※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

屈辱的な姿を幾たびも衆目に晒されたことによる精神陵辱と、
元々の倦怠感とあいまってすっかり憔悴した様子のアグリアスは、
まるで生きた人形のように二人のされるがままになっていた。
レーゼによって首に百八の数珠をかけられ感想を問われるも、返事を返す気すら起こらない。
「一発芸。修行僧アグリアス」
メリアドールが腹を抱えてゴロゴロと床を転がり
「似合う似合う!アグリアスの禁欲的なイメージと絶妙にマッチしてる!」
二人の笑い声をどこか傍観者のように聞きながら、アグリアスはただ
この時が早く過ぎ去ることだけを祈った。
「夕ご飯の支度ができましたよー」
隊員の一人がアグリアスのテントにやってきて、夕飯ができたことを告げた。
聞きなれたその言葉が、今のアグリアスにとっては天使の囁きのようにさえ聞こえた。
「あれ?もう夕飯?楽しいことをしてると時間が経つのが早いなぁ」
「アグリアスもお疲れのようですし、夕飯の支度も整ったそうなので
 わたし達はこれにて失礼しますね」
「夕飯は後で残ったものを適当に持ってきてあげるから。
 じゃあまた明日ね~」
「………」
あー遊んだ遊んだと呟きながらテントを後にする二人を無言で見送って、
アグリアスは暗闇の中に独り残された。
次の日もメリアドールとレーゼはお見舞いと称して
アグリアスで遊ぶためにテントに来訪し、散々身動きの取れない
アグリアスをイジり倒した。
「これでも食べて元気だして」
メリアドールがアグリアスの大嫌いなトマトを目の前に差し出した。
普段は匂いをかぐだけでも嫌悪感を抱くトマトだが、
その赤い色と赤い果汁がどうしても…今意思に反して体が
求めている血液を彷彿とさせてしまい…食べたくないのに反射的に食べてしまう。
不味いと思っていたトマトも、こうした極限状態で食べてみると
意外に美味しいと思うから不思議だった。
「こういう辛い時には眠って時をやり過ごすのが一番ですよ」
レーゼは紐の先に赤い木の実をくくり付けたものを左右に揺り動かし始めた。
「催眠術です。単調な振り子の運動を見つめ続ければ、
 そのうち退屈になって眠くなりますよ」
その原理は間違ってはいないと思うが、紐の先の赤い実が
トマトの時と同じように血を連想させ、アグリアスの意思に反して
勝手に首が振り子の動きに合わせて動いてしまう。
「私で遊ぶなーー!!」
今できる唯一の抵抗も、二人の笑いを誘う以外の効果はない。
メリアドールもレーゼも別に悪気があって遊んでいるわけではなく、
普段は共に剣や武術の鍛錬の良き相棒として認め合い、信頼し合っている仲だ。
しかし今のアグリアスは普段の彼女――己の腕と強さのみを頼りにし、
凛とした佇まいと人形のように整った顔立ちを備えたアグリアスは
どこか神聖不可侵といった印象を与え、常人の手の届かない高嶺に
ひっそりと咲き誇る、硝子で出来た一輪の花を思わせる――とはあまりに
かけ離れた、どこにでもいるただのひ弱な若い女に過ぎず、その上
彼女を彼女たらしめていた、何者にも屈しない純粋が故に美しいその強さは
鉄鎖という現実的でつまらない道具に束縛されてしまっている。
普段のアグリアスを一流の戦士として知っている二人だからこそ、
普段の彼女とのギャップをことさら面白く感じてしまい、千載一遇の
この機会に乗じてアグリアスを遊び倒さないと気がすまないのだった。
夕飯の時を伝える天使の降臨を、アグリアスは今日も待ち望まなければならなかった。
ルナが街に向かってから三日、少しずつアグリアスの容態は
悪化していった。脈が常に速く、呼吸も荒い。意識は朦朧とし、
仲間の呼びかけにもぽつりぽつりと億劫そうに応えるだけだ。
こうなってメリアドールとレーゼもさすがにアグリアスで遊ぶことを自重し、
たまに彼女のもとを訪れては普通の土産を渡し、励ましの言葉を掛ける程度にしておいた。
熱で茹だったような頭で、アグリアスは漠然と考える。
一定時間おきに訪れていた吸血衝動…その間隔が少しずつ
短くなっている。人の血が吸いたくてたまらなくなっている。
喉はどんなに水を飲もうが渇きが癒されることは無く、
その渇きを癒しうる唯一の水は人の血液のみ。
半ば眠ったような人間としての意識と倫理観を
人ならざるものが少しずつ蝕み、取り込まれていくのを感じていた。
それでも長年に渡って修行と実戦で鍛え上げてきた精神力は、
吸血鬼としての心の侵食を多少は食い止めていられるらしい。
まだ隊員達と人として会話することは可能だが、それもいつまで続くか分からない。
この際ルナから手渡された自殺幇助薬の使用も考慮に入れておいた方がいいかも知れない。
少しずつ人外の存在になりつつある自分に恐怖しつつ、
そんな時に心に唯一浮かぶのはラムザの存在だった。
彼と同じ戦場を駆け抜け、共に剣の腕を磨き、幾たびの
絶望と死線を共に乗り越え、同じ場所で同じ季節を過ごすうちに…
いつしかラムザに憧れを抱くようになった自分に気が付いた。
誰もが絶望と死の恐怖に呑まれ、動けなくなった現世に現れた地獄―――
アグリアスさえも剣折れ力尽き、倒れ伏す傍ら…
ラムザは独り剣を構え、強大な悪魔に立ち向かっていった。その背中を…ただ美しいと思った。
その感情は胸を締め付け、時に酸っぱく時に甘い幸せな思いだった。
初めからその恋心を彼に伝えるつもりなどなかった。
密やかに胸の中で愛しみ育て上げた想いの花は…時を経て静かに散らせるつもりだった。
彼と同じ青い空の下で、同じ時を過ごせるだけでよかった。それ以外は何も望まなかった。
それなのに…今はラムザをかつてないほどに恋しく思ってしまう。
自分の痛みを、苦しみを、気持ちを理解して欲しい。救って欲しい。
激しい切なさにさいなまれる中、テントの外からラムザの声が聞こえてきた。
ラムザがテントに入ってきた途端、
それまでグラグラと揺らいでいた視界が急速に正常に戻り
白濁していた思考が一気に沈静していった。
しかしこの状態は、少し前の健康だった頃とは何かが違う。何かがおかしい。
「わざわざ来てくれてありがとうラムザ。嬉しいよ」
微笑みながらそんなことを平然と言い放った後、理性が疑問を訴えた。
「(私は何を言っている…!?)」
こんな朗らかにラムザに語りかけるなど、未だかつて一度も成功したことはない。
「思ったよりも具合が良さそうで安心しました。
 もうすぐルナが帰ってきますね。きっと治療法を見つけてくれるはずです」
「そうだな、そうだといいな。今回は私の不注意でこんなことになってしまい
 済まない。私が血を吸われなどしなければ旅が滞ることもなかったし、
 お前が私を助けるために…自ら兄上に引導を渡すことも無かったはずだ」
「いえ、気にしないで下さい。今まで一緒に戦ってきた仲じゃないですか。
 水臭いですよ。兄のことは…僕自身が逝かせてあげて、よかったと
 思っているんです。兄も満足して逝けたと思っています」
「そうか…優しいんだな。お前は」
アグリアスの自制心に反して、次から次へと勝手に言葉がついて出てくる。
しかもそのどれもが、今まで言いたくとも恥ずかしくて言えないような、
胸の内の想いを直接吐露するような発言だった。
酒に酔って発言が大胆になるような現象とは似ているようで違う。
まるで別人が体を勝手に操って会話をし、冷静な自分がそれを離れた場所から
眺めているような感覚だ。
恋心を伝えられなくとも構わない。せめて彼と自然に話しをしたい。
そんな淡い願いを抱いていても、どうすればいいのか見当も付かなかった。
戦闘時以外では気恥ずかしくて何を話せばいいのか分からなかったし、
優しくされると無意味に反発し、逆に優しくしたいのに冷たく当たってしまう。
こんな風に、自然に朗らかに、素直になって彼と話しをしたかった。
諦めかけていた夢が唐突に叶い、アグリアスは当初感じた違和感のことなど忘れ、
半ば夢見心地でこの自動会話に興じていた。
「なあラムザ…1つ頼みがあるんたが…」
「? 何ですか?」
「服の中に虫がまぎれ込んだみたいなんだ。取ってくれないか?」
「…え…えええ!?」
顔を赤らめ、たじろぐラムザ以上に、アグリアスはパニックに陥っていた。
「(虫など服の中に入っていない!嘘を言っている!)」
アグリアスの動揺をよそに、体は勝手に会話を続ける。
「くすぐったくてしょうがないんだ。早く取ってくれ」
「あぁーーその…しかしですね?アグリアスさんは女性な訳ですから…
 男の僕が服の中をまさぐるというのは色々と問題が…」
「別に問題などない。早くやれ」
「ええ~~っ!?」
普段の毅然とした様子のアグリアスからかけ離れた発言に、
ラムザはただただ困惑する以外に無い。
「それとも何か?私みたいな女には手も触れたくない…と。
 お前はそう言いたいのか?」
「い、いえいえそんな事は…!アグリアスさんは…その…
 綺麗な方ですし…」
「ふふ…ありがとう。ラムザ。嬉しいよ。
 だが口だけなら何とでも言える。態度で示してこその誠意じゃないか?」
「そ…それはそうですが…。
 …メリアドールかレーゼにやってもらうというのは駄目ですか?」
「駄目」
「あ…う…」
何だ…?何なんだこの会話は…?先ほどまでの心温まる会話から一変、
これではまるで猥談…。いや、この際会話の内容はどうでもいい。
こんな会話をさせて、ラムザに服の中をまさぐらせようとしているのは
何が目的なんだ…?何かに体を乗っ取られ、気が付けば口だけでなく
体全体の自由さえも奪われている。
ラムザは自分でない誰かと会話している。それを伝えなくてはならない。
しかしその異常事態を伝えることはかなわず、あたふたとするだけでどうしようもない。
そうこうするうちに、頬を紅潮させたラムザがおずおずと近づいてきた。
「右腕のひじあたりにいるぞ。早く取ってくれ。
 胸や腰の辺りに移動しないとも限らない」
「!! …そ、そうですね…。し、失礼します…!」
ラムザは顔を真っ赤に染めながら、右腕の袖口から手を差し込む。
こんなにも近い距離にラムザがいる。その事実だけでも卒倒しそうなのに、
その上服の中に手を入れられて…アグリアスは気恥ずかしさで
頭がどうにかなりそうだった。
そんな中、ふとラムザの首筋が目に留まった。
「ア、アグリアスさん…虫らしきものは見当たりませんが…」
「ああ。肩の方に移動しているぞ」
「そ、そうですか…」
ラムザはいるはずのない幻の虫を探し続け、アグリアスの顔に
注意が向いていないばかりか、首周りがまるで無防備の状態。
今ならたやすく…。
突然、今まで明瞭だった思考にもやがかかり、
未だかつて無い強烈な吸血衝動が襲ってきた。
動悸が激化し、呼吸が早くなる。重度の酩酊状態のような、
歪む世界、歪む思考の中で、血への欲求のみがアグリアスの全てを
支配しようとする。
血…血…血…他の誰でもない…ラムザの血!
血が欲しい…!愛するラムザの血をこの身に受け入れ…
どうしようもない、抗いがたいこの渇きを潤おしたい!
光に吸い寄せられる蛾のように、アグリアスの顔はゆらゆらと
ラムザの首に近づいていく。恍惚とした表情で…。
アグリアスはすっと目を閉じ、そっと唇をラムザの首にあてがった。
「えっ…!?」
突然首に触れた、柔らかく、温かい感触にラムザはハッとする。
そんな驚いたラムザの声に、アグリアスは急速に覚醒し、今自分が
何をしようとしたのかを理解した。
「ア、アグリアスさん…?今何を…?」
呆然自失のアグリアスに、問いかけるが、アグリアスからの返答は無い。
彼女の頬を、一筋の涙がつたって零れ落ちた。
「……出て行け…」
低く、くぐもった声が静かに響いた。
「…行け…!ここから出て行け!私に近寄るな!」
突拍子も無い発言以前に、ラムザは彼女の涙に唖然としていた。
アグリアスが涙を流す…これは天地がひっくり返る前触れだろうか?
「出て行けと言っているだろう!もう私から離れてくれ!
 こんな私を…見ないでくれ…」
静かに涙する彼女に背を向け、ラムザは言われたとおりに
テントを出て行く。
「ごめんなさい」
悲しい顔で、そんな言葉を言い残して。
ふたたび独りになったアグリアスは、感情を暗い淵へ、静かに沈めていった。
次の日の夜。
空には金色の満月が昇り、ほの明るさが闇を照らしていた。
「おいーっす。夕ご飯もってきたよー」
メリアドールが残飯を片手にアグリアスのテントに入る。
アグリアスはうつ伏せになっており、メリアドールの声にピクリとも反応しない。
「ご飯持ってきたって。夕飯だよ夕飯」
アグリアスの頭をぽんぽんと叩き、返事を待つが一向にアグリアスは
起きようとしない。
「おいコラ、起きろよ。食べるもの食べなきゃ」
アグリアスの頬をぺちぺちとはたく。
アグリアスは冷たくなっていた。闇の中なので分からないが、
肌の色は死人同然に白くなっている。
闇の中で、ぶちん…と何かが引きちぎれる音が響いた。
闇の中から伸びる白い手が、メリアドールの顔を掴んだ。
血の気を失った白い顔…それでも瞳だけは血のような赤い色に染まっている。
「私をおちょくるなと…何度も言っておいたはずだろう?」
「え…?」
二の句を継げさせず、みぞおちに一撃を加えてメリアドールを
昏倒させた。
今まで足を拘束していた忌々しい鉄鎖を引きちぎり、
気絶しているメリアドールの佩剣を奪い取ってから、
アグリアスは五日ぶりに自分の足でテントの外を歩いた。
夜風が頬をなで、空に輝く満月が美しい、気持ちのいい夜だった。
実に清々しい気分だった。歌でも1つ歌ってみたい良い気分だった。
己を縛り付けていた数々の暗鬱な思いは微塵も残さず消え去り、
高揚とした気分で夜の野を踏みしめる。
ラムザに会いたい。会って昨日の非礼を詫びたい。
そして血を思う存分吸って、この素晴らしい気持ちを彼と分かち合いたい。
ラムザのテントへ向かう途中、何人かの仲間と出会った。
彼らはアグリアスの進行を邪魔しようとしたので、
仕方なく適当に相手をしてやった。今まで共に戦ってきた仲だ。
アグリアスも鬼ではない、できるだけ傷つけないように、優しく気絶させてやった。
上機嫌で歩を進めていると、闇の中にぽつんとレーゼが佇んでいた。
「やあレーゼ。いい夜だな」
「ええ、そうですね。でも、こんなことになって残念です」
「私はまるで残念に思っていないが?とても良い気分だ。
 力もあふれ出すようだし、体の調子もとても良い」
「それは結構なことですね。仲間の誰かは殺しましたか?」
「バカを言うな。大切な仲間だぞ?ちょっと眠ってもらっただけだ」
「それを聞いて安心しました。もしも仲間が殺されていれば…
 わたしは友人を手に掛けなければならないところでしたので」
「手に掛ける?なぜ私がお前に殺されなければならないんだ?
 まぁいい。失せろ。レーゼ。私が用のあるのはラムザだけだ」
「止まりなさい。アグリアス。これ以上前に進むと力ずくで捕縛しますよ」
アグリアスは肩をすくめ、ためらわずに前進した。
瞬間、アグリアスの体が宙に浮いた。
今のアグリアスにも視認できない速度で足を払われ、
地面に落下するのを待たずに、わき腹に大砲を思わせるような衝撃が浴びせられた。
アグリアスは宙を吹き飛び、大木に激突して地面にずり落ちた。
この時、木の枝にアグリアスの髪が引っかかり、結われた髪が解かれた。
月の光を吸って濡れたように光る金色の長髪が夜風に揺れる。
何本かへし折られた肋骨が内臓を傷つけ、思わず血を吐き出した。
吐血した血が髪に染み入り、金色を赤黒色染める。
右手を支えに立ち上がろうとするが、うまくいかない。
よく見れば、右腕のひじから先があらぬ方向を向いている。
わき腹に一発入れられた時、同時に右腕も折られたらしい。
仕方ないので両足を使って立ち上がろうとするが、これもうまくいかない。
よく見れば、両足ともへし折れている。足払いの際に折られたらしい。
「ごめんなさいね。剣でも抜かれたら面倒だから、右腕は先に封じさせてもらいました」
竜族の末裔レーゼはドラゴンの化身。
必然膂力、瞬発力、体力共に人間を遥かに凌駕する。
剣の達人、魔法の達人が混在するラムザの隊において、
純粋な肉体の強さでレーゼを上回る者は存在しない。
「痛いでしょうが、我慢してください。本当はもっと
 軽い怪我で済ませるつもりだったのですが…
 人間の体はもろいので、力の加減が難しくて。
 後で回復魔法を施して治療しますよ」
「そいつは気を遣わせて済まなかったな。
 だが私はもう人間ではないから、手加減は無用だぞ」
瞬時に右腕、肋骨、損傷した内蔵と両足を復元させ、レーゼの右足首を掴んで立ち上がった。
手足をへし折られた人間がその場で立ち上がる…
有り得ない事態にさしものレーゼも虚を衝かれ、一瞬アグリアスに宙吊りにされた。
アグリアスはレーゼの足首を掴んだまま、力任せに地面と周囲の樹木に
何度もレーゼの体を叩き付けた。いかにレーゼの肉体が頑強であっても、
今のアグリアスは彼女に勝るとも劣らない怪物である。
レーゼは成すすべなく沈黙した。
「お前はキングベヒーモスよりも丈夫だから、
 これくらいどうってことはないだろう?しばらく眠ってろ」
アグリアスは片手一本で軽々とレーゼを宙吊りにし、
意識を失っている彼女に微笑みかけると、ポイとレーゼを放り捨て、
再びラムザを探し始めた。
その間にも仲間達の足止めを食らったが、今のアグリアスの前には
全くの無力だった。元々隊の中でもトップクラスに強い彼女が極限まで強化されたのだ。
他の隊員に彼女を止められる道理はない。
一人、二人と蹴散らすうちに、ようやく目当てのラムザが現れた。
「こんばんはラムザ。昨日は取り乱したりして済まなかったな。
 お前の血が吸いたいがためにあんなことになったんだ。許してくれ」
「………」
ラムザは無言で剣を構える。そんなラムザを見取り、アグリアスは破顔した。
思い出したように佩剣に手をかけ、鞘から剣を引き抜いた。
「うん。そうだな。せっかくメリアドールから借りてきたんだ。
 一度くらいは使ってやらないと、あいつも怒るだろうな」
月下に映える、透けるほどに白い肌と燃えるような紅い瞳…
金糸を思わせるほど繊細ですべらかな髪は、所々が血で穢れている。
銀色に光る長剣を携えたアグリアスはどこか幻想的で、
この世のものとは思えなかった。
ある人は彼女を悪魔と呼び、またある人は彼女を天使と呼ぶだろう。
「歯ごたえのない奴ばかりで退屈していたんだ。
 少しは私を楽しませろよ」
ラムザが渾身の一撃を見舞い、アグリアスがそれに応じて剣戟を振るう。
剣の断末魔の悲鳴が轟き、柄から切断された刃が地面に突き刺さる。
勝負はたったの一撃で決着がついた。
ラムザの剣が、アグリアスの斬撃によって“斬られた”のだ。
剣で剣を斬る、という神業をさも当たり前のように放った後、アグリアスは嘆息する。
「遅いな。止まって見えたよ」
呆然とするラムザを力ずくで押し倒し、ラムザの両腕を両手で押さえつけた。
「この時を…ずっと待ち望んでいた気がするよ」
ラムザは必死に両腕の拘束を振り解こうとするが、
まるで万力に挟まれたようにびくとも動かない。
「私の気持ちを…私の願いを…ずっと伝えたかった。
 ラムザ。お前が好きだ。愛している」
どうすればこの絶望的状況を打開できるか。必死に考えを
巡らせていたラムザの耳に届いたアグリアスの言葉。
瞬間世界は停止し、アグリアスの澄んだ紅い瞳とラムザの瞳が宙で交差する。
「知っていたか?私はずっとお前を見てきたんだ。
 仲間としてでなく、一人の異性として。
 お前を愛すること。お前に愛されること。ずっとそれを願っていたんだ」
彼女が吸血鬼になっていることなど、ラムザの意中から消え失せた。
なぜなら彼女は、ラムザはおろか今まで他の誰にも見せたことの無い、
穢れを知らない少女のような無垢な笑顔をしていたのだから。
「私の気持ちを知って欲しかったのに、どうしても伝えることが
 できなかった。ただ恥ずかしかったからじゃない。
 思いを伝えてしまったら、私を私たらしめる何かが壊れてしまう。
 お前の傍にさえ居られなくなるかもしれないことが怖かったんだ」
「………」
「私は人間を辞めたがな…まるで後悔していないんだ。
 こうしてお前に胸の内を告白できるようになったんだからな。
 以前の私なら、どうせ誰にもお前への気持ちを知らせることなく
 墓の中まで持ち込んでいたんだろうな」
無邪気にアグリアスは微笑む。その無垢な笑顔に、
ラムザはいつしか恐怖を忘れている自分に気が付いた。
「この身は…この命は世界を正すために捧げるものだとずっと考えていた。
 だが、お前と出会っていつしか考えが変わった。
 世界のためじゃない。お前を護るために、私の命を使おうと思うようになったんだ。
 お前が歩む道を切り開くための、剣になりたいとずっと思っていたんだよ」
「…こんな僕のためにそこまで思っていただいて…うれしく思います。
 …ですが…僕の存在を尊重してくれるのなら…僕を解放して下さい。
 僕まで血を吸われてしまっては、この部隊は崩壊します。
 アグリアスさんを人間に戻す希望も失われます」
「それはできない相談だな」
アグリアスの顔が、ラムザのすぐ目の前まで近づいた。
あとほんの少しで、唇と唇が触れ合う、
お互いの吐息を肌で感じられるような距離。
絹糸よりもなお艶やかで、月の光を浴びて煌めく金色の髪が、
ラムザの胸元に滝のように流れ落ちた。
「言っただろう?今の私には世界などどうでもいい。
 この部隊が解散しようが破滅しようが知ったことではないんだ。
 欲しいのはただ1つ…ラムザ、お前だけなんだから」
あまりに純粋が故に狂気を孕んだその眼差しを、ラムザは
魅入られたように見つめ返す以外に成す術が無い。
「ここまで誰の血も吸わず、必死に喉の渇きを
 我慢してきたのは何のためだと思っている?
 他の誰でもない。お前の血で、心と体の乾きを同時に癒すためだよ。
 愛する男の血というものは一体どれほど甘美な味がするんだろうな。
 正直、楽しみで楽しみで堪らないよ」
小さい舌でちろりと舌なめずりをする。
「…僕は楽しみじゃありません。痛いのは嫌いです」
そんなラムザの答えに、アグリアスは大笑いした。
「バカ。教えておいてやるが、吸血鬼に血を吸われる時には
 もの凄い快感が全身を巡るんだぞ。
 アレを上回る快楽などこの世に存在しない。賭けてもいいぞ」
それは性行為よりも?と内心疑問に思ったが、
アグリアスに尋ねたところで無駄のような気が直感的にしたし、
聞いたら聞いたで彼女の怒りを買って、この場で絞め殺されかねなかったので
そんな疑問は胸のうちだけに留めておいた。
「さて、と…。
 心の準備はできたか?私はもう我慢の限界だ。
 何せ一週間分の我慢だからな。腹一杯吸わせて貰うつもりだが、
 致死量まで吸ってお前が死んでしまっては元も子もない。
 ヤバそうだったら遠慮せずにちゃんと知らせろよ」
「………」
目を閉じてラムザの首に口を寄せるアグリアスに、
ラムザは最後の抵抗を試みた。
「アグリアスさん」
「…何だ。せっかくいいところだったのに」
「アグリアスさんみたいな立派で綺麗な女性が僕みたいな人間を
 愛してくれて…とても嬉しく思います。お世辞ではなく、本当に。
 でもここで世界の危機を放り出して、旅を止める訳にはいかないんです!
 僕のために命を賭けてくれているみんなの為にも。
 僕のせいで死んでしまったティータやザルバック兄さん…
 今もどこかで苦しんでいる大勢の人たちの為にも…
 僕は世界を救う日まで、絶対に負けられないんです!」
ラムザの言葉をきょとんとした様子で聞いていたアグリアスは
苦笑を漏らした。
「アグリア…」
唐突に、唇を重ねられた。
訴えるべき言葉はアグリアスの突然のキスによって奪われてしまった。
ほんの数秒の、唇を重ね合わせるだけの淡い口づけ。
柔らかい感触と、かすかに感じる彼女の吐息。彼女の香り。
ラムザはその感覚に陶然とし、一瞬思考が真っ白になった。
唇を離したアグリアスは、頬を赤く染めてぽつりと呟いた。
「お前のそういうところが…好きなんだ」
熱を帯びた紅色の眼差しに、ラムザは何も言い返せなかった。
「いいから黙って私のものになれ。世界も仲間も、過去も未来も、
 何もかも関係ない。それらは全て無意味だ。
 私とお前…二人の今。必要なのはそれだけだ。
 私を受け入れ、私を感じてくれ。私もお前を受け入れたい」
今度こそラムザの返答を待たずに、アグリアスは一気にラムザの
首筋に顔を近づけた。
「大好きだ。ラムザ」
最後にそう言って、アグリアスは唇を首筋にあてがった。


最終更新:2010年03月26日 23:53