索敵計画1

Q1.事前の索敵計画(七線一段索敵)は、索敵軽視ではないのか(その1)
A1.当時の日本海軍では、重視でも軽視でもなく、標準である。

(註1)「当時の聨合艦隊戦策では、索敵は一段索敵とすることが定められており、
二段索敵を実施することに改められたのは、昭和18年5月のことである。
故にこれをもって、南雲長官の作戦指導を非難するのは
正当とは言えない面がある」
                                         (『歴史群像(55)日米空母決戦ミッドウェー』)p122


(註2)聯合艦隊戦策とは、
「戦策は即ち本戦役を通じて、戦闘の基本たりしものにして、黄海・日本海の大海戦より
その他の小戦闘に至るまで、凡て之に依らしむものなり」    (『明治三十七八年海戦史』)

<改正履歴>

(1)明治37年1月9日(東郷平八郎中将)
(2)昭和5年10月6日(山本英輔中将)
(3)昭和8年2月3日(末次信正中将)
(4)昭和10年7月10日(高橋三吉中将)
(5)昭和14年12月1日(山本五十六中将)
(6)昭和18年12月5日(古賀峯一大将)         (
『坂の上の雲の真実』菊田慎典/著)

(註3)第50条 機動部隊航空戦ノ要領、左ノ如シ、
3.黎明航空戦ハ、夜間急速接敵シ、黎明前索敵機ヲ発進シテ、黎明時敵ヲ先制撃破シ、
     昼間航空戦ヲ以テ之ヲ撃滅スルヲ本旨トス 
  黎明索敵ニ依リ敵情ヲ得ザルトキハ、一旦反転シツツ、本隊前衛合同シテ、次ノ戦闘ニ
  備フルヲ例トス、但シ情況ニ依リ第二次索敵ヲ以テ昼間航空戦ヲ開始スルコトアリ
                              (昭和18年最終改正版)


Q2.事前の索敵計画は、索敵軽視ではないのか(その2)
A2.真珠湾でもインド洋でも珊瑚海でも、二段索敵は実施されていない。
  
 開戦以来一度も採用されなかったことを実施しなかったからと言って、
   
軽視と評価するのは適切ではない。


(註)二段(多段)索敵という方法自体は、開戦前から研究されていた。
「二段索敵ということは、まず第一段の索敵機を、黎明時に所望索敵範囲の先端付近に出し、
ついで第二段索敵機は、第一段索敵機が夜暗のため目視が利かず、素通りした手近の範囲を
捜索させるというのが目的である。

偵察が大事であるということは私自身もこれを痛感し、昭和2,3年ころ、初めて航空界に
身を投じた時、第一に選んだ研究課題が"航空機による敵情偵知"であって、各種索敵法
というものを考え出した元祖が私であったといっても過言ではないと思う」
                        (『聨合艦隊』草鹿龍之介/著)p83
 

 

Q3.事前の索敵計画は、索敵軽視ではないのか(その3)
A3.索敵機の数を増やすことは万能の解決策ではない(収容の手間)

(註1)艦上機(九七艦攻・二式艦偵等)の場合、収容の際、風上に立たなければならない。
    珊瑚海海戦一日目(昭和17年5月7日)、艦隊針路と風向が逆だったために、
    攻撃隊収容時に反転しなければならず、 その結果、敵空母との距離を詰められず、
    無理な薄暮攻撃になってしまった。

「MO機動部隊指揮官(原少将)は、0900飛行機隊収容後ロッセル島西方の敵(米空母)に
向かう旨を各部に電報した。しかし一度出た飛行機はなかなか戻ってこなかった。

南洋部隊指揮官(井上中将)からは繰り返し、敵機動部隊に対するMO機動部隊の近接攻撃
の命令を受けた。もとより心は弥猛にはやっても、いかんともすることができなかった。

更に悪いことに、当時東南東13メートルの風が吹いており、飛行機収容のため、一度あともどり
しなければならなかった」           (『戦史叢書(49)南東方面海軍作戦(1)』)p289

(註2)水上機(九四水偵・零式三座水偵等)の場合、着水した機体を揚収しなければならない。
    その間、
艦隊の行動が止まってしまい、敵潜水艦の格好の標的となる。

「着水の方法は風の強さで決まる。
揚収第一法は、波の静かな場合で、飛行機が艦の近くに着水して揚収する。
第二法は、艦が旋回して波を消し、そこへ着水して艦に近づき揚収する。
第三法は、着水までは第二法と同じだが、艦の方が飛行機に近づき揚収する。

”飛行機揚収第二法”信号マストに旗旒が上がった。
艦は航行隊形の列から離れて旋回を開始した。旋回圏の内側は波が消えて鏡のようだ。
だが山のようなうねりが待ち受けている」       (『彩雲のかなたに』田中三也/著)p55

「聯合艦隊司令部の各種水上機への評価は、決して高いものではなかった。
その理由とは、艦載水上機が本質的に持つ欠点である。揚収問題であった。

海面の条件によって、その運用が大きく左右される存在であり、たとえ海面の状態が良くても、
敵水上艦との戦闘のために激しく機動しなければならない艦艇が、自艦の搭載機揚収のため
艦を停止することも大問題だった。

実のところ、海面の状態と敵情との二つの面での幸運に賭けるしかない頼りないものだった」
                        (『日本の航空母艦パーフェクトガイド』学研)p126




(註3)母艦が対空戦闘中の場合、帰艦した索敵機は上空待機を強いられる。

    ミッドウェー海戦では、利根四号機が0730頃に自艦上空に帰投したが、防空戦闘及び三空母
    被弾の混乱から、収容したのは0847時になった。

(参考)ミッドウェー海戦における各索敵機の帰投状況
第一索敵線(180度赤城艦攻)
→0130発進、敵を見ず0715帰投、母艦戦闘中のため上空待機、0830飛龍に収容
第二索敵線(158度加賀艦攻)
→0130発進、資料なし、加賀附近に不時着か?
第三索敵線(123度利根一号機)
→0142発進、0220敵潜水艦発見、帰投詳細不明
第四索敵線(100度利根四号機)
→0200発進、0428敵発見触接、0638触接中断帰投、0730帰投、母艦戦闘中のため0847収容
第五索敵線(77度筑摩一号機)
→0135発進、敵を見ず、母艦戦闘中のため0810収容
第六索敵線(54度筑摩四号機)
→0138発進、0335天候不良のため索敵中断し帰投、母艦戦闘中のため0830収容
第七索敵線(31度榛名水偵)
→0130発進、帰投詳細不明
※第一~第六索敵線は、進出距離300浬、側程左へ60浬
 第七索敵線は、進出距離150浬、側程左へ40浬

 

(註4)索敵機の中には、機位を失い不時着する機体が出るおそれもある。
   「インド洋作戦で起きたある不運な出来事のため、偵察に必要最小限度以上の兵力を割くことを、
   南雲およびその幕僚はためらうようになっていた。索敵機が機位を失し、そのために母艦が無線
   封止を破って電波を出し、艦隊の位置を敵に暴露することになったからである」 
                  (『ミッドウェーの奇跡』GordonPrange/著・千早正隆/訳)上巻p236

(参考)珊瑚海海戦一日目(5月7日)、米油槽船ネオショーを空母と誤認した翔鶴九七艦攻は、
    その帰投に際し、機位を失って母艦に帰投できず、インディスペンサブル礁に不時着。
    MO機動部隊から駆逐艦有明が分派され、搭乗員は救助された。
                     (『戦史叢書(49)南東方面海軍作戦(1)』)p278

 

Q4.事前の索敵計画は、索敵軽視ではないのか(その4)
A4.索敵機の数を増やすことは万能の解決策ではない(誤報の増加)
   索敵機を増やせば、敵情報告も増加するが、同時に誤報が含まれる恐れも大きくなる。

(註)珊瑚海海戦一日目(昭和17年5月7日)では、20機以上の索敵機を出したが、最初に
   入ったのが誤報(油槽船を空母と誤認)だったため、攻撃隊が空振りに終わった。
   同海戦二日目では、わずか7機の索敵機だったのにも関わらず、正確な敵情報告のため、
   攻撃隊は会敵に成功した。
 

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