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足跡年表 その2 - (2008/12/03 (水) 19:33:22) の編集履歴(バックアップ)


足跡年表

2069年
12月24日(火)
 シアトルから来たという自称殺し屋のSINless、逮捕される。郊外で日本帝国軍佐官を殺害しようとした目的で小銃を持ち、躍り出たところ、雪の中で待ち伏せていた為に精密な銃が凍り付いてために発砲できず、慌てて逃げ込んださまざまな違法改造が施された車も寒さで同様に動かなかった為、警護の人員に取り押えられた。本人は自分の名前をアルバート・ツイストであると名乗っているという。国際指名手配犯の疑いがあり、もし当人であれば国家間の取り決めに従い、送還されることになる模様。
2070年
2月3日(月)
 シアワセ新支社長赴任の話が報道される。
2月4日(火)
  アイヌマフィアと北樺太ヤクート系組織、樺太の支配ヤクザの久我山組など他の反対と妨害を他所に同盟更新(SRM1改)
2月14日(金曜)
 精鋭で知られていた時雨警備保障の社長スコールマン氏(エルフ、享年55)、豊原本社玄関前にて、短機関銃にて狙撃され殺害される。
2月17日(月曜)
 警備会社社長が本社前で殺害された事により、信用を低下させた時雨警備保障。ワンマン経営だったこともあり、社の解散を決定したことを報道陣に向け発表。
2月19日(水曜)
 失墜前は評価の高かった時雨警備会社が持っていた多数の契約と共に、社員の過半数がナイト・エラント系列に移ることが明らかに。豊原での地域警備契約を持つものの、評判が悪く個別契約の伸びが悪かったナイト・エラント社に流れたことで同日、樺太同社の株価が急激に上昇。
3月3日(月曜)
 時雨警備保障の元社員、残りが三浜、レンラク系に流れたと同時に、行方不明社員が多数いることが判明。先の事件はナイト・エラント社による陰謀だったとの噂が強くなる。JIS当局が、この件に関し調査に乗り出しているとされる。
3月9日(日曜)
 樺太の弱小暴力団組織、銀狐組の組長とその妻の葬式が行われる。養子の銀二が跡目を継ぐ。
3月24日(月曜日)
 医療過誤訴訟事件に関連した報復行動と思われる連続猟奇事件があったことが明るみになる。事件性から報道規制が敷かれていたが、容疑者を射殺、解決したものとされる。しかしこの狙撃を行ったのがナイトエラントではなく帝国当局の秘密警察の手によるものだったのとの言説が広まる。

2071年
初頭
 最凶のコンバット・ドラッグK-10。樺太の一般市場でも本格的に流通に乗っているのがJIS治安当局により確認される。三浜が握っていたとの噂もあるが、市場に持ち込んだのはロシアマフィアでは無いかと囁かれる。流通を見逃していた企業警察各社へJIS当局より文書が出される。