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爆発の直撃を受けたときも酷い有様だったが、
アグリアスの今の状態は、それにも増してさらに酷い。
全身に力が入らず、腕は剣を満足に支えることが
できないほどに震えている。腕の震えにつられて、膝まで笑い出していた。
もはや、自身の体重を支えられないほど体がボロボロに
なっている証である。
めまいと吐き気に襲われる中で、少し気を抜けば即座に気絶…
場合によってはそのまま死ぬかも知れないことは、本能的に察しがついた。
揺らぐ視界の中央に立つセリアは、足元に転がる、
血だまりの中に沈むレディの骸を見つめていた。
相変わらず、人形じみたその顔には表情も何も浮かばずに、
彼女の目には、夜の砂漠のように冷たく乾ききった色しか宿っていない。
右手は壊れて使い物にならず、あまつさえ死にかかっている
アグリアスが、目の前の万全の状態のセリアに勝つ見込みは、
どう考えても少なすぎる。
両者共に万全の状態で戦えたのなら、剣の地力が上である
アグリアスが勝つであろうが、現実は常に非情で過酷だ。
アグリアスが生還できる可能性は、ほぼゼロに近かった。
ならば刺し違えてでも、セリアはここで倒さなくてはならない。
ここでセリアを止められなければ、ラムザが殺される。
自分など、ただの戦闘要員の一人にすぎない。
代わりはいくらでもいるが、隊のリーダーたるラムザは唯一無二の人間。
断じて、失うわけにはいかない。

「(死なば諸共…)」

アグリアスは、左手の剣柄をゆるゆると大きく引き絞り、
切っ先を正眼の高さに構えてセリアをにらみ据える。
アグリアスの採った剣の型は、防御を捨てた、捨て身のカウンター型。
己の死を前提にした、死してもなお敵を殺さんとする執念の剣である。
これから死のうという時にも、アグリアスの心は乱れなかった。
命を捨てる覚悟など、とうの昔に済ませてあるからだ。
ここで死んでも、本望であるとアグリアスは思っていた。
命とは、目的を果たすために使うべきものであり、
ただ生き永らえたところで、目的も目指す場所ももたずに、
死なないために生きているような人生に、意味などない。
セリアを殺して、ラムザを生かす。
その代償が自身の命であるのなら、そう悪い条件ではない。
永く身を投じてきたこの戦いの結末を、この目で見届けられないのは
残念であるが、こればかりは仕方の無いことだった。
セリアも両手の侍刀を構え、アグリアスを殺すべく前傾姿勢をとる。
次の一撃で、決着がつく。
セリアの手に納まった2振りの刀が、薄暗い部屋の中で
かがり火の光を映して、妙に白く、眩しく輝いていた。
冷たく光る刀身を、美しいと、なぜかアグリアスはぼんやりと
思っていた。
刀を振りかざし、セリアがアグリアスに迫る。
アグリアスは、生き残ろうとは最初から思っていない。
ここで、セリアを殺せるのなら、死んでも構わなかった。
セリアの繰り出した、風斬りでうなる白刃が、アグリアスを刃圏に捉える。
はなから命を賭した、カウンター狙いのアグリアスは、後手に回って、
セリアを絶命しうる剣戟を見舞う。
ところが、セリアの剣の軌道と、狙った場所は、
アグリアスが予想だにしないものだった。
刹那の驚愕がアグリアスの胸中を駆け抜けたが、
体は自然にセリアの動きに応じ、当初の目的を遂行するために動いた。
生まれた日から背負ってきた全てをのせた刃と刃が交わり、
互いの道程が刹那の間に交錯し、一方のそれが、儚くついえる。
アグリアスとセリア。
2人の血が、床に広がった。
アグリアスの頬に、一筋の斬り傷が刻まれていた。
傷から溢れ出る鮮血が、ぱたぱたと床に零れ落ちる。
女の貌に刀傷など、魂を直接斬り刻まれたようなものであるが、
それでも致命傷には程遠い、軽傷でしかないものであった。
油断無く左手の剣の切っ先をセリアに向け、
残心するアグリアスの頭を一つの疑問が支配していた。

「(何故…こんな真似をした…?
 殺そうと思えば、簡単にできたはず……)」

傷を負いながらも生きているアグリアスに対して、
セリアは致命傷となる斬撃を、その身に刻まれていた。
斬られた首からは、とめどなく赤黒い血が噴出している。
あの出血量では、もはや助かる見込みもなかった。
そんな自明の理が、理解できないはずはないのに、
セリアは、まるで全てを悟ったかのように、そこに静かに佇んでいた。
最後の時がもう間近だというのに、セリアの無機質な
表情には、少しの変化もなかった。
暗い目で、アグリアスの顔を…顔の斬り傷をじっと眺めている。
そして、視線を両手の侍刀に移し、少しだけそれを
見つめた後に、すっ…と、2振りの刀を床に落とした。
戦いを、殺し合いを放棄した証だった。
刀は床に落ち、澄んだ音を立てて、動かなくなった。
強い眠気に襲われているかのように、セリアの瞼は勝手にとじて、
その度に、セリアは瞼を上げる。失血死寸前の状態だった。
そしてセリアは、斬り口から吹き出す血に、そっと、右手を添えた。
そこから流れ出す、命の温かみを確かめるかのように。
やわらかく瞼を下ろし、かすかに笑ったような表情をした。
漆黒の夜空に瞬いては儚く消える、流れ星のような微笑みだった。
セリアは最後に、ぽつりと呟く。

「わたしも、ここで君と降りることにする」
そう言い遺して、セリアは両膝を折り、血だまりの中に倒れ付した。
しばらく剣を構えたまま、セリアが本当に死んだことを確認すると、
アグリアスは片膝を床について、荒い呼吸に肩を上下させる。
本当に、死ぬ寸前だった。今こうして生きていられるのは、
奇跡以外の何物でもない。
アグリアスは安堵の息を思わず漏らし、気を抜いた途端、

「………ッッ!!」

おびただしい量の血が、アグリアスの喉をついて吐き出された。
つんのめって吐血を繰り返すアグリアスの傍に、新たな血だまりが
次々と作り出される。
レディに何をされたのか、アグリアスが知ることはもうできないが、
左胸が灼けるように激しく痛む。
無防備な体の内側に、強力な酸をぶちまけられたような感覚である。

「…う…ぐっ…くっ…」

激痛に喘ぐアグリアスは、上半身を支えられなくなり、
床に倒れ付しそうになって、思わず右手で体を支えてしまい、
更なる痛みに全身を蝕まれた。
右手の指のうち、親指、人差し指および中指の骨が砕け、
本来ありえない方向に指が捻じ折れている。
薬指と小指も無事では済まず、傷だらけの上に爪がはがれかかっていた。
指は、人が生きていく上でなくてはならない大切で繊細なものである。
そのため、指は痛みにかなり敏感であるように出来ている。
その性質を利用して、指と爪の間に針を刺し込んだり、
生爪をはいだり、指の骨を折るといった拷問方法が一般に採られる
ほどである。
痛み以外の感覚が無い右手の損壊は、影を縫う手裏剣の呪縛から
脱出するために支払った代償である。
高い買い物ではあったが、指が消し飛ばなかったのは僥倖だった。
あの爆発の威力からすれば、そうなってもおかしくなかったが、
指は何とか、5本とも手のひらについている。
骨は折れても、時間をかければ元に戻る。
指自体を失っていれば、もう右手で剣を握ることさえ不可能だった
のだから、不幸中の幸いである。
しかし、そんな幸運をも帳消しにするほどの胸の激痛が、
絶え間なくアグリアスを責めさいなむ。
いつ終わるとも知れない吐血を繰り返し、アグリアスの口の中は
血の鉄さびの味で満たされて、それだけで吐き気を催させた。
怪我をするのは、珍しいことではない。
重量級の攻撃を受け流せずに、肋骨が何本か砕けたこともあるし、
腕や脚も何回か折れている。
打撲、擦過傷は日常茶飯事であったし、痛みには慣れている
つもりではあったが、今回のように、繊細な手先がグシャグシャに壊れ、
その上内臓系に深刻なダメージを負うというのは、
共に初めての体験であり、両方ともかつてないほどの
苦痛をアグリアスにもたらした。
アグリアスが知る由も無いが、レディが死にぎわに放った息根止は、
アグリアスの心臓を破裂させることこそ叶わなかったものの、
大きな損傷を心臓に与えたのは確かだった。
即死させることはできなくとも、レディが遺した死の刻印は、
じわじわとアグリアスの心臓と命を蝕み続け、このまま放っておけば、
アグリアスはいずれ確実に、心不全で死亡する。
理解を超えた直感が、アグリアスの脳裏を去来し、
まもなく死ぬであろう己の運命を本能的に察知しつつも、
アグリアスは、壊れかかった己の体も顧みず、
左手に持った剣を支えに、震えながらよろよろと立ち上がる。
未だエルムドアと戦っている、ラムザの加勢に向かうために。
エルムドアの異常な膂力によって繰り出される長物の斬撃を、
ラムザはその手の騎士剣で受けるも、威力を殺しきることは叶わず、
後方に体ごと弾き飛ばされ、靴底と床を摩擦させることで体を止める。

「セリア。レディ。
 死んだか」

長物を構えながら、エルムドアは何の感慨ももたない様子で呟いた。
ラムザがはっと見やれば、血の海に沈む2人の殺し屋の死体と、
所々が血に汚れたアグリアスが、ふらふらとラムザ達に近寄ってくるのが
見て取れた。

「2人がかりで1人の女も仕留められないとは…
 不甲斐ない。
 死んで当然だな」

冷徹にそう吐き捨て、懸命に歩み寄るアグリアスを一瞥し、
その美貌に刻まれた傷跡に、エルムドアは憎々しげに歯噛みした。

「女を殺し損ねるのみならず、あまつさえ
 命令違反…度し難い醜態だ。
 消えろ。
 恥晒し者どもめ」

そう言ってエルムドアの剣が仄かな光をまとい、長物を一閃させると、
刀身から放たれた剣気はセリアとレディの屍骸に直撃し、
2人の死体は音も無く崩壊し、砂のようになって、いずこへと消え去った。

「やれやれ。無能な部下をもつと苦労する。
 君の仲間は優秀なようだ。羨ましい」
この期に及んで、エルムドアは笑顔を浮かべてラムザと
アグリアスの2人に話しかける。

「仕切りなおしが必要なようだ。
 私も手駒を2つ失い、彼女もどうやら命が危ないらしい」

アグリアスは努めて平静を装い、健気に剣を構えているが、
見る者が見れば、彼女が著しく消耗しているのは明らかだった。

「彼女の健闘に敬意を表し、ここは私が引くとしよう。
 君の仲間を、まとめて連れてきたまえ。
 私も全力をもって、それを叩き潰す。
 地下で待っている。そこで、決着をつけよう」

エルムドアの手の長物がふっと消え、その直後に、
エルムドア自身もまた、幽霊のように実体がおぼろとなり、
その場から消え去った。
部屋の中からエルムドアの気配が消えたのを確認すると、
アグリアスは糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
心身ともに、もう限界を超えて酷使していたのである。
そもそも、不完全版とはいえ、レディの息根止の直撃を受けて、
その後に立って歩けるアグリアスの体力と精神力が、
常軌を逸していたのである。
ラムザは即座に剣を鞘に納め、アグリアスに駆け寄った。

「アグリアスさん!大丈夫ですか!?」

うつ伏せのまま動かないアグリアスは、上半身がゆるく上下
していることから息はまだあることは伺えるが、危篤状態で
あることは、医学の心得がない素人目にもはっきりと見て取れる。
ラムザは細心の注意を払って、うつむけのアグリアスを、
そっとあおむけに起こす。

「…う…あ…ら、ラムザ…?」

薄く目を開けたアグリアスは、喋ることさえも億劫そうにしていた。
口元に血を滲ませ、顔色は蒼白になりつつある。

「アグリアスさん!大丈夫ですか!?」

「…ば、…馬鹿かお前…。み、見て…分からんのか。
 死にかけ…なんだ…よ」

そんな皮肉めいた言葉を吐いて、アグリアスが咳き込む。
鮮血の飛沫は、ラムザの衣服にも黒々とした染みを形作った。
アグリアスの顔には痛ましい斬撃の跡が刻まれ、
右手の指は見るも無残に半壊していたものの、
それ以外は目立った外傷もない。
しかし、アグリアスの疲弊具合は尋常ではない。
とにかく、応急処置を施さなくては彼女が死ぬ。

「少しの辛抱です。我慢して下さいよ」

ラムザはそう言って、返事を待たずにアグリアスの肩と
膝の下に両手を差し入れ、そのまま抱き上げた。
意識もおぼろであるはずなのに、アグリアスはこの時だけ
なぜか急速に覚醒し、大声を上げた。

「ば…!馬鹿!この馬鹿!な、何をするんだ!
 あ、歩ける!歩く!自分で歩く!離せっ!」
「何言ってるんですか!死にかけだって、さっき自分で
 言ったくせに!」

蒼白だった顔をほんのり紅く染めて、のろのろもたもたと
腕の中で暴れるアグリアスをよそに、ラムザは安全な場所を探す。
エルムドアは地下で決着をつけるなどと言っていたが、
それは嘘で、不意打ちを仕掛けてくる可能性も考えられる。
部屋が一望でき、さらに部屋の入り口をも監視できる
位置が治療場所として望ましい。
その条件に合った場所を見つけ、ラムザはアグリアスを
抱きかかえたままそこに走り、アグリアスをそっと降ろして
背中を壁にもたれかけさせた。

「…ひ、人が、動けないのを…いいことに…
 や、やりたい放題やって…!ひどい奴…!
 い、いいかっ!? 誰にも…言うなよ! 誰にも!」

「はいはい。誰にも言いませんよ。
 …アグリアスさん、やたら元気ですけれど、
 本当に死にそうなんですか…?」

「あ…あ…当たり前だっ…!重症だ…!」

怒りと恥辱で顔を赤くしながらそう言って、
アグリアスは再び咳き込み、わずかに吐血する。
元気なように見えても、重傷を負っているのは間違いない。

「どこを怪我したんですか?右手が酷いのは分かりますが、
 それ以外は特にそれらしい怪我は見当たりませんが…」
「…胸…だ。あの殺し屋の片割れに…何かを…された。
 左胸が…焼けるように…痛む…」

「アグリアスさんの服には何かの攻撃を受けたような
 痕跡が見られませんが…打撲か何かでしょうか?」

「分からない…。首を掴まれて…一瞬…気絶したと思う。
 そ、その間に何か…された。打撲かも知れないし…
 そうで…ないのかも…」

「分かりました。とりあえず、患部を見てみないことには
 治療方法が分かりません。
 痛む箇所をじかに見せてください」

ラムザはナイフを取り出して、アグリアスの眼前に近寄った。

「……? お、お前…ソレで…何する…つもり…だ…?」

「何って…ナイフでアグリアスさんの服を裂いて、
 痛む箇所を見せてもらうつもりですけれど」

「…!!! ば、馬鹿! 何…考えてるんだ!!
 ふざけるな…! この…変態…!! 犯罪者!」

「ちょっ…お、落ち着いて下さい!暴れると傷が広がります!」

「み、見損なった…!見損なったぞ、ラムザっ…!
 動けない女…を…もてあそぶなど…悪趣味にも…程がある!
 は、恥を知れっ!恥を!」
ボロボロになった右手を振り回し、血を吐きながら
じたばたと足掻くアグリアスを見て、「強い人だなぁ」と、
ラムザは半ば呆れながら思っていた。
アグリアスの被害妄想…というよりも思い込みが強いことは
いつもの事だったので、ラムザは特にうろたえる様子も見せず、
淡々と応対する。

「誤解ですよ。アグリアスさん。決して変な気持ちで
 服を切るわけではありません。
 患部を見なければ、対処方法が分からないから
 やむを得なくさせてもらうのです。
 おかしな真似は一切しないと誓います。
 ラムザ・ベルオブの名と誇りにかけて、誓いましょう」

ラムザの真摯な態度と眼差し、アグリアスはようやく平静を取り戻す。
すっかり紅く染まった顔をちらりちらりとラムザに向けて、ぽつぽつと
アグリアスは応える。

「……ほ、本当…だな…? 変な事をしたら…刺す…ぞ…?
 お前の…護衛役…辞めるぞ…?」

「本当ですよ。約束は、絶対に守ります」

「……信じてやる…さっさと…済ませろ」

最終更新:2010年03月27日 00:15