発生年月日 |
1945/7/28 |
発生地 |
アメリカ合衆国・ニューヨーク |
機体 |
B-25爆撃機 |
機体記号 |
41-30577 |
乗客乗員数 |
3 |
死亡者数 |
14(全員+地上11) |
事案 |
ビルへの衝突 |
原因 |
濃霧による機体喪失 |
その日B-25は定期的な人員輸送のためにニューアーク空港への着陸を試みていた。
非常に濃い霧が出ていたこと以外はいつも通りのフライトだった。
操縦士のウィリアム・スミスJr.中佐は濃霧のために近くのラガーディア空港への着陸を要求した。だがラガーディア空港への道のりはむしろ霧がひどく、管制からは「視界が0だが」と忠告され、1500フィートを保ちつつ元の航路で着陸することを薦められた。
だが霧は依然としてひどいままで、ほとんど何も見えない状態だった。
機体は空港に近づいたため降下を始めた。
だが実際は、濃霧のため距離を見誤っていたため、空港から離れた手前の地点で降下し始めてしまったのだった。
クライスラー・ビルの横をスレスレで抜けたのち、前方に見えたのはエンパイヤ・スティト・ビルだった。
スミス中佐は接近に気付き高度を上げ、ビルを回避しようとしたが間に合わなかった。機体はビルの79階部分に激突した。乗員3名は死亡した。
急速なスピードで激突した機体から、エンジンが脱落し建物を突き破り隣接するペントハウスに落下し、火災が発生した。
激突した79階部分では火災が発生した。だがエレベーターシャフトから燃え移ったため大規模な火災へと発展した。消防隊が駆けつけて、どうにか40分後に鎮火した。
これはアメリカの高層ビル火災において、消防士の消火活動で鎮火に成功した初の例であるという。
乗員のうち、ペルナ航空整備助手の遺体は発見されたが、スミス中佐と、同乗していたドミトロヴィッチ二等軍曹の遺体は跡形もなく燃えてしまっていた。また、衝突階にいた民間人11名が犠牲となった。
最終更新:2020年11月23日 00:01