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朝になって貿易都市ドーターに到着した異端者一行は連日の強行軍に疲れ果てていた。
貸し切った小さな安宿に入るなり殆どの者が食事も採らずにベッドに倒れ伏し、そのまま夢も見ない程の深い眠りに落ちていく有様。
起きているのはラムザとラッド、アグリアスの三人だけになってしまっていた。
しかし、スケジュールの都合上、ドーターに居られるのは明日の早朝まで。
隊の長たるラムザは、今日中に物資の補給やら何やらといった雑事を片付けておかなくてはならない。
「遅くても昼までには戻ります」
そう言ってアグリアスに留守を頼むと、ラムザはラッドを伴って街の中心部の市場へ買出しに出かけて行った。

アグリアスが宿の小さなロビーに置いてあるソファーで目を覚ました時、壁にかけられた古めかしい時計は午後一時を指していた。
しまった、いつの間に眠ってしまったのだろう。
ラムザは寝ていて下さいと言ってはいたが、何せ今の自分達は異端者として終われる身、留守中にも何が起こるか分からない。
疲れが溜まっていたとはいえ、留守を任されていた自分がついウトウトしている内に眠ってしまっていたなどとは不甲斐無い。
頬から口元にかけて冷たいものを感じて手をやると、よだれが垂れていたので慌てて口を拭った。
まったくもって情けない…… こんな姿を誰かに見られでもしようものなら
そこまで思ってふと気がつく。ラムザとラッドはまだ帰って来ていないのだろうか? 
ラムザとラッド、そしてムスタディオに割り当てられていた部屋のドアをそっと開けると、ムスタディオ一人がうつ伏せになって寝息を立てていた。
ラムザによだれを垂らした自分の寝姿を見られていた可能性が消えた事に胸を撫で下ろすアグリアス。

その一方で急に目が醒めていくのを感じる。遅くても昼までには戻ると言ったラムザ。
何かがあったと見るべきか。それともまた道に迷いでもしたか。
ドーターの市場にはまるで迷路の様に複雑な部分があり、以前も買出しに行ったメンバーの帰りが遅くなった事があった。
ラムザも過去に何度か市場で迷った為に、そうした部分には入り込まない様に気を付けている筈なのだが……

アグリアスはラヴィアンとアリシアとを乱暴に叩き起こすと、寝ぼけ眼の二人に事情を説明して留守を任せた。
他の面々も起こそうと思ったのだが、皆死んだ様に眠っていたので起こすのは気が引けて止めた。
ラヴィアンとアリシアが起きていれば、それでいいだろう。
多分、途中で彼らに会って引き返して来る事になるだろうと思うのだが、万が一という事もある。
まだ少しぼんやりとしている二人に警戒する様に言いおいて、アグリアスは愛剣をつかんで街の中心部へ向かった。

街の中心部は区画整理があまり進んでおらず、諸々の商品を扱う店が軒を連ねて混沌としており、
むしろ中心部から離れれば離れるほど整然としている感がある。
宿からここまでは一本道。彼らに会わなかったという事は、おそらく二人ともまだこの混沌の中にいるのだろう。
アグリアスは周りを見回しながらゆっくりと雑踏の中に足を踏み入れた。

一時間も歩き続けた頃だろうか。焦りと苛立ち、その背後に去来する薄暗い暗雲の様な不安が心中で膨らんでいく。
額に汗をにじませたアグリアスがキョロキョロと落ち着かない様子で首をめぐらせていると、
見渡す限りの人の頭の波の上、アグリアスの視界の隅に特徴ある癖毛がとらえられた。ラッドがいつも被っている帽子も。
……二人とも無事で良かった。やはり迷っていたという事か。もう買い物は終わったのだろうか。まったく世話の焼ける……
人の波をかき分ける様にしてラムザと思しき癖毛の見えた辺りに歩を進める。
しかし、アグリアスは急に立ち止まった。そこにいたのはラムザとラッドだけでは無かったのだ。

アグリアスは近くの露天商のテントの影まで下がり、そっと様子を伺う事にした。
雑踏の端、半ば朽ちた石垣にもたれかかっているラムザとラッド……そして見知らぬ女が談笑していた。
女はアグリアスと同じか少し上くらいの歳であろうか。飾り気の無い濃紺のワンピースに絹のショールを羽織っており、
商家の若女将然とした印象を受けたが、その顔立ちと雰囲気は妙に艶っぽく、どことなく周囲からは浮いていた。

アグリアスは何か見てはいけないものを見てしまった様な気がして、ますます出て行き辛くなってしまった。
しばらく見ている内にラッドがおもむろにラムザと女に手を振って踵を返し、雑踏の中に消えていく。
女はにこやかに手を振り返してラッドを見送った。ラムザもそれに倣う。
ラッドの姿が見えなくなると、二人は再び向かい合って何事かを話し始めた。終始笑顔の絶えない、随分と楽しい会話をしている様だ。

アグリアスの胸中に怒りとも罪悪感ともつかない複雑な感情の波が渦を巻き始めたが、その一方で不安が頭をもたげる。
あの女は一体誰? あの女と話し込んでいた為に遅くなっていたというのかッ。人が心配して来てみれば何という……
「おい」
突然背後から声をかけられてアグリアスの心臓は胸の内側に当たったのではないかと感じる程飛び上がった。
恐る恐る振り返ってみれば、荷物袋を背負ったラッドが呆れた顔でアグリアスを見返していた。

「な、なんだラッド、ビックリするじゃないか」
「ビックリしたのはこっちだ。なんかこっち見てる怪しい奴がいると思ってコッソリ後ろに回ってみりゃ、一体何やってんだよ」
「え、いや、その、お前達の帰りが遅いから心配して見に来たら……」
ラッドが頭をかいて苦笑いする。
「ああ、そうか。思ったよりだいぶ時間が経ってたのか。済まなかった。そんなに時間が経ってるとは思わなかったよ。
ところで、迎えに来たのはいいけど何でコソコソ影から俺達を見てたんだ。ラムザは気付いてなかったけど、バレバレだったぜ」
「あ、いや…… 見知らぬ御婦人とい、一緒だったものだから、その…… 」
アグリアスはなるべく平静を装って喋ろうとしていたが、その努力は徒労に終わっていた。我ながらしどろもどろだ。
察しの良いラッドは笑いを噛み殺しながら、どう切り出したものかを考え始めた。
「……あの女が誰か気になったんだな? 」

「別に。えっとそれよりも早く宿に戻らないと! ラムザも呼んで…… 」
顔を紅潮させてたどたどしく言葉を紡ぐアグリアスを手で制して、ラッドは語気を強めてもう一度言った。
「あの女が誰なのか気になるんだろう? 」
「あぐ…… 」
「でなきゃ隠れてコソコソ様子を伺ったりはしないもんな」
余裕たっぷりに言い放つラッドを見て、アグリアスは観念した。うつむいて静かにコクン、とうなづく。
ラッドはわざとらしく長い咳払いなどをしてアグリアスを少し焦らしてから口を開いた。
「アグリアスにも分かり易い様に結論から言おう」
アグリアスは妙に含みのあるその言葉にカチンと来たが、おとなしく言葉の続きを待った。
「あれはラムザの初体験の相手だ」

初体験の相手、という言葉がアグリアスの中で意味を成すまで数秒か、十数秒か、とにかく少し時間がかかった。
「……ほら、丁度そこの雑貨屋で偶然バッタリ会ったんだ。二年ぶりくらいになるのかなあ、つい話が弾んじゃってさ」
「二年、前……」
「そう、俺とラムザがガフガリオンの元で傭兵をしていた頃さ。ラムザは確か十八くらいだったかな。
俺達はその時、ウォージリスで成金織物商の屋敷の警護の仕事を請け負っていたんだ。
ある晩、酒の席でラムザがまだ女を知らないってのを俺がからかってたら、それを聞いたガフガリオンが
俺様の部下なら女ぐらい知っておかンとな!とか言い始めて、そのままみんなで娼館へ行ったんだ」
ガフガリオンは馴染みの娼館へ着くと、ラムザにエルザという名の女をあてがった。
ガフガリオンいわく「ここで一番の女」とかで、「本当は俺が抱きたいンだが、今晩は譲ってやらンとな!」と言いつつ
自分は新顔の若い娘と小部屋に消えて行った。ラッドも好みの娘を選んで小部屋へ向かう。
部屋に入る前にチラリとラムザの方を見やると、あてがわれた女に手を引かれて小部屋へ連れ込まれる所だった。

「エルザは確かラムザよりも五ツか六ツくらい年上だったのかな、ラムザはそれはもう丹念に筆おろしされたらしいよ。
やたらと“可愛い~”とか言われててさ。女顔で童顔の奴は得だよなー。
まあそれはともかく、あのエルザって女は商売上の接客態度っていう以上に、気立てがよくって優しい所のある女だったよ。
ラムザは初めての女があれで本当に良かったんじゃないかな」
昼間から往来で不謹慎な、と思いつつもアグリアスは何故か妙にドキドキしながらラッドの卑猥な思い出話に耳を傾けた。

「ラムザはそれからも何度かその娼館に行ってはエルザを指名していたらしい。
エルザが休みだったり別の客を取ってたりした時には、他の女の子を選ぶでもなくションボリして帰って来た。
何とも純情な話じゃないか? 実るでも無いだろうに、娼婦に恋煩いだ。
それからしばらくして当時の雇い主だった成金が熱病で急死したもんだから仕事が突然無くなった。
それで俺達はすぐに次の仕事を探して別の街へ移動する事になった。その娼館とも、エルザともそれっきり。
顔には出さなかったけど、あの時のラムザは落ち込んでいたな。どこまで純な奴だ、って思ったけど」

アグリアスは複雑な気分だった。
ラムザとあの女の過去を想像すると嫉妬を伴った不快を覚えるが、初めての相手に純な入れ込みを見せるラムザの
健気さは我が事の様に嬉しくもなった。その健気さをこちらに向けろ! と言いたくなる。
「そのエルザにこんな所でバッタリ出くわしたもんだから、俺達ビックリしちゃってさ。
エルザがラムザの事を覚えてて、声をかけて来たんだ。あの癖毛はやっぱり、って……あ」
ラッドがアグリアスの肩越しを凝視して急に固まったので、つられてその視線を追ってみると
「……あああッ!? 」
女がラムザ覆いかぶさる様にしてキスをしていた。ラムザは驚いて目を見開き、体を強張らせている。
が、徐々にラムザの体が弛緩して目がトロンとしていく様をアグリアスはハッキリと見た。
その間十秒くらいだったろうか。女は体を離すと、何事も無かったかの様に笑顔でラムザに小さく手を振り、雑踏の中に消えた。
ラムザは放心して、ぼんやりと手を振り返すので精一杯の様子だ。耳まで真っ赤になっているのがここからでも見てとれる。

ラムザはおずおずと口に手をやり、女の去って行った方向を呆けた顔で見ていたが、急に我にかえったのか不意に辺りを見回した。
そして一瞬視線が交差し、目が合う。
「ええっ!? アグリアスさん…!? 」
「あ、ああ……」
ラッドがチッと舌打ちする。もしかするとちょっと面倒な事になりそうだ。こういう場合は早目に退散するに限る。
「じゃ、俺、先に帰るわ。後は二人でお話してね」
そう言ってラッドはそそくさと人ごみに紛れて姿を消したが、アグリアスの耳には届いていなかった。

ラムザがモジモジしながら一歩一歩アグリアスに近づいて来る。アグリアスはそれを正視出来ずに目を逸らした。
「……今の……見てたんですか? 」
アグリアスの前に立ったラムザが小さな声で問うてくる。アグリアスは少し逡巡した上で正直に言った。
「……うん。ちょっと前から。それにラッドが来て、あの、色々言ってきて……」
色々、の内容を具体的に口にして言う事も出来ず、アグリアスは言葉を濁した。
「じゃあ、あの人が誰なのかも……その、知ってるんですね? 」
ラムザが上目使いでアグリアスを見た。しかし、アグリアスはまだラムザに目を合わせる事が出来ない。
黙ってうなづくアグリアスを見て、ラムザはポツリポツリと話し始めた。

二年ぶりの再会は、やはり全くの偶然だったらしい。ラムザの特徴ある癖毛を女は、エルザは忘れてはいなかったのだ。
エルザはラムザ達がウォージリスを去った後に結婚してドーターに引っ越しており、既に子供が一人いるという。
当時のラムザの純情ぶりをからかうラッドを交えて、思い出話が弾んでしまい(この時、アグリアスのこめかみがヒクついたのを、ラムザは見逃さなかった)
ついつい遅くなってしまったと、申し訳無さそうにラムザは謝った。
「……最後の、アレは何だ。その、再会の約束でもしたか」
ラムザの話を静かに聞いていたアグリアスが、この時になってようやくラムザの目を見て言葉を発した。
自分でも声のトーンが沈んでいるのが分かる。別にラムザの恋人でも妻でもないのに、私は、こんな……

「いえ、その逆です。多分もう会う事は無いから、って、いきなり」
そう言ったラムザの声はむしろ明るさを帯びてきていた。
ラムザはガフガリオンの言葉を思い出す。“この女はここで一番の女だ” 今ならそれが分かる様な気がした。
その女を自分の始めての相手としてあてがってくれたガフガリオンの、いわば親心にも似たその気持ちも。
「あんなにヒョロっとした頼りない感じのコだったのに、ちゃんと生き延びて、すっかりオトコの顔になっちゃって……」
エルザはそういうと突然ラムザを抱きしめて濃厚なキスをし、そして別れ際にじゃあね、と一言だけ残して行ってしまった。
彼女の言葉通り、もう僕らが会う事は無い。偶然再び出会って、少しだけ立ち止まり、またそれぞれの流れの中に戻ったのだと思う。

「本当に、それだけですよ。僕はもうそんな子供じゃないですから」
そういったラムザの顔は、どことなく急に大人びてアグリアスの目に映った。アグリアスの胸の奥で、キュウっと何かが絞られる様な感触があった。
「心配かけてしまって本当にごめんなさい。ラッドは……先に戻って寝たのかな。僕らも戻らないと。アグリアスさん、ちゃんと眠れてました? 」
「え? あ、ああ」
ちゃんとどころか、よだれまで垂らして眠りこけていた事を思い出してアグリアスは赤くなった。
行きましょう、と言って荷物の詰まった皮袋を背負い上げると、ラムザは市場に背を向けて歩き始めた。
アグリアスはしばらくの間、何かを確かめる様に市場にひしめく人の波を見渡していたが、やがて踵を返し、ラムザのもとへ走って行った。

                                                                 (完)
最終更新:2010年03月26日 15:21