちゃん…」
さわ子「退部届けは一応預かっておくだけで、受理したわけじゃないから…みんなで…」
唯「みんなでりっちゃんを呼び戻そう!」
梓「そ、そうですね…」
紬「澪ちゃん、いいよね?」
澪「…うん」
田井中家
私は退部届けを出したあと、逃げるように家へ帰った。
私を拒絶する声は聞き慣れていたが、軽音部のみんなに…澪に拒絶される声だけはそうもいかなかった。
家に着くと、私は部屋に入り、ベッドに潜り込んだ。
もう誰の声も聞きたくない。
正体不明の視線は相変わらずで、私はそれに耐えながら毛布にくるまって、きつく目を閉じた。
ピンポーン
聡「はーい。…あ!」
澪「聡…こんにちは」
唯「りっちゃんいる…?」
聡「うん!いますよー。ちょっと呼んできます!」
コンコン
聡「ねえちゃん、澪さんと友達が来たよ」
律「会いたくないって言って…」
何だよ…聞きたくないって言ってるだろ…。
みんな私を怖がってるくせに…。
聡「え?い、いや、でも…」
律「会いたくないってば!」
聡「わ、わかったよ…。…うわ、ちょ…ちょっと!!」
ガラッ
唯「りっちゃん!!」
律「…澪…みんな…」
唯「軽音部辞めるって何!?りっちゃんが言い出しっぺなんだから最後までちゃんとやろうよー!」
律「…ヤダ」
私はベッドに潜ったまま答えた。みんなの…澪の顔は見たくない…。
紬「りっちゃん…」
律「私がいないほうがお前らも楽しいんじゃないの?澪なんて怖くて仕方ないだろ」
澪「…」
紬「そんな事ないわ…!」
律「梓も怖いだろ?」
梓「…わ、私は…こ、怖くないです!」
律「私は戻る気はないから、もう帰って」
唯「…そんなのりっちゃんのキャラじゃないよ…」
律「なんだそりゃ?知らねーよ。いいからもう帰ってくれ」
梓「っ…律先輩…!」
律「あーもーうるせーな。帰ってってばー」
紬「いい加減にして…!顔くらい見ながら話してよ!」
ガバッ
澪「…!」
律「…うぐっ…ひっく…えぐっ…」
梓「り、律先輩…」
律「ひぐっ…なんだよ…帰れって言ってるだろぉ…」
紬「…りっちゃん…正直に言うわ。確かに今のりっちゃんは…怖い…」
律「ひぐっ…うぅ…」
唯「でも、それでも私達はりっちゃんと一緒に部活がしたいんだよ。りっちゃんの事は怖いけど、私達はその何倍もりっちゃんの事が好きなんだよ!」
紬「心が読めるならわかるよねりっちゃん?私達の気持ち」
律「ひっく…うぐっ…」
律「うん…わかる…ひっく…」
紬「怖がってごめんなさい…。でも、私達もすぐに慣れるから!」
律「ム、ムギぃ…」
梓「私も…怖いけど…律先輩以外とバンドを組む気はないです!」
律「あずさぁ…うぅ…」
唯「ね?明日からはちゃんと部活に来てね。学校で何か言われても、私達は気にしないし、りっちゃんの事も守るから」
律「ゆ…い…」
律「うあ…うあぁぁぁぁぁん…!」
唯「…よしよし…もう大丈夫だよー…」
唯は暖かかった。
本当は澪に言って欲しかった言葉は、全部唯が言ってしまったけど…私は軽音部に戻る事にした。
その日、澪は何も言わなかった。
でも、夜遅くまで私の傍にいてくれた。
私が風邪を引いたあの時みたいに。
翌日からも、私と…軽音部への冷遇は続いた。
でも、軽音部のメンバーの心からは、私を怖がる声は消えていった。
澪一人を除いて。
私は二度と力を使わないと心に決めた。
体操服が無くなったり、教科書が破られてたり、机に落書きされていたり…そういうのは日常茶飯事だった。 そのたびに唯とムギが私を庇ってくれた。
これが澪だったらどんなに嬉しかっただろう…。
自分達に矛先を向けられながらも庇ってくれてる二人には申し訳なかったが、そう思わずにはいられなかった。
ごめん、唯、ムギ…。
もちろん二人にも感謝してる。
感謝してるんだけど…。
それから数ヶ月が過ぎ、私たちは最後の学祭を控えていた。
今の状態でライブをしたらどうなるかは目に見えていたが、ライブは軽音部の存在理由そのものなので、辞退だけはしたくなかった。
音楽室
澪「もうすぐ学園祭だな。私達三年はこれが最後だし、気合い入れてやらないと」
律「…やるのか?ライブ」
澪「は?当たり前だ!」
唯「去年は凄く盛り上がったし、今年もうまくできるといいなあ」
紬「うまくいったら、きっとりっちゃんの事も…」
梓「そうですよ!そのための音楽です!」
律「…そうだな!よーし、頑張ろうぜ!」
私は必死でドラムを叩き続けた。
最後の学園祭…絶対に成功させなきゃ。
いびりにビビってる場合じゃない。
あの視線の正体は何となくわかってきた。でも今それを気にしてもしょうがない。
ライブ当日
律「みんな…今日まで本当に頑張った。ダラダラする事もあったけど…私はみんなと部活ができて本当によかったよ」
澪「そうだな…今日のライブ、絶対に成功させよう」
唯「うぅー!燃えてきたあ!」
紬「軽音部に入って本当によかったです…本当に…ぐすっ…」
梓「色々あったけど…凄く楽しかったです。ライブがんばりましょう!」
さわ子「その心意気やよし!さあみんな!衣装を選んで!」
律「…はー。まあこれも最後だしな。着てやるか」
私達はさわちゃんが誂えた衣装に着替えると、音楽室でリハーサルをする事にした。
律「ワンツースリーフォー!」
君を見てるといつもハートDOKIDOKI♪
完璧だった。
演奏だけじゃない。
みんなの心が一つになった完璧な演奏だった。
この日のために、この瞬間のために私はいたんだ。…いや、違う。
ライブを成功させるために…みんなの気持ちに…澪の気持ちに応えるために私はいるんだ…。
澪の心の声はまだ私を怖がっていた。
いや…何か迷っているような…私の力でも読みとれない複雑な感情を持っているようだった。
でもそれも今日で終わりだ。
ライブが終わったら、澪と一緒に…そうだ、公園にでも行こう。
また二人で笑い合うんだ。
私達は幕が下りたままの講堂のステージで待機していた。
苦しかった。
本当に苦しかった。
みんながいなかったら、今私はここにいない。
家で泣いてるだけの日々を送っていただろう。
みんな、本当にありがとう。
澪、ありがとう。
アナウンス「次は、軽音楽部によるバンド演奏です」
アナウンスと共に幕が上がる。
目の前には大勢の観客。その誰もがブーイングをしている。
律(ふん!みてろよ…私達の演奏で、このブーイングを数分後には歓声に変えてやる!)
『消えろ』
『引っ込め化け物』
『死ね』
観衆の負の感情が、私の頭の中に雪崩のごとく流れ込んでくる。
気にしちゃダメだ。
負けちゃダメだ!
ステージには缶や瓶が投げ込まれはじめた。
最終更新:2010年01月25日 00:35