その他

Q17.『第一航空艦隊戦闘詳報』の「経過概要」では、0428時送信の利根機敵艦隊発見電は
    0500時受信となっているが、戦闘経過では0440時受信としているのは何故か。
A17.0445時の換装中止命令と矛盾するから。
    0500時受信の場合、情勢に何の変化もないのに、いきなり換装中止命令を出したことになる。
    兵装転換の中止を命ずる限りは、その前に何らかの敵情の変化が入ったはず。
    0445時の発令自体が虚偽とする説もあるが、0447時の無電を米側が傍受した記録が残されている。
                                               (『歴史群像ミッドウェー』より)

(註1)『戦闘詳報』の出典は、『記録ミッドウェー海戦』(澤地久枝/著)
    または、「国立公文書館 アジア歴史資料センター」のホームページより
    http://www.jacar.go.jp/index.html
    【レファレンスコード】C08030023900 (11/54) 頁
(註2)0447時の無電とは、
   「発:機動部隊指揮官」
   「宛:利根四号機」
   「本文:タナ一、艦種確メ触接セヨ」
   つまり、南雲長官が利根四号機に「艦種を確認せよ」と命ずる以上、0447時以前に利根機からの
   敵艦隊情報を赤城が受信していたことになる。
 

(参考)
「利根機が午前7時28分(日本時間0428時)に打電した敵発見に対して、南雲の処置が17分遅れた
ことについて、彼は非難されているが、第一航空艦隊のミッドウェー戦闘詳報によれば、赤城が利根機
の敵発見を受信したのは午前8時(0500時)になっており、草鹿も源田もそれに同意している。

しかし午前7時45分(0445時)の兵装再転換の指令と、その2分後の利根機に対する指令は、南雲が
それまでに利根機の敵発見の電報を受けていたことを明らかに示している。
また、同電を受けてから15分間も何の処置もせずに、ぐずぐずしていたとは考え難い。

もっとも、その朝の電報の発信時間と赤城の受信時間との間には、14分から20分の遅れがあった。
一例をあげれば、問題の利根機が午前5時20分(0220時)に発信した敵潜水艦発見の電報の受信は
25分遅れ、また小川機(加賀艦爆隊)のサンド島に対する攻撃の戦果報告は、27分後に赤城で受信
していた。

これからみると、午前7時28分(0428時)に発電の利根機の敵発見の電報を、赤城では7時40分頃
(0440頃)に受信し、それに基づいて決心し所要の指令をその5分後に出したとみるのが妥当のようだ」
                                               (『ミッドウェーの奇跡』)

(註3)敵潜水艦発見電[アジ歴【 レファレンスコード 】 C08030023900 (6/54)頁]
    受信時刻:0245時
    発:利根四号機
    宛:機動部隊
    本文:タナ一、敵浮上潜水艦2隻見ユ、出発点ヨリノ方位120度・80浬、針路120度(0220)

(註4)小川機の戦果報告[同(8/54)頁]
    受信時刻:0407時
    発:加賀機
    宛:機動部隊指揮官
    本文:我サンド島ヲ爆撃ス、効果甚大(0340)

 

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