一方そのころ。
「猫がこんなに可愛いなんて思わなかったわ」
「ははは、もうすっかり懐いちゃいましたね」
 …アグリアスが陥落していた。メリアドールのされるがままに、ぐったりとしたまま眠りに落ちていた。
 名うての剛剣の使い手は、対象の猫の精神も粉々に粉砕するという、剛『指』の使い手でもあったと
いうわけだ。ときに御両人、タイタンの地響きもジェニックの絶叫も聞いてなかったんでしょうか。


 そんなのんきな二人の元へ向かうマラークとクラウドは、アグリアスを探していた。
「ところでクラウド。アグリアスが何にされていたか、お前知ってるか?」
「……白い…動物だったな。狸やイタチ…じゃないと思うが、その辺りだ」
「白い…」
 そう言われて、カエルにされた後遭遇した、白い猫を思い出す。
 と、同時に、メリアドールの膝の上で眠る白い猫が目に入る。
「もしかしてあの猫が…アグリアスか!?」
 そう言ってマラークがぐったりした猫に駆け寄った。
「…え?」
「すまんラムザ、ちょっとその猫を借りるぞ!」
 おおわらわで猫を取り上げるマラークに、なんのことやらと目を丸くするラムザとメリアドール。
「…どうだ!?」
 万能薬を振りまくマラークと、きらきら光を振りまきながら人のかたち…アグリアスの姿に変化する猫の
様子に、ラムザとメリアドールが呆気に取られている。
「良かった…助かったよラムザ。彼女を捕まえていてくれてありがとう」
「トードの応用…というか、失敗例だ。他に類を見たことはないが」
 ラムザとメリアドールの驚きように老婆心が働いたのか、クラウドが一言呟いた。もっとも、彼らが
言葉を失っている理由はそちらではなく、さっきまでさんざ弄っていた猫がアグリアスだった、という
点なのだが、勿論そんなことはクラウドが知る筈もない。
「おい、しっかりしろ、アグリアス!」
「…?」
 マラークに肩をゆすられてアグリアスがゆっくりと目を開けた。しかしその瞳はぼんやりしており、
虚ろというか寝ぼけ眼というか、心ここにあらず、といった雰囲気である。
「ど、どうしたんだアグリアス?」
「…待て、様子が変だ」
 揺り起こそうとするマラークをクラウドが制した。
「ア…アグリアスさん?」
 ラムザがおそるおそるアグリアスに近づくと、なぁ、と猫なで声を上げてアグリアスがごろりと
身を起こす。その仕草は猫そのもので、近づいてきたラムザを見るなりアグリアスは四つんばいで近づいて、
ラムザの脚に首筋を擦り付けている。
「ど、どういうことだ!? ラムザ、これは一体…!」
「…マラーク。これは俺の推測なんだが」
 先ほどから顎に手を当てて考え込んでいたクラウドが口を挟む。
「…確か、相手を鶏に変化させる術があったな?」
「あ、ああ、狐鶏鼠のことか。それがどうかしたのか?」
「たとえ勇敢な人物でも臆病者になる、つまり身も心も鶏のようにする変化の術が存在する…と考えれば、
 アグリアスがかけられたのも、身も心も猫にする術、と考えるのはおかしいか?」
「いや、今回は単なるトードの失敗だろう? そんな付加効果があるようには…」
「失敗だからこそ、とも考えられるぞ? 今のアグリアスの状態は…」
 クラウドとマラークが取り留めのない推測を論じている傍で、多分自分たちのせいだろう、と
冷や汗混じりに視線を合わせるラムザとメリアドール。アグリアスはなおもラムザの足元をぐるぐる回っている。
「と、とにかく、アグリアスさん、しっかりしてくださ…うわっ!?」
 しゃがもうとしてバランスを崩し、ラムザが派手に尻餅をついた。
「痛たた…えっ? う、うわ!?」
 ラムザの足元からするりと身をかわしたアグリアスが、今度はラムザの上に覆い被さってすんすんと鼻を
鳴らし始めた。眼前に迫ったアグリアスのうっとりした表情に見惚れてラムザが動けなくなったのもつかの間、
さてはミルクの臭いでも嗅ぎ取ったのだろうか、なんと今度はアグリアスがラムザの口元をちろちろと
嘗め始めたではないか。
「わ、わーーー!?」
 流石のラムザもこれには顔を真っ赤にしてアグリアスから逃れようとする。しかし全体重と腕力をもってして
押さえ込もうとするアグリアスが相手では相当に分が悪く、顔は見る見るうちに嘗め尽くされていく。傍らでは
メリアドールとマラークが、なんだか見てはいけないものを見てしまったような顔で茫然とし、終始冷静を装う
クラウドは依然として表情こそ変えていないが、ごくり、と唾を飲み込んでいる。
「たっ、助けて! メリアドールさーんっ!」
「え…っ? …あ、あっ、アグリアス! しっかりなさいっ!」
 ラムザの助けを求める声に我を取り戻したメリアドールが、アグリアスの両肩を掴んでラムザから
引き剥がす。食事の時間を邪魔されたかのように不機嫌そうにアグリアスがうめいていたが、自分を抱えた
メリアドールを見るなりその表情が緩んでいく。同時にメリアドールが危険を察知するも、遅かった。
アグリアスはそのままメリアドールに寄りかかり、そのままの体勢でのしかかる。
「きゃああ!?」
 派手に転ばされて、今度はメリアドールが悲鳴をあげた。
 気が付けば、ラムザと同じように尻餅を付いたメリアドールの両脚の上に、アグリアスが丸くなって
すうすうと寝息を立てている。
「ちょっとアグリアスッ!?」
「待った、起こさない方がいい。彼女の意識が猫のままである以上、下手に刺激して逃げられても困る」
 常に前線、ゆえに重装備のアグリアスにのしかかられて、悲鳴をあげない女性などいない。
とはいえマラークが言うことも一理ある。しぶしぶメリアドールが押し黙る。
「それにしても、なんでこんなことに」
「それはこっちの台詞よ…ねえラムザ? …ラムザ?」
 そのラムザといえば、顔中涎まみれにして涙目のまま茫然自失。まあ、突然迫られて顔を嘗めまくられたら
びっくりするというか、ショックで固まるのも無理もないだろう。しかもそれが自分の仕業とあっては尚更か。
「…俺も手遅れだったらトカゲになりきっていたということか…カエルじゃなくて良かった…本当に良かった」
 クラウドが恐怖の余り涙するが実際にはそんなことはなかっただろう。少なくともこの部隊にトカゲを
可愛がる趣味の人間がいるとは思えない。
 泣きながら真剣に頷くクラウドに、メリアドールが自分の膝の上で幸せそうに熟睡している大きな猫を指差した。
「しみじみ言ってないで、早くアグリアスをなんとかしてよ…」
「とりあえずキャンプへ連れて行こう。皆に報告しないと」
「あ…ちょ、ちょっと待って。とりあえず今回の騒ぎ、アグリアスの件は出来るだけ内密にして」
 まさかアグリアスが性格まで猫になった原因が自分たちにあるとあっては、後々どうなるかわかったものでは
ない。思わず隠蔽工作に走るメリアドール。
「何故だ」
「えっ? あ…その…ほら、皆に要らない混乱を招く可能性があるし、面白半分でアグリアスをからかったり
 しない人もいないわけじゃないでしょう? 精神的ダメージなわけだから、悪化させないためにも
 そっとしておくべきだと思うわ?」
 妙に鋭いクラウドの問いにどぎまぎしながら出任せ半分で返す。
「そうなると、アグリアスの看病をするのもメリアドールになるけど、いいのかい?」
「え、ええ。それでいいわ。ラムザにも一緒にいてもらうけど、いい?」
「それはラムザと一緒に決めておいてほしい。さ、行こうクラウド」
 それだけ告げて、マラークとアグリアスを背負ったクラウドが歩き出す。
 一方のメリアドールは、ラムザを介抱する素振りをしながら二人と距離が出来たのを確認した瞬間。
「ラムザーーーーッ!!」
 ラムザの両肩を押さえてがくんがくんとゆすりだした。
「一体どうするのよぉぉぉおお!!」
 脳味噌を力の限りシェイクされて、ようやくラムザがこちらの世界に戻ってくる。
「…はっ!? ど、ど、どうしましょうメリアドールさんッ!! ももももしアグリアスさんがああああの
ままだったらッ!?」
「うっ…ま、まずは顔を洗った方がいいと思うわ」
 錯乱しつつ涎と涙でぐずぐずになったラムザの顔に、メリアドールは一歩二歩と後退りしたのだった。

 かちゃかちゃと、メリアドールがテントの中で横たわるアグリアスの鎧をはずす。
「…人の気も知らないで、随分と気持ち良さそうに寝てるのね…」
「…ははは…」
 ラムザはコメントに困っている。鎧がはずされ、衣服だけの状態で眠るアグリアス。
「………」
 そしてその眠り姫を、食い入るようにじっと見つめる二人。
「ねえ…」
「はい?」
「さっきまで可愛がってた猫が、アグリアスだったってわけよね…」
「え、ええ…そうですね。変な感じですね…」
 微妙な沈黙が周囲を支配する。
 と、何の前触れもなくメリアドールの手がアグリアスに伸びた。
「?」
 どうかしたのかとラムザが訊こうとする前に、メリアドールの指がアグリアスの喉元を撫でていた。
「メ、メリアドールさん!?」
「えっ!? あ、ご、ごめんなさい!?」
 慌てて手を引っ込めるメリアドール。喉を撫でられたアグリアスは、んん、と気持ち良さそうにうめき、
顔を緩ませてなお眠り続けている。
「い、一体何をしてるんですかっ!?」
「だって、さっきの猫のイメージが頭から離れなくて…アグリアスの寝顔を見てたら、つい」
「だからってそんなことをしたら、精神がずっと猫のままかもしれないんですよ!?」
「うっ…そ、そうね」
 アグリアスを起こさぬよう、ラムザが小声で説教する。
「我慢してください、僕だって我慢してるんですから」
「はい…」
 注意されてメリアドールがしゅんと小さくなった。
「でも…我慢してるってことは、触ってみたいってこと?」
「………」
 ラムザは答えない。が、耳まで真っ赤なので否定していないようである。
「もー、ラムザも可愛いところがあるのねー。ほらほら」
「や、やめてください! 僕だって猫じゃないんですから! ど、どこ触ってるんですか!?」

 そんなやり取りがあって、触るの触らないの、撫でるの撫でないの議論を超えて、夜が明けて。

「ん…っ」
 ついにアグリアスが目覚めようとしていた。
「アグリアス!」
「アグリアスさんっ!?」
「?」
 しかし、どうも様子が変だ。やはり猫のままなのだろうか?
「しっかりしてください! アグリアスさん!」
「アグリアス!? 私が誰だかわかる!? ねえ、アグリアス!?」
 二人の顔は…私を可愛がってくれている…いや、違う。この二人の目は『私』を見ている目だ。
「…な、なんだ? 私はなにをしていたんだ…?」
 必死の二人の呼びかけによりアグリアス覚醒。おかえりなさいアグリアス。
「よ、よ、良かった…」
「アグリアスよね? あなたはアグリアスよね!?」
「一体何を言いたいのかわからんが…私がアグリアス以外の誰だと言うんだ?」
 その言葉に、メリアドールとラムザがわっと泣きながらアグリアスに抱きついた。
「なんだ!? 何事だ!? いや、それより二人とも、その目の下のくまはどうした!?」
 聞きたいことは山ほどある。それよりも、二人に抱きつかれると不思議とあたたかな気持ちになる。
手の感触や、におい…思い出そうとしても、それが何だったのかよく思い出せない。
「…なんだか、不思議な夢を見ていたような気がするな…」
 ぼんやりとした思考の中で、アグリアスは夢の中で見たやさしい手のひらを、ふっと思い出すのだった。

「…あ」
 とか言ってる間にどうやら全部思い出したらしい。

 さて、その後の顛末。
「よおムスタディオ…どうしたんだその石鹸」
「これか? 銃の手入れをしたらちゃんと手を洗えってアグリアスがさ」
「ふーん」
「ところでメリアドールは? 伯が呼んでたんだけど、ラッドは知らないか?」
「ああ、あそこだあそこ。ほら、あの猫の山の真ん中」
「うへえ…どうやって呼んだんだよあのたくさんの猫」
「ちょっ、クアール来てるよクアール! 何のんきに手懐けようとしてんだよメリアドール!」
「危ねえ! 待ってろ、今すぐ誰か呼んでくる!」
「待て…すげえ、ものの3秒で手懐けた」
「マジで!?」

 ラヴィアンはあれから一晩ずっと逃げ回っていたようで。
「ったくもー、あたし何か悪いことしたっけ? アグリアス様ったら妙にあたしを避けちゃって…って、
 ちょっとそこ行く不審者ラヴィアン! あんたあの後一体何処をほっつき歩いてたのよ!」
「えっ!? んー、ちょっとお散歩がてらに~…あ、ほら、他に増援とか伏兵とかがいないか斥候してたのよ」
「滅多に使わない言葉を使わない! あんたの文章、あからさまに変よ」
 ラヴィアンの苦しい言い訳に、アリシアが呆れてため息をつく。
「あの…アリシアさん、夕べは一緒にいてくださってありがとうございました」
 その背後から深々と頭を下げるラファに、慌ててアリシアが表情を緩ませる。
「あ、ラファちゃん大丈夫? ごめんねラヴィアンのせいで…」
「はい、多分、もう大丈夫…です。アリシアさんがいて安心しました」
「そう、それなら良かった」
 微笑むアリシアに、思い掛けぬラファの一言が放たれた。
「あの…今度から姉さんって呼んでもいいですか?」

「…え゜?」

 アリシアが異音を発してフリーズした。
「一緒にいてもらってた間、すごく安心して…まるでお母さんみたいって思ったんだけど、それじゃちょっと
 失礼ですし、アリシアさんだったら姉さんかなあ、って」
 ちょっと頬を赤くしながら、ラファがもじもじと口を開く。
「いいですよね、姉さん?」
 可愛らしい微笑みを浮かべてアリシアに抱きつくラファ。固まったアリシアが顔だけマラークに向き直るも、
「ラファを立ち直らせる方法が…残念ながら思い浮かばなかった」
 首を横に振り、そして深々とアリシアに頭をたれるマラーク。
「…妹をよろしくお願いします、義姉上」
 魅惑のアリシアお姉さま、ここに爆☆誕!(ナレーション:ラヴィアン)
「ちょっとおおおお!?」
「あーあ、アリシアったらますますアグリアス様に似てきたわねえ」
「…ラヴィアン…あんたが原因でしょーがッ!!」
「オホホホホホホホ」
「だから逃げるなッ! あ、ラファちゃんちょっと放してくれる? …マラーク助けてぇえ!」

 メリアドールが猫好きになった一方で、この人は。
「あら、伯、顔色が優れないようですけど、どうしたんですか」
「い、いやあ…その、なんじゃ、ちょっと疲れててな。ず、随分猫に好かれておるようだな」
「ええ。ほら、可愛いですよ」
「ち、ちちち近づけんでくれ! ど、どうも猫は駄目なのだ!」
「え? そ、そうなんですか? …こんなに可愛いのに…というか、伯は苦手でいらしたんですか」
「うむー…」
 猫が苦手のはずだったメリアドールに自分の剣を後継させようとしていたシドの目論見はあっさり外れてしまう。
 ちなみにシド、勿論本人がその理由を知る由もないが、アグリアスには口もきいてもらっていない。
「この剣術、誰に継承すればいいものか…はぁ」
 暗黒剣を覚えたがっていたラッドに伝授しようかのぉ…などと考えるシドであった。

 そして肝心のアグリアスは、というと。
「…二人とも、皆と一緒に休憩してきたらどうですか」
「ん? いやいや、俺たちのことは何も気を使わなくていいんだよラムザ」
「そうよ、私たちのことは全然気にしなくていいのよ」
 長いすの上でラムザの膝枕で眠るアグリアスを見ながら、その対面に座るベイオウーフとレーゼがにこにこと
笑っている。
「…僕が気になるんです。二人ともそうやってあからさまににやにやして…」
「だって幸せそうなんだもの、こんなにほのぼのしてたら、ずっと眺めていたいっていうのが心情じゃない?」
「そうだぞ、できることなら俺もすぐにでもレーゼを膝枕してあげたいくらいだ」
「あら、膝枕するのは私のほうだと思うわ」
 はしゃぐカップルにラムザは人差し指を口に当てて言う。
「あの、お二人とも、騒ぐのでしたら、外に移動をお願いできますか」
「あらあら、体よく追い出されてしまったわ」
「仕方ないな、この場は二人に任せるとしよう」
 最後の最後まで二人を冷やかしながら去っていく二人。
「ふう…」
 …前はお昼寝なんてするような人じゃなかったのに。
 ため息を漏らすと、自然と膝の上で寝息を立てているアグリアスに視線が行く。つん、と頬をつつくと、
くすぐったそうに身じろぎして、また寝息を立てる。
「………」
 ぼんやりしながら、こういうのも悪くない…かな、と顔を赤くするラムザ。まんざらでもないようである。

 それからクラウド。毎夜毎晩カエルが顔に張り付く夢を見て一週間まともに眠れていないらしい。
「助けてくれ」
「俺に言うなよ」
 涙目でクラウドにしがみつかれるムスタディオも困惑気味だ。

 そして最後に、似たような状況の人が。

「うーん、うーーーん…はぅっ!?」
 真っ暗なテントの中で、黒魔道士が目を覚ます。
「も、も、もういやあああ! なんで日に日に増えてんのよぉぉぉおおおお!!」
 そう、あれからジェニックは、毎晩毎晩夢の中でタイタンとの逢瀬を満喫していたのだった。
しかもどうやらタイタンの人数は邂逅のたびに増員されているようである。ビバ・兄貴ラインダンス。イエー。
「ああもぉ最悪! 見なさいよこのクマ! 何日も寝てないのよッ! しんッじらんないッ!!」
 闇夜の黒魔道士の目の下のクマなど、ここに誰かがいたとして一体誰が確認できようか。
わしわしと自分の髪を掻き乱し、教会の描いたラムザの似顔絵入り手配書に、帽子を投げつけ怒鳴り散らす。
「それもこれも全部ラムザのせいよッ!! 絶対復讐してやるんだからあああーーーーーーー!!!」
 筋違いの逆恨みに、手配書のラムザも心なしか呆れ顔だった。


END
最終更新:2010年03月28日 17:00