「急げ! 急がぬか!」
主人の狼狽した叱責を浴びながら、使用人は二頭のチョコボを必死に走らせる。
しかしながら、鞭を打たれること既に小半時に達しようとする今、豪奢な鳥車を引くチョコボは最早限界に近かった。
秋も深まって間も無く、夜の林道は冬の到来を思わせる肌寒さである。
そんな季節に見合わぬ大量の汗をチョコボに掻かせながら、それでも使用人は走らせざるを得なかった。
それは土煙を上げながら鳥車の後方に迫り来る、林道一杯の山賊の一党が故である。
武器を掲げ、奇声・雄叫びを上げながら、チョコボで追走する悪党どもは、さながら獲物を追うのを楽しむ野獣の如く、いずれ劣らぬ下種な顔立ちに下卑た笑いを浮かべながら、
「どうしたどうしたー!」
「そんなんじゃ逃げられねーぞ!!」
などと囃し立てては笑い合うのである。
「何をしているのだ! 追いつかれてしまうではないか! 殺されてしまうぞ!」
車中の商人は狼狽を隠そうともせず喚き散らし、それが共に乗車している妻と娘に益々の恐怖を植え付ける。母娘は泣き叫ぶ父親を尻目に互いに抱き合い打ち震えるのであった。
商人は交易と観光を兼ね、恋女房の妻と十五になる娘を連れて貿易都市ウォージリスに出掛けようとしていた。
しかし天候の都合で時間が掛かり、夜通し急ぐ途上、最近跋扈し始めた山賊団に目を付けられてしまったのである。
「頭目!」
鳥車を追いかける山賊達の一人が、先頭を走る巨漢の頭領らしき男に呼びかけ、嘴を並べた。
その手にはボウガンが握られている。
「・・・そろそろ兎狩りにも飽きてきたな」
頭領がそう言うと山賊達はおぉー! と歓声を上げる。
ボウガンを携えた男はニヤッと笑うと、腹を蹴ってチョコボを奔らせた。
男が操るチョコボは見る間のうちに鳥車に追いつき、右後方三間の位置で速度を合わせる。そして男が合図に左手を挙げると、山賊達は速度を緩め始めた。
「なんだ・・・?」
外から響いていた、チョコボが地を蹴る凄まじい音が遠のき始めたのを感じた商人は、鳥車の窓から外を覗く。
その姿を見たボウガンの男は空きっ歯を見せながら、大仰にボウガンを構える。
商人の顔はさっと青くなり、鳥車の中で何事か喚いているが、男はそれに構わずにゆっくりと狙いを定め、引き金を絞った。
ヒュッ、と風切音を上げて中空を翔けた矢は、鳥車を引く右のチョコボの脳天に見事突き刺さる。チョコボはもう一頭にもたれ掛かる様に崩れ落ち、仲間の死に動転した残りの一頭はクエー! と、鳴きながら激しく羽をバタつかせてその亡骸を受け止めた。そのため鳥車はその勢いのまま横転し、もう一頭のチョコボをも下敷きにしながら見る間のうちにその原型を無くしていく。
ボウガンを放った男は手綱を引き、チョコボを飛び跳ねさせて、鳥車の残骸をかわして足を止めさせた。
鳥車はようやくで原型を留め、逆さまになって完全に停止した頃、先ほど速度を落とした山賊の一団が姿を現した。
「思ったよりイッちまったな。荷のほうは大丈夫か?」
鳥上で頭領がそう言うと、3人ほどがチョコボを降りて鳥車に駆け寄る。そうして二人掛で開きづらくなったドアをこじ開けると、血塗れの商人が崩れ落ちてきた。
「た・・・・・・た・・・すけ・・・」
辛うじてそう言った商人の胸に一人が躊躇なく剣を突き立て、遺体を引きずり出した。
そしてドアをこじ開けた二人に中に入るよう首で命じる。
鳥車の中は酷いもので、硬い木箱の荷が荷台の壁を突き破って車内に雪崩込み、荷で埋まってしまっている。
木箱の一つを開けて見ると、中に入っていたのはシルクなどの布生地であった。商人に止めを刺した男は後ろからそれを確認し、頭領に向かって、
「荷は大丈夫みてぇです! どうもこいつは生地屋だったらしいです!」
と叫んだ。頭領は頷いて、
「面白味はねぇが見入りは多いな。よし、野郎ども!荷を運べぇ!」
そう命じた。
山賊達は流れ作業で荷を運び、チョコボの背に積んでいく。総勢二〇名からなるこの一党をして苦労させるほど荷は多く、それだけ見入りも期待できる。
山賊達は笑いあいながら作業を行った。
そんな中で鳥車の中から荷を出す係の一人が荷を抱えると、荷の下敷きになっていた夫人の遺体が現れた。若くはないが上品な顔立ちであり、それ故男は
「もったいねえな・・・」
と、呟いて作業に戻ろうとした。
すると夫人の遺体が僅かに動き、遺体の周りにあった荷の一つが大きな音を立てて落下した。
ぎょっ、と振り返ると夫人の遺体の下から娘が現れたのである。鳥車が横転した時、夫人が彼女を抱きかかえていたおかげで、彼女は軽症で済んでいたのだ。
だが果たしてそれは彼女にとって幸運であっただろうか。
彼女は横転が止まった後自分が助かったのを知った。また母親に抱きかかえられているのを感じて安堵もした。
だが彼女が母親に呼びかけても返事はなく、何度繰り返しても応答が無い。
そして悟ったのだ。母親が死んでいることを。今や彼女は茫然自失とし、表情も変えられずにただ涙を零すのみであった。
一方の商人の娘を見つけた男は娘の心情など問題ではない。男は好色な表情を隠しもせず笑い、持っていた荷物を放り出した。
一瞬、娘を隠しておいて自分の物にしたいという考えが頭をよぎったが、荷を全て持ち出してしまえば隠し場所がない。
やむなく男は娘の手を掴んで引っ張り出し叫んだ。
「一人生きていた!娘が生きていたぞー!」
娘は男のなすがままに連れて行かれた。

酒を飲みながら部下の様子を鳥上で見守っていた頭領は、娘を発見したという声を聞き水筒を放り投げ捨てて飛び降りた。作業をしていた連中もその報を受けてわらわらと馬車のそばに集まっていく。
鳥車から出てきた娘はさながら夢遊病者のようであったが、地面に転がる父親の遺体を見つけるとショックで感情が戻ったらしく、
「いや・・・いやぁあああああ!!」
と泣き叫んだ。
山賊達は娘の絶叫を聞いて耳障りな笑い声を斉唱した。
「はなして!はなしてぇ!!」
彼女は自分を掴む手を撥ね退けようと必死に暴れたが、悲しいかな所詮は小娘の力、屈強な山賊に敵うべくもない。
頭領は必死に逃れんとする娘の前に近づく。
自身の倍はあるのではとも思われるその巨躯に娘は気圧され、その顔が恐怖で一杯になる。頭領はその大きな手で娘の顎を掴み、じっくりとその顔を観る。
恐怖に歪んでしまっているが中々に美貌の陰があり、あと数年で驚くほど美人になるだろう、頭領はそう見て取った。
頭領は酒臭い口端を吊り上げ下卑た笑みを見せると、
「安心しな、殺しはしねえ」
そう言う。
娘は顎をつかまれたまま涙を零し、身体をガタガタと打ち震わせながら頭領の言葉を聞いている。
「その代わり今日からたっぷりと可愛がってやらあ!」
頭領の鬼畜な発言に山賊達は各々手に持ったものを挙げて歓声を上げた。
山賊達の歓声の中、娘はもはや絶望の淵に立っていた。
「残念だが、それは無理だな」
突如、林道に響き渡った凛とした声に、その場の全員がギョッとして声の方向を向いた。
観る者を射抜くかのような強い意志を宿した切れ長の瞳、美しく伸びた金髪に青く染められた装束とその上に装着した白銀の甲冑。
整った美しい顔立ちは、しかし今や静かな怒りに満ち、総身に漂う誇りに満ちた気高い風格が、目の前の者どもを許さぬと雄弁に語っている。
持ち主を模るかの如く、美しく存在感を放つ騎士剣を腰に下げ、胸の前で腕を組んで仁王立ちに山賊達に相対するこの女騎士は、さながら審判の施行者である。
少なくとも娘には彼女の姿はそう映ったのだった。
「何だ!貴様!」
頭領は女騎士に向き直って誰何する。
女騎士は表情を変えずに応える。
「貴様等を誅殺する者だ」
その声音に一同は戦慄した。
脅しではなく、歴然たる事実であると言わんばかりの、宣告にも似た言様であった。
「ふざけやがって・・・」
頭領はそう応えた。
しかし辛うじて動揺を見せずに済んだものの、この場にいる誰もが分かっていたのだ。たった一人の女に二〇人からなる山賊団が圧倒されている事を。
「舐めるな!このアマぁ!」
真っ先に行動を起こしたのは一党の内で最も気が短いと言われる男だ。
男は剣の柄を腹に押し当てるようにして構え、切っ先を前に突き出し、咆哮しながら体当たりの如く女騎士に突進して行った。
女騎士は腕を解くとやや膝を曲げて爪先で立ち、若干腰を落として重心を低くする。そして男の女騎士の間があと二歩というところまで接近した当にその瞬間であった。
白芒一線。
女騎士の払い抜けの一刀は男の頸根を過たず両断し、文字通り首皮一枚残して斬り倒した。その技の冴えは、山賊達の目には抜刀すら視認出来ないほどであった。
払い抜けの残身の姿勢を解いた女騎士は、彼女の技を見て固まってしまった山賊達を一瞥し、剣をヒュッと払って血振いする。
直後。
「ぎゃああああああああ!!」
突如として大地を引き裂かんばかりの勢いの衝撃波が走り、その射線上にいた山賊達が吹き飛ぶ。
「ぐわぁあああああああ!!」
ハッ、としてそちらを向けば轟音と共に地面を割って出た水が、固まっていた山賊達を包んで巨大な氷柱となる。
「クエェエエエ!!」
恐怖に怯えチョコボに乗って逃げようとすれば、走り出したところで銃声が鳴ってチョコボの足が撃ち抜かれ転倒する。
「うわぁあああああああ!!」
相次ぐ異変に混乱する山賊達を、今度は木立から飛び出した二つの影が一人ずつ斬り伏せていく。
二〇人の規模を誇った山賊団は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図を描きながら、一人、また一人と倒れていった。
三人の部下に守られながら、頭領は周囲の惨状を呆然としながら見渡し、その目を一点に止めた。
「貴様の仕業か・・・・・・!」
巨躯に怒りを満たし、肩を震わせながら頭領は地獄の怨嗟の如き声を上げる。
「言った筈だ。誅殺する、とな」
女騎士は相変わらず表情も変えない。そして無造作に頭領に近づいていった。頭領を守っていた三人が、彼女が接近してくる恐怖耐え切れずに切り込んでいく。
「大気満たす力震え、我が腕をして閃光とならん・・・」
女騎士は詠唱しながら緩慢ともいえる動作で左足を引き、剣を引いて地面と平行に構え、
「無双!」
騎士剣が闘気を帯びて光り輝く!
「稲妻突き!!」
裂帛の咆哮と共に突き出された切っ先は電撃の刃を発し、突進してきた三人を一瞬にして貫いた。
三人を屠ってから女騎士がふぅと息を吐いた瞬間、
「きゃぁあああああ!!」
山賊に捕らえられていた娘が叫んだ。
ハッとして顔を上げると山賊が娘を脇に抱え、忠節にも逃げずにいた己のチョコボに跨っていた。
「貴様!!」
女騎士は剣を構えて斬り込もうとしたが、娘の首に突き付けられたナイフを見て踏み止まった。
否、踏み止まったのはそれだけが理由ではない。
男の目に明らかな狂気を看て取ったからだ。
頭領は彼女が向かって来ないのを悟ってチョコボの腹を蹴り、仲間を見捨てて逃げ出した。
「くそったれ!」
木立の中から狙撃をしていた青年が飛び出して来て、逃げていくチョコボに狙いを付ける。
「よせムスタディオ!」
女騎士は素早く銃身を掴んで狙いを逸らす、と同時に轟音を上げて銃弾が飛び出した。
「娘は奴に抱えられている。当たれば落ちてしまう」
「くそっ!どうする!?」
ムスタディオと呼ばれた青年は地団太を踏む。
「隊長!」
その声に振り向くと、チョコボに跨った女剣士がもう一匹、チョコボを引き連れて駆けて来る。
「乗ってください!私は先に!」
「助かるぞラヴィアン!」
ラヴィアンと呼ばれた女剣士は手綱を離してもう一匹を離すと、頭領を追っていった。
「ムスタディオ、後は任せる!」
女騎士はムスタディオにそう言うと剣を鞘に収め、突進してくるチョコボの正面に立ってギリギリの所で跳躍し、首に左腕を回してチョコボの勢いを利用して華麗に跨ると、腹を蹴って走り出した。
ムスタディオはヒュウ、と口笛を一つ吹き、
「様になってるねぇ」
と軽口を叩きながら、彼女の命令に従った。
「ギル!ロゼ!アリシア!残党を片付けるぞ!」


悪夢だ。頭領はチョコボを攻め立てながらそう思った。
いつも通りの稼ぎ、いや見入りも多く、女まで手に入ったのであるから寧ろ吉日のはずだった。
それがどうだ、一瞬にして十九人の部下を失い同数のチョコボも失い、見入りも失って残ったのはこの身と女一人。
悪夢と言わずして何と言おうか。
だがしかし、彼の心は失望よりも寧ろ怒りで煮えくり返っていた。
あの女だ。
あの女が全ての原因だ。
彼には実際には何人の敵が居たのかを知る由もなかったが、そんなことは些細なことだ。指揮を執り、自分達を殲滅させるのを成功に導いたのは間違いなくあの女なのだから。あの顔を思い出すだけで手綱を握る手が白くなる。
(犯してやる!)
頭領は左手に抱えた商人の娘を見た。
娘は紙のように白くなり、目を閉じて手を合わせ、何事かを、おそらくお祈りだろう、唱えている。
「犯してやる!はッ!犯してやるぞ!泣こうが喚こうが犯してやる!何度も、何度でもだ!」
狂ったような叫びに、娘はそれを聞かないように一層強く唱え始める。
いや、彼は最早正気を失っている。攫って来た娘を陵辱することがあの女騎士を陵辱する事と結び付けてしまっているのだ。
頭領は女騎士を陵辱する様を思い描き狂笑した。
チョコボは更に攻め立てられ、益々速度を上げていく。
と。
月明かりの下、一つの影が林道に伸びている。
頭領はその影に気付いたが、気にすることも無いと考えた。どうせ避けるだろうし、避けなければ跳ね飛ばせばいいだけだ。しかし跳ね飛ばすのを想像してみると存外爽快であった。
今夜は不愉快なことが多すぎた。
一人ぐらい殺しておかないと気が済まない、そう考えるとそれが当然のように思えてきた。今や男の顔は狂的な笑いが張り付いていたのだった。
影との差はぐんぐんと縮まりその本体が見え始めている。
頭領は手綱を咥えて右手で剣を抜く。
娘はひたすらに唱え続けている。
最早影はすぐそこに在る。
そこで異変が起こった。頭領と娘を乗せたチョコボが突如として嘶いて仰け反ったのだ。
右手に剣を握り、左腕で娘を抱え、手綱を咥えていただけの頭領は叫び声を上げて背中から落下した。
一方娘は、頭領が落下に驚いて手を離したことで、目を瞑りながらも自分が宙を舞い、頭から落ちていくのを感じた。それでも生きて陵辱されるよりは幾分かはマシかもしれないと、娘は目を閉じたまま死を待った。
しかし身体は地面に打ち付けられることなく、誰かに抱きかかえられたようであった。
「ご無事かな、お嬢さん?」
娘の耳に渋いが良く通る、優しげな声がした。


月明かりが幸いし、山賊の頭領が乗ったチョコボの足の跡によって女騎士とラヴィアンが道に迷うことは無かった。
「急ぐぞ、ラヴィアン!あの男、何をするか分からんぞ!」
後ろで結んだ美しく長い髪をなびかせ、女騎士はチョコボを走らせる。
乗鳥技術の差からだろう、先に向かったにも拘らずラヴィアンは女騎士の後方を走らせている。ラヴィアンは女騎士とは長い付き合いであるが、チョコボの早駆けなどは流石にやったことは無い。
だから女騎士と自分の腕前にこれほどまで差があることに内心舌を巻き、
(隊長には敵わないな)
と尊敬の念を新たにしていた。
「隊長!あれは!?」
疾駆する二人の前方に人影が現れた。しかし影は複数で、チョコボに乗った頭領のそれとは思われなかった。
ラヴィアンが言うまでも無く、女騎士もそれに気付いてはいたのだが、しかし一体どういうことなのかが理解できずにいたのだ。
「とにかく行って見るぞ!」
女騎士はそう声を掛けて影の方へと急行した。


落鳥したにも拘らず、恵まれた体格のお陰で、頭領はそれほどの痛手を負わずには済んだ。
尤も背中から落ちたせいで若干手足が痺れてはいたが。頭領は感覚の薄い腕を以ってなんとか上体を持ち上げ、その男を見た。
まず目立つのは藁か何かで出来た面積の広い帽子、編み笠と呼ばれる物で、顔が完全に隠れてはいるが、本人からは前方にいくつか空いた切れ目で見えるようである。
服装は戦闘着の上に黒皮のコートを纏っているだけで、胸当て一つも防具を身につけていない。腰には二本、長刀と脇差を差しており、今、男は左手を長刀の柄に置いて頭領を見下ろしていた。
「貴様、何しやがった!」
身体の痺れが未だ取れぬことを気取られぬよう、腹に力を入れて立ち上がり、精一杯凄んで見せた。
彼のチョコボは両の目を一文字に切られて視界を失いのた打ち回っている。
男の背に隠れていた娘は、頭領の怒気を受けてビクッと肩を竦ませたが、しかし相対している当の本人はといえば、風の如く手応えが無く、まるでそこに在るのが当然と言わんばかりに佇立している。
「悪いが、黙って殺されるほどお人よしではないのでな。先手を仕掛けさせて頂いたまでよ」
男の声音はやや笑いを含んでおり、それが頭領をまた苛立たせる。
「何を言いやがる!俺が貴様を殺そうとしたと言うのか!」
「はっはっは、あれだけ殺気を漲らせておいて今更殺す気は無かったと言うのか。面白い男だ」
哄笑する男に業を煮やした頭領は剣を拾い、巨漢を見せ付けんばかりの大上段に構える。
「死にてぇなら殺してやる!」
頭領が吠える様に言うも男は微動だにせず、未だ柄に手も掛けていない。編み笠の下では、恐らく不敵に笑っているだろう。
「さてさて、気の短い御仁だ。これまでにさぞ多くの敵を作って来たのであろうな。今もそれ」
男は顎をしゃくって頭領の後ろを示し、
「追っ手が二人迫って来ておるわ」
思わず振り返ると、男の言うとおり確かに追っ手らしき二人組みが遠くから迫って来ている。
歯を噛み締めて焦りを押し殺し、改めて男に対峙する。すると男はまるで動いては居ないのだが、先ほどまでその後ろにいた娘がいつの間にか十歩向こうで背を見せて走っていた。
「さて、貴公の時間もあと僅か、こちらの準備も整った。では、参るとするか」
男は一方的にそう宣言すると、柄に乗せていただけの左手で長刀の鞘を掴み、鋭い音を立てて鯉口を切った。
その音に合わせる様に、頭領は唸り声を上げながら巨躯を躍らせて男に切り込んだ。
いや、切り込まんとした。
しかしその剣は振り下ろされることすら無かった。
何故なら男が目にも止まらぬ速さで頭領の懐に踏み込み、真っ向唐竹割に、振り上げられた両腕ごと、脳天から肛門まで其の身を易々と二つに割ったのである。
と同時に男は回し蹴りに頭領の身を蹴飛ばし、横倒しにした。
屍からは巨躯に見合うだけの大量の血が噴出したが、男はそれ故に返り血一つ浴びては居ないのだ。
刀を払って血振いし、刀を納めた男は二〇歩の彼方に待たせた娘に、
「お嬢さん、始末は付いたようだ」
と呼びかけた。
そして娘がやって来るより先に、チョコボに乗った追っ手二人組みが男の前に現れた。

ようやく追いついた女騎士とラヴィアンは、目の前に横たわった凄まじい剣の冴えが為した所業に一寸驚いたが、すぐに取り直し、
「ラヴィアン、彼女を」
と女騎士がチョコボから降りながら命じると、ラヴィアンはこちらに向かってくる娘の元までチョコボを歩かせた。
「ご協力を感謝します」
男の傍まで歩み寄った女騎士はまずそう言った。
「この男は最近この辺りを蹂躙した山賊の頭領。私共はウォージリスの商人ギルドに依頼を受けてその殲滅に当たった者です」
そこまで話した時にラヴィアンが娘を後ろに乗せてやって来た。女騎士は娘に顔を向けると少し沈痛な色を浮かべて口を開く。
「貴方には申し訳ないことをした。我々がもう少し早く連中の居場所を突き止めていれば・・・・・・」
娘は彼女の言葉をそこまで聞くと両手で顔を覆い、首を左右に振った。
女騎士は顔を少し俯けて目を閉じ、娘に一礼をした。
そして再び男に向き直った。
男はほとんど微動だにせず、口も開かないが、一応は話は聞いている様子であった。
「あなたのお陰で彼女の命は救われ、山賊団も壊滅させることが出来ました。ですから貴方にも報酬を受ける権利があります。お望みなら御同行頂ければ・・・」
「はっはっはっは」
突然、男は如何にも愉快そうな笑い声を上げた。
「相も変わらず生真面目なものだな、アグリアス」
女騎士は突然自分の名前を呼ばれて声を失ってしまった。
「忘れてしまったのか?寂しいではないか、己が師を忘れてしまうとは」
男がそこまで言うとアグリアスはあっと気が付いた。
「エルヴェシウス先生!?まさかエルヴェシウス先生なのですか!?」
「察しが悪いのは変わらんな。しかし覚えて居てくれたことは素直に喜ばしいぞ」
そう言うとエルヴェシウスと呼ばれた男は顎下の紐を解いて編み笠を外し、アグリアスに笑って見せた。
アグリアスの記憶ではエルヴェシウスはもう四〇を二、三超えた歳だが、五年前と変わらぬ精悍さを身に宿している。その風格はアグリアスなどでは到底及ばぬほどで、当に剣豪と呼ばれるに相応しい。
「折角弟子が招いてくれたのだ、師としては是非が否でも応じざるを得んさ」
エルヴェシウスは久しぶりに愛弟子に出会えたのが嬉しいらしく、微笑んでそう言った。
「ええ、是非とも。先生にはお聞きしたいことやお話したいことが沢山ありますから」
そう言ったアグリアスの笑顔もまた、女学生の如く輝いていたのだった。


最終更新:2010年04月05日 22:23