1920 |
日本最初のプロ野球チーム(日本運動協会)が創設される |
1934 |
三原脩が職業野球契約選手第1号と成る |
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大日本東京野球倶楽部(現読売ジャイアンツ)が創立される |
1935 |
大日本東京野球倶楽部がアメリカ遠征へ出発し、東京巨人に改称される |
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大阪タイガース(現阪神タイガース)が創立される |
1936 |
名古屋軍(現中日ドラゴンズ),阪急ブレーブス(現オリックス・バッファローズ),名古屋金鯱,東京セネタース(現北海道日本ハムファイターズ),大東京ライオンが創設される |
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アメリカ遠征中の巨人を除く6球団で4月29日から第1回日本職業野球連盟試合が開催される このリーグ戦ではセネタースが優勝 |
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7月1日から巨人を含めた7球団により連盟結成記念全日本選手権が開催される 東京大会では巨人,大阪大会では阪急,名古屋大会ではタイガースが優勝 |
1937 |
イーグルスが創設され8球団制に 春秋2季制が採用される |
1938 |
中島治康が史上初の三冠王に輝く |
1939 |
長期1シーズン制になり,春夏秋の3季通算での最高勝率チームが優勝となる制度を採用 |
1940 |
大阪タイガースが阪神に,イーグルスが黒鷲に,東京セネタースが翼に改称するなど戦争による日本語化が進む |
1941 |
翼と名古屋金鯱が合併して大洋に改称し,大東京ライオンが朝日に改称 |
1942 |
黒鷲が大和に改称 |
1943 |
大学野球や社会人野球は中止され,用語も日本語化されるなど戦時色が強まる |
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藤本英雄が史上最高の防御率0.73を記録する |
1944 |
戦争の激化で西鉄と大和が解散し,6球団に減少 |
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本職業野球連盟は日本野球報国会に改称し,名古屋軍が産業に,南海が近畿日本に改称するなど,選手は産業に従事しながら試合を続けた |
1946 |
リーグ戦が再開,産業が中部日本ドラゴンズに,近畿日本が近畿グレートリングに,朝日がパシフィックに改称し,セネタースとゴールドスターが加わって8球団制でプロ野球は復活 |
1947 |
セネタースが東急フライヤーズに,パシフィックが太陽ロビンスに,東京巨人が読売ジャイアンツに,阪神が大阪タイガースに,中部日本ドラゴンズが中日ドラゴンズに,ゴールドスターが金星スターズに改称し,近畿グレートリングは南海ホークスに戻った |
1948 |
ラビットボールの使用でホームランブームに沸く |
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1949 |
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